139話―アシュリーの行方
「……その後、気が付いたら子犬の姿になってアディアンの裏路地に倒れていたというわけさ。それからずっと、あちこちを放浪して……!?」
ハインケルの長い過去語りが終わった、その瞬間。コリンは拳を握り、自分の頬を殴り付けた。突然の行動に、全員驚いて動くのが遅れる。
「何をしてるの、コリンくん! だめよ、自分を殴るなんて!」
「……よいのじゃ、カトリーヌ。これは、わし自身に対する罰なのじゃ。わしは……わしは、あまりにも無知過ぎた。この四年、みながどれだけ苦しんできたかを、まだ理解しきれていなかった!」
「だからって、そんなことをしちゃダメよ! あなたが傷付いたって、何も変わらないもの!」
自罰行為に走るコリンを抱き締め、カトリーヌが止める。アシュリーやハインケル、帝都の民が受けた凄惨極まりない仕打ちを知り、特にコリンが心を痛めたのだ。
「カトリーヌはんの言う通りやで。せないなことしても、何も解決せえへん。ウチは、いたずらに自分を傷付けてほしゅうないんや」
「そーだヨ。コリンくん、ほっぺイタイイタイ。だから、もう殴るのおしまいにしヨ?」
「……それもそうじゃな。済まぬ、取り乱してしもうたわ」
エステルやフェンルーにも諭され、コリンは冷静さを取り戻す。だが、心の中に沸き上がるゼディオへの怒りと憎しみは消えない。
罪の無い人々を苦しめ、虐殺した報いを、必ず受けさせる。コリンのみならず、その場にいた全員が強く決意を固めた。
「しかし、そうなるとアシュリーくんの生死が気になるね。まさかとは思うけど……」
「いや、それはないさ。何故なら、僕の鼻は一度嗅いだ臭いを、相手が死なない限りいつでも他の者に嗅がせることが出来るからね」
「うわ……いやーな特技やな。きもちわる」
「アォン!」
得意気に語るハインケルに、エステルの容赦ない攻撃が突き刺さる。精神にクリティカルヒットを食らった子犬に、コリンが尋ねた。
「それで? その気色悪い特技で、アシュリーの生死が分かるのかえ?」
「うぐっ! ……ふふ、もちろんだとも。この三年と半年、匂いはずっと有る。つまり、アシュリーさんはどこかで生きている!」
ハインケルの言葉に、僅かだが希望が見えてきた。どんな方法を使ったかは不明だが、アシュリーはあの惨劇を生き延びたのだ。
だが、同時に次の問題も見えてくる。アシュリーが生きているのは分かった。では、どこで生活しているのか。それが分からないと意味がない。
「少なくとも、旧ゼビオン領にはいないだろう。一帯が銀色の太陽で監視されているからね、隠れ住むのには不向きだ」
「となると、他の国に落ち延びたのかもしれない。あの銀色の太陽は、他所の国にまでは干渉していないからね」
ヌーマンとスコットは、そう話し合う。以前の戦いで捕らえた捕虜たちが自白したのだ。空に浮かぶ銀色の太陽が監視しているのは、旧ゼビオン領だけだと。
他の地域はゼディオの兄妹たちが管理しており、互いに干渉してしまわないよう細心の注意を払っているのだという。
「わしもその線が濃厚じゃとおも……む? 待てよ。フェンルー、そなたの一族が身に付けている被り物……あれには強力な隠密の魔法がかけられておるな?」
「そうだヨー。特定の相手に認識阻害を起こして、ワタシたちの正体が分からないようにしてあるノ。そうじゃないと、安全に旅出来ないかラ。コリンくん、よく分かったネ?」
「あの被り物を見た瞬間に、パッと分かったわ。……ここからはわしの推測なのじゃがな、もしかしたら……アシュリーはまだ、この国にいるかもしれん」
リヒターたちバルダートン家が身に付けていた羊の被り物を引き合いに出し、コリンは自分の考えを述べる。
「確かに……太陽の監視を欺くことが出来るほどの、強力な認識阻害の魔法がかけられた装備があれば不可能ではないはず。だが、そんなものあっただろうか?」
「ああ、そうだ思い出した! あの日……出撃する直前に、アシュリーさんは見慣れないピアスを付けていたよ。ダズロン卿にお守りとして貰ったと言っていた」
ヌーマンの呟きに、ハインケルが叫ぶ。もしそのピアスが、認識阻害の魔法をかけられたアイテムだとしたら。
アシュリーは決して、手放すことはしないだろう。神に類する者が作り出した監視用の存在すら欺ける、強力な品なのだ。
「……なぁ、ウチふと思ったんやけどな。もしアシュリーはんがこの国に留まっとるとして。憎い仇を前に、何もしないで黙ってるとは思えへん」
「奇遇ね、わたしも同じことを考えていたわ。もしかしたら……シュリは、誰にも見つからないのをいいことに……復讐をして回っているのかもしれない」
