邪討士カルロス
「ケッケッケ・・・秘密を知りやがったからには生きて帰らせるワケにはいかねーってなぁ・・・」
深夜1時の人気なき港にて、麻薬の密売現場を取り押さえたカルロス・ガルシアは多勢を前に袋のネズミ状態と化していた。
「全く、馬鹿な坊やだね・・・こんな時間にこんな場所をウロついてたりするから落とさなくてもいい命を落としちまうんだよ・・・」
密売グループの主犯格・アキスタン・ヤーダが汚い物を見るかのような目つきでカルロスをあざ笑う。
「まぁいいさ。殺した後でバラバラにして埋めちまえば私らに足がつく事なんて・・・」
「オバサン、あんた勘違いしてねーか?」
「はぁ?」
カルロスの思わぬ突っ込みにヤーダの目つきがより鋭くなる。
「俺が好きでこんな時間にこんな場所をほっつき歩いてるとでも本気で思ってるワケ?そいつはまさに大間違い。俺はあんたたちの悪事をこの目で確かめたいがためにここに来てたんだよ。そしたら案の定覚醒剤の密売タイムが始まっちまったもんだからこれ幸いとこの現場に飛び出したってワケ。つまり・・・覚悟しな、悪党ども!!」
カルロスはひるむ事なく多勢を前にファイティングポーズを向けた。
「ケッ、下らん正義感がどれだけ無価値な思い上がりか身をもって思い知らせてくれる!てめぇら、ヤッちまうぞっ!!」
「「「おう!!!」」」
ヤーダの一声で密売グループと取引相手たちが一気にカルロスへと襲いかかってきた。
「ホーミングハリケーン!」
だが、カルロスはそれに臆する事なく拳を振り上げ竜巻を発生させた。
「な、何だあれは!?」
竜巻がカルロスの意思で動いているかのように敵たちを満遍まんべんなく飲み込んで容赦なく弾き飛ばす。
「「「ぐわー!!!」」」
やがて竜巻は手下たちを差し置いて一人で逃走を試みていたヤーダをも追いかけて巻き込んでしまう。
「げぎゃー!!」
ドサアッ!
そして、手下たちに同じく醜い悲鳴を上げてヤーダもまたその場にのびてしまったのである。
「へへ、天網恢恢てんもうかいかい鼠そにして漏らさずってな・・・」
カルロスは、この場にいた全員を一人残らず倒している事を確認すると速やかに警察へと通報して事後処理を終わらせた。
こうして“邪討士じゃとうし”を本業とするカルロスのミッションはまた一つ達成されたのである。
「ふむ、また一つ功績を残したようで何よりです。」
翌日の昼下がり。
居間のソファに腰掛けた状態で師匠フェルナンド・アランゴは自前のゴルフクラブを磨きながらカルロスのミッション成功を簡潔に褒めてくれた。
「あのヤーダという女は前から怪しいと思っていたのですがどうやら私の想像を上回るような小悪党だったというワケですね。いやはや、私の勝負勘もまだまだ捨てたものではありませんな。」
「どうやらそうみたいですね。アランゴ先生が胡散臭いと感じた人たちは常に悪事に手を染めている者ばかりだから邪討士じゃとうしとしても心置きなく対処が出来るというものです。」
アランゴが怪しいと目をつけた人物をカルロスがマークして現場を押さえた上で成敗する。弟子入りしたカルロスを一人前に育て上げてからはそういう形で両者の師弟関係が続いていたのである。
「ですが・・・あなたもそろそろ一介の邪討士じゃとうしとして一人立ちをしても良い頃合いです。年齢的に考えれば私に頼らずに悪の気配を察知して自らで動く程度の行動力を身につけておかなければ将来的に困るというものでしょう。」
「先生・・・」
アランゴが突如として切り出した言葉にカルロスの心がざわついてくる。
「そこで、近いうちに卒業試験を行います。私からあなたに課題を一つ用意するのでこれまでの経験を糧にあなたなりの判断で答えを導き出すのです。そして、見事に乗り越えたその時こそ免許皆伝と認定して正式な卒業とします。」
「・・・・・」
勝手に一人で話を進めるアランゴに辟易しながらも不思議と嫌な気分はしなかった。考えてみれば、三十路を間近に控えた自分が「先生」というレーダーをあてにしないと悪行の一つも感知できないようでは話にならない。まして、自分が文字通り邪悪を討伐する“邪討士じゃとうし”を名乗っているのなら尚更だ。
そうすると、これは俺が一人前の邪討士じゃとうしになるためにも避けて通れない道なのではないか。
その考えに行き着いた以上はそれを拒絶する理由などどこにも存在しなかった。
「分かりました。俺、その卒業試験を受けてみます!そして、必ずや先生の名に恥じぬ立派な邪討士じゃとうしとなってこの地上の平和を守り続けると約束します!!」
「ふむ・・・」
アランゴを見据えた真摯な瞳にはその言葉が嘘じゃないと証明するには十分過ぎる程の輝きのようなものがこめられていた。
「良い心がけです。ならば、卒業試験にて私の教えが無駄ではなかったと証明する事が出来ると約束できますね?」
「はい!」
どんな卒業試験かは想像もつかなかったが恩師の前で弱気な姿を見せたくなかったのでカルロスは力強い返事で答えてみせた。
こうして、カルロス・ガルシアの卒業に向けての険しい戦いが幕を開けたのである。
「・・・・・へ?」
1週間後、連絡を受けてアランゴ宅へと向かったカルロスを待ち受けていたのは見ず知らずのタクシードライバーだった。
「カルロス・ガルシア様ですね?」
「・・・ああ、そうだけど。」
「アランゴ様から話は聞いております。ささ、早くお乗りください。」
急かすように促され、カルロスは言われるがままにタクシーの助手席へと乗り込んだ。
「では、参りますよ!」
「あ、ちょっと!」
ブルルルルル!!
カルロスの制止も聞かずに男性は車を発進させてしまっていた。
結局、カルロスはアランゴに挨拶をする間も与えられずに卒業試験のステージへと向かわされたのである。
「カルロス様はアランゴ様の愛弟子にあたられるのですよね?」
「まぁ、そうなるのかな。」
「アランゴ様と一緒に過ごしていたら学べる事がさぞや多いでしょう?」
「どうだろうね。俺の場合は先生の家には自宅から通っている身だからいつも一緒にいるってワケでもないからな。前の愛弟子だったイザベラ・コンデレーロは住み込みで教えを受けていたって話だから相当先生に影響されたところも多いとは思うけど。」
他愛のない会話を繰り広げながらタクシーが進んで行く。
だが、そんな話題以上に聞いておかねばならない肝心な事を思い出してカルロスが口を開く。
「そういえば卒業試験の話を先生から聞いてるって言ってたけど俺は一体どこに連れて行かされて何をしなければならないんだ?」
「・・・成金一家の邸宅での下働きです。」
「・・・は?」
おおよそ卒業試験と呼べる内容とは思えないそのミッションにカルロスが目を丸くする。
「あなたには今日からメキシコシティでも五指に入ると言われている大富豪・ハガン家の雑用係として働いてもらいます。」
「働くったって・・・いつまで働けばいいんだよ?」
「・・・先方の都合で勤務が不可能になるまでです。」
先方の都合。つまり、雇い入れ側の事情による退社のようなものか。
「なるほど。じゃあ俺が根を上げてやめちまったら不合格の烙印を押されてしまうってワケだ。」
「・・・無論です!」
男性が「下らない事をいちいち聞いてくるな」と言わんばかりの口調で言い放ってくる。
「へーへーへー。最後の最後で先生は崖の上からとんでもない大岩を落っことしてくるんですね~。ま、そこらの雑用程度ならアルバイト時代に何度も経験してるから苦にはならないと思うし少々クセのある奴らなんてこれまで何人も見てきてるから今さら驚きはしねーだろうし何だかんだでどうにかなるだろうけどさ・・・」
「それは頼もしいですね。ならば、必ずやどうにかして下さいよ!」
「ああ、あんたが誰かは知らないが俺に任しとけ!」
この時、ガルシアはまだ何も知らなかったのである。
ハガン家という名の恐るべきモンスター一家とそこに勤める人々の実態を・・・・・!
