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蒼炎の女神

 -覚醒編-




 故郷・アカプルコでのコンサートを終えて全国ツアーを無事に終了させた声優イザベラ・コンデレーロはメキシコシティへと向かう飛行機の中で束の間の眠りに落ちかけていた。


売れない時代を経て、リリースしたアルバムがメキシコ人声優として全米の音楽チャートで史上初の首位を獲得した日から数年、彼女の人気と知名度は少しずつではあるが確実に上昇を続け、今では1日の睡眠時間を2~3時間に削らねばならないほどの多忙な日々を送っていた。


 だから、バスや飛行機での移動時は睡眠時間に充てる絶好の機会だったのである。


「帰ったら、また・・・レコーディング・・・・・・」


 シートに座してから数分、睡魔に屈したイザベラは眠りの世界へと完全に落ちて行った。




「ここは・・・」


 何もなく、青い炎が無限に広がる空間。その非現実的な世界観にイザベラはすぐに夢を見ているのだと確信した。


「イザベラ・・・イザベラ・・・!」


 ふと響き渡る野太くも優しく、懐かしい声。


 イザベラは、その声に心当たりを持っていた。


「パパ・・・パパなのね?」


 しかし、声の主がその問いかけに答える事はなかった。


「今からお前にはこれまでの下積み期間を超えるほどの厳しい試練の時が訪れるであろう・・・だが!臆する事なく・・・背を向ける事なく・・・辛い現実も悲しい現実も、全てを受け入れ仲間たちと共に戦うのだ・・・」


「パパ、パパなんでしょ!?どういう事なの!?」


「手遅れになる前に・・・早く・・・!!」


 声が遠くなるにつれて少しずつ空間が歪んで行く。


「待ってよっ、パパーーーーーッ!!!!!!!」




 ガンッ!!


「・・・えっ・・・?」


 激しい衝撃とともに目が覚めて、それと同時に頭部がヒリヒリと痛んでくる。


 周囲を見渡すと飛行機の中で、乗客が一斉にこっちを見ている。


「全くも~何やっとんねやこんなトコでっ!」


 呆れ顔のプロデューサーがやってきてイザベラの肩に手を乗せる。


「そりゃあ移動時間を睡眠に充てるのは売れっ子の常套手段やけど絶叫はやめてもらわないと周囲の人に迷惑がかかるからね。まぁ俺だって絶対にしでかさないとは言い切れないからあまり厳しくは言わないけど、ちょっと気ィつけてもらわんとね。」


「えっと、私・・・」


「なに、前の座席の後部にヘッドバッドを見舞っただけや、深く気に病む事もない。それに・・・ほら。」


 プロディーサーが指差した窓の向こうに目をやると、飛行機は既に着陸目前のところまで来ていた。


「もうすぐメキシコシティに到着や。それから打ち上げパーティーの後でレコーディングが控えとるんやからそっちの方に頭を切り替えて行こうやないの。」


 程なくして場内アナウンスが鳴り響きくと、プロデューサーはイザベラの肩をトントンと叩いて自分の座席へと戻って行った。


 そして、飛行機は無事メキシコシティへと到着したのである。




 空港を出ると、イザベラとプロデューサーは打ち上げ会場として予約しているホテルへと向かった。


「はぁ・・・スタッフの皆さんが一足先に貸し切りバスで行かれたのにどうして私たちだけが後からタクシーで行く羽目になるんでしょう。」


「仕方ないやろ。2人分定員オーバーだったんだから誰かが犠牲にならんとあかんかったんや。」


「ツアースタッフの人数を把握しきれてなかったプロデューサーさんの資質が問われるかもしれません・・・ね。」


 少しイタズラっぽくイザベラが笑みを浮かべてみる。


「でもな、良かったんよこれで。主役の俺たちが後で登場してこそ打ち上げって感じがするやないか。それに予定時間には余裕で間に合うしスケジュールに差し支えないレベルの想定外なら・・・?」


 ジェスチャーを交えて都合の良い言い訳をしていたプロデューサーが、タクシーの中で妙な違和感を覚える。


「・・・それにしても俺が座ってるシート、随分と汗で濡れてはるなぁ。いくら夏とはいってもこれだけ冷房効いてるタクシー内でこんなに汗が残ってるなんてさっきまで相当の汗っかきが乗っとったんやろうなぁ・・・」


「ああ、前の乗客さんが今あんたたちが向かっているホテルから空港までの便で利用しててね。何だか切羽詰まったような雰囲気で汗ダラダラ流しててね。俺もよく分からないから特に話しかけなかったんだけど・・・そういやあリュックのポケットに壊れた携帯電話なんぞ入れていたなぁ・・・」


 運転手の回想を聞いたイザベラとプロデューサーは怪訝な表情で顔を見合わせる。


「壊れた携帯を持ち歩くって・・・変な奴が居るもんだわ。」


「ハンドグリップと間違えて握り潰しちゃったのでしょうか?」


「あぁ~ないない!そんな握力あるような奴なら格闘界が放っちゃおかんわ。」


 他愛ない話題に花を咲かせている間にタクシーは打ち上げ会場のホテルへと到着した。


 しかし、そこは警察によって辺りを完全に封鎖されていた。


「お、おい!どうなってんだこれは!?」


 中なら閉め出され、封鎖エリアの手前で野次馬状態で立ち並んでいるツアースタッフの一人にプロデューサーが問いかける。


「どうもこうも俺らもよく分からないんですけどね・・・何でも、ホテルの一室で女性の仏さんが見つかっちまったらしくて・・・」


「何ですって!!」


 後から出てきたイザベラがスタッフたちを押しのけて封鎖エリアの手前へと身を乗り出す。


「・・・っ!」


 ちょうど亡くなった女性が運び出されているところだった。


 足元からシーツに覆われていたが、顔の部分だけは隠されていなかった。


「あれは・・・!!」


 その顔をイザベラは知っていた。


「どうして、こんな・・・」


 売れない時代から常に自分を励ましてくれていた近所のウエイトレスの女性。


 全米の音楽チャートで初めての首位を獲得した日には誰よりも喜んでくれて、特大のタコスをプレゼントしてくれた心優しき女性。


 そして・・・父親が他界した時そばにいて、一緒に泣いてくれた姉のような存在。


「どうして――――っ!!!!!!!」


 ユメリオ・エルナンデス、享年32歳。


 それは、あまりにも若く、悲しすぎる最期だった。




 翌々日、イザベラとプロデューサーが乗車する前にタクシーを利用した“壊れた携帯電話をリュックに入れていた男”が被疑者として指名手配された。


 ミゲル・ビンドロ・オセーオ。


 表向きは俳優と歌手を兼業するマルチタレントを自称していたが裏では麻薬組織の幹部として横流しや密売を繰り返す卑劣漢だった。




「・・・・・」


「ほら、気を落とすな。ユメリオかてお前さんのしょげた顔なんて見とうないはずや。」


 町外れの教会で、ユメリオの葬儀が厳かに行われていた。


「・・・はい。」


 プロデューサーに励まされ、イザベラは涙腺がゆるむのを抑えながらユメリオの棺の中に青い花を添えた。


「おや?イザベラではないですか。」


 ふと、献花台から席に戻るときに次の献花者から声をかけられた。


「せ・・・先生!」


「まさか君とこのような場所で再会をするとは夢にも思いませんでしたよ。」


 それは、かつてイザベラが歌唱トレーニングを受けていた音楽の講師フェルナンド・アランゴだった。




「あれから数年、君がここまで成長して大物アーティストへと変貌を遂げたのには正直驚きました。元師匠として私も鼻が高い限りです。」


 教会脇の古ぼけたベンチに腰掛けて、フェルナンドが遠い目をしながらつぶやく。


 ユメリオの葬儀は既に終了し、夕暮れが辺りを覆いつくそうとしていた。


「いえ、先生は今でも私の尊敬すべき先生です。それに私はまだまだ成長段階で、大物アーティストへの道を登り出したに過ぎません。きっとそこにたどり着くまでにはもっとたくさんの山々を越えて行く必要があると思うんです。」


