169話―狂気と暴雪の洗礼
それからの十日間、コリンとマリアベルは必要最低限の休息をする時以外は常にバイクを飛ばしていた。その甲斐あって、ロタモカとグレイ=ノーザスの国境までスムーズに到達出来た。
「ここまでは順調じゃったな。さて、入国する前に厚着しておこうかの」
「そうですね、雪国は寒いですから。では、着替えるのをお手伝いします」
「うむ、ありがとうのう」
国境を跨ぐ前に、二人は防寒着に着替える。全身を包む、ピッチリした黒いウォームタイツの上から厚手のズボンとシャツを身に付け、上着を着る。
最後に手袋を着け、全身もこもこな厚着モードへの移行を完了させた。いざグレイ=ノーザスへと、勇ましく国境を跨ぐ。
「見つけたぞ、侵入者だ!」
「捕まえて殺せ! 薄汚いドワーフどもに祖国の雪を踏ませるな!」
入国から一分足らずで、コリンたちは竜人の警備隊に発見されてしまった。が、何やら警備隊の面々の様子がおかしい。
みな、瞳が赤く濁り不気味に光っていたのだ。どう見てもドワーフではないコリンたちを誤認しているのも含め、何者かに操られているようだ。
「むう、色々気になるが……まずはノースエンドに向かう。マリアベル、振り切るぞよ。しっかり掴まっておれ!」
「かしこまりました。攻撃が来たら、わたくしがガードします!」
異変が起こっていることは見てわかるのだが、今はマデリーンとの合流が最優先。そう判断したコリンは、シューティングスターに魔力を流し込む。
雪上移動用のスノーモービルへ変形させ、警備隊を振り切るべく猛スピードで突っ切った。竜人たちは翼を広げ、空を飛びながら猛追する。
「逃がすな、ブレスを浴びせて消し炭にしろ! クズドワーフどもを殺せ!」
「死ね、ドワーフども! ファイアブレス!」
「全く、冷静さを欠いていて話になりませんね。ハァッ!」
六人の竜人たちが放つ火球の嵐を、サイドカーから身を乗り出したマリアベルが拳で弾き落とす。しばらく追走劇が続いたが、突如警備隊の動きが止まった。
「おかしいですね、まるで糸が切れた操り人形のように動かなくなりました」
「うーむ、不可解な……。じゃが、これだけは言える。確実に、邪神の子が一枚噛んでおるわ」
「ええ、わたくしもそう思います。一体、彼らに何をしたのでしょうか……」
一方、中立地帯となった元帝都、バラホリックシティではメルーレが左目から映像を照射していた。コリンたちを追っていた警備隊の隊長の視界と、自身の左目である【薄紅色の神魂玉】をリンクさせているのだ。
「追跡を止めてよろしいのですか? メルーレ様」
「問題ないわ。あいつらが入り込んだのは、フェンリルの縄張りよ。あの一帯は竜人ですら立ち入らない、氷狼たちの巣。生きて出ることは不可能だもの。追う必要はないわ」
「ですが、彼らを侮ることだけは避けた方がよろしいかと。すでに、兄君と姉君が倒されているわけでもありますし」
「心配性ね、ラヴァックは。なら、あなたが刺客になってくれる? ちょうどいい感じに、ガルダ草原の方からサンプルが届いたしね」
玉座に腰掛け、映像を見ていたメルーレに副官の女が声をかける。そんな彼女に、メルーレは懐から取り出した細長い管を見せた。
内部は琥珀色の液体で満たされており、先端には鋭い注射針が付いている。それを見た女……ラヴァックは顔をひきつらせた。
「も、もう完成していたのですか!?」
「ええ。弟はちゃっちゃか物事を進めるのが得意だからね。無事に完成させたのよ、獣化薬を。どうする? 栄えある刺客第一号の座を、あなたにあげるけど」
「私に、栄誉を……」
映像の照射を止め、左目を紅く光らせながらメルーレはラヴァックを見つめる。紅の光を見たラヴァックは、瞬く間にメルーレに魅了されてしまう。
頬を上気させ、その場にひざまずく。恭しく頭を下げ、自らメルーレに懇願する。最初の刺客に、自分を選んでほしいと。
「私なら、貴女様を失望させません。どうか、栄誉ある刺客の座を私に!」
「いいわ、それじゃあこれをあげる。それを使って、あの二人の喉笛を食い千切りなさい。吉報をもたらすことを期待しているわ、ラヴァック」
「はい! 全て私にお任せを!」
管を受け取ったラヴァックは、玉座の間を後にする。彼女が去った後、メルーレはほくそ笑む。その表情は、私利私欲のままに国を傾ける悪女のそれだった。