やがて、タクシーはハガン家に到着すると門の前で停止した。
「グラシアス、助かったぜ。」
カルロスは速やかにタクシーを降りるとすぐさま門の先を見据えた。
「はへぇ・・・」
広々とした庭。悪魔とおぼしき角を生やした何かの石像。そして、おとぎ話に出てくるかのような巨大な豪邸。
ここが卒業試験のステージになるのかと思うとカルロスは妙に胸が騒いだ。
~こんな漫画みたいなでっかい家が俺の試験会場になるのか・・・先生の意図はよく分からないが、やるからには根性入れてやんねーとな!~
「・・・・・・」
ふと、背後から視線を感じてカルロスが振り返る。
「わわっ!」
その背後では、無機質な目をした女性が射抜くかのような眼差しでカルロスを見据えていた。
「あなたがカルロス・ガルシアですね?」
「はい、そうですけど・・・」
「話は聞いています。私についてきてください。」
女性がカルロスを振り返りもせずに門を開けてずかずかと先に進んでいく。
「あの、ちょっと・・・」
カルロスがあわててその後に続いて行く。
既にタクシーはその場におらず、カルロスが下車して門の先を眺めている間にハガン家の住人との接触を避けるかのように立ち去っていたのである。
長い1本道を経て玄関前にたどり着く。
「出迎えにあたっての段取りがあるのでしばらくそこで待機していて下さい・・・」
女性が家の中へと消えたのでカルロスは一人取り残されてしまう。
「・・・・・」
カルロスがダリアを中心とした花壇の花々をぼんやりと眺めていたその時だった。
ゴン!
「ぐへっ!」
大型のタライが落ちてきてカルロスの頭部を見事なまでに直撃する。
「イテテテ・・・な、何だ?」
見上げると、この家の住人なのかバルコニーから二人の男女が意地の悪そうな笑顔を浮かべてこちらを見下ろしていた。
「お前がこの家の新しい下働きか?なるほど、いかにも下働きって感じの貧乏臭そうな顔してらぁ!」
「あたしたち、この家の子供だからよく覚えときなさい!」
二人は言いたい事だけを言うとそのままどこかへといなくなってしまった。
「この家の子供、か・・・」
カルロスがヒリヒリと痛む頭部をさすりながらため息を吐く。
どうやらこの家の住人というのは一筋縄ではいきそうにない、そんな人たちのようだった。
「あなたが今日からこの家で使用人として働く者ですね。」
客間に案内されたカルロスを待っていたのはどこか冷たそうな目をした中年の女性だった。
「私の名前はカーナ・ハガン。仕事で家を空けがちの亭主に代わるこの家の家長です。」
「カルロス・ガルシアです。以後、よろしくお願いします。」
カーナの挨拶に合わせてカルロスも無難に応じる。
「どういう不運か先日使用人たちが一度に3人も辞めてしまいました。このような理想郷にも等しい場所で勤まらないようではこの先どこで働いても通用しないとは思うのですが・・・」
理想郷にも等しい場所。
屋敷自体を見ればそうなのかもしれないが今のところ見た住人たちを思い出す限りではお世辞にもそうは思えない。
「まぁそれは置いといて、あなたもここで働いていれば社会勉強にはなるでしょう。流石に一度に3人分の働きをしろとは言いませんがせいぜい明日から皆さんの足を引っ張らないように頑張りなさい。」
「はい、頑張ります。」
「よろしい。ならば明日から頼みますよ。」
「はい!」
勤務時間は朝8時から夕方6時までの10時間。
無難なやり取りを経て、カルロスは無駄に骨董品と絵画が並ぶハガン家の客間を後にした。
「・・・・・?」
1階の大広間を歩くカルロスが妙な目線を感じる。
振り返ると、さっきタライを落としてきた「この家の子供」の男の方が親指をこっちに向けながら仲間たちと談笑をしていた。
「・・・あれ、奴隷・・・明日から・・・」
具体的な内容は聞き取れなかったが良い話ではなさそうだったのが容易に想像がついた。
~これは、一波乱二波乱ぐらい覚悟しておいた方がいいのかもしれないな・・・~
カルロスは、小さくため息を吐くと足早にハガン家を出て帰路に着いたのであった。
翌朝。
ハガン家の門をくぐったカルロスを最初に出迎えたのは凶暴な大型犬だった。
「ワグ、ワグ、ワグッ!!」
あからさまな敵意を持って飛びかかり、カルロスを押さえつけてくる。
「ちょっと待ってくれ、何だお前は一体・・・!?」
直後、大型犬が大きな口を開けて頭部めがけて噛み付こうとしているのに気がついてカルロスがあわてて押しのける。
「グルルルルル・・・」
何とか立ち上がって距離を取ったカルロスだったがそれでも犬はこちらを睨みつけてきて今にも襲いかからんとばかりの形相を浮かべている。
だが、その張り詰めた空気はすぐにほぐされる。
「そこまでです!」
大きな声が響き渡ると犬は即座に相好を崩してそっちの方へと駆け寄る。
「あんたは・・・」
そこには、昨日カルロスを案内してくれたあの無機質な目の女性がいた。
「何を戯れていたのですか?間もなくあなたの仕事が始まります。早く持ち場について準備をして下さい。」
「戯れてたって・・・俺はそいつに襲われて、もう少しで頭喰われるところだったんだぞ。」
カルロスがやや声を荒げて反論する。
「・・・ハガン家のケルベロスが人を噛むはずがありません。錯覚でも見たのでしょう。」
女性がカルロスの言葉など意にも介さぬといった具合に背を向ける。
「さぁケルベロス。朝の散歩の時間です、参りますよ。」
「わん!」
そして、大型犬・ケルベロスにリードをつけるとそのまま家を出て散歩へと姿を消してしまったのである。
「ケルベロス、ねぇ・・・」
某神話の番犬と同じ名前の響きにカルロスが辟易していると。
「よぉ!」
背後から首を腕につかまれてカルロスがよろけそうになる。
「危なかったなお前・・・もうちょっとで頭喰いちぎられてたところだったぜ。」
声のした方角を振り返ると「この家の子供」の男の方がニヤニヤとしながらこちらを見上げていた。
「しかしどうなってんだろうな。あの犬普段は鎖に繋いであんのにどういうワケか今日は放し飼いになってやがったんだよな・・・」
「・・・・・」
間違いない、この男が放し飼いにして自分に仕向けた張本人だと直感で理解する。
しかし、確たる証拠もない状況下では明らかに分が悪いのでカルロスはこの件を口に出さず心の中に留めておいた。
「それはいいけど、俺は仕事があるんだからいい加減に離してくれないか。」
「そういやそうだった。お前この家の下働きだったんだよな、悪かったな下働きさん。」
「下働き」という言葉を繰り返しながら男が腕をほどく。
「それと、俺の名前はカルロス・ガルシアだ。覚えておいてくれ。」
「けっ、下働きに名前もナマコもあるか・・・まぁいい。俺はナオルタ・ハガン。この家の長男だ。機会があったらまたお前の相手をしてやるからせいぜい覚えとけ。」
男がカルロスを下から睨み上げながらなおも続ける。