 イザベラのその言葉にフェルナンドは笑みを浮かべる。


「いい心掛けです。・・・ですが、私が君をここに呼び出した理由はそんな話をするためではありません。」


 突如、フェルナンドの表情が険しいものへと変わる。


「正直、強い憤りを感じているのでしょう?」


「先生・・・」


「かく言う私も無辜むこの一般市民、それも我が教え子の支えとなってくれたありがたき女性を口封じのために殺すなどという下衆な行為を働いた男とおそらくそれを指示したであろう組織の者どもには怒りを覚えています。」


「先生、私・・・」


「私が君に教えたものは歌唱技術だけだはなかったはずです。こんな時にどうすれば沸き立つ怒りを最小限に鎮められるかは君も十分承知しているでしょう。」


 そこまで言うとフェルナンドは立ち上がり、その場を去っていった。


「先生っ!」


「明日の夜、ミニ・タコス広場で待ってます。」


 背中越しに、大切な言葉を残して。




「ふむ・・・イザベラさん。背後にくっついているそのいけ好かない風貌の男性はジョークのつもりですかな?」


「それが、プロデューサーが一緒に行くって言って聞かなかったんです、はい。」


 真夜中のミニ・タコス広場には4つの人影が集まっていた。


「昨日教会の脇でお前がイザベラと話をしているときに聞きながら見張っとったんや。お前が何か手を出したりしないか心配やったからな。それよりそっちこそ変な小僧同伴で一緒に隠し撮り大会でもおっぱじめるつもりか?」


 イザベラ。フェルナンド。プロデューサー。そして・・・


「彼は邪討じゃとう士しを本業とする青年でその名をカルロス・ガルシアといいます。私の今の愛弟子なのですがこのたび親心も込めて実戦デビューをさせてやろうと思いお供に連れてきました。」


「よろしくお願いしますっ!」


 カルロス・ガルシアが力強い声とともに深々と頭を下げる。


「こちらこそよろしくね。」


 イザベラが右手を差し出してカルロスと握手を交わす。


「さて、それでは本題に入ります。」


 一歩前に踏み出したフェルナンドが眼鏡のつるをかけ直しながら言葉を紡ぐ。


「今現在メキシコシティの随所で勃発している麻薬抗争でその元凶となっている組織があります。組織の名前は“麻薬の使徒”。麻薬の密輸や密売を働き、咎める者や抗う者を容赦なく消し去っているという危険な連中です。」


 話を聞いていたイザベラの背中に戦慄が駆け抜ける。


「しかし!活動拠点を叩いてしまえば彼らといえどもたちまち存続が困難な状況に陥ってしまうでしょう。だからこそ彼らのアジトを狙うのです!」


「で、そのアジトとやらはこの近くにあるものなのかね大先生さんよ?」


 プロデューサーが小馬鹿にしたような口調で問いかける。


「無論です!この広場の裏手にある・・・」


「へっへ!随分と俺らの噂話が好きじゃねーかよ!!」


 話の途中で近くの茂みから包丁を持った男が現れた。


「おや、あなたはオンボロ・シミケンポスさんではありませんか。」


「名前を知っててくれるたぁ光栄じゃーねーかぁ!!」


「えっ、この人が・・・」


 イザベラはその名前に心当たりがあった。


 かつて偶然に一つだけヒット曲を飛ばしながらも以後その威光にすがり続け、覚醒剤に何度も溺れ、後輩の歌手たちを執拗にいじめ続けて芸能界を追放されたといういわく付きの男。亡き父親からも「どれだけ売れっ子になってもオンボロ・シミケンポスのようにはなるな」と念を押されていたほどのいわく付きの男。


「皆さん、下がっていなさい。こんなボロ雑巾のような男は私一人で十分対処可能です。」


「あん?誰がボロ雑巾だってェ?」


 包丁を見せつけながらシミケンポスが威嚇する。


「そんな包丁の一つや二つでこの私が腰を抜かすとでも思っているのですかボロ雑巾さん?」


「けっ、おもしれー。ならこの包丁を受けてみろー!!」


「・・・来岩っ!」


 包丁を振り上げた次の瞬間だった。


 空から中型の隕石が降ってきて、シミケンポスの右半身を直撃する。


 ドゴォォン!


「ぐへェっ!!」


 ものすごい音とともにシミケンポスの体は宙を舞い、街灯の柱に頭から激突した。


「ふむ、準備運動程度にはなると思って期待してたのですが・・・つくづく使えない男ですね~。」


 完全にのびていたシミケンポスを見ながら肩をすくめると、フェルナンドは再び話を始めた。


「では、話の続きに戻るとしましょう。彼らのアジトはこの広場の裏手の森の中にあります。」


「森・・・」


 広場の裏に広がる鬱蒼うっそうとした森を見据えながら、イザベラは息を呑んだ。


「さあ、私についてきなさい。共に戦い、メキシコシティを汚す者達を打ち滅ぼすのです。」


 そこまで言うと、フェルナンドは一人で森の中へと突き進んで行った。


「へん、だったらその後でてめーもいてもうたるわ。この汚れ講師め!」


 小声で悪態をつきながらもプロデューサーが後に続き、カルロスとイザベラもその後に続いた。




 森の中は気味の悪い静寂に支配されていた。


「イザベラ、どんな敵がいようとも俺が必ず助けたるからな。」


「俺だってまだまだ未熟だけど女の子を守るぐらいはワケないですからねっ!」


 そんな中でプロデューサーとカルロスの言葉はどこまでも頼もしかった。


 やがて、眼前に洞窟の入り口が見えてきた。


「先生、ついにアジトの手前までたどり着きましたねっ!!」


「ええ、ですが・・・中に入る前にやらねばならない事があるようです。」


「やらねばならない事・・・ですか?」


 イサベラがきょとんとした表情で辺りを見渡す。


「・・・あっ!!」


 そこには、“麻薬の使徒”の構成員たちが山のようにいた。


 周囲を取り囲み、逃げられないよう輪を作る。


 そして、イザベラたちはあっという間に袋のネズミ状態とされてしまったのであった。


「へっへっへ、たった四人でここまでのこのこやって来るとは身の程知らずどもめ。一人残らず叩きのめしてくれる!!」


 棍棒を手にした構成員の一人が襲い掛かってくる。


 すると、それまでフェルナンドの後ろにいたプロデューサーが飛び出してきてすかさず飛び蹴りを繰り出したのである。


「ほあっ!!」


 ベコッ!


