170話―雪原に来る者
その日、一度は弱まった吹雪が止むことは結局なかった。止まないものは仕方ないので、コリンとマリアベルは洞窟で一夜を明かす。
乾パンと干し肉を食べ、もふもふなフェンリルたちを愛でながら魔法で熱した紅茶を飲む。遠くから聞こえる吹雪の音に耳を傾けながら、眠りに着く。
「ん……ふぁーあ、もう朝になったのう。しかし……」
翌朝、目を覚ましたコリンは……マリアベルに抱き枕にされていた。おまけに、周囲をフェンリルたちが固めているため動けない。
「すー、すー……」
「マリアベル。マリアベルや、起きておくれ。これではわしが身動き出来ぬぞよ」
「ん……。おはようございます、お坊っちゃま。寒くありませんでしたか?」
「うむ、くっついて寝たおかげで寒くなかったぞよ。マリアベルはあったかいからのう」
「そうですか、お役に立てて何よりです」
数分後、マリアベルが目を覚まし身体を起こす。ようやく自由に動けるようになったコリンは、朝食の用意をしようとして――怪しい気配が近付いてくるのに気が付いた。
「マリアベル、朝食は後じゃ。まずは……」
「はい。わたくしたちの方に向かってきている、不届き者を始末しましょうか」
「グルルルルルル……」
フェンリルたちも目を覚まし、唸り声をあげながら洞窟の入り口を睨む。少しして、足音がコリンたちの元に届く。
気配の主が、洞窟に入ってきたのだ。コリンを守るように周囲をフェンリルが固める中、足音がどんどん近付いてくる。
「……あら。フェンリルが一頭も見当たらないと思ったら、手懐けてるなんてね。流石の私も、それは予想外だわ」
コリンたちの前に現れたのは、クリーム色のハイレグタイツを着た女……ラヴァックだった。極寒の環境だというのに、とんでもない露出度だ。
あまりにもハレンチな格好をしているため、マリアベルはコリンの目を自分の手で覆って見えないようにする。主の情操教育も、メイドの務めなのだ。
「まあ、なんとハレンチな格好なのでしょう。お坊っちゃまの半径千キロ以内に入らないでくださいね、貴女のようなビッチは教育に悪いので」
「はぁ? 初対面の相手にまあ……よくもそんなズケズケ言うわね。気に入らない……! 決めた、あんたから殺すわ!」
「ガルァッ!」
「邪魔よ、この犬っころ!」
敵意に溢れた罵詈雑言を叩き付けられ、ラヴァックは豹変する。飛びかかってくるフェンリルたちを蹴り飛ばしながら、懐から管を取り出す。
「死出の旅路の土産に、いいものを見せてあげる。メルーレ様から授かった力、その目でよく見なさい!」
「あれは……一体何を?」
「マリアベルよ、そろそろ手をどけてくれぬかのう? なんにも見えないぞよ!」
ラヴァックは管に付いた注射針を首筋に突き刺し、中の液体を取り込んでいく。それを見たマリアベルが警戒する中、状況を把握出来ていないコリンが暴れる。
「ふ、は……ふふ、うふふ。素晴らしいわ……力が、溢れてくる。これが……ガルダの獣人どもから抽出した獣のパワー!」
「! あやつ、今なんと……」
「お坊っちゃま、来ます! わたくしの後ろにお隠れください!」
「ウルルルル……ガァオーン!」
フェンリルたちも攻撃を止め、警戒しながら少しずつ後退する。その最中、ラヴァックの身体がどんどん変貌していく。
全身が黒い体毛に覆われ、手足の指には鋭い爪が生える。狼のソレと同じ耳が頭に生え、人の耳が消え――ラヴァックは、狼の獣人になった。
「な、なんじゃ……あの禍々しい姿は」
「どうやら、先ほど取り込んだ液体による変化のようです。……お坊っちゃま、ここはわたくしにお任せを。解禁した星の力で……彼女を仕留めてご覧にいれます」
「む、ではわしも」
「いえ、わたくし自身の力量が今、どれほどあるのかを試したいのです。もしかしたら、周囲を巻き込んでしまうかもしれません。なので、ここはわたくし一人でやります」
漆黒の狼人間と化したラヴァックへ、マリアベルが近付いていく。コリンは援護を申し出るも、やんわりと断られてしまった。
「むう……まあ、マリアベルが与えられた力は中々に攻撃範囲が広いからのう。確かに、巻き込まれぬようにするのが一番じゃな。よし、フェンリルたちよ!」