「それから、さっきのババアがこの家の下働きの親分で、お前の直属の上司みたいな奴だ。ミータ・ソリマッチとかいうトボけた名前の女だが、お前みたいな男にはあの程度ぐらいの上司がお似合いだろうよ!」
男はゲラゲラと笑いながら車に乗り込み、そのままどこかへといなくなってしまった。
「ナオルタにミータ、そして番犬ケルベロス・・・」
カルロスは、先日辞めていったという使用人たちの気持ちが少しだけ理解できたような気がした。
しかし、程なくして彼らの気持ちを骨の髄まで思い知らされてしまうのであった。
「はぁ、はぁ・・・」
ハガン家の使用人として働くようになってから2週間、カルロスには肉体的にも精神的にも追い詰められる日々が続いていた。
「何をしてるの貧乏人!あたしの荷物なんだから丁寧に扱いなさいよね!」
ハガン家の長女フディコ・ハガン(つまりカルロスにバルコニーからタライを落としてきた張本人の片割れ)の買い物にたった一人で連れ出され、山のように買った洋服や骨董品を全部持たされた。
「何だこりゃ、全然きれいになってねーじゃねーか!全部やり直しだ、ちゃんと洗い直せ!!」
厨房の手伝いに回された日には料理番の男にやる事なす事文句をつけられた。
「ワグ、ワグ、グワアッ!!」
ケルベロスは何度となく放し飼いにされていてそのたびに襲われた。(だが、カルロスには護身能力があるので結果的に怪我だけは回避出来るのが不幸中の幸いと言えた)
ドガアッ・・・!
「あ、あああ・・・」
「反射的に敵だと認知してしまうので私の背後には立たないで下さい。」
使用人のリーダーであるミータの背後に回ると容赦なく背負い投げをくらった。
そうやって随所随所での重労働と罵倒が繰り返され、時として無益なサービス残業を強いられる中でもカルロスは決して根を上げようとはしなかった。
~先生の愛弟子として恥ずかしい真似は出来ねーもんな。それに・・・~
新米であるカルロスが酷い仕打ちを受けている傍らで、そのカルロス以上に酷い仕打ちを受けている人がいた。
「何よアンタ!下働きの最底辺の分際で私の部屋に上がって来ないでよ!!」
「いや、食事の用意が出来たのでご報告にと・・・」
「だったら他の奴をよこせばいいじゃないの。アンタは汚いんだからとっとと失せなさい!!」
フディコがわざわざ伝令のために来てくれた男性を怒鳴り声で追い返す。
そんな感じの光景をカルロスは何度も目にしていた。
「何だよ、来なきゃ来ないで文句言いやがるクセに・・・」
男性の名をホノモリ・フカチェスといった。ハガン家の使用人として働くようになってから1年が経つそうだが要領が悪く、人当たりも良くないのでハガン家の住人だけでなく使用人の間からも煙たがられる存在だった。
だが、何故かカルロスはこのフカチェスという男を嫌いにはなれなかった。むしろ、1年に渡って暴言や暴行を受けながらもハガン家で働き続けているその姿を見ていると「自分はまだマシだ」と思えて仕事に打ち込めたぐらいだった。
だから、カルロスはそんなフカチェスと打ち解けてみようとある日親睦を試みたのである。
「ここ、座るぞ。」
昼休みの食事時間、上手い具合に休憩が重なったカルロスは有無を言わさず隔離された机で黙々と食べているフカチェスの向かいに腰を落とした。
「・・・・・」
フカチェスは返事どころかこちらを見向きもせずにトルティーヤを頬張っている。
自分に気付いてすらいないんじゃないかと思って苦笑いを浮かべるカルロスだったがそれでもめげずに口を開く。
「ここにいると、この時間が一番落ち着きと安らぎを与えてくれるよな。」
「・・・ああ。」
今度は返事だけは返してくれた。
「・・・何と言うか、労働意欲をそそられない上に食事時間が一番の楽しみだなんていうのも寂しいよな。」
「・・・・・」
カルロスの言葉は妙に的を射ていた。
この家の使用人は屋敷内の質素な休憩室で昼食を取る事が義務付けられていたのでハガン家の住人とは食事が別々だった。その中でミータと料理番の男だけはハガン家の住人との食事が義務付けられていたので食事時間は完全に別行動だったのである。
「だけど、食事だけはあの連中と別々で本当に良かったよ。あいつらと一緒じゃ食べた気どころか食べる気もしねーもんな。そりゃ献立に格差はあるだろうけど精神衛生的に考えたらそんなもんどうって事ねーからな。」
「・・・・・」
そこでしばらく沈黙を貫いていたフカチェスがついにカルロスの方を向いて口を開いたのである。
「・・・別にいいんじゃないか?食って休む時間帯が楽しみなんて当たり前の話だろ。」
大きくため息を吐いて面倒臭そうに頭をかく。
「大体アンタ、なんでわざわざ俺に絡んでくるんだ?こんな鼻つまみ者を相手にしたって何の得にもなんないぞ。」
自虐的ながらもフカチェスが言葉を続けてくる。
「いや、お前がいつも一人で寂しそうだし何かあるとすぐ怒られたり殴られたりしてるから気になってな。」
「・・・・・」
とっさに思ったままを口に出したカルロスだったがフカチェスの反応は予想以上に冷ややかだった。
「別に気にしちゃいないよ・・・ここは俺にとっては“この世の終わり”みたいなもんなんだから。」
「えっ?」
この世の終わり。コノヨノオワリ。KONOYO NO OWARI。
突然として出てきたその突拍子もない言葉にカルロスが目を丸くする。
「俺は昔から心に疾患を持っていて常にいじめの標的にされ続けていた。んで、不登校に陥って精神病んで家で暴れて医療施設に押し込まれて色々やられた果てに無理矢理治療が済んだと判断されて職業斡旋センターとかいうところに連れて行かれて強制的にここで働かされる羽目になった。つまり、そういう事だ。」
「フカチェス・・・」
大雑把な生い立ちを語られたカルロスだったがすぐにその大筋を理解する。
「興味本位で俺に関わってくるのならやめておけ。痛い目を見るだけだぞ。」
だが、理解も空しくフカチェスはカルロスを嫌がるかのように席を立つと空のトレイを手にそのまま厨房へと立ち去ってしまったのである。
「そういう事、か・・・」
誰もいない休憩室でカルロスがさっきの言葉をつぶやいてみる。
「・・・・・」
当然の事ながら何も起こらない現実にため息を吐くとカルロスもまたトレイを持って立ち上がり、次の休憩組がやって来る前に速やかに休憩室を後にしたのであった。
ハガン家の使用人として働くようになってから2ヶ月が経過したある水曜日。相変わらずのハードな労働を強いられながらも耐えしのぎ続けていたカルロスはついに我慢の限界を超えるような現場に遭遇した。
「おい、俺が出かけるまでに車洗っとけって言っただろうが!」
「・・・昨晩、お出かけになられるのは11時だと言っていたはずです。まだ10時だからお時間は残っていますが・・・」
「気が変わったんだよ。下働きならそれぐらい気を回して考えろ!」
ドスッ!