「ぐはぁっ!!」


 棍棒男を一撃で仕留めると、プロデューサーは上着を脱ぎ捨て戦闘体勢に入った。


「お前らなんぞ俺一人で十分や!まとめてかかってきやがれ!!」


「ぷ、プロデューサー・・・」


「ここは俺が引き受ける。イザベラは中に入ってもっとでっかいネズミどもと戦うてくるんや!」


「で、でも・・・」


 プロデューサーの男気に戸惑うイザベラの元にフェルナンドが歩み寄る。


「良い心掛けです。それでこそ、この私の手からイザベラを引き離して彼女をさらなる高みへと導いた名プロデューサーというものです。ですが・・・ここでうっかり死なれてしまっては私としても寝覚めの悪いところ。・・・カルロス!」


「はいっ!」


「初実戦のクリア試験を行います。この男をサポートし、我々を妨害する煩わしい構成員どもをなぎ倒すのです!」


「分かりました!」


 カルロスは二つ返事でフェルナンドの指示に従ってプロデューサーの背後についた。


「けっ、てめーとイザベラをマンツーマンにさせるのはこれが最後やで・・・小僧!俺の足引っ張ったら許さへんからな!!」


 そして、プロデューサーとカルロスは構成員たちの群れの中へと声を張り上げながら突っ込んで行ったのである。


「さぁイザベラ。魔窟へと参りますよ!」


「・・・・・・・はい!」


 その傍らで洞窟へと進んで行ったイザベラとフェルナンドが帰ってくると信じて。




 地下1階。


 酒臭い空気が辺りに充満していた。


「よォ客人。この先を通りたかったら俺の酒を飲んでいきな、ひっく。」


 目つきの悪い坊主頭の男がイザベラとフェルナンドを交互に睨みつけてそう言い放つ。


「ほぉ、それだけで通してくれるというのならご馳走になるとしましょうか。」


「そうですね。私、下戸げこだけど1、2杯程度なら飲めると思いますんで。」


それを聞くと男はニヤリと笑いながらテーブルに置かれたグラスへとテキーラを注ぎ出す。 


「へへ・・・俺の酒は無料でスパイスも付いてんだ。」


 そして、脇にあった灰皿を取り出して山盛りとなっていた灰をその中に流し込んでしまったのである。


「ほら、飲みな!」


 恫喝するような物言いで男が声を荒げる。


「な、何を言ってるんですか・・・こんなもの飲めるはずが・・・」


「残念ですがそんな物を口の中に入れるつもりは一切ありません。」


 やや気圧され気味のイザベラに対してフェルナンドは冷静に切り返す。


「はぁ?お前ご馳走になるとかさっき言ってたよな。だったら四の五の言ってねーでとっとと飲みな!!」


「そうですね、酒ならご馳走になると言いましたが先程あなたが変な物を混入したそれはもはや酒ではありません、ただの汚水です。」


「グダグダぬかしやがって・・・調子こいてんじゃねーぞコラァ!!!」


 男は逆上すると、テーブルをひっくり返してそのままフェルナンドへと攻撃を繰り出した。


「ブロンズヘッドバッド!!」


 グボッ!


 男の頭突きが胸部を直撃し、フェルナンドがその場に転倒する。


「・・・先生に何をするんですか!!今すぐ謝って下さい!!」


 脇で見ていたイザベラがついに怒りをあらわにした。


 しかし、フェルナンド自身はあくまで冷静だった。


「イザベラ、心配はいりません。この男、今の技以外は取り立てて特徴のない並以下の男です。あなたのような水晶製の頭脳の持ち主と違って大方廃棄物でも脳に詰まっているのでしょう。こんな低俗な男は私一人で十分対処可能です。」


「何だと・・・ならてめーの脳にも何が入ってるかここでぶちまけてみやがれ!!」


 男が空になったテキーラ瓶を振り上げて襲い掛かってくる。


「・・・止行!」


 だが、それがフェルナンドの頭部に落ちてくることはなかった。


「う、動かねェ・・・なんでだ、ちくしょう!」


 急に動かなくなてしまった右腕に男は歯噛みする。


「ふむ、それはきっと私の術のせいでしょう。親切ついでにお教えしますと私はこんな術まで会得しているのです・・・自じ虐ぎゃく殴おう我が!!」


「!!」


 ガシャアッ!!


 動き出した右腕は容赦なく瓶で頭部を殴りつけ、辺りには破片が散乱した。


 しかし、頭から血を流してその場にはいつくばっていたのはフェルナンドではなく男の方だった。男は、自分で自分の頭部を瓶を使って殴りつけたのである。


「なるほど、テキーラ瓶と刺し違えるとはあなたごときにしては上出来です、ジェジェロ・エビルゾさん。」


「先生、じゃあこの人が・・・!」


「そうです。ルンバの第一人者を自称して周囲に威張り散らして嫌われ、果ては酒に酔った勢いで通行人をリンチして廃人にまで追い込んだ経緯を自慢して歩いているという近年まれに見る愚か者です。まぁ、このような輩は悪い見本として頭に入れておくといいでしょう。さて、先を急ぎますよ。」


 男の素性を簡略的に説明するとフェルナンドはイザベラを伴い地下2階へと進んだ。




「あなたは・・・!」


 地下2階の番人の顔を見るやイザベラの表情が急変した。


「あれ、イザベラ・コンデレーロじゃねーか。どうした、さては俺の魅力に取り憑かれてここまで追ってきたんだな?」


 地下2階の番人 ―ミゲル・ビンドロ・オセーオ― は、自身が重大な罪を犯して指名手配にまでされているという事実を忘れてしまったかのような何食わぬ顔でイザベラに色目を使い迫ってきた。


「あなたは一体どういう神経をしてるんですか!ユメリオさんを手にかけて、彼女の家族を悲しませておきながら謝罪の一つもせずに逃亡した上でこのような組織で悪行を繰り返しているなんて恥を知りなさい!!」


「おいおい、俺は彼女が熱があるなんて言うから風邪薬をあげただけだぜ。そしたらそれが体に合わなくて死んじまっただけだろ。」


「風邪薬を飲ませただけなのにどうしてあなたは彼女の死後に行方をくらましてしまったのですかな?」


 オセーオの見苦しい自己弁護にフェルナンドが口を挟む。


「大体何もしていないのなら指名手配にされる事自体が有り得ないでしょう。それに、彼女の腕にはアザが残っていて激しい抵抗の痕跡があったとうかがいます。」


 そしてイザベラも続ける。


「・・・明日検死結果が公に公表されます。その時には当時現場に居合わせた上に自分の携帯電話を破壊してまで何かをもみ消そうとしていた誰かにまず疑いがかけられるでしょうね。」


「クックックッ・・・ハッハッハッハッハッハ!!」


 突如、大きな笑い声が一帯を包み込んだ。


「お察しの通りだよ。そうさ、俺があの女を殺してやったのさ!店に行くたび薬をやめろ組織を抜けろと説教臭くてかなわないからデートを装ってホテルに誘い出し絞め殺してやったのさ!!」


 悪びれる事なく己の行為をを自慢するオセーオの醜い姿にイザベラの顔が見る見る紅潮する。


「・・・先生。」


「ええ、分かっています。中途半端な段階で私の元を離れたあなたに今こそ私から卒業試験をプレゼントします。あなた一人の手で・・・あの者を討ちなさいっ!!」


「はいっ!」


 元気の良い返事とともにイザベラが構え、戦闘が開始した。


「ふっ飛びな!レフストーム!!」


 オセーオが両手から中型の嵐を発生させてイザベラへと放つ。


「俺の本性知っちまったのをあの世で後悔しな!!」


「こんな物はくらいません!エレメントカーテン!!」


「なにっ!」


 だがそれは、イザベラの張った魔法防御壁によってあっさりと吸い込まれてしまった。


「では次は、私から行かせてもらいます!」


「ま、待て!俺はなぁ、肉弾戦になったらプロボクサー10人相手にしても互角に渡り合えるレベルの屈強な戦士なんだ。お前一人が躍起になったところで怪我して後で悔やむ羽目になるから悪い事は言わねェ、すぐに拳をしまってだな・・・」


「剛波千烈拳!」


 ズベシッ!


