218話─心無き魚に水添わず
三日後、コリンたちは占領されたシャルジール戦線のすぐ側まで到達していた。要塞はダルクレア軍に守られており、簡単に侵入出来そうにない。
居場所を悟られないように結界を敷き、その中でコリンたちは作戦会議を行う。そんな中、悪い知らせが近隣の街から寄せられた。
「兄さんが近くの街を襲撃してるですって!?」
「どうやら、君をレジスタンスが拉致し、近くの街に隠していると考えたようだ。このまま放置するわけにはいかん、罪の無い者たちの犠牲を減らさねば」
「なら、僕が行きます! 兄さんを止めるのは、弟である僕の役目ですから」
ディルスの暴走を知り、ついに戦いの時が来たとソールは名乗りを上げる。兄を止める……最悪、殺害することも覚悟の上で。
「よいのか? 兄弟で争うこともあるまい、わしが」
「いや、ここは彼の覚悟を汲んであげよう、コーネリアス。並大抵のことで出来る決意じゃない、彼の意思を尊重するべきだ」
「兄さんの手の内は、全て知り尽くしていますから。五分と五分の戦い、僕にも勝機があります。兄さんは僕に任せて、皆さんは要塞の奪還を!」
「……分かった。そこまで言うのであれば、そなたに任せよう。じゃが……辛いものじゃな、家族同士が争わねばならぬのは」
頑として譲らないソールに、コリンは悲しそうな顔でそう呟いた。その嘆きには、彼ら兄弟を救えなかった悔恨も込められている。
そんなコリンの肩を優しく叩き、ソールは微笑む。そこに、恨みや憎しみの感情はない。その気持ちだけで十分だと、ソールは告げる。
「いいんです。そのお気持ちだけで、僕は救われますから。……では、行ってきます。お互い、無事再会しましょう」
「ああ、武運を祈る。……勝てよ、ソール」
ラインハルトの言葉に頷いた後、ソールはキャバランを離脱する。街からやって来た兵士と一緒に、ディルスの討伐に向かう。
一方、残されたコリンたちはシャルジール要塞奪還に向けて動く。幸い、こちらには星騎士が三人いる。ディルスがいない今、奪還は容易い。
「警備が交代する瞬間を狙って攻撃を仕掛ける。コーネリアス、イザリー。準備をしておいてくれたまえ」
「任せて! 私だって戦えるってのを見せてやるんだから!」
「この戦い、負けられぬ。決してな」
コリンとイザリーは、要塞奪還に向けて闘志をたぎらせる。そんな彼らを見ながら、ラインハルトは魔力を練り上げる。
右の手のひらに、二重の円に囲まれた天秤の紋章……【リーデンブルクの大星痕】を浮かび上がらせながら。
◇─────────────────────◇
数十分後、ソールは案内の兵士と共に目的地に到着していた。シャルジール戦線から北西にある街、リンガール。
ランザーム王国の中でも、特に美しい幾何学模様の水路を持つ水の都として知られる観光都市だ。……しかし、この街は今、血に染まっている。
「う、ぐ、がはっ……」
「お前か? お前がソールを奪ったのか? 俺から、愛する弟を」
「ちが、ぐうっ……た、助け……」
炎が燃え盛る街の広場で、ディルスが守備隊の兵士の首を絞めていた。そのすぐ近くには、彼に殺された人々の亡骸で山が作られている。
必死に身じろぎし、抵抗する兵士だが力ではディルスに叶わない。少しずつ力が抜け、命の灯火が消えようとしていた。
「答えろ、ソールは──」
「兄さん! もうやめてくれ! こんなことをしても何の意味もないよ!」
「ソール! よかった、無事逃げ出せたんだな! 傷もなさそうだ……本当によか……くっ!」
そこに、ソールが姿を現す。弟が無事だったことを喜び、ディルスは死にかけの兵士を放り投げる。そこに、ソールが魚鱗を飛ばす。
「何故俺を攻撃する、ソール。まさか、連中に洗脳でもされてるのか!?」
「操られてるのは兄さんの方だ! 目を覚まして、僕たちは間違ってる! いつまでもラディウスに従って、虐殺をするわけにはいかない。ここで終わりにしなきゃ!」
