211話─交差する吉凶
オルドーとの戦いが終わってから、三カ月後。各国の協力によってエル・ラジャッドは解体され、ガルダ草原はかつての姿を取り戻した。
街を形造っていた黄金は各国に分配され、復興のための資金源として国庫を潤す。そんな中、アディアンにいるコリンに贈り物が届く。
「いやー、本当にありがたいのう。回収し損ねた【紫電色の神魂玉】と【琥珀色の神魂玉】をわざわざ届けに来てもらえるとは」
「これくらいお安いご用さ。あんたには返しきれない恩があるからね、コリン」
「リュミ殿の言う通り。今の拙者たちにはこれくらいしか出来ぬが……いずれ、もっとちゃんとした形で恩返しをする。楽しみにしていてくだされ、コリン殿」
戦いの後のゴタゴタで回収し忘れていた二つの神魂玉を、リュミとツバキが届けにきてくれたのだ。これで、残るは【瑠璃色の神魂玉】のみ。
最後の神将の討伐とランザーム王国解放に向け、コリンは闘志を燃やす。リュミたちと談笑していると、そこに慌てた様子のアシュリーがやって来た。
「コリン! 大変だ、とンでもねぇ知らせが来た! ラインハルトが……」
「ぬ? ラインハルト殿がどうしたのじゃ? まさか、敵に」
「ダルクレア軍を蹴散らして、ランザーム王国北部を取り戻したって知らせが来たンだ! 七日後に、こっちに来るってさ!」
もたらされたのは、予想外の吉報。一瞬目を丸くしたコリンだったが、次の瞬間には嬉しそうな笑みを見せていた。
「本当か! 流石はラインハルト殿、やってくれたのう! 実にめでたい、七日後が楽しみじゃ!」
「ああ、みんなで出迎えの準備をしねぇとな! 祝ってやろうぜ、勝利をよ!」
コリンたちはラインハルトの勝利を喜び、はしゃぎ回る。だが、彼らは知らなかった。この時、遙か南の地で……邪悪な魔戒王の謀略が巡らされていたことを。
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「ようやく会えたね、レテリア。我が同志、ヴァスラサックの娘よ」
「……」
「ワインでも如何かな? ワレの故郷、暗域で採れた高級ブドウを使った九千年ものだ。美味いぞ」
「……あなたと話すことは何もありません。この牢獄から去りなさい、邪悪の化身よ」
ダルクレア聖王国首都、神都アル=ラジール。中央にそびえる邪神の城の地下深くに造られた牢獄に、二人の人物がいた。
片方は、牢獄に繋がれたレテリア。もう片方は、裏で暗躍する魔戒王……エイヴィアスだ。二人は鉄格子を挟んで向かい合い、険悪な空気を醸し出す。
「つれないな、姫よ。よほどその牢獄かお気に召さないと見える」
「ええ、それ以上にあなたの存在が気に食わないのですよ。自らは表に出ず、裏で悪事を重ねる。最低最悪の人物です、あなたはね」
「これは手厳しい。ま、君からの評価などどうでもよい。重要なのは、君がこうしてワレの元にいるということだ」
虚空から呼び出したグラスにワインを注ぎ、香りを楽しみながらエイヴィアスはそう語る。対して、レテリアは眉根にしわを寄せる。
「ワレはずっと求めていた。自由に扱うことが出来る神を。玩具として、実験体として……生け贄として、な」
「何を……言っているのです。わたくしをどうするつもりなのです!?」
「教えてやろう。だが、そのためにはワレの魔戒王としての力も教える必要がある。簡単に言おう。ワレの持つ力は……ズバリ、平行世界への門を開くことだ」
優雅な仕草でワインを一口飲んだ後、エイヴィアスはニヤリと笑う。彼の言葉の意味が理解出来ず、レテリアは固まる。
そんな彼女を見ながら、もう一口ワインを飲むエイヴィアス。グラスを揺らしながら、心底楽しそうな笑顔で話し出す。
「驚いているね? ま、無理もない。実に荒唐無稽な話だろうからな、君からすれば」
「平行、世界……概念だけは知っています。今とは違う、『もしも』の世界があったら……などという、文字通りただの妄想な概念を」
「妄想ではない。ワレだけが実現出来るのだ。こことは違う歴史をたどった、別の世界と繋げられる」
小バカにしたような笑みを浮かべて一蹴するレテリアに、エイヴィアスはそう答える。そして、右手をレテリアの前に差し出す。
訝しむレテリアの前で、エイヴィアスが魔法を唱えると……手のひらの上に、レテリアの立体映像が浮かび上がる。
だが、どこか様子がおかしい。邪悪な笑みを浮かべて、誰かの生首を持っている。映像を見ていたレテリアは気付く。
「!? そ、そのわたくしが持っているのは!」
「そうだ、君の兄ギアトルクの首だ。今見せているのは、平行世界の君だよ。母親を裏切らず、兄を討伐した世界線の君だ」
絶句するレテリアを見て満足そうに口角を上げたエイヴィアスは、映像を消す。沈黙する彼女に、静かに声をかけた。
「こうして映像を垣間見るのは簡単だ。だが、実際に門を作り出すためには莫大な力がいる。……もう分かっただろう? 君をワレが欲した理由がね」
「わたくしを、門を開くための『生け贄』にするつもりですね? なら、その期待には沿えませんよ。神魂玉を手放したわたくしに残る神の力など」
「問題ないさ。この世界の君を起点にして門を僅かに開いた後は……平行世界の君を大量に呼び込む。そうすれば、生け贄には困らない」
「な、何とおぞましいことを……!」
とんでもないことを平然と言い始めるエイヴィアスに、レテリアはまたもや絶句してしまう。しかし、同時に疑問が浮かぶ。
何故そこまでして、エイヴィアスは平行世界の門を開きたいのかと。そんな彼女の思考を読んだかのように、魔戒王は語る。
「ここ最近、序列一位の魔戒王……フォルネウスがワレを訝しんでいてね。彼にとって最悪の事態が起これば、躊躇なく切り札を使うだろう。『特定ポイントへの時間逆行』という切り札を、ね」
「時間、逆行……」
「そうなれば、これまでのワレの苦労が全て水の泡になる。なかったことにされるのだ。だから、そうなってもいいよう備えねばならん」
「つまり、どういうことなのです。それと平行世界の門を開くことに何の関係が?」
「時を巻き戻されても、ワレの活動だけはなかったことにされないようにするのだよ。平行世界から呼び集めた君から神の力を抽出し、我が物にすれば可能だ」
全てにおいて馬鹿馬鹿しい、荒唐無稽な言葉たちの列挙。普段のレテリアなら、ただの妄言だと切って捨てていただろう。
だが、今回はそうすることが出来ない。先ほど見た立体映像が、脳裏に焼き付いて忘れられないのだ。
「フォルネウスは特殊な出自でね。対抗するためには神の力が必要なんだ。ヴァスラサックからも許可を貰っている。君を好きにしていいとな」
「成功するわけがありません。そんなくだらない計画が。あなたも母も、コーネリアスとその仲間たちが倒します。必ずね!」
「そうなるといいな。少なくとも、ワレにとってはコーネリアスとヴァスラサックのどちらが勝とうが大した問題じゃない。ワレの最終目標は、遙かな高みにあるのだから」
そう言った後、エイヴィアスはワインを飲み干す。ゆっくりと立ち上がり、牢獄を去って行く。
「最後の邪神の子が、ダルクレア本国の守りに着くため戻ってきたのでね。これからヴァスラサックを交えて会合をする。それが終わったら、計画始動だ。楽しみにしていたまえ。はははははは!」
高笑いしながら歩いて行くエイヴィアスの背中を、睨み付けることしか今のレテリアには出来なかった。
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「兄さん、本当にやるつもりなの? これ以上、邪神たちに肩入れする理由はないじゃないか!」
「ソール、この話を蒸し返すなと言っただろう? お前だって憎いだろ、ファンダバル領の民や他の星騎士どもが。俺たちを助けもせず、ぬくぬくしてやがるあいつらが!」
旧ランザーム王国南部、ファンダバル領。奪還された北部と違い、未だダルクレア聖王国軍の支配下にあるこの地に、二人の兄弟がいた。
『双魚星』ファンダバル本家最後の生き残り、ディルスとソールだ。今後の方針を巡り、領主の館の一室で言い争いをしている。
「彼らまで憎むのは間違ってる! 僕たちが恨むべきは叔父さん夫婦だけ……彼らにはもう、復讐を終えたじゃないか!」
「ああ、そうだ。邪神の子の助けを得てな。それ以外の連中は、誰も助けてくれなかった。見て見ぬフリをして、関わることを拒絶した!」
「そこまで求めるのは酷だよ、兄さん。とにかく、僕はこれ以上邪神たちに与したくない。恩はあるけど、それとこれとは話が別だよ!」
「俺はそうは思わない。他の連中は、お前を幸せにしてはくれないぞ。あのコリンとかいうガキも、お前を殺しに来る。そんなのは耐えられない。俺は兄として、お前を守る義務がある!」
邪神勢力からの離反を主張するソールに対し、ディルスはコリンたちへの憎しみをぶちまけ反論する。ディルスの想いはただ一つ。
愛する弟を、守りたいだけ。それを分かっているからこそ、ソールは兄を必死に説得する。今の自分たちのあり方は間違っていると、理解しているから。
「兄さんが僕のことを想ってくれているのは嬉しいよ、でも」
「くどい! この話はもう終わりだ、七日後には北へ征伐へ向かう。準備を怠るなよ、ソール。俺とお前、ラディウス様以外は全員敵だ! それを忘れるな!」
強引に話を打ち切り、ディルスは部屋を出て行く。一人残ったソールは、悲しそうにうつむき呟いた。
「……やっぱり、間違ってるよ。僕は……もう、黙ってるわけにはいかない」
ヴァスラサックとの決戦が近付く中……静かに、されど確実に。暗雲が立ち込めようとしていた。