「ぐおっ!」


「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」


 イザベラの拳が無数の鉄拳となってオセーオに襲い掛かる。


 ダダダダダダダダ・・・


 拳の殴打する音が辺りに響き続け、イザベラはその間一発も外す事なく標的へと命中させ続けていたのである。


「これで、終わりです!」


 ズウゥゥン・・・!


 腹部への掌底突きを見舞ってイザベラの攻撃は終了した。


「ぐはっ・・・!」


 オセーオはその一撃をくらうと目を剥いてその場に崩れ落ちた。


「先生!私、やりました!!」


「よくやりましたイザベラ。これでユメリオも彼女のご両親も溜飲を下げる事でしょう。ですが・・・試験のレベルが少し低すぎたような気がするので卒業はお預けです。次の相手に持ち越すとしましょう。」


「えーっ・・・分かりました。ならば、次はもっと強い相手と戦って勝ってみせます!」


 勝ったのに卒業認定をされず、やや拗ねたような表情を浮かべていたイザベラだったがすぐに前向きな姿勢となって次の戦いに臨もうとしていた。


「さあ、行きましょう先生!!」


 そして、イザベラが先導する形となって二人は地下3階へと進んだのであった。




「これは・・・」


「間違いないでしょう。ここで麻薬を密造し、メキシコシティの至るところへ流通させてその利益を貪っていたというワケです。」


 通路を除くフロア一帯に広がった大麻の栽培畑を一瞥しながら二人は地下4階へと向かった。




 どうやらそこが最終地点のようだった。


「ようこそレディー&ジェントルマン。私がこの“麻薬の使徒”を束ねる存在にして管理者でもあるマウシー・タシールだ。」


「マウシー・タシール・・・そうですか。最近テレビで見かけないと思ったらこんなところで幅を利かせていたのですね!」


 “麻薬の使徒”の親玉であるマウシー・タシールもまた、度重なる不祥事とともに姿を消した元芸能人の一人だった。


「私と先生の、そしてプロデューサーやみんなの思い出がいっぱいつまったメキシコシティを不安とクスリで汚染させたあなたを私は断じて許すワケにはいきませんっ!覚悟して下さいっ!!」


 イザベラが両の拳を強く握りしめた状態で玉座に腰掛けているタシールへと歩み寄る。


「・・・覚悟をするのはお前の方だ。」


 バシィッ!


「うあっ!」


 だが、突如現れた黒い影によってイザベラは弾き飛ばされ、背中から壁に打ちつけられてしまった。


「ドクター・タシールには指一本触れさせはせん。お前の相手はこの私だ。」


「・・・っ!」


 血の気の通っていない灰色の素肌とまごうことなき邪悪な瞳。


イザベラはその顔を知っていた。


「イザベラ・コンデレーロよ!下らぬ正義感でここに来た事をあの世で後悔するがいい!!行け、我が忠臣にして最も敬愛する元芸能人アオウサレ・ノリンビーよ!!」


 その掛け声とともに、タシールの腹心アオウサレ・ノリンビーはイザベラへの攻撃を開始した。


「ローリングローキック!」


「わっ!」


 ブンッ!


「デーモンアッパーカット!!」


 ブオンッ!!


 ノリンビーの攻撃が次々と大きく空を切る。


「どうした?よけてばかりではつまらんぞ。最も、お前ではこの私の動きについてこれぬのだから無理もないだろうがな。」


「な、何故なんですかアオウサレ・ノリンビー・・・偶然とはいえあなたもタシールも売れていた時期があったはずです・・・それを、度重なる不祥事で台無しにしてこのような場所でキャリアに泥を塗り続けるなんて・・・」


「ふん、愚問だな。確かに私は絶頂を過ぎた辺りからクスリに傷害に手を染め続けて悪事を重ねたものさ。だが、それが明るみに出て白日の下に晒されるたびに気がついてきたのだよ。偽善と欺瞞に満ちた我が国の芸能界ではなく、不正と汚染に満ちあふれたこの場所こそが私の住むべき世界だとなっ!」


 ドゴオッ!


「あぁっ!」


 ノリンビーのミドルキックが腰元を直撃し、イザベラは激しく飛ばされて転倒した。


「イザベラ。」


「先生・・・!」


 ここに来てからずっと傍観していたフェルナンドが起き上がろうとするイザベラの元へと歩み寄る。


「今度こそ本当の卒業試験を授けます。あの化け物を討ち、成長の証をこの場で示すのです!」


「先生・・・」


「その間に私はあのタシールとかいう破廉恥な男を仕留めます。お互いの健闘を祈りましょう!」


「はいっ!」 


 互いの拳を合わせると、二人はそれぞれの戦いへと臨んだ。


「待てっ、貴様・・・」


「構わんよノリンビー。イザベラならともかくこのような得体の知れない男に遅れを取るような私ではない。それに、研ぎたてのこいつの切れ味をちょうど確かめたいと思っていたところだったからな!!」


 フェルナンドを止めようとしたノリンビーだったが、懐からバタフライナイフを取り出したタシールによってそれは遮られた。


 かくて、二つの一騎打ちが幕を開けた。




「なるほど、バタフライナイフの使い手とは面白い。その刃、私が封じてみせましょう!」


「私の刃物は男の体と女の服を切り刻む。口の減らない貴様は全身を切り刻んだ後で首を切り落としてくれるわ!!」


 タシールがナイフを振り上げて襲い掛かってくるも、フェルナンドは容易に回避する。


「次はこちらの番です・・・来炎!」


「ハイスピードランナウェイ!」


 フェルナンドが反撃に炎を放つも、タシールはものすごい速度でそれをかわしてしまった。


「・・・くっ、どうやらそこそこに出来るようですね!」


 以降、フェルナンドの術はことごとくタシールの前に空振りを繰り返し、そうこうしているうちにタシールが押し気味になってくる。


 そして、タシールが右の手で再びナイフを振り上げたそのときだった。


「止行!」


「ぐぬっ!」


 術をかけてようやくタシールの右腕の動きを封じる事に成功する。


「はぁ、はぁ・・・や、やりましたか・・・」


 しかし、そこで安堵して間を空けてしまったのが命取りだった。


「ケッケッケ・・・ナイフは1本だけじゃあないんだよ!!」


「!!」


 ズシャッ!


 辺りに血しぶきが舞い落ちる。


 懐から取り出したもう1本のバタフライナイフを手にしたタシールは、迷わずフェルナンドの心臓へ向けて一突きを繰り出していた。


 とっさに左腕でガードして一命は取り留めたものの、ナイフはその左腕を貫通していたのだ。


「どうだ、分かったか!貴様ごときどこの馬の骨とも知れぬ輩が私に勝つなどと不可能な高望みなのだよ!!次は迷わず心臓か喉笛を突き刺してやるから覚悟するがいい!!」


 ダメージによって捕縛効果が解けて自由になった右腕を振り上げながらまたしてもタシールがナイフを振り上げる。


 シュッ!