ハインケルの話から推察するに、アシュリーが味わった絶望は計り知れないほどに大きく深いものだ。心が壊れ、復讐鬼と化してもおかしくないほどに。
「もしそうだとしても、ゼディオが倒されたなんてウワサは聞かないヨ?」
「狡猾で腹黒なインチキ邪神の子じゃ、自分の住処に認識阻害の類いの魔法を消し去る仕掛けを施しているに決まっておる。もしそうなら、アシュリーも親玉には手を出せまい」
フェンルーの呟きに、コリンがそう答える。彼の胸中に、一つの確信めいた考えがあった。――人知れず、アシュリーは戦っている。
アディアンの惨劇で殺された者たちの無念を晴らすために、何より……自分自身の復讐のために。銀色の太陽を欺き、殺戮の炎を燃やしているのだと。
「一刻も早く、アシュリーを探し出さねばならぬ。このまま一人にしておけば、近い将来確実に死んでしまう。それだけは阻止せねば!」
「ええ、そうよ。シュリには死んでほしくない。どんな手を使ってでも、必ず探し出してみせるわ」
「せやな、ウチも賛成や。アンタは一人やない、仲間がいるんやってことをアシュリーはんに思い出させてあげんといかんな!」
コリンたちの、次なるミッションが決まった。アシュリーを探し出し、保護する。そのための計画を、一同は練るのだった。
◇―――――――――――――――――――――◇
「なぁ、知ってるか? 新入り。あのウワサをよ」
「へ? 噂ってなんスか、先輩」
「知らねえのか? なら教えてやるよ。最近な、出るんだってよ。血まみれの幽霊が」
同時刻、旧ゼビオン帝国領南部の町フォーレンにて二人組のダルクレア兵が酒場を回ってハシゴ酒をしていた。その最中、ヒゲ面の兵士がそんなことを言い出した。
「ユーレイぃ? あはは、またまたぁ~。先輩ったら、いつものジョーダンっスかぁ?」
「ちげえよ、いいか? 最近な、俺たちダルクレア兵を付け狙うヤツがいるってウワサがあるんだ。真っ赤な血にまみれた、幽霊みたいなヤツが」
「うわっ、本当だとしたら怖いっスね~。ああ! だからユーレイなのか。なるほどなるほど」
彼らが歩く通りには、他には誰もいない。酔っぱらったダルクレア兵に見つかれば、何をされるか分からないからだ。
町の住民たちは家に中に隠れ、二人の兵士がいなくなるのを怯えながら待つ。そんな中……兵士たちに近付く、不穏な気配があった。
「そういうこった。外部のヤツに漏らすなよ、バラしたってのが知られたら大目玉食らうからな」
「ははっ、分かってるっス。ちゃんとそこら辺はわきまえ!? う、がはっ!」
「お、おいどうした!? 何が……ひぃっ!?」
突然、若い方の兵士が口から血を吐く。ヒゲ面の兵士が声をかけると、少し遅れて胸に穴が空き、鮮血が吹き出す。
「な、何がどうなってやがる!? まさか……ウワサの、幽霊の仕業なのか?」
――ああ、そうさ。てめぇらに殺された連中の怨念が、アタイを生み出した。知らねえとは言わさねえぜ――
動揺するヒゲ面の首筋に、生暖かい風が吹く。同時に、どこからともなく声が聞こえてきた。地獄の底から響くような、おぞましい声が。
パニックに陥ったヒゲ面の兵士は、倒れた後輩を見捨て一目散に逃げ出す。……否、逃げ出そうとした。だが、動いたのは――彼の頭だけだった。
「あ、れぇ? おかしいぞ、なんで俺の身体が上にあるんだぁ? あ、もしかして……俺、首を……きら、れ……」
間の抜けた呟きを最後に漏らし、ヒゲ面の兵士は事切れる。勢いよく血を吹き出しながら胴体が倒れ、鈍い音を立てる。
「あ、ぐ、あ……。何が、何が起きて……嫌だ、まだこんなところで死にたくな」
「ああ、みんなそう思ってたよ。でも、殺したンだ。お前たちがな」
致命傷を食らい、仰向けに倒れた青年兵士だったがまだ生きていた。呟きを漏らした直後、突如一人の女が顔を覗き込んでくる。
生気のない、見開かれた目で見つめられた青年は、恐怖のあまり失禁してしまう。言葉も出せず、ただ口をパクパクさせることしか出来ない。
「恨むなら自分を恨め。地獄の底で、永遠に」
「や、やめ……たすガフッ!」
「死ね、死ね、死ね! よくもオヤジを、おフクロを、ハインケルを! 皆を殺したなぁぁぁぁ!!」
女――アシュリーは絶叫しながら、青年をナイフで滅多刺しにする。認識阻害の力を持つピアスのおかげで、誰も彼女に気付かない。
たっぷり十分、思う存分ナイフを突き立てた後アシュリーは立ち上がる。ナイフを青年の着ていた服で拭き、次なる獲物を求め帝国領をさ迷う。
「次は、誰だ? アタイは誰を殺せばいい。なあ、教えてくれよ……助けてくれよ。……コリン」
涙を流しながら、アシュリーはそう呟く。だが……今はまだ、答える者はいなかった。




