127話―宣戦布告!
ウィンター領東部にある森の中を、六人の忍びが駆け抜けていた。枝から枝へと跳び移り、猛スピードで西へ突き進む。
程度の差こそあれど、着ている装束はボロボロになっており、破れたり血が滲んだりしている。先頭を進んでいたのは――エステルだ。
「姐御、ここまで来ればもう安心でしょう。ゼディオの追っ手の気配は、もうありません」
「さよか、ならよかったわぁ。イチかバチか、追っ手を撒くのに迷いの森を経由した甲斐があったわ」
四年の時を経て、背が伸びた――もっとも、ある部分は相変わらずの絶壁だったが――エステルは安堵の表情を浮かべ、部下たちと一緒に地上に降りる。
「とりあえず、応急処置しよか。怪我の度合いが酷いのから見るさかい、痛いやろけどガマンしてな」
「大丈夫ですよ、姐御。このくらいの怪我、頭領のカタキを討つためならいくらでもガマンしますよ」
エステルは腰にくくりつけた袋から、応急処置に使う塗り薬と包帯を取り出す。彼女たちは、とある『極秘任務』のため独自に動いていた。
ゼビオン城へ忍び込み、あるものを手に入れてきたのだ。……途中で敵に気付かれ、追跡される途中で何人かが命を落としたが。
「厳重な警備でしたが、何とか手に入れることが出来ましたね。ゼディオが企てている、ウィンター領侵攻の極秘計画書の写しを」
「せやな。後はこれを、ウィンター家のご当主はんに渡せば……」
「姐御? どうしました?」
しばらくして、一通り怪我人の手当てを終えた黒蠍衆の面々が休憩がてら雑談をしていると、エステルの表情が暗くなる。
「……いやな、こんな時にコリンはんがいてくれはったら、誰も死なずに任務を達成出来たんやないかって思てしもてな。……アカンな、あれからもう四年経つのに全然立ち直れてへんわ」
「姐御……」
この四年、エステルは父バーラムと共にダルクレア聖王国に抗いながらコリンを探し続けていた。草原を、森を、荒野を、雪山を、砂漠を。
あらゆる場所を訪れてコリンの手がかりを探した、が……結局、一つも手がかりは見つからなかった。今から半年前、彼女はとうとうコリンを探すのを諦めた。
コリンは死んだ。そう考え、辛い過去を断ち切るべく任務に精を出していたのだが……そう簡単に割りきれるほど、淡白な性格ではない。
「行きましょう、姐御。ウィンター領に入ったとはいえ、油断は出来ません。いつどこでダルクレア兵が襲ってくるか分かりませんから」
「……せやな。落ち込むのは任務を終えてからや。さ、ここまで来ればあともう一踏ん張りやで。最後まで気張っていくで!」
部下のくの一の言葉に頷き、エステルは空元気を振り撒く。痛々しい姿を直視出来ず、忍びたちは悲しそうに視線を逸らす。
パジョンに向けて出発する一行だが、彼女たちはまだ知らなかった。コリンが生きており、すでにこの大地に帰還していることを。
つい先ほど、ダルクレア聖王国の軍勢を打ち破り……領民たちに希望をもたらしたことを。
◇―――――――――――――――――――――◇
「ゼディオ様、ゼディオ様! ウィンター領侵攻の作戦に従事していた兵士が、たった一人帰還しました!」
「ンフフ。一人だけ、か。通せ、話を聞こう」
「ハッ、かしこまりました」
その頃、ゼビオン城にはコリンがメッセンジャーとして放ったヒゲもじゃが帰還していた。転移石を使ったため、帰りは楽々だったようだ。
「た、ただ今帰還致しました……」
「ンフフフ、何をそんなにビクビクしているのだ? 別に作戦の失敗を咎めはしない。さあ、我の側へ」
玉座の間に呼び出されたヒゲもじゃは、びくびくオドオドしながら主君の方へ歩き出す。ゼディオの座す玉座まで、残り三メートル。
その時、ヒゲもじゃに異変が起きた。苦しそうに胸を押さえ、その場にうずくまったのだ。神将の脇を固める兵士たちが身構えると……。
「う、ぐ、が! うぶ、おえぇぇーーー!!」
『おお、ようやく着いたか。おぬしの不摂生極まった体内は居心地が最悪じゃったわ。もっとお野菜を食え、お野菜を』
ヒゲもじゃの口からゴボリとスライムがこぼれ、にゅにゅにゅと上に伸びていく。そして、コリンの上半身が形成され本物ソックリに話しはじめた。
兵士たちが仰天する中、ゼディオだけが平然としていた。コリンの魔力を感じ取ったことで、彼はあることに気付く。
「ほう、その魔力。我らが兄にして裏切り者、ギアトルクとよく似ているな。貴様、もしや奴の倅か?」
『左様。正確には、わしの本体が、じゃのう。さて、ゼディオよ。こうして貴様の元にスライムを送ったのは、改めて宣戦布告をするためじゃ。耳の穴をかっぽじってよーく聞くがよい』