 だが、振り下ろした先には既にフェルナンドの姿はなかった。


「野郎、どこに消えやがった!」


「・・・ここですよ!」


「!」


 ドボオッ・・・!


 直後、鋭いボディブローがタシールの腹部へとめり込む。


「がはぁぁぁっ・・・」


「私の右腕が怒ってます。そう、左腕を傷物にされた恨みを晴らせと怒っています。年齢的な事情もあって本来ならば省エネ戦法で終わらせるつもりでいたのですが・・・ここからは、私も本気を出させてもらいます!」


 フェルナンドの目つきが明らかに鋭いものへと変貌を遂げていた。


「へん!そんなこけおどしにおののく私ではないぞ!」


「おどしかどうかはその身で確かめてみるといいでしょう・・・来炎!」


「ハイスピードランナウェイ!」


 またしてもタシールが速度をつけて攻撃を回避する。しかし。


「やぁタシールさん。いなせな技をお持ちのようですね。」


「何だとっ!」


 タシールの回避地点には既にフェルナンドが待ち構えていた。


「ハイスピードランナウェイ!」


 シュンツ!


「ハイスピードランナウェイ!」


 シュンツ!


「そ、そんな・・・」


 完全に自分よりも速い動きで回り込んでくる。


「ちょっと本気になり過ぎて音速で動けるようになってしまいましたよ。これがマッハというヤツですね。」


 パッ!


「ななっ!」


 マッハッハッハとふざけて笑いながらフェルナンドはタシールの脇を通り過ぎ、2本のバタフライナイフをかすめ取ってしまった。


「1本には多少ながらも切り刻まれた我が衣類の痕跡!そしてもう1本には我が血痕!これを証拠物件として提出したなら明日からあなたは牢の中!さぁ、得物を失ったあなたに勝機はもはやありません。大人しく投降してお縄につかれなさい!!」


「は、ハイスピードランナウェイ!!」


 それでも往生際の悪いタシールが逃げ出そうとするも、それは無駄な抵抗に他ならなかった。


「これで終わりです・・・追尾雷撃!」


 フェルナンドの右手から発せられた稲妻が、逃走するタシールをどこまでも追い続けて姿を消した。


 やがて、上の階の方で何かが爆発するような轟音が響いたが、それは確認するまでもないものであった。




「剛波千烈拳!」


 がむしゃらに拳を繰り出すイザベラだったがその全てをノリンビーにガードされ、ダメージは与えられなかった。


「ぬるい、ぬるいぞ小娘・・・そんなパンチ、止まって見えるわ!この私が本当の重い拳を味合わせてくれる!マンモスクラッシュ!」


 ガゴッ!


「うわぁぁぁぁぁっ!」


 言葉通り、マンモスの突進のような激しい一撃がイザベラを弾き飛ばす。


「な、何て桁違いの力なのですか・・・」


 ふと、ひざを突いて途方にくれるイザベラの目の前に錠剤が飛んでくる。


「これは・・・」


「それを飲めば永続的にパワーと魔力が増強して今の2倍は強くなる。それさえあればお前とて私と少しは互角に戦えるであろう。」


 聞こえは良かったが、それはドクロ印が刻印された明らかな“麻薬”に他ならなかった。


「なに、水がなくとも飲めるタイプの錠剤だから口の中で簡単に・・・」


「ふざけないで下さいっ!!」


 錠剤を握りつぶすと、イザベラは立ち上がって前を向いた。


「こんな・・・こんな薬を使った強化など、本当の強さではありません!!私は実力であなたを討ち、メキシコシティに暮らす人々の笑顔を守るとここに宣誓します!」


「愚かなり、イザベラ・コンデレーロ!ならば私の力に恐れおののき恐怖の中で死にさらすがいい、マンモスクラッシュ!!」


「パワーシールドです!」


 ガンッ!


ノリンビーの激しい一撃は、物理攻撃を防ぐ緑色の“盾”によって遮られ、イザベラにあたることはなかった。


「おのれ、こざかしいマネを・・・ならばこれならどうだ、ルーフクラッシャー!!」


 ガシャアァァァン・・・!


 しかし、次のハイキックでその“盾”は粉々に砕かれてしまった。


「どうだ!一撃で屋根の一つは破壊するこの足技に、打ち震えるがいい!!」


「まだです!マインズボール!」


 ドコッ!


 イザベラは、不利な状況に立たされながらも余力を振り絞って気の塊を放ち、ノリンビーの頭部に命中させた。


 だが、その一発は大したダメージにはならず、逆に怒りを増長させる結果となってしまった。


「貴様ぁ・・・ここらで大人しく屈服していれば命だけは取らないでおこうと思っていたがもう限界だ!すぐに冥土へ送り届けてやる!!いくぞ、デーモンアッパーカット!!」


 ゴボォッ・・・!


 ノリンビーのアッパーが顎を直撃してイザベラは宙を舞う。


「ルーフクラッシャー!」


 バゴォッ・・・!


 空中のイザベラにさらなる追い討ちがかかる。この一撃で、イザベラは壁まで飛ばされ背中を強く打ちつけた。


 ニヤリと笑うとノリンビーは間を置かずにすぐ攻撃態勢へと入る。


「これで仕上げだ。マンモス・・・クラ―――ッシュ!!」


 ガッ!


「なんだと・・・!?」


「ま、まだです・・・まだですっ・・・!!


 イザベラの両手がその攻撃を寸前で食い止めていた。


「貴様、あれだけの攻撃を受けてまだ立ち上がれるというのか・・・?」


「私は負けない・・・先生が・・・プロデューサーが・・・友達が・・・そして、私を支えてくれるファンのみんなが強くなった私を待ち望んでいる限り、私は決してあきらめない!!」


 その叫びとともに、イザベラの体から青いオーラが沸き起こる。


「えぇい離せ!」


 つかまれた拳を振りほどくと戦慄を覚えたノリンビーは少しずつ後ずさる。


「ノリンビー・・・逃げるのですか?」


「だ、誰が貴様などにおそれをなすものか!くらえ、今度こそ仕上げのマンモスクラッシュだ!!」


「サイクロンストレート!!」


 ズガッ!


 イザベラの拳とノリンビーの拳が真正面からぶつかり合う。


 だが、その衝撃で骨が砕けたのはノリンビーの方だった。


「・・・おのれ小娘、何故この私が・・・」


「ノリンビー!これが本当の仕上げです!!行きますよ、剛波万烈拳!!!」


 イザベラは剛波千烈拳の十倍の速度で鉄拳を繰り出した。


「な、何だと・・・!」


 あまりの速度にノリンビーは目で追いかけるのが精一杯で全くガードを出来なかった。


 ズガガガガガガ・・・


「ぐわぁぁぁぁぁっ!!」


 無数の拳が容赦なくノリンビーを打ち続ける。


「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」 


 その一撃一撃に強い想いを込めながら、イザベラは攻撃の手を緩めようとはしなかった。


「これで、終わりです!!」


 ガツンッ!


