143話―谷底の再会
エステルとメルベレーナが戦っていた頃、コリンはとある場所にいた。帝都アディアンの西にある険しい谷、クリガラン渓谷。
匂いをたどった結果、ここで一際強い反応を示していたのだ。かつて、野生のレッドドラゴンの群れが暮らしていたが……今は、一頭もいない。
「……アシュリーのやつ、ここを訪れておったか。思い出の場所じゃからのう、ここは。まだここにおるかもしれん、探してみようぞ」
四年前、冒険者としての最初の仕事をした思い出のある土地。ここでアシュリーの反応を見つけたことに、コリンは因縁めいたものを感じていた。
荒涼とした風景に様変わりしてしまった渓谷に足を踏み入れ、まだいるかもしれないアシュリーを探す。
「……しかし、こうして匂いをたどっていると本当に犬になったような錯覚を覚えるわい。もしかしたら、わしもハインケルのように――!」
匂いをたどり、渓谷の奥へと進むコリン。ぶつぶつ独り言を呟いていた、その時。人の気配に気付き、咄嗟に身を隠す。
「……思い立って町を飛び出したはいいけど、やっぱりダメだ。ウィンター領に行こうとすると、足が震えちまう。……いつから、こンな臆病になっちまったンだろ、アタイは」
谷底の開けた箇所で、焚き火をしている人物がいた。声だけで、コリンは正体に気付く。そして……奇跡が起きたことを、父母に感謝する。
一人寂しそうに炎を見つめていたのは――探し求めていた、アシュリーだった。コリンは身を隠したまま、声を殺し涙を流す。
「ふ、ふふっ。この三日、あちこち探し回ったが……ついに、見つけた。アシュリーを、最初にこのわ」
「そこに誰かいるな? 骨まで燃やし尽くされたくなかったら、両手を上げてこっちに出てこい」
小さな声で呟いていた、その時。殺意に満ちたアシュリーの声が響いた。背筋が凍り付くような低い声に、無意識にコリンの身体が固まる。
「出てこねぇつもりなら、こっちから仕掛けて……」
「待て、待つのじゃアシュリー! わしじゃよ、コリンじゃ! 四年の時を経て帰ってきたのじゃよ!」
「――は? は、ははは……。何だよ、そンなのありかよ。こンな再会のしかたなんてさ……こっちの心の準備なンて、全然出来てねぇのに」
我に返ったコリンは、物陰から飛び出して両手をブンブン振り回す。ナイフを持ち、臨戦体勢に入っていたアシュリーの濁った目に……光が戻った。
「本当に、本物なンだよな? 聖王国の連中が化けてたり、アタイの願望が見せる幻覚ってわけじゃ……ないンだよ、な?」
「疑うかえ? なら、証拠を見せようかの。ほれっ!」
歓喜と疑念が半々な状態にあるアシュリーに対し、コリンは自分が本物である証拠を見せることにした。
シューティングスターや星遺物を呼び出し、ついでにディザスター・ランスを数本生成して空中に浮かべる。
「どうじゃ? このバイクも杖も闇魔法も、全部本物じゃよ。近くに来て触れば、実体があるとしょうめ」
「コリン……コリン! はは、この状況でそンなこと言える奴なんて、コリンしかいねえよ!」
コリンの言葉を遮り、アシュリーはナイフを放り投げ走り出す。自分よりも遥かに小さな少年の胸に飛び込み、嗚咽を漏らす。
「うっ、ひぐっ、ぐすっ……。うあああああああん!」
「……済まなかった。あの日からずっと、そなたに不要な苦しみを強いてしまった。帝都で何が起きたのか、全部聞いたぞよ。本当に、済まない……」
もう二度と離すまいと、全身全霊の力を込めて抱き着いてくるアシュリーの頭を、コリンは優しく撫でる。
傷だらけの乙女は、これまで抱え込んできた全てを吐き出した。愛する家族を、共に切磋琢磨した仲間たちを失った悲しみ。
「みんな、みんな……あの日、死んだんだ。邪神の使途の手で、苦しみながら……」
「……辛かったな。悲しかったな。全てわしにぶつけるがいい。それが、今のわしに出来るそなたへの償いなのじゃから」
人の命を、守られるべき尊厳を踏みにじり奪ったゼディオたちダルクレア聖王国への、深く強い怒りと憎しみ。
その全てを、コリンは全身で受け止める。身も心もボロボロになったアシュリーを癒せるのは、自分しかいない。
だからこそ、コリンはアシュリーが全てを吐き出すまでされるがままにしていた。数十分ほど経った頃、ようやくアシュリーは落ち着いた。
「くすん、くすん……」
「よしよし、もう大丈夫じゃ。これからはずっと、わしやカトリーヌたちが側にいる。もう、一人で悩み苦しむ必要はないからの」
「……ああ、ありがとう。色々吐き出して、頭ン中がすっきりしたよ。……わりぃな、服汚しちまって」
以前着ていた鎧とマントは、オルコフとの戦いで修復不可能なレベルで切り刻まれてしまったため、今のコリンはレジスタンスに支給される軽鎧を着ていた。
……のだが、アシュリーの涙や鼻水、土や泥といった汚れで見るも無惨な有り様になってしまっていた。もっとも、だからといって責めるつもりはコリンにはないが。
「よいよい、この程度洗濯すれば落ちるわい。……しかし、何故かような場所におったのじゃ?」
「ああ、実はな……」
落ち着きを取り戻したアシュリーは、何故クリガラン渓谷で野宿をしていたのか。その理由を、コリンに話して聞かせる。
「……三日前、ゼパって町に立ち寄ったンだ。そしたらよ、町が闇の結界に覆われててさ。何があったンだろって思って、中に入ったンだよ」
「! あの町に寄ったのか!」
ゼパの……イゼア=ネデールに帰還したコリンが、最初に立ち寄り――ダルクレア聖王国の圧政に苦しむ人々を救った町だ。
そこまで聞いたところで、コリンはこの後の流れをだいたい察した。おそらく、アシュリーはリゼルとレシャに会ったのだと予想する。
そして、その読みは当たった。
「町に入ったら入ったで、ダルクレアのゴミどもはいねえし、住民たちが妙に活気に満ち溢れてて。気になって、あかんぼ連れた夫婦に話を聞いたんだ」
「なるほどのう。その夫婦、夫がリゼルで妻がレシャという名前じゃろ?」
「ああ、そうさ。コリンに救われたって、ひっきりなしに感謝してたぜ。その二人にメシ食わせてもらいながら、コリンがウィンター領に向かったって話を聞いたんだ」
焚き火の前に戻り、小枝で灰をいじりながらアシュリーはそう独白する。かつて救った人たちが、再会を後押ししてくれたことにコリンは感謝で目頭が熱くなった。
「そうであったか……。なら、余計解せぬな。何故ここに寄り道したのじゃ? そのピアスで、存在は隠せるのじゃからわざわざ迂回する必要も……」
「……実はさ、途中で怖くなっちまったンだよ。今のアタイを見て、コリンやカティたちに拒絶されたらって。一度は振り払ったけど、北に向かうにつれてまた怖くなってきて……」
じわりと目尻に涙を浮かべ、アシュリーは己の膝を抱きそう答えた。復讐の悪鬼に堕ち、殺戮を重ねた自分をコリンたちが受け入れてくれるわけがない。
その恐怖が、彼女の足をすくませた。気が付けば、進路を西に変え……かつて、コリンと共にドラゴン狩りをしたこの渓谷にいたのだと言う。
「情けねえよな、アタイ。オヤジたちの仇も討てず、コリンたちにも会いに行けねえ。そんな肝っ玉の小さい、臆病モンなんだよ、アタイは」
「そんなことはない。わしがアシュリーの立場なら、同じように恐怖するとも。だから、ここでハッキリと言わせてもらう。わしは……いや、わしも含めたみなは! そなたを軽蔑もせぬし拒絶もせぬ! そなたの居場所は、わしのところなのじゃから!」
「……! へへ、何だよ……。結局、アタイが勝手に心配してただけじゃねえか。だったらもっと、早く……みんなの、ところに……」
力強いコリンの言葉に、アシュリーの目から大粒の涙がこぼれる。そんな彼女を抱き締め、コリンは微笑みを浮かべた。
「案ずるがよい。あの日以来、そなたがどのような日々を送ってきたかハインケルからある程度」
「ん? は? ちょ、ちょっと待て。今何つった? ハインケル??? いや、あいつはあの日アタイを庇って」
「ところがのう、生きておったんじゃよ。……いや、生きていたというか、転生したと言うべきか……。ともかく、会えば分かる。ビックリするぞよ、そなた」
鼻をすすっていたアシュリーは、コリンの言葉に思わず鼻水を飛ばしてしまった。死んだはずのハインケルが、生きている。
にわかには信じられないが、コリンはこういう時にそんな嘘や冗談を言うことはしない。それは、アシュリーもよく理解している。
「……ま、コリンが言うなら本当なンだろな。じゃあ……確かめに行くか。カティたちの顔も、見たいしよ」
「うむ、なら久しぶりにシューティングスターに乗るといい。わしの後ろかサイドカー、好きな方に」
「二人乗りがいい」
「……ふふ、即答か。あい分かった、では一緒に帰ろう。みなの待つ、領都パジョンに!」
「――ああ!」
コリンとアシュリー。再会を果たした二人は、共に身体を寄せ合い北へと戻っていく。たった一人で復讐のためにさ迷う日々は、終わりを告げた。
これからは――力を合わせ、全員一丸となってヴァスラサックと戦うのだ。