「うっ・・・」
「うっ、じゃねぇだろ・・・脳みそあんのかお前?」
バキイッ!
「うああ・・・」
駐車場の片隅で、言いがかりも甚だしいような文句をつけてナオルタがフカチェスにリンチを加えていた。
「・・・・・」
近くで庭掃除をしていたミータはその光景に顔色一つ変えず黙々と掃除を続けていた。
厨房室からその光景を窓越しに見ていた使用人たちはウンザリとした表情を浮かべながらも誰一人止めに入ろうとする者は現れなかった。
ナオルタの妹であるフディコも自室からその光景を見ているようだったが仲間たちと一緒にただ笑っているばかりだった。
ドガ!
やがて、暴行の末にうずくまっていたフカチェスの頭部をナオルタが思い切り蹴り上げる。
「ウウ・・・」
「良かったなお前。これで第1部はおしまいだ。すぐに仲間呼んで第2部始めるからそこで大人しく待ってろな。」
まだ殴り足りないのかナオルタが応援を呼ぼうと携帯電話を取り出す。
「おい、俺だ。庭で大型のドブネズミ捕まえたから一緒に駆除して・・・?」
その言葉の先が仲間に届く事はなかった。
「・・・・・?」
背後から携帯電話を取り上げられたナオルタが怪訝な顔をして振り返ると、そこには感情を抑制しながらも表情で怒りを剥き出しにしているカルロスがいた。
「おい、何人の携帯勝手に取ってんだ。早く返せ。」
「・・・・・」
ナオルタの言葉に答える事なくカルロスが目を細めて強くナオルタをにらみつける。
「・・・何だその目は。使用人の分際で俺に文句があるってのか?」
ドスを効かせてそう吐き捨てるもカルロスの無言の剣幕にナオルタは内心で威圧される。
「・・・・・」
~チッ、こいつ見かけによらず結構腕っぷしがありそうだな。俺一人じゃ分が悪そうだ・・・!~
だから、すぐに態度を切り替えて共謀をけしかけたのである。
「いいや、だったらお前にもサンドバッグ代わりにこのボロ雑巾を殴らせてやるよ。色々とストレスもたまってる頃だろうし気晴らしに丁度いいだろ。ほら、骨の2、3本ぐらいはやっちまいな。」
ナオルタがフカチェスの両脇を持ち上げるように起こしてカルロスの前に突き出す。
「ほら、遠慮はいらないから殺さねー程度にグシャッとやっちまいな。」
「・・・本当にグシャッといっちまっても構わないんだな?」
「言ってるだろ?俺だってこんな汚い男をいつまでも持っていたくねーんだから早くしやがれ。」
「そうか。ならば遠慮なく・・・」
グシャッ!
「!!」
それは確かに骨の砕ける音だった。
「ぐが、が・・・」
「満足か?言われた通り遠慮なく殺さねー程度にグシャッとやってやったぜ。最も、誰をやれとは言わなかったからターゲットは俺が選ばせてもらったけどな・・・」
カルロスの鋭い蹴りのつま先は、見事なまでにナオルタの腰骨の奥深くまでめり込んでいたのである。
「さ、せっかく遠慮はいらんと言ってくれたんだから第2部を開始しねェとな!」
ガッ!
跪いてうずくまっているナオルタの襟首をつかんでカルロスが仰向けに倒す。
そして、その上に馬乗りになるとすぐさま攻撃を再開した。
バキッ!ドカッ!
カルロスの拳が容赦なくナオルタの顔面を殴打する。
「バレてねーと思ってたんだろうがてめェが鎖外してしょっちゅう俺に犬けしかけてた事ぐらいとっくにお見通しなんだよ!それだけじゃ飽き足らず使用人を憂さ晴らしにリンチまでしやがって・・・今日という今日は今までの報いをたっぷり受けてもらうぞ!!」
グシャアッ!!
拳だけでは生ぬるいと思ったのかカルロスが頭突きをくらわせる。
そして、再度右の拳を振り上げたその時だった。
「そこまでです!」
力強い声が響き渡り、カルロスが振り向くとそこには先ほどのカルロスのように表情で怒りを剥き出しにしているカーナがいた。
「カルロス・ガルシア。これは一体どういう事ですか?」
「はい、ナオルタ坊ちゃんがフカチェスに言いがかりをつけて暴力を振るっているのを見かけたので反射的に手が出てしまって・・・」
「嘘をつくのではありません!!」
大まかながらも正直に事情を話そうとしたカルロスの言葉をカーナは一方的に嘘だと決め付けていた。
「あなたはナオルタの車を掃除しようとしていたフカチェスに文句をつけて暴行を加えていたそうではないですか。そしてそれを止めようとした息子にまで腹を立てて暴行を働いたと既に目撃者から報告を受けています。」
嘘だ。絶対に嘘だ。近くからだろうと遠くからだろうとあの状況を見て誰がそんな解釈をするというのか。
「!!」
ふと、カルロスは庭の向こうで仲間たちと一緒にお茶会をしているフディコの視線に気付く。
~間違いない・・・!~
この家の長女にしてナオルタの妹であるフディコ・ハガンが兄に都合のいいように報告をしたのだとカルロスはすぐに理解する。
「嘘です!俺がフカチェスに拳を向けるなんて間違ってもそんな愚行は・・・」
「黙りなさい!!」
しかし、そんな理解などフディコの報告を鵜呑みにしてカルロスを一方的に悪者に仕立て上げようとしているカーナの前では何の意味も成さなかった。
「ナオルタをこんな目に遭わせただけでなくそれをごまかすために平然と嘘を吐くとは何と根性の腐った男なのですか!」
パン!