 左頭部への右ストレートをくらわせて、イザベラの攻撃は終了した。


「これが・・・万烈の・・・」


 ノリンビーは、呆然とした表情でその場に崩れ落ちて気を失った。


「私の勝ち・・・ですか?」


 青のオーラが消えて元の状態に戻ったイザベラはふと辺りを見渡してみる。


 すると、拍手の音を立てながらフェルナンドが近づいてきた。   


「おめでとうイザベラ・・・最後の逆転劇、しかと見てましたよ。」


「先生、無事だったんですね!」


「当然です。卑しくともあなたに教えを説いたこの私があれしきの手だれに負ける理由などどこにもありません。ま、少し油断していらぬ負傷をしてしまったのですがね。」


 そう言ってフェルナンドが包帯を巻いた左腕を披露する。


「それは・・・!」


「いえいえ、勝ってしまえばこんなもの傷のうちには入りません。それよりも・・・」


 コホンと咳払いをしてフェルナンドが続ける。


「卒業試験はこれにて合格です。本日を持ってイザベラ・コンデレーロは我が流派を皆伝したと認定します。以後、どのような場所でどのような活動に勤しむ事になろうともさらなる精進を求めて日々努力を忘れないように。」


「先生・・・」


 思わずイザベラの目に涙があふれてくる。


「さて、今からは警察に連絡して事後処理の時間です!後始末までがミッションなのだから、ゆめゆめ気を抜かないように!!」


「はいっ!!」


 それでも、イザベラは力強くはっきりと返事をしたのであった。




 一方で、洞窟の入り口で構成員たちと戦闘を繰り広げていたプロデューサーとカルロスの戦いも終わりを迎えていた。


「うらっ!!」


 最後の一人を背負い投げで仕留めると、プロデューサーは大きく息を吐いてその場に座り込んだ。


「あー今日はめちゃくちゃ疲れたわ。大体よ、俺本業でもないのになんでこんな銭にならん戦いをしとるんやろうな?」


「きっとこれこそが愛国心というものなのですよ。」


「ま、俺の場合は国がどうとか以前に命張ってでも守りたい大切なもんがあるわけやからな。」


 空を見上げながら再び大きく息を吐く。


「でも、プロデューサーの立場やからな・・・届かねーもんもあるってな・・・」


 その時のプロデューサーの目がどこまでも寂しさを帯びていた事を、後にカルロスは何度も思い返すのであった。




 通報から多少時間はかかったが、駆けつけた警察官らによって事態は収束した。


 “麻薬の使徒”の大半はその場で残らず逮捕され、アジトとなった洞窟は完全に封鎖された。


 この日から、メキシコシティの治安は確実に良くなりつつあった。




 そして。




「私から君に教えるものはもう何もありません。君は君の頼れる仲間たちとともに信じる道をまっすぐに突き進めば良い。もう私の出番は終わりです。」


 あの翌日、ユメリオの墓参りを済ませた後でフェルナンドはそう言って弟子のカルロスを伴いイザベラの前から姿を消した。


「先生、どこに行かれたのでしょうか・・・」


 事実、あの日からイザベラはフェルナンドに一度も会っていない。


 そして、父親の声が聞こえたあの夢もあれから一度も見ていない。


「はぁ・・・」


 自室の窓から夜景を見ながら小さくため息をつく。


「でも、私きっとパパにも先生にもいつかまた会えると信じています!・・・よしっ、明日のレコーディングも頑張るぞ!!」


 それでも、前向きな姿勢を崩さないままイザベラは束の間の睡眠に入ったのである。




 -覚醒編 END-




 ―因縁編―




 “麻薬の使徒”との戦いから1ヶ月、父が私の夢に姿を見せる事はなかった。


 いや、元々声しか聞こえてこなかったのだから姿など見られるはずもないだろう。


 だけど、今となってはその声すらも私には届かない。


 それでも最近夢を見る回数が増えてきた。


 遠い昔、故郷・アカプルコを離れてメキシコシティの高校に進学するため実家を離れたあの日の夢を。




「イザベラー!元気で頑張るのよー!!」


 病に倒れて入院していた父に代わり先頭に立って私を見送ってくれた母と祖母、そして友達たち。


 大きな荷物を手に長距離バスへと乗り込んで、窓から手を振る私。


「大丈夫!私、売れっ子になったらメキシコシティのアイドル市長になっちゃうんだから!」


 今考えると恥ずかしい物言いをしたものだと思うが、旅立つ私を心配しているみんなを見てると少しでも明るく元気にふるまって安心させてあげなくちゃという思いからⅤサインを添えてそんな突拍子もないセリフを言ってみせたのだ。


 でも、旅立つ私を誰よりも心配していたのは他の誰でもない私自身だった。


 夕方、バスがどこかのハイウェイで止まり、休憩時間を挟んだその時に私は声も立てずに泣いた。


 愛する故郷アカプルコとの別れ。家族との離別。新しい生活への不安。一人で過ごす夜のバス。


 あふれ出てくる負の感情が抑えられず私は声も立てずに泣いていた。


「なぁ嬢ちゃん。そない泣いとったらせっかくの休憩時間が終わってまうで。」


 そんな折、隣の席に座っていた中年の女性が話しかけてきてくれた。


「私、上京して今日から一人暮らしを始めるんです・・・」


 威圧感を漂わせながらもどこか人情味あるその雰囲気に安堵したのか私は初対面の相手に包み隠さず事情を説明した。


「そうか、あんたも色々大変なんやな。よし。うちが嬢ちゃん笑顔にさしたるさかい安心せぇ。おい、嬢ちゃんの荷物持ったれや!」


「へい!」


 すると、彼女は連れの男性に私の荷物を預けてバスを降りようとする。


「あ、あの・・・」


「なにボサッとしとんねや。はよう降りてメシにするで。」


「でも・・・」


「メシ代ぐらいわしがなんぼでも出したるわ!時間ないんやからとっととついて来んかい!!」


 腕をつかまれて、私は半ば強引に彼女の夕飯にご相伴される形となった。


「それでやな、取り立てに行くとそこのおっさんわしが女や思うてすごむんや。ガタガタぬかすといてまうぞとかほざきよってな、まぁ~わしから金借りる時は泣きついてきよったのにいざ返す段階になったら怒鳴り散らして知らん顔やろ?それであんま腹立ったんでな・・・」