そこまで言うと、コリンに擬態したスライムはカッと目を見開き、両手の中指を立てながら両腕を前に突き出す。
『貴様の送り込んだ雑魚どもは全員始末してやったわ! 次は貴様の番じゃ、ガタガタ震えて待っとるがいいわ!』
「貴様ァ! ゼディオ様に何と無礼な」
「ンフフ、よいよい。所詮は悪ガキが調子に乗っているだけ、そう目くじらを立てる必要はない」
主君をコケにされて怒りをあらわにする兵士たちに対し、ゼディオは極めて冷静にそう声をかける。どこまでも余裕の態度を崩さず、底が見えない。
ジッとコリンに擬態したスライムを見つめ、ニィッと笑う。額に埋め込まれた【銀陽色の神魂玉】が、不気味に輝いている。
「ギアトルクの倅よ、お前の挑戦を受けてやろう。不浄なる闇に生まれた者よ、我が清浄なる光で清め滅してくれようぞ。そして、希望を絶やしてやる」
『フン、やれるものならやってみるのじゃな。今度はこっちから打って出る。近いうち、帝国領奪還に動くぞよ。最終的には、アディアンも取り戻す。首を洗って待っておるがよいわ!』
「ンフフフフ、待っているとも。我が愛しき太陽に焼き尽くされる覚悟が出来たら、いつでも来るがいい」
『言うたな? その言葉、忘れぬからな!』
そう言い残し、スライムは蒸発して消滅した。ヒゲもじゃの身体が崩れ落ち、痙攣する。幸い、命に別状はないようだが……。
「ゼディオ様、彼はどうし」
「殺してしまいましょう、今この場でね。話している間に、罠に作り替えられているかもしれないからなぁ、ンフフフフフフフフ」
部下の言葉を遮り、ゼディオは嬉しそうに笑いつつ玉座から立ち上がる。右手には、いつの間にか大振りなナタが握られていた。
ヒゲもじゃの前に立ち、狂喜の光を宿した目を爛々と輝かせながら――女神の子は、ナタを振り下ろす。足先からゆっくりと、ヒゲもじゃを切り刻む。
「ああっ! あああああああああ!! ゼディオ様、お許しを、お許しをおおぁぁぁ!!」
「ンフ、ンフフフフフ!! いい声だ、実に素晴らしい断末魔だ。もっと哭いてくれ、我の快楽のために! 安心するがいい、治癒の魔法をかけてやろう。すぐに死なれては、存分に楽しめないからな。ンフフ、ンフフハーッハッハッハッ!!」
「誰か、誰か助けてくれぇぇぇーーー!!!」
悲痛な叫びがこだまするが、誰もヒゲもじゃを助けようとはしない。ゼディオのお楽しみを邪魔すれば、惨たらしい死が待っている。
それを嫌というほど理解しているから、助けない。自殺志願者は、この場には一人もいなかった。みな目を瞑って顔を背け、石のように固まっている。
「さあ、お前は何分の間……正気を保っていられるのだろうなぁ? ンフフフフフフフフフフフフフフ!!」
玉座の間に、狂気に満ちたゼディオの笑い声とヒゲもじゃの断末魔の叫びが響き渡った。
◇―――――――――――――――――――――◇
数日が経ち、エステルたちは領都パジョンに到着した。幸い、追っ手に追い付かれることもなく全員無事であった。
「ふう、ようやく着いたわ。……にしても、なんか皆えらい嬉しそうにしとるなぁ。なんやいいコトでもあったんかいな?」
「どうなんでしょ? 姐御、ウィンター邸に行く前に聞いてみますか?」
「せやな、ウチらがあちこち駆けずり回っとる間に何かあったのかもしれへんしな」
以前訪れた時は、パジョンの民はみな暗く沈んだ面持ちをしていた。だが、今は違う。希望に満ち溢れた顔で、生き生きとしていたのだ。
その理由を探るべく、エステルたちは手分けして町民たちに何かあったのか尋ねて回ることにした。その結果、彼女たちは知ることになる。
――コリンが帰還し、数日前にダルクレア聖王国軍を返り討ちにしたということを。
「う、嘘やろ? コリンはんが……生きとるんか?」
「ええ、とてもお元気そうでしたよ。俺はもう、嬉しくて嬉しくて……ってあれ、もういない!?」
町民の言葉を最後まで聞くことなく、エステルは電光石火の素早さでウィンター邸に走る。正門の前にたどり着き、庭を見ると……。
「そーれ、みんなでおしくらまんじゅうだー!」
「わわわっ! こ、これ! みんないっぺんに押しにくるでない! わしの身体が潰れてしまうじゃろ!」
「……ああ、ホンマや。生きてた、生きとったんやな。コリンはんは……死んでなんか、おらんかったんや」
庭では、孤児院の子たちとコリンが遊んでいた。それを見たエステルの頬を、涙が一筋伝う。もう二度と会えないと思っていた想い人との再会が、ついに叶ったのだ。