カルロスの頬にカーナの平手打ちが飛んでくる。
「ちょうど人手が足りなくなっていたからどんな馬の骨でも構わないと思って温情で働かせてあげていたというのに恩を仇で返されたような気分です。この悪魔!今すぐ出ていき・・・」
「お待ちください奥様、それはなりません。」
カルロスに死刑宣告が下される直前でそれまでずっと傍観していたミータが横槍を入れてきた。
「何故ですかミータ。このような者を置いていてはハガン家の名が・・・」
「今彼に出て行かれては力仕事の可能な男手がいなくなってしまいます。今しばらくは彼にいてもらわないと我々としても不都合が生じてしまうので即刻追放という措置だけはご遠慮いただけませんでしょうか。」
「それもそうですね。いいでしょう、不本意ですがカルロス・ガルシア。次の働き手が来るまでここでの労働を許可します。ですが・・・新しい人が入ったらその時点であなたは即刻解雇します!」
そこまで言うとカーナはカルロスの顔など見たくもないと言わんばかりに背中を向けてそのまま屋敷へと引き上げて行った。
程なくして誰が通報したのか救急車がやって来てナオルタだけを搬送しようとした。
「おい、ちょっと待てよ!もう一人怪我人が・・・」
ドボオッ!
「おご!」
フカチェスを完全に無視していた救急隊に口を挟もうとしたカルロスだったが即座にミータのひじ撃ちに遮られる。
「ゲホ、ゲホ・・・」
「ご苦労様です。何とぞ、お気をつけて搬送願います。」
腹部をやられて咳き込むカルロスを尻目にミータが無難な挨拶を済ませると、救急車はそのまま行ってしまった。
「おい、何考えてんだよアンタ!フカチェスがここでボコボコにやられてのびちまってるってのに放っておけってのかよ!!」
「・・・使用人には使用人専用の救護室があります。最低限の応急処置を施せる程度の物はそろっているのでそこに連れて行けば問題はありません。」
「そういう問題じゃねーだろ!一昔前の封建社会じゃあるまいしなんで家主側と使用人でこんな差別がまかりとってるんだよ!?」
「それは、これがハガン家のルールだからです。」
声を荒げて抗議するカルロスの方を見ようともせずミータが淡々と受け答えに応じる。
「冗談きついよこんなの、この一家使用人ともどもどうにかしちまってるよ全く。」
「ならば、今すぐに辞めてしまいますか?」
「・・・・・っ!」
予期せぬ切り返しにカルロスは思わず絶句した。
「先ほどはあなたのためを思って慰留を進言しましたがそれが気に入らないと言うのなら今すぐにでも辞めてもらって構わないのですよ?」
「それは・・・」
あってはならない。このまま拗ねて自分の都合で辞めてしまったら卒業試験は不合格の烙印を押されてしまう。そして、そうなってしまえば師匠アランゴは性格上間違いなく次の卒業試験でさらにハードルを上げた何かを用意してくるだろう。だったら次の人手が来るまで待って先方の都合で辞めるという形を取れば合格になるだろうからその方がいいに決まってる。
「全てはあなたが決める事です。」
ミータはカルロスの返事を待つ事なくそれだけ告げるとフカチェスを肩に担いで屋敷へと引き上げて行った。
「・・・ちくしょうっ!」
そして、色々とありすぎて脳内がもやもやしていたカルロスはあれこれ考える事をやめると速やかにミータがやりかけていた庭掃除の続きを始めて気を紛らわせたのであった。
「残念ですが、それは自己の責めに帰すべき重大な理由となるので解雇となればあなたは不合格となります。」
「えっ・・・?」
その日の夜、久しぶりに電話をかけてきたアランゴにありのままの事実を告げたカルロスはその一言に絶句した。
「いくらドラ息子とはいえナオルタに怪我を負わせた上にそれが理由でカーナの口によって解雇が告げられたのならあなたは一般企業で言うところの懲戒解雇となるので当然落第です。」
「先生、俺は・・・」
「言い訳など聞きたくありません。あの家でのあなたの行動は全てお見通しです。今さら何を取り繕おうとも私をごまかすことなど不可能ですよ。」
全身が熱くなって胃液が逆流するかのような感覚に見舞われる。
いくら解雇が既定路線になったとはいえカルロスはこれならば合格認定されると信じていたのである。
「ま、現時点では次の者が来るまであなたは使用人でいられるのです。その間に奇跡が起こるとでも信じて仕事に打ち込む事ですね。では、今日はこの辺で。」
「あ、ちょっと、先生!」
プチッ。
カルロスが呼びかけるも返事はなく、アランゴは一方的に通話を切ってしまう。
「・・・・・」
話し相手すらいなくなった一人きりの自室で不安の波が押し寄せてくる。
~ここで塞ぎ込んでいたって何も変わらない。ならば、誰かを頼るしかないというワケか・・・~
カルロスは、気を紛らわせたい一心で外出着に着替えると自宅アパートを出て速やかに思い立った場所へと車を走らせたのであった。
「珍しいね、君が一人でここに来るなんて。」
殺風景な病室のベッドの上でイザベラ・コンデレーロはそう言って予期せぬ来客を笑顔で出迎えてくれた。
「・・・・・」
何の根拠もなく「先生の前の愛弟子だったイザベラに相談してみよう」と考えてここまで来たもののいざ本人を前にするとカルロスは何も切り出せずただ立ち尽くしているだけだった。
「イザベラ・・・」
ようやく口を開くも肝心の用件が伝えられそうにない。
~こんな事を彼女に相談して解決の糸口が見つかるとでもいうのだろうか?それに、もし見つけられたとして自分の卒業試験に人の手を借りるようなまねをしてそれで俺は納得できるのか?~
そんな考えが脳裏をよぎったカルロスは、すかさず別の話題を用意してそれを切り出した。
「君は先生とどのような関係を築いていたんだい?」
「え?」
突然の予期せぬ質問にイザベラが目を丸くする。
「ずっと気になってたんだ。愛弟子とはいえ先生とは別々に暮らしている俺と違って君は当時先生と同棲していたんだろ?嫌ってるワケじゃないけどあのちょっと変わった先生と一緒に暮らしていて君はどんな気持ちで毎日を過ごしていたのかなって・・・」
イザベラが前のアランゴの愛弟子である事はカルロスも知っていた。だが、一人前の邪討士じゃとうしとなるために弟子入りした自分と違ってプロの歌手になるために住み込みで弟子入りしていたイザベラが果たしてどのような実生活を営んでいたのか。それは、本当に切り出したかった話題ではないにしろカルロスにとっては知っておきたい真相に他ならなかった。
「ふーん・・・君もそんな他人のゴシップみたいなのに興味があるんだ。」
イザベラがわざとらしい怪訝けげんな目を向けてくる。
「いや、話したくないんだったら俺は別に・・・」
「いいよ、兄弟子ならぬ姉弟子としてお姉さんが君の疑問を解決させてあげるとしましょう!」
だが、イザベラはそんな目つきとは裏腹に包み隠さずカルロスの質問に答えてくれたのである。