 彼女は食事の間もずっとしゃべりっぱなしだった。


 私は黙々とトルティーヤのセットを口にしながらも彼女のどこか訛りあるスペイン語に暖かみを感じていた。


「よっしゃ、ぎょうさん食うたら後はゴールまで睡眠や!嬢ちゃん、今日はえぇ夢見れんでェ!!」


 その日私がどんな夢を見たのかはもう思い出せないが、それからメキシコシティのバスターミナルまではずっと眠っていた。


 きっと、この女性のそばにいる安心感に包まれていたから不安に苛まれる事なく眠り続けられたのだろう。


 バスがメキシコシティに到着し、乗客全員が下車して解散となった後で私は彼女とその連れの男性たちに深く頭を下げた。


「え・・・えっと、この旅・・・じゃなくて、このたびはっ!み、見知らぬ私に色々と良くして下さってありがとうございましたっ!」


 緊張と嬉しさのあまり言葉の端々がぎこちなくなってはいたが、私なりに一生懸命気持ちは伝えたつもりだ。


すると、彼女は小さなバスケットを差し出してくれた。


「これは・・・」


「そん中にはわしのお手製タコスが2つ入っとんねん。朝飯ぐらいにはなるやろ。」


 私が飴以外は食べる物すら持っていないのを知っていた彼女は、自分の食料を分けてくれたのである。


「すみません・・・本当に、本当にありがとうございます!」


「礼なんかええ、せいぜいあんたも頑張れや。」


 半泣き状態でひたすら頭を下げ続ける私に背を向けて、彼女は連れの男性たちと一緒に去って行こうとする。


「ま、待ってください!」


 朝もやに消えてしまいそうな彼女の背中を追いかけて、私は声をふりしぼる。


「せめて・・・せめて、あなたのお名前だけでもお聞かせ願えませんか・・・!」


「嬢ちゃんも物好きな奴やな。わしの名前なんか覚えたところで何の足しにもならへんで?でも・・・」


 背を向けたまま歩きながら、彼女は言葉を続ける。


「こんな形で知りおうたのも何かの縁っちゅうヤツや。名前ぐらいは教えといたろか。うちの名前は・・・」




「ミヨーネ・ダス・ミロン。泣く子も黙る鬼尼や!」




 いつもここで目が覚める。


 どうして今になってあの日の夢を見続けるのか私には全く分からない。


 でも、あれだけ良くしてもらった彼女に恩返しの一つも出来ずにいる自分の不甲斐なさに情けない気持ちが込み上げてくるのは間違いない。しかも、人に名前を聞いておきながら自分の名前も名乗らなかったなどと父が知ったらゲンコツものである。


 会いたい。仕事をキャンセルしてでもあの女性に会ってあの時のお礼が言いたい。持て余す事なく今の私を見せてあげたい。


 だけど、居場所も連絡先も知らない十数年前に一度会ったきりの相手をどうやって見つけ出すというのか。


「そう簡単にはあきらめない」が身上の私でも、こればっかりはあっさりと不可能に思えてきた。 




「・・・様、・・・ザベラ様。」


「んっ・・・」


「イザベラ様!!!」


「はいっ!!」


 大きな呼び声に驚いてイザベラはようやく我に返った。


「チーホス!」


「いくらオフの日とはいえもう9時を過ぎてます。朝食の準備はとっくに整っておりますので身支度を済ませたらお早めにキッチンまで来てください。」


「えっと、あなたたちは・・・」


「私たちはとうに食べております。では、エルベル様のお散歩の時間なので私はこれにて失礼します。」


 呼び声の主にして住み込みメイドのチーホスは、そこまで言うと「イザベラの」愛犬エルベル(チワワ・♂)を抱きかかえたまま部屋を後にした。


「私、そんなに寝ちゃってたんだ・・・」


 窓の外を見るとリードをつけられながらもわんわんと元気に吠えるエルベルの声が聞こえてくる。


 イザベラは、深呼吸をすると大きく伸びをしながら誰もいない台所へと食事に向かったのであった。




 翌日。


 たった1日のオフを経て、イザベラはラジオの公開収録をするべくメキシコ屈指のリゾート地・カンクンに来ていた。


「あーあ。人々は余暇を満喫するためにカンクンに来ているというのになんで俺らはこんなトコに来てまで仕事に追われにゃならんのやろね。」


 灼熱のビーチをサンダルで歩きながらプロデューサーが愚痴をこぼす。


「ダメですよプロデューサー。仕事は追われるものではなくて追いかけるものです。追いかけて行って片付けるぐらいのレベルにまで昇格しないといつまで経っても青二才のままですよ。」


 口ではそう言っていても肩をすくめておどけてみせるプロデューサーの姿がまるで自分を元気づけてくれているかのようで内心イザベラは嬉しかった。


「よし、プローデューサーにやる気になってもらうためにあの海辺の喫茶店まで今から競争します!」


 イザベラは“エレーナ・クラウディオ”と書かれた看板を指差して急に走り出す。


「えっ?」


「負けた方のおごりでーす!!」


「お、おい!そらずっこいやろおい!!」


 プロデューサーもそれは大変とばかりにすたこらと走り出す。


「早くしないと夕飯まで自腹になっちゃいますよー!」


 先頭を切って走るイザベラだったが後ろを向いてしまったために前方が全く見えていなかった。


 ドシン!!


 程なくして激しい衝突音とともにイザベラはふっ飛び、ビーチに尻餅をついてしまった。


「イタタタ・・・す、すみません。」


「・・・・・」


 ぶつかったパレオ姿の女性は転ぶ事もなく立ったままイザベラを見下ろしたままだった。


 やがて。


「お前、どこに目をつけてんだよ!」


 ガシッ!


「えっ?」


 胸ぐらをつかまれたイザベラは、片手でつり上げられた。


「い、痛いです、離して下さいっ・・・」


「あたしにいきなりぶつかってきといて何が痛いだコラ!もっと痛い目遭わせっぞ!!」


 その恫喝する声にビーチが騒然となる。


「お、おい!お前何やっとんや!!」


「おっと。貴様にも大人しくしといてもらおうか。」


 あわてて止めに入ろうとするプロデューサーだったが女性の取り巻き数名にあっさりと阻まれて両腕をつかまれる。


「ぷ、プロデューサー・・・」


「はぁ?よそ見すんじゃねーよオバサン!しっかりあたしに詫び入れろっての!!」


 女性がイザベラを締め上げる手にさらに力を込める。


「うぅっ・・・・・・・」


 イザベラが気を失いかけたまさにその時だった。


「お前ら!!何さらしとんじゃあっ!!!!」


 咆哮のような叫び声が辺りに轟くと、鬼のような形相をした老女が現れて女性の元へと歩み寄った。


「母さん・・・!」


「ロドヴィコ。お前の気丈さは正直わしも気に入っとるし元気がええのも大いに結構や。けどな、何の罪もないような相手を狙って暴力を振るったらアカン。それは生き物としての価値をも失ったクズの所業や。・・・ほら、分かったらその子を離したれや。」


「・・・ちっ!」


「・・・わっ!」


 急に胸ぐらから手を離されたイザベラがまた尻餅をつく。


「それと野郎ども!お前らおっさん一人に何複数で絡んどんねや!そんな卑怯なやり口はうちの辞書にはあらへんで!はようそのおっさんも離したれ!」


「へい!」


 強くつかまれていた両腕を離されプロデューサーも自由の身になった。


「あんたら、うちのもんが迷惑かけてすまんかったな。後で改めてしっかり言うといたるから今回は大目に見たってな。」


「いえ、よそ見をしてぶつかった私にも責任はあるので・・・?」


 言いかけていた途中でイザベラは妙な感覚にとらわれた。老女の顔にどこか懐かしさを感じてしまうのだ。


「・・・ん?どないした?・・・って、何や?あんた、まさか・・・」


 一方で、老女もまた記憶の糸をたどりながら何かを思い出しつつあった。


「せや!あんた、昔わしがアカプルコからメキシコシティへ行く長距離バスに乗っとった泣き虫のアイドル志望のあの嬢ちゃんやろ?」


「は、はいっ!・・・と、いうことはあなたはあの時わたしに食事を恵んでくださったミヨーネ・ダス・ミロンさんですよね?」


「せやせや!!わしの名前はミヨーネ・ダス・ミロン!泣く子も黙る鬼尼や!!」


 その懐かしい名前にイザベラの涙腺は決壊し、カンクンのビーチを濡らした。


「・・・っ、か、感無量です!!」


 イザベラは、何も考えずにミヨーネの胸へと飛び込んだ。


 運命の再開劇に、もはや言葉は不要だった。




「ラジオをお聞きの皆様こんばんは!今週もやってまいりました、イザベラ・コンデレーロの“ビバ・ダリア☆”のお時間です!!」


 夕刻。カンクンのビーチにて公開収録が始まった。


「本日はスペシャルサプライズゲストをお招きしております、ミヨーネ・ダス・ミロンさんです!どうぞー!!」


「おう、メキシコ国民ども聞いとるかー。わしがモンテレーで名の知れた高利貸しやっとるミヨーネ・ダス・ミロンやでー。」


 今回の収録は、イザベラの希望でミヨーネがゲスト出演する形となった。


「なんでわしみたいな老いぼれがこない高尚な番組に出とるか教えたろか?実はな、わしは昔このイザベラが上京するときに乗っ取った長距離バスで席が隣同士でな、この子があんまり寂しそうにしとったから声かけて一緒にメシ食ったんや。」