「あおん?」
「洞窟の奥に避難じゃ!」
「あおーん!」
コリンはフェンリルたちに声をかけ、一目散に洞窟の奥へと走っていく。が、それを黙って見逃すほどラヴァックは甘くない。
即座に地を蹴って、猛スピードでコリンたちを追いかけようとする。が……。
「バカな子、逃がしはしない!」
「いいえ、お坊っちゃまはわたくしが逃がします。貴女の相手は――このわたくしですよ」
「なっ……うあっ!」
マリアベルはラヴァックの腕を掴み、その場でぐるりと一回転し……綺麗なフォームで一本背負いを決めて地面に叩き付ける。
そして、ラヴァックを地面に押し付けたまま勢いよく走り出した。今はとにかく、コリンから敵を引き離すのが最優先なのだ。
「いだだだだだだ!!! 擦れる! 擦れる! 擦れて無くなる!」
「このまま紅葉おろしにしてあげたいのですが、そうすると情報を聞き出せませんからね。ご安心なさい、首から上は無傷にしておきますから」
「このっ、調子に……乗るな!」
引きずられていたラヴァックは、無理矢理身体を起こして逆にマリアベルを放り投げる。洞窟の外、白銀に輝く雪原へと。
空中で身体を回転させ、華麗に着地してみせるマリアベル。そんな彼女の背後から、ラヴァックが襲いかかる。
「死になさい! ウォルフクロー!」
「当たりませんよ、そんな分かりやすい攻撃は……ね!」
「ふん、そんな厚着してるわりには随分とすばしっこいわね。生意気な奴」
「そうですね、これから運動をするのですから脱いでおきましょうか」
そう言うと、マリアベルは服を脱ぎ捨てて魔法で消した。下に着ていたピッチリインナー一丁の姿になり、ポキポキ骨を鳴らす。
「あら。人のことを散々ハレンチだのビッチだの言っておきながら、自分だって大概な格好してるじゃないの」
「わたくしはいいのです。お坊っちゃまに見せ付けるのはわたくしだけの特権なので」
「いちいちムカつくね、あんたは!」
それを見たラヴァックはマリアベルのダブルスタンダードっぷりを糾弾する。が、あっさりと開き直られてしまった。
結果、激昂してマリアベルに襲いかかる。手で大量の雪を掬い、目眩ましに投げつけつつ体当たりを行う。しかし、それを避けられた。
「あれだけの量の雪を投げたのに、なんで避けられるの!?」
「残念でしたね。理由は教えませんよ? 自分からアドバンテージを捨てるほど、わたくしは愚かではありませんから」
「なら、これはどう!? ピアッシングレイン!」
ラヴァックは後ろに跳びつつ、全身の体毛を逆立てる。鋭い針のように尖った毛を大量に射出し、マリアベルを串刺しにしようとする。
「なるほど、これは避けなければなりませんね。ハッ!」
「中々アクロバティックな動きじゃない。でもね……この状態でも、こっちは他の攻撃が出来るのよ! ウォルフテール・ナックル!」
「なるほど、では防がせてもらいましょうか。チェスト・シャッター!」
「ひぎいああ!?!!?!??!!」
次々と生え変わる体毛を発射しつつ、しっぽを伸ばして打撃を叩き込もうとするラヴァック。対して、マリアベルは右手をタンスに変化させた。
相手の一撃をタンスにした手で防ぎつつ、素早く引き出しを開けてしっぽを入れる。そして……勢いよく引き出しを閉め、しっぽを挟んだ。
とんでもない痛みに、ラヴァックは悲鳴をあげながら小さく飛び上がる。怯んだ隙に攻撃が止まってしまい、そこを狙われる。
「チャンスですね。キリングランプ・ショット!」
「あっづ! このっ、よくもここまで私をコケにしてくれたわね!」
マリアベルは赤熱する照明器具を作り出し、おもいっきり腕を振りかぶって投げつけた。直撃を食らったラヴァックは、さらに苛立ちを募らせる。
「貴女ではわたくしには勝てませんよ。なにせ、こちらはまだ本気を出していませんから。まあ、ここからは……わたくしも本気で、仕留めにかからせていだきますがね」
ラヴァックを見つめ、マリアベルはそう口にする。彼女の額に、うっすらと……【アルソブラの大星痕】が浮かび、輝きはじめる。
星騎士としてのマリアベルの力が、解き放たれようとしていた。