「私、歌手になるために高校進学と同時にアカプルコの田舎から上京してきたクチだから最初は一人暮らしをしてたんだ。だけど、ある日たまたま学校に見学に来ていた先生が私の歌唱力を高く買ってくれて、それから先生の好意で住み込みでの同棲生活が始まったってワケ。」
イザベラは、遠い目をしながら持て余す事なくアランゴとの日々を打ち明けた。週6ペースで続けられたマンツーマンのレッスン。ノーギャラで強いられた歌謡教室開催時のセッティング。今後の展望を語りながら一緒に作った夕飯。全身に叩き込まれた魔法と格闘技の訓練。様々なデモテープに希望を託すもデビューのきっかけさえ見つけられなかった空回りの日々。そして。
「色々と奔走したけど高校を卒業するまでは単発の仕事ぐらいで長期的なものには全然巡り会えなかったんだよね、私。もちろん、単発の仕事でもあるだけ感謝しなくちゃいけなかったんだけどそれでも先生はギャラの少なさや仕事内容で不満ばかりを口にして愛弟子である私の仕事に口を挟む事が多くて、結局先生の暴走で何件かのお仕事はキャンセルを余儀なくされちゃったんじゃなかったかな。」
遠い目に悲しみの色合いが込められてきたのをカルロスは見逃さなかった。
「で、ある日先生と大ゲンカしちゃってついに私は半ば破門も同然の形で先生の家を出てしまったというワケです。」
どう考えても笑いながら口にする話題ではないだろうがイザベラはあえて笑顔を崩そうとはしなかった。
「イザベラ、君は・・・」
「でも、先生の事は今でも感謝してる。亡き父が私に人としての礼儀と歌唱力の基礎を叩き込んでくれたように彼は私に戦闘の技術と歌唱力の応用を植え付けてくれたんだから。」
「・・・・・」
いつも輝かしいイザベラの笑顔が一段とまぶしく見えたのは気のせいではなさそうだった。
「そりゃあ不満もあったけどそれでも先生との生活は価値のあるものだったと当時も今も思い続けている。お人良しと思われるかもしれないけどこの気持ちは一生変わらない。」
「・・・・・」
イザベラの信念が強く気高く思えてくるほどにカルロスは気恥ずかしくなってくる。
自分は何と下らない事で悩んでいたのだろう、と。
「そうか。やっぱり先生はその頃から先生だったってワケだよな・・・」
だから、ゴチャゴチャ考えるのはやめて結果はどうあれ一つふっ切れたところから始めてみようと思えてきたのである。
「ありがとうイザベラ。君の話を聞けたおかげで俺は迷わずに先へ進めそうだ。それと、目を覚ましてからはすっかり容態が安定しているみたいで改めて安心したよ。」
「おかげさまで来週には退院予定でその翌日からはみっちり仕事責めが待っているみたいだから心配ご無用だよ☆」
「それは良かった・・・じゃあな、お大事に。」
そして、カルロスは差し支えのない雑談を交わすと病室を後にして明日からの仕事に気持ちを切り替えたのであった。
「あんな事をしておいてよく来れたものね。はっきり言って神経を疑うレベルだわ。」
翌日、廊下の清掃をしていたカルロスに最初に声をかけてきたのは今の面倒な状況を作り上げた元凶の一人であるフディコだった。
「・・・・・」
「あなたたちもよく見ておきなさい。この使用人だか山猿だか分からないようなみすぼらしい男がカルロス・ガルシア。理由もなく兄さんに暴力をふるって病院送りにした野蛮人の見本みたいな奴よ。」
何も答えないカルロスを親指で指しながらフディコが取り巻きたちへと憎々しげに吐き捨てる。
「おっと、あなたのような生き物と同列に語るのは山猿に失礼だったわね。」
その言葉を耳にして取り巻きたちが一斉に笑い声を立てる。
「さ、行きましょ。こんな男の近くで汚い空気を吸っていたら出来る彼氏も出来なくなってしまうわ。」
言いたい限りの言葉の毒を吐き散らかすとフディコは取り巻きたちを連れて屋敷を後にした。
ガンッ!
「・・・・・」
その後には蹴り倒されたバケツと水に濡れた廊下が残っていた。
~あんな性格で彼氏が出来ると本気で思っているのかね・・・~
カルロスは、努めて感情を押し殺すと表情を変える事もなく黙々と退勤まで作業を続けた。
そして、この日の夕刻に正式な“死刑宣告”が下されたのである。
「あなたの後任が内定しました。2日後に勤務開始となるのであなたは明日で解雇となります。」
カルロスは、初日に呼ばれた客間ではっきりとそう告げられた。
「本来なら昨日で切っていたところを明日まで置いてやるのです。せいぜい感謝をするのですね。」
カーナの口ぶりからは良心の呵責のようなものは一切感じられず、カルロスを切り捨てるのは当然というような雰囲気さえも漂っていた。
「・・・・・」
カルロスは、話半分に聞きながらここにはじめて来た時も目にしたであろう骨董品や絵画の数々を見渡していた。
~犬の胸像・・・眼鏡をかけた陰気そうな女学生の肖像画・・・どれもこれも成金の悪趣味でそろえたようなまがい物ばかりじゃねぇか・・・こんなの部屋に飾る金があるのならそれを慈善事業につぎ込んだほうがどれだけ人々のためになる事やら・・・~
「何をキョロキョロしているのですか?」
「え、いや、別に・・・」
「話は終わったのです。早く出て行きなさい!」
「はい!」
カーナの鋭い声にわざと大きく返事をするとカルロスは速やかに客間を立ち去った。
「・・・・・」
「わっ!」
そんなカルロスを玄関前で待っていたのは今の面倒な状況を作り上げたメンバーの中で間違いなく“被害者側”に分類されるであろうフカチェスだった。
「・・・話は聞いてるよ。俺をかばったせいでこんなコトになっちまって悪かったな。」
「いや、お前のせいじゃない。強いて理由があるとすれば俺とこの家の住人の水が合わなかった、それだけの話さ。」
カルロスはフカチェスを擁護した上であえて個人名を出して批難しようとはしなかった。
「それにこうやってお前とも差し支えなく話せる関係が築けたんだ。悪い事ばかりじゃなかったよ。」
「カルロス・・・」
「じゃ、この辺で失礼するぜ。あと1日よろしくな!」
そう言ってフカチェスの肩を軽く叩くとカルロスは背を向けて屋敷を後にした。
「・・・・・」
「ワン、ワン!」
その背中をフカチェスは「ナオルタがいなくなってからすっかり牙の抜け落ちた」ケルベロスと一緒に見えなくなるまでずっと見守っていた。
ある決心を胸に・・・
「いよいよ明日でお払い箱か・・・」
自宅のベッドに横たわって天井を眺めながら大きく息を吐く。
理由はどうあれこれで卒業試験の不合格は確定だ。だったら明日は悔いのないように働いて(全員ではないけれど)一緒に働いた使用人仲間たちに挨拶回りをして後腐れなく消えてしまおう。先生への報告や次の卒業試験の内容を考えると気が滅入るけどその辺りはそれからの話だ。きっと一心不乱に取り組んでいれば何度目かの試験で受かる日も来るというものだろう。
後ろ向きにしか考えられない現実を無理矢理でも前向きに考えようとしていたカルロスが眠りにつこうとしたその時だった。
ウ~ウ~ウ~!!!