「そうなんです!実は彼女、孤独な青ウサギ状態だった私をディナーにさそってくれたんです!!」


「ほんでな、別れ際にバスケットにタコスを入れて餞別にくれてやったんや。そしたらこの嬢ちゃんごっつ泣きよってな・・・」


「あーあーあー!それはカット!そこは恥ずかしいんでカットカット!!」


「何言うとんねん!生放送にカットもキットもあるかい!!」


「いや~これで私の涙もろい側面が露見しちゃいましたね~・・・」


「今さらみんな知っとるわい!!」


 周囲を時折笑いの渦に包みながら公開収録は順調に進行して、滞りなく終了した。


「はい、OKです、お疲れ様!!」


「あぁ~よう喋ったわ!!今日はわしがイザベラを完全に食うとったな!!」


「全くです!!ミヨーネさんったらパーソナリティーは私なのに自分の番組にしちゃうんですから!!」


「でも、ラジオの出演いうのもオモロイなぁ。今度また出させてや!」


「はいっ!でも、次は私、食べられないように気をつけさせてもらいます!!」


「よし、約束や!!」


 イザベラとミヨーネは握手を交わして堅い約束をした。


 しかし、それが永遠に叶わぬ願いと化してしまう事などこの時の二人には知る由もなかったのである。




 収録を終えてミヨーネと別れたイザベラは、ホテルのロビーで束の間の休憩時間を過ごしていた。


「しっかし漫画みたいやなぁ・・・たまたま仕事で来ていたカンクンでたまたま行楽に来ていた人とたまたま出会ったらそれがかつての恩人だったなんてテレビのネタに使ってもええレベルの偶然やろ?」


 ソファに腰掛け机に足を投げた姿勢でプロデューサーが聞いてくる。


「でも、君の父上にしてもあの音楽の講師にしてもさっきのミヨーネにしてもイザベラに関わる人物ってみんな濃い人ばっかりやなぁ。俺もあれらと同じメキシコ人かと思うと色んな意味でゾッとするわ。」


「それは失礼ですよプロデューサー。みんな間違いなくどこかずれているけど根は優しい人ばかりです。本当に同じメキシコ人だと考えたらおぞましくなるというのはですね・・・」


 イザベラが言いかけたまさにその時だった。


「た、助けて下さい!!」


 突如、入り口から同年代とおぼしき女性が入ってきてイザベラの背後へと回り込む。


「あ、あなたは・・・」


「おらっ!逃げ回ってんじゃねェ!!」


 程なくして同じ入り口から見知った顔が現れる。


「あなたは・・・!」


 ほんの数時間前に因縁をつけられて激しく首を締め上げてきたパレオの女。


 ミヨーネを「母さん」と呼び、そのミヨーネから「ロドヴィコ」と呼ばれていたというコトは。


「ロドヴィコ・ダス・ミロン!」


「ちっ!またてめェか・・・勝手にしやがれ!!」


 イザベラの顔を見ると風向きが悪いと悟ったか、ロドヴィコは女性を追うのをやめてその場を去っていった。


「あ、ありがとうございました!!」


 ロドヴィコの姿が見えなくなるや否や、女性は正面に回りこんで深々と頭を下げた。


「私はミサ・クエンドーラといいます。あなたのファンでサインを頂こうと思ってここに来るつもりだったのですが・・・先ほどあの女性と目が合ったばかりに変な言いがかりをつけられてしまって追いかけられていたんです。」


 そういえば公開収録時にこの顔を見たような覚えがある。なるほど確かに左手にはサイン色紙がしっかりと握られている。


 ならば。


「怖い思いをしたんだね。分かるよ、その気持ち。だけど、これでもう大丈夫だから。」


「・・・あっ!」


 イザベラは、ミサの手から色紙を取ると直筆でサインを書いて返却した。


「これでいいかな?私、サインにはあまり慣れてないけど心から求めている人には精一杯の想いを込めて書き込んでいるから。」


「嬉しいです!これ、一生の宝物にします!!」


 サインを高く掲げてメヒコ(メキシコ)コールをしながらミサはその場を後にした。


「・・・あれも珍獣系やなぁ。ほんま、イザベラの周りは変わり種ばっかりでんねん。」


 俺もやけど、と続けながら隣でプロデューサーが自嘲気味に笑っていた。


「きっと、方向性は違えどもみんな私の事を真剣に考えてくれた上で行動してくれているのだと思います。だから私はそんな人たちのために歌も演技もいつだって真剣勝負で臨む必要があるんです。」


「・・・もちろん、お前さん自身のためにも、やで。」


「はい。」


 遠い過去と遥かなる未来。


 イザベラは、その両方を見据えたかのような眼差しでしばらく窓の外の夜空を見上げていた。




 それから3日後。


 既にカンクンからメキシコシティに戻り、アフレコ(収録作業)を済ませたばかりのイザベラをショッキングなニュースが襲った。


「イザベラさん、お疲れ様です!どうですか、今の心境は?」


 ここぞとばかりに女性芸能レポーターのシワケルゾ・レンホスがマイクを突き付けてくる。


 彼女の後ろからもたくさんの記者団が現れてマイクを向けてくる。


「えっと、私・・・アフレコを終えたばかりなんですけど・・・何かあったのですか?」


「とぼけないで下さいよ!あなた、先日のラジオ番組で楽しそうに共演してたそうじゃないですかっ!!」


「共演・・・?」


 最初は話を理解できなかったイザベラだったが“共演”という言葉に少しずつ主旨が見えてくる。


「ミヨーネ・ダス・ミロンさんの話ですか?」


「そうですよ!もしかしてあなた、何も知らなかったりするんですか?」


「は、はぁ・・・」


「あなたが先日ラジオでお世話になったと公言していたミヨーネさん!今朝方モンテレーの自宅で首を吊っているのが発見されて死亡が確認されたんです!!」


「えっ!?」


 しかし、見えてきたものはあまりにも酷な現実だった。


「ニュース見てなかったんですか?彼女、あなたに宛てた遺書を残していたんですよ!!」


「えっ、あの、その・・・」


 ミヨーネさんが死んだ。ミヨーネさんが死んだ。ミヨーネさんが死んだ。


 その言葉ばかりが脳内をぐるぐる回ってとてもじゃないけど二の句が告げられそうにