142話―天蠍が抱く砂と毒
「なに? 何が起きてるの? あいつ……一体なにをした!?」
「待たせたなぁ、これで準備完了や。ここからはもう、アンタの好きにはさせへん。見せたるわ……ウチの本当の力を!」
「ハン、どうせまた砂でしょー? 効かないっつってんの、そんなのはね! 今度はアンタを食い殺してあげるわ。アクアフェンリル・ファング!」
「ムダや。今のウチが操るんは、砂は砂でも……恐ろしい猛毒を宿しとるんやで! 裏サソリ忍法、砂毒外套の術!」
牢獄を形成していた水を全て砂で吸い取り、地に降り立ったエステル。ディザーシーカーを変形させ、全身をすっぽり覆う紫色のマントへ変えた。
そんな彼女に、メルベリーナは後ろに待機させていた水の巨狼をけしかける。大口を開け、狼は鋭い牙でエステルを噛み殺さんと迫っていく。
「そんなマントなんかで何が出来るの? 肉の野菜巻きの真似かし……!?」
「あー、そのアイデアええなぁ。ゼビオン帝国領を全部奪還したら、宴の一発芸で使わしてもらうわ」
「う、嘘!? アクアフェンリルが……消滅した!?」
水の狼は、確かに己の牙でエステルを食らった。だが、その直後。狼の身体が紫色に染まり、溶けるように消滅したのだ。
何が起きたのか理解出来ず、メルベレーナは動揺する。そんな彼女に、エステルは余裕の笑みを浮かべ挑発を返した。
「おー? なんや、ちょっとやり返されたからってずいぶん弱気やな。あれだけ大口叩いてそれって、ダサいわぁー」
「こんの小娘が……! 調子に乗るんじゃないわよ! トリプル・アクアブレード!」
「ムダや、アンタの攻撃はもうウチには効かへん! 裏サソリ忍法、宵闇渡りの術!」
バレリーナのようにくるりくるりと身体を回転させながら、エステルは変幻自在の軌道で湖のほとりを動き回る。
先の読めない動きに翻弄され、メルベレーナは思うように攻撃を当てられない。何度も剣がスカり、苛立ちが募る。
「あああああもう! 大人しくしてなさい! こっちの攻撃が当たらないじゃないの!」
「ハッ、そんな都合のいいワガママ聞いてられんわ。まだまだ攻めるで! 裏サソリ忍法、毒腕爪の術!」
鋭い蹴りで水の剣を破壊した後、エステルは猛毒の砂で出来たマントを元の鎧に戻す。これまでのしっぽに加え、サソリのソレに似た鋭いツメを備えた籠手が増えていた。
さらに、鎧の色も黒曜石を思わせる黒色に変わっていた。それらの変化も合わせてより、サソリらしい姿へとエステルは進化を遂げたのだ。
「ハッ、そんなツメで何が出来るのかしら。アタクシが水の中に逃げ込めば、なんにも出来ないのにね!」
「ふぅ、分かっとらへんなぁ。星の力を宿した状態のウチは、これまで練度不足で使えへんかった裏のサソリ忍法を使えるようになったんやで。アンタを引きずり出すくらい、楽勝や!」
「やれるものならやってみなさい! タイダルハンマー!」
メルベレーナは再び身体を上下反転させ、尾びれで水面を叩く。すると、二つの水柱が一つに合わさり巨大な水のハンマーになる。
「グチャグチャの挽き肉にしてあげる。ブザマに死になさい!」
「そうはいかへん。ウチは負ける訳にはいかへんからな。食らいや! スクリュースティンガー!」
水のハンマーの柄が大きく長く伸び、エステルに狙いを定め振り下ろされる。全重量をかけて叩き付け、磨り潰そうとしているのだ。
対して、エステルは両足に力を込めて勢いよく飛び上がる。右腕に装着された爪を猛スピードで回転させて、水のハンマーに突き刺した。
「バカね、そんなことしてもムダよ! このまま押し潰して」
「させへんで! 猛毒注入!」
「なっ!?」
向こうから潰されにきて好都合……とばかりに、メルベレーナはハンマーを振り下ろそうとする。が、それよりも早くエステルが仕掛けた。
ツメの内部に蓄えていた猛毒の砂をドロドロに溶かした液体を、ハンマーの内部に撃ち込んだのだ。ハンマーが、一瞬で毒々しい紫に染まっていく。