「!?」
けたたましいサイレンが鳴り響いて眠気を一瞬にして吹き飛ばす。
「火災発生!!火災発生!!」
直後、大音量が夜の町に轟いて辺りを喧騒に包み込む。
「ただいまメキシコシティ6番地・ハガン邸にて大型火災発生!!消防車ならびに救急車が通ります!!道を開けて下さい!!」
「何だって!?」
その一報にカルロスは仰天した。
6番地のハガン邸なんてどう考えてもあのハガン家の豪邸以外の何物でもないだろう。
「だけど・・・」
散々自分を罵り続け、来る日も来る日も酷使してきた連中を助けに行く義理などあるのだろうか?それでなくても明日には縁が切れてしまうような家の問題にわざわざ介入する必要があるのだろうか?
「でも・・・」
そんな事を考えていたカルロスの脳裏をよぎったのはフカチェスであり、自分と同じ釜の飯を食ってきた使用人の仲間たちだった。決して友好的ではなかった自分に笑顔で接してくれた初老の女性がいた。広大な庭の草むしりを手伝ってくれた少し足の不自由な中年男性がいた。時としてフディコやカーナに叱責を受けているときにかばってくれた小柄ながらも気丈な少女がいた。
~ずっと一人で働いてると思っていたけどいつだって俺は助けられていたんだよな・・・~
それを思うと改めて自分の考えの浅さが情けなくなってくる。
「だったらこんな時こそ恩返しだろうがっ!!」
大声を出して再度大きく息を吐くとカルロスは迷う事なくハガン家へと直行した。
住み込みで働いている「ハガン家の使用人たち」を助け出すために。
「はぁ、はぁ!」
脇目も振らずに夜の町を全速力で駆け抜ける。
火事場に出向いて自分に何が出来るかは知らないけれどせめてもの事をしておきたい。その思いがカルロスを突き動かしていた。
「・・・・・・」
門の手前で大型犬を引き連れた男性とすれ違ったような気もしたが気にかけない事にした。
今は目の前にもっと重要な解決すべき問題があるのだから。
「さて、行くか!」
開け放たれたままの門を抜けてハガン家の敷地内に入る。
そこは、カルロスの想像をはるかに超える炎の海が広がり渡っている危険地帯だった。
「第2次消火活動、はじめー!!」
消防隊長の号令で大量の水が放水されるも炎が消え入りそうな気配は一向に見受けられそうにない。
「ダメです!こんな燃え広がっている状況では救急隊が介入出来る余地などどこにもありません!!」
当然、状況が好転しないようでは救急隊も動くに動けない。
自分よりも先に到着していたプロの人たちが手をこまねいている現状にカルロスがもどかしさを覚えていたその時だった。
「カルロス!」
背後から急に名前を呼ばれて思わず反応する。
振り返ると、料理番の男が下着姿のままで呆然と立っていた。
「オッサン、どういう事だ?」
「いや、俺もよく分かんねーんだよ。寝てる時に急に警報が鳴って何事かと思ってみりゃ火が燃え広がってるだろ?もう大慌てで一目散に飛び出したもんだから服着るの忘れちまったんだろうな。」
料理番の物言いがカルロスの怒りを刺激する。
「そうじゃねーだろうがっ!他の使用人の人たちが屋敷に残ってるだろうに何サブリーダーのてめぇが一人で逃げてやがるんだって言ってるんだよ!!」
「ああ、そういう意味ね。そりゃ問題ないだろ。さっきミータさんが救助に突入してたしもう消防隊が消火活動にあたってるから俺は黙って成り行きを見守ってりゃ・・・」
バキッ!
「ぐへっ!!」
カルロスの不意をついた一撃があごにヒットして料理番が吹っ飛ばされる。
「グラシアスな、オッサン。おおよその事態は把握した。これで俺のやるべき事がより明確になったというワケだ。せいぜいそこで老害なりに邪魔だけはしないように待機しといてくれ。」
もう一撃ぐらい見舞っておきたいところだったがそんな気持ちをぐっとこらえてカルロスが全身に力を込める。
すると、程なくして緑色のオーラが沸き起こってその全身を包み込んでしまったのである。
「さぁ、ここからが俺の本領発揮だ!」
カルロスは、その姿に目を丸くしていた料理番には目もくれず堂々とした足取りで燃え盛る屋敷の中へと足を踏み入れたのであった。
「ううっ、カルロス・・・」
「心配はいらない、今すぐ出してやるからな。」
カルロスが煙にやられて歩く気力すら残されていなかった使用人の少女の前に手をかざす。
「はっ!」
ビューンビューン!!
直後、強く念じると少女の姿は消えてなくなり屋敷の外へと転送されたのである。
「これで10人・・・」
炎に巻かれつつあった少女の部屋を出てこれまでの経過を振り返る。
正式な数は把握していなかったもののおそらくはまだ半分以上の使用人が炎と煙に巻かれて命の危機に晒されているのだろう。威勢良く踏み込んだまでは良かったものの果たして自分一人に全員を助けだせる事が出来るのか。
カルロスが不安に駆られそうになったその時だった。
「・・・今現在、ハガン家の使用人は全員の退避が確認されました。」
「!!」
背後から聞こえてきた声に驚いて振り向くと、ミータがいつものように顔色一つ変えずその場にたたずんでいた。
全身に緑色のオーラをまとった状態で。
「ミータ、どうしてアンタがそれを・・・」
「ハガン家当主代行カーナ・ハガンおよびその長女フディコ・ハガンは必需品をまとめて使用人たちに指示も出さず即座に逃亡。料理番も不恰好ながら脱出に成功。ホノモリ・フカチェスと番犬ケルベロスは散歩に出かけて不在。そして、他の使用人たちはあなたと私で救出した人数で全員です。」
疑問に答える事もなくミータは現状を淡々と説明する。
「さぁ、役目は終わりました。後は我々が退避して消防隊に事後報告を済ませれば一件落着です。」
「ちょっと待ってくれ、その前に・・・」
「どうされましたか?どさくさに紛れて火事場泥棒でもしたくなったのですか?」
「違うっての!だからなんでアンタが俺と同じオーラをまとっているのかって話だよ!普通に考えたら並の人間にそんな物が備わるはずがねーんだよ!それを持ってるって事はつまりアンタは俺の師フェルナンド・アランゴの・・・」
ドタン!
何かを言いかけた途中でカルロスは容赦なく背負い投げをくらってその場に倒された。
「・・・・・避難指示は出しました。後は退避しようがここに残ろうがそれはあなたの決める事です。」
肝心な部分には何も答える事もなくミータはそのまま背を向けて速やかに炎の海から退避した。
「・・・・・」
カルロスもまたこれ以上詮索しても望む回答が得られる事はないと悟るともう何も口には出さず黙ってミータの後に続いたのであった。
「・・・この火事による犠牲者はハガン家使用人および住人には一人も出ていません。なお・・・」
消火活動がようやく収束してミータが事後報告を開始した深夜1時。カルロスは、大きなあくびをしながら全焼して消し炭となったハガン家の跡地を漠然と眺めていた。
~短い間だったけど色々とあったんだよな、ここで・・・~
住人の顔を思い出すと腹立たしいが使用人仲間たちとの日々を思い出すと(全員ではないものの)不思議と嫌な気はしない。
様々な感情が入り混じってカルロスが妙な感慨深さに思わず泣きそうになっていたその時だった。
ブルルルル、ブルルルル!!
突如、携帯電話が鳴り響いて感傷モードに水を差してくる。
どうやら着信の主は我が恩師アランゴのようだった。
「もしもし、どうされましたかこんな夜分に?」
「いや~随分と派手に燃えてしまっていたようで大規模なキャンプファイヤーが出来たという話ではないですか。やはりこんな日ぐらいは炎を囲んで意中の女の子とフォークダンスなど踊っていたのでしょう?」
「先生、災害直後にそのネタはあまりにも不謹慎というものです。」
「おっと、そうですな。被害を受けた家が家だけについつい上機嫌になり過ぎていたみたいです。」
アランゴの言いたい事は分からないでもなかったがカルロスはあえて当事者として釘を刺しておいた。
「で、何の話ですか?もう次の卒業試験の内容が決まったとか・・・」
「カルロスよ、何を言っているのですか。あなたはこのたびめでたく卒業試験を合格したのです。つまり、私によって免許皆伝と認定されたというワケです。」
「ああ、卒業試験に合格して免許皆伝ってオチですね・・・?」
自分で何気なく口に出した言葉に違和感を感じてカルロスは思わず引っかかりを覚える。
「卒業試験に合格・・・免許皆伝と認定・・・って、合格!?認定!?」
カルロスは復唱しながらようやく事の重要性を理解した。
「そうです。あなたは最後の試練を乗り越えて見事に我が元から巣立つ権利を手に入れたという事です。」
「えっと、でも俺にはあと1日分の勤務が・・・」
「その消し炭の中であなたに何が出来るというのですか?」
「あっ・・・・・!」
その時、カルロスはアランゴの言葉の真意を理解した。確かにアランゴは言った。「ナオルタに怪我を負わせた上にそれが理由でカーナの口によって解雇が告げられたのならあなたは一般企業で言うところの懲戒解雇となるので当然落第です。」と。しかし、こうも言った。「現時点では次の者が来るまであなたは使用人でいられるのです。」と。つまり、企業で言うところの懲戒解雇が正式に成立する前に火事で屋敷が全焼してしまって「雇い主側の落ち度」で勤務続行が不可能になってしまったという事。
そしてそれは当初告げられた「ハガン家の使用人として先方の都合で勤務が不可能になるまで働く」という合格条件を満たしているという事。
「先生。じゃあ俺は・・・」
「この火事の出火原因が何であるのかは存じませんが少なくともあなたが故意に火をつけたワケではありません。ならば、理由はどうあれあなたの過失には該当しないのでこれは立派なまでにハガン家の失態です。」
アランゴの見事なまでに筋の通った論説に少しずつこれまで蓄積されていたもやもやが晴れてくる。
「カルロス。何はともあれ合格おめでとうございます!!」
プチッ!
そして、改めて合格の二文字を告げるとアランゴは朗らかな空気を漂わせながらも力強く通話を切ったのであった。
「・・・・・」
思わぬ展開が思わぬ展開を呼び、思わぬ展開で卒業試験に合格したカルロスはしばらく物思いにふけっていた。
~合格は良いとして・・・漫画だ。まさしく漫画みたいな展開だ。~
一人でそんな事を考えながら思わず顔が緩んでくる。
~結局、いつだって俺たちは誰かの原作で動かされているキャラクターの一人だったりするのかもしれないな・・・~
やがて、カルロスは自嘲気味に笑いながら誰もいなくなったハガン家の跡地を去って行った。
少し離れた場所で姉弟子のミータが「今日のカルロス」をいつものようにアランゴへと報告している姿に気付く事もなく。
翌日、ハガン家の火災事件はメキシコ中の新聞やテレビで大々的に報じられた。はじめは火災当初にケルベロスを連れて散歩に出かけていたフカチェスに疑惑の目が向けられたものの証拠に乏しくすぐにその疑惑は取り下げられて犯人は有耶無耶のまま事件は迷宮入りが既定路線となった。幸い、怪我人や死人が一切出なかった事と職を失ったハガン家の使用人たちはカルロスとフカチェスを除いては全員がハガン家当主イトゥイル・ハガンによって屋敷が新築されるまでの間の生活費と住居、新築後の雇用を保障されていた事もあって真犯人が見つけられずとも世論は肯定的だった。
「よっ。元気だったか?」
卒業試験合格の翌々日。
カルロスは、この前訪れたばかりのイザベラの病室を再度たずねていた。
「あれ?ほんの数日前に来たばっかりだと思ってたけど?」
「気にしないでくれ。この前手ぶらで何の味気も色気も届けられなかったせめてもの埋め合わせだ。」
ベッド脇の机にダリアの花束を置いてカルロスが話を続ける。
「それにもうすぐ退院するんだろ?だったら見舞いに来れるのは今しかないと思ってな。」
「ふーん・・・」
イザベラの目がどこか懐疑的な雰囲気を醸し出していたがカルロスがそれに気付く事はなかった。
「それよりも、退院したらすぐに仕事詰めが待ってるんだろ?せいぜい体調を崩さない程度に頑張れよ。」
「はは、もちろん!復帰後は新しいイザベラになってファンのみんなを世界中の人々をあっと言わせるような私をお届けしちゃうんだから!!」
頼りない力こぶを作ってイザベラが強い意思を誇示してみせる。
「それは頼もしい限りだな。期待してるぞ!」
そして、カルロスはそんなイザベラと他愛もない雑談を数分間ほど繰り広げると晴れ晴れとした表情で病院を後にしたのであった。
「・・・おっ!」
「・・・・・」
病院の入り口に立っていたよく見知った顔にカルロスが思わず過剰反応する。
「さっき君を街中で見かけたから後をつけてここで待たせてもらったよ。」
そこには番犬ケルベロスを引き連れたフカチェスがさも当たり前のように待ち受けていた。
「あれから僕もハガンさんに戦力外通告を受けちゃってね・・・手切れ金と手切れ犬を渡されて追放を余儀なくされちゃったってワケ。しばらくは親元で暮らしながら次の職探し、かな?」
フカチェスが自嘲気味ながらもハガン家では絶対に見せなかったような笑みを浮かべてみせる。
「フカチェス・・・」
その笑顔からはハッキリと明るさと希望のようなものが満ち溢れていた。
「そうか。実を言うと俺もちょうど新しい一歩を踏み出そうとしていたところだったんだ・・・なぁ?ここは同じ門出を踏み出す者同士、仲良く食事と行ってみたりしないか?」
「いいね、それ。ケルベロスも腹を空かせていたみたいだから一緒にランチタイムとしゃれ込みますか。」
「おう!!」
すっかり意気投合したカルロスとフカチェスは病院を離れると、軽やかな足取りで近くのレストランへと向かった。そこにはもう曇りや澱よどみといった感情は残っておらず、純粋な仲間意識だけが二人の関係を作り上げていた。
こうして、カルロス・ガルシアの卒業試験は紆余曲折を経て最高ならずとも最良の形で幕を降ろしたのである。