「何を言ってる? 忘れたのか、ラディウス様以外は敵だぞ。誰も俺たちを助けてくれない、裏切り者のクズだ! そんな奴らのために、お前は戦うつもりか?」
「……そうだよ。兄さんは間違ってる。罪のない人たちを殺すなんて、許されないことだ。僕たちを虐めてた叔父さんたちは死んだ。関係のない人たちにまで、憎悪を向けるのは──うわっ!」
必死に兄を説得しようと試みるソール。だが、そんな彼に向かってディルスはお返しとばかりに魚鱗を投げ付ける。
その瞳にもはや理性の光はなく、妄念と狂気に満ちた濁った光が不気味な輝きを放っていた。
「……そうか。すっかり洗脳されちまったんだな、ソール。下手人は誰だ? あのいけ好かないラインハルトって奴か? それとも、口先だけで救う救う言って、俺たちを見捨てた闇魔法のガキか?」
「兄さん、僕は」
「待ってろ、今お前を正気に戻してやるぞ。弟を守るのは、いつだって兄貴の役目だからな」
もう、兄に自分の言葉が届くことはない。それを理解したソールは星の力を解き放つ。残された手段は、たった一つ。
力尽くでディルスを止める。例え、どちらかが命を落とすことになろうとも。弟が戦う意思を見せたことで、ディルスもその気になる。
「来い、ソール。必ずお前を助けるぞ! 落星顕現……」
「僕は負けない! 絶対に兄さんを止めて見せる! 星魂顕現……」
「──ピスケス!」
互いの抱く想いを口にした後、二人は同時に叫ぶ。星の力を解き放ち、ディルスは白、ソールは黒い鱗を持つ半魚人の姿になる。
「先手必勝! スケイルネイル・スクラッチ!」
「させない! アクアポール・ガード!」
両手の指に爪状の鱗を装着し、一気に跳躍するディルス。対して、ソールは目の前に水柱の壁を作り出して攻撃を防ぐ。
初手を凌いだソールは、水柱を突っ切ってディルスにタックルを食らわせる。そのまま地面に押し倒し、馬乗りになって殴り付ける。
「このっ、このっ、このっ!」
「いいパンチだな、ソール。だが、忘れたわけじゃないだろ? 俺たちにはこのヒレがあるってな! シャープフィン・カッター!」
「ぐっ!」
ディルスは両腕に生えているヒレを高速で回転させて、丸ノコのようにソールを斬りつける。一瞬怯んだ隙を突き、ソールを突き飛ばして脱出した。
「逃がさない! フィンブルブーメラン!」
「撃ち落としてやる! スケイルシューター!」
ソールは腕のヒレを、ディルスは胴体を守る鱗の一部を。投擲武器として射出し、相手を攻撃する。空中で互いの武器がぶつかり合い、相打ちになり落下した。
「はっ!」
「ぬんっ!」
遠距離攻撃は無意味。そう判断したソールは、兄のように魚鱗の爪を生やす。そして、ディルスに向かって爪を振り下ろした。
お互いの振るう爪同士がぶつかり合い、甲高い音が鳴り響く。四年間で磨き上げた体術を駆使して、相手を戦闘不能にしようとソールは攻める。
「ハッ! てやっ! たぁっ!」
「いい動きだ、流石ソール。操られていても精彩を欠いてない。俺の弟だけあるな、誇らしく思うよ」
「兄さんこそ、キレがいつもよりいいじゃないか。僕だって、負けてられない!」
地上での戦いは、一進一退の攻防が続く。このままではラチが明かないと考えたディルスは、何かを思い付いた。
「ここじゃいつまで経っても終わらねぇ。だから、舞台を移そう。俺たちのホーム……水の中にな!」
「うわぁっ!」
ディルスはソールの腕を掴み、広場の側にある大きな水路に飛び込む。魚座の力を持つだけあって、二人とも水中戦を得意としていた。
「ここでなら存分にやり合える。さあ、始めよう! お前を倒して洗脳を解いてやるからな、ソール!」
「僕は操られてなんかない! 自分の意思で……覚悟を持って兄さんを止めに来た! ここで全部、終わらせてみせる!」
悲しき兄弟の戦いは、後半戦に突入しようとしていた。




