175話―雪と歌姫とオカマと亀
コリンの先制攻撃によって、ラングレッチの軍勢は三割近い損害を被ることになった。先発隊を呑み込んだ鮫スライムは、本陣からも姿を確認出来た。
「な、なんや今のは!? あんなもん操れるなんて聞いとらんで!」
「将軍、いかが致しましょう……?」
「ぐ、ぐぬぅ~。ここで逃げ帰ったら、ワシがメルーレ様に殺されてまう。どうやって切り抜けたらええんや……」
「た、大変です! 長城の方から、敵が攻めてきています!」
部下に問われ、ラングレッチは貧乏揺すりしながら考え込む。でっぷり前に出た腹が揺れる中、突如氷山長城の方から雪煙が上がる。
双眼鏡を覗いて索敵していた騎士は、目を丸くして叫ぶ。双眼鏡には、フェンリルに乗った戦士たちが映っていたのだ。
「さあみんな、出撃よーん! わるーいダルクレア兵ちゃんたちに、鉄拳を叩き込んであげなさーい!」
「おおおおお!!」
コリンが手懐けたフェンリルを駆り、祖国奪還連合の戦士たちは突撃する。完全に虚を突かれたラングレッチ陣営は、迎撃が遅れた。
「接敵まで後十数メート……ぐあっ!」
「はっはぁー! 矢が当たったぜ! こちとら生粋のハンターだ、この距離でも楽に射抜いてやらぁ!」
伝令をしようとしていた騎士の首を、飛来した矢が貫く。メルーレに滅ぼされたハンターギルドの生き残りが、先制攻撃を放ったのだ。
その一撃を皮切りに、ハンターたちが次々と矢を射つ。爆走するフェンリルに跨がりながらであるにも関わらず、狙いは外さない。
「この……ぐあっ!」
「お前ら何やっとるんや! さっさと反撃せえ、ドアホ!」
「反撃などさせぬぞー? おぬしらはここで、一人残らず雪原の風になるのじゃ!」
「ヒッ! お、お前は!」
部下を怒鳴り付けるラングレッチの元に、イザリーに抱えられたコリンがやって来る。お腹にしっぽを巻かれ、宙ぶらりんな状態だ。
「覚悟しなさいよ、ダルクレアの騎士たち! みんなの怒り、思い知りなさい! 脱力のララバイ!」
「うあっ! ち、力が抜ける……」
「脚に力が……た、立てない……」
「そーら、こいつを食らえっ! ジャイアントプレス!」
「うぎ……」
イザリーが歌い始めると、騎士たちの身体から力が抜けていく。へなへなと座り込んで動けなくなったところに、ゴリアテが降ってくる。
巨体の下敷きになり、騎士たちは押し潰される。しかし、悪運が強かったのかラングレッチはソリから放り出されるだけで済んだ。
「ぐあっ! ぐうう、アカン。このままやと全滅してまう」
「そぉれ、みな消し飛ばしてやるわ! ディザスター・スタンプ!」
「悪いコは独り残らずお仕置きよん! マッシヴパンチ!」
戦場から離れた雪原に叩き付けられたラングレッチは、コリンたちに蹂躙される自軍をなすすべなく見つめる。敵の猛攻の前に、敗色濃厚と言えた。
敵が自分に気付く前に、逃げ出してしまおうか……とラングレッチが考えていると、見えない何かが耳元で囁きかけてくる。同時に、液体が揺れる音が響く。
「ダメじゃあないですか、将軍。あなたも麗しの姫にお仕えする同志なのですから、ここで逃げるなどあってはなりませんよ?」
「そ、その声はグレーマン! 待っとくんなはれ、ワシは別にあぐっあ!」
「嘘はいけませんね、将軍。あなた、今逃げようとしてたでしょ? それはいけません、まだ切り札もあるのですから。ほら、ちゅーっと注入しますよ?」
「ぐ、おああ」
雪が盛り上がって人の形になり、ラングリッチの後ろに立つ。その手には、深い緑色をした液体が納められた筒が握られている。
雪でラングレッチの手足を押さえ付けて動きを封じた状態で、首に注射針を突き立てる。コリンたちが気付いたのは、液体が注入された後だった。
「むっ! あやつ、いつの間にあんなところに!」
「さっきのゴリちゃんの攻撃で吹っ飛んだのね! ……でも、何だか様子がおかしいわ」
「あぐ、ぎああああ!!」
「グッドラック、ラングレッチ。その力があれば、あなたは勝てるはずです。クククク……」
ラングレッチが悶え苦しむ中、雪人間が崩れ落ちてただの雪に戻った。コリンたちが警戒する中、ゴリアテが一人走る。
「何をするつもりかは知らねえが、やらせねえぞ!」
「ゴリちゃん、待って! 無策で走るのは危険よ、戻って!」
イザリーが叫ぶも、ゴリアテは止まらない。仲間に被害が出る前に、敵を潰す。その考えで頭がいっぱいになっているのだ。