液体同士であるために、侵食のスピードは非常に速い。さらに、ハンマーの柄は湖そのものと繋がっている。結果、湖全体が毒に侵される。
「ぐう、ああああ!! なんて、ことを……何てことをしてくれやがったのよ小娘ぇぇぇぇぇ!!」
「ほー、やっと本性現しおったな。ま、こうなってもうたからにはどうにもならへん。このまま、猛毒の水ん中でじわじわ苦しみながら死ぬか。ウチにスパーと介錯されるか選ばしたるわ」
湖全域を汚染されたことで、メルベレーナの退路が絶たれた。このまま湖に留まれば、猛毒によって身体が溶けて死んでいくことになる。
それが嫌なら、潔くエステルに首を差し出すしかない。……と、思われた。だが、メルベレーナは生き延びようとしぶとく足掻く。
「介錯!? 舐めたこと言ってんじゃないわよ! アクアボール召喚!」
空気中の水分を液体化させ、大きな水の玉を作り出すメルベレーナ。湖から飛び上がり、空中に浮かぶソレに飛び込んで難を逃れた。
「おーほほほほ! これで窮地を脱したわ。さあ、今度はアンタが死ぬば……ん、ぐうっ!?」
「アホやなぁ。一度漬かってもうた以上、逃れることは出来んのや。サソリの毒を……甘く見たらアカンで、サカナ女」
「う、あああ……嘘、嘘よ。アタクシの身体が、身体が溶けるううぅぅああぁぁ!!」
結局、一時しのぎにしかならなかったようだ。猛毒は皮膚に浸透し、少しずつ……内側からメルベレーナの身体を蝕み、破壊していく。
皮膚が毒々しい青紫に変色し、髪と爪が抜け落ち肉が腐り落ちる。指はすでにほとんど肉が腐り、骨が見えてしまっていた。
だが、そんな悲惨極まる状態にあって痛みだけはなかった。その理由を、メルベレーナは知ることになる。己の死を以て。
「さあ、そろそろトドメ刺させてもらうで。ウチのトラウマ抉ったこと、後悔させたるわ!」
「いや、嫌ぁぁぁ……アタクシの身体がぁぁぁ……ゼディオ様に誉めていただいた、美貌がぁぁぁ!」
「……聞いてすらないか。まあええわ、この一撃で現実見さしたる! 天蠍星奥義……モータルハート・スティンガー!」
全身に力を込め、エステルは跳躍する。メルベレーナを飛び越え、自由落下していく。右腕を砂で覆い、巨大な針へと変え――敵を貫いた。
同時に、砂が一瞬で液状化してメルベレーナの身体に注入される。致死量を越えた毒が、これまで無事だった痛覚を刺激し、地獄の痛みを与える。
「あああああああ!! 痛い、痛い痛いいたいいたいいたいぃぃぃぃ……うぐっ、ぶぇぁぁっ!!」
「そのままくたばりや、メルベレーナ。地獄への片道切符を握り締めてな!」
生物の知覚しうる限界を越えた苦痛に襲われ、メルベレーナの神経は焼き切れた。ぐるりと目玉が裏に回り、口からドス黒い血と内臓を吐き出す。
水を操る力を失い、湖へと落ちていく。派手な水しぶきをあげて落水した後――浮かんでくることは、二度となかった。
「これで終わりやな。あとは、片付けしたら終いや。サソリ忍法、清砂蓋の術!」
着地したエステルは、毒を混ぜていない清らかな砂を大量に呼び出し湖に敷き詰める。汚染水を放置してしまうと、後々環境を破壊してしまう。
そうならないよう、汚水を全て砂に吸収させることにしたのだ。その後、ものの数分で汚水を吸いきることに成功した。
「さて、この砂は……うん、コリンはんに頼んで次元の狭間にでも捨ててもらおか。これにて一件落着、やで……」
戦いに勝利し、気の抜けたエステルはその場に座り込んでしまう。強い疲労感に襲われていたが、顔には晴れやかな笑みが浮かんでいた。
過去のトラウマを打ち破り、星の力を呼び覚ますことが出来た安堵があるからだ。真っ白な空と、天頂に輝く銀色の太陽を見つめ、エステルは呟く。
「……おおきに、コリンはん。ウチを助けてくれて……ありがとな」