「ふふ、便利よねぇこの能力。神将技、ルビー・テンプテーション。私が見つめてあげれば、オトコもオンナもイ・チ・コ・ロ。うふふふ」
彼女が持つ能力。それは、あらゆる生命体を魅了し、洗脳して忠実なしもべへと作り替えるものだ。単純でありながら、強力無比。だが……。
「……でも、効かないのよねぇ。バーウェイ家の連中には。まさか、自分のかけた呪いがプロテクトの役割をするなんて。全く、皮肉なものね。あいつらを苦しめるためにかけた呪いが、逆にあいつらを守っているんだもの」
天井を見上げ、メルーレはため息をつく。四年前の戦いでは、ルビー・テンプテーションが効かず逃げられてしまった。
だが、今回は違う。北の果てから逃げる隙も、コリンたちと合流出来るという希望も与えず。七百年前の雪辱を晴らし、叩き潰す。
そのための計画を、進めているのだ。
「待っていなさい、バーウェイの末裔たち。お前たちのドクロで杯を作り、飲み干してやるわ。その薄汚い血を一滴残らずね! あっはははははは!!」
玉座の間に、狂った笑い声がいつまでも響いていた。
◇―――――――――――――――――――――◇
一方、そうとは知らずにフェンリルの群れの縄張りに足を踏み入れてしまったコリンとマリアベル。彼らは今……。
「くぅーん、きゅうんきゅうん!」
「あおーん!」
「これ、そんなに舐めるでない! 全身べたべたになるじゃろうが!」
「ふふ、お坊っちゃまの魅力に気が付くとは。中々見る目がある狼たちですね」
――フェンリルの群れにじゃれつかれていた。彼らが住む洞窟の中で、コリンは十数分前の出来事を思い出す。
「……むう。猛吹雪のせいで、まるで前が見えぬぞ。これはもう、止むまで進むのを断念するしかないのう」
「ええ、闇雲に進めば目的地から離れてしまうでしょうから。吹雪が止むまで、城に戻っていましょう」
雪原を進んでいた二人は、突然の吹雪によって立ち往生することになってしまった。ドーム型の結界で身を守りつつ、城に繋がる扉を作ろうとする。
が、マリアベルの調子が悪いようで、扉が上手く城に繋がらない。コリンが代わりに扉を作っても、結果は変わらなかった。
「申し訳ありません、お坊っちゃま。肝心な時に繋がらず……」
「むう、仕方あるまい。誰にでもコンディションが悪い時がある。しかし、こうなると……む! 何か近付いてくる。マリアベル、気を付けよ」
コリンがマリアベルを慰めていると、複数の気配が近寄って来るのに気付いた。吹雪に紛れ、フェンリルたちが忍び寄ってきたのだ。
「この気配は……野生の獣か。この辺一帯を縄張りにしているのやもしれぬな」
「吹雪に乗じて、獲物を獲りに来たというところでしょうか。追い払いますか?」
「うむ、それがいい。吹雪が弱まったところを、一気に……」
ヒソヒソ話をしていると、少しずつ吹雪の勢いが弱まってくる。すると、フェンリルたちの姿が見えてきた。
美しい水色の毛皮を持つ、十数頭の狼の群れがコリンたちを囲んでいた。……とても嬉しそうに、しっぽをぶんぶん振りながら。
「……んんん??? マリアベルよ、ちと様子がおこしくないかのう? 何故あの狼たちはみな、わしを見て嬉しそうにしておるのじゃ?」
「ああ、そういえば……お坊っちゃまは、昔からよく動物に好かれる体質でしたから。もしかしたら、彼らもお坊っちゃまのことを気に入っているのかもしれません」
「いやいや、流石にそれは……ないとも言い切れんのう、これは」
キラキラした目で自分を見てくるフェンリルの群れをどうしようか悩んでいると、一番大きな個体がワオン、と吠えた。
群れのリーダーなのだろう、その個体に従い他のフェンリルも一声鳴いた。その後、大柄な個体は背を剥けて歩き出す。
まるで、コリンたちを誘うかのように。
「いかが致します? お坊っちゃま。彼らについていってみますか?」
「うーむ……まあ、こんな雪原のど真ん中で夜を越すよりはマシじゃろうな。ふわふわもふもふの毛皮に包まれていれば、あったかいじゃろうしの」
フェンリルたちに敵意がなさそうだったので、コリンは彼らについていくことにした。結果……彼らの巣にて、もふもふの洗礼を受けることとなったのである。
「やれやれ、この分なら寝床には困らぬが……唾液まみれなのは勘弁してほしいのう」
「きゅうん?」
「いや、きゅうんではなくでじゃな……」
つぶらな瞳で見つめてくるフェンリルに、コリンは苦笑いをするのだった。