ラングレッチの前に到達し、勢いよく拳を振り下ろして叩き潰そうとするが……。
「これでも食らえ!」
「グ……ムダや。ダイヤモンド・シェル!」
「ぐあっ! か、固い……これは……甲羅か!?」
「ああ、そうや。ワシは手に入れたんや。お前たちを葬るための力をな! トータス・キル・シェル!」
「うおあっ!」
背中を苔むした甲羅で覆った、リクガメの獣人へと変貌したラングレッチ。甲羅で拳を受け止めた後、頭と手足を格納し回転し始める。
強烈な吸引力を持つ渦が生まれ、ゴリアテの巨体を巻き込んで回転する。遠心力によって放り投げられたゴリアテは、頭から雪に埋もれた。
「ゴリちゃん!」
「あの姿……以前戦った女のようじゃな。また、例の液体を使ったのか?」
イザリーがゴリアテを心配する傍ら、コリンはラングレッチの変化を考察する。チラッとではあるが、筒が見えたのだ。
ラヴァックのように、謎の液体を取り込んで獣人へと変化したのだろうと結論付けるコリンを、ラングレッチが見つめ笑う。
「なんや、えらいいい気分やわ。これなら、あんたをブチ殺してやれるなあ! トータス・シェル・ロケット!」
「危ない! みんな逃げて!」
頭と手足を引っ込めたまま、ラングレッチは宙に浮かび上がる。そして、凄まじい勢いでコリンとイザリーの方に突っ込んできた。
イザリーは仲間に危機を知らせるため叫び、翼を広げ真上に飛ぶ。それに合わせて、ラングレッチも軌道を修正する。
「ムダや! 逃がしはせんで、二人ともぶっころ」
「それは無理ですね、わたくしたちが……」
「通すわけないでしょ? イザリーとコリンちゃんにおイタする悪いコはお仕置きよ!」
「おぐあっ!」
イザリーたちを追うラングレッチだが、彼はすっかり失念してしまっていた。マリアベルやマデリーンが、黙って見過ごすわけがないことを。
地上から飛び上がったマリアベルと、上空から急降下してきたマデリーンのダブルアタックを食らい、遠くへ吹っ飛ばされる。
「この者の変化……お坊っちゃま、如何致しましょう。この者を捕らえ、情報を聞き出しますか?」
「うーむ、こやつのような小者が何かを知っているとは思えんのう……うむ、死ぬ寸前で記憶を抜き出せばよい。遠慮なく始末してしまおうか」
「じゃあ、ここはアタシに任せてくれないかしらコリンちゃん。この四年で、よりマッシヴになったアタシを見せてあげるわ!」
「む、そうか。そこまで言うなら、わしらはゴリアテ殿の救出に行こうかの。イザリー、マリアベル。行くぞよ」
マデリーンが立候補したため、ラングレッチの相手を彼女に任せ、コリンはゴリアテの救助に向かう。マデリーンが拳を鳴らしていると、敵が起き上がる。
「よくもやってくれたな、もう許さへんで! 全軍集結や! 生き残っとる奴らは全力で敵をぶっ殺すんじゃあ!」
「あーら、そんなこと許すと思って? アタシの目が黒いうちは、そんなことさせないわよん」
「はっ、気色悪いオカマが何を言うねん。その厚化粧ドロドロにして、ぶっさいくな素顔をさらけ出したるわ!」
「……あらあら。随分と失礼ねぇ、レディに向かってその一言は……ブッ殺されても文句言えないわよ、あんた」
ラングレッチの攻撃的な発言を聞き、マデリーンの額に大量の青筋が浮かぶ。その光景は、ちょっとしたホラーだった。
すさまじい怒気が放出され、それに当てられた双方の軍はすぐさま撤退していく。このまま戦いを継続すれば、巻き添えを食らう。
本能でそれを察知し、一目散に逃げたのだ。
「今の発言、取り消すなら聞かなかったことにしてあげるわ。あと五分間だけ待ってあげる」
「ハッ、調子こくんやないで。ワシは事実を言うただけやろがい、ああん? 気色悪いオカマには、ここで死んでもら」
「やっぱりやーめた、五分も待たないわ。今すぐ全力でぶっ殺してあげるから、覚悟なさい? 泣いて土下座しても、もう許さないからね!」
そう叫び、マデリーンは地上に降り立つ。喉に【バーウェイの大星痕】が浮かび上がり、激しく明滅しはじめる。
尋常ではない怒りに反応しているようだ。
「アタシ、イザリーの教育に悪いからあんまり汚い言葉遣いはしないんだけど今日は特別よ。……ぶっ殺してやるわ、この【掲載禁止ワード】野郎!」
戦場のド真ん中で、マデリーンは怒りの叫びをあげた。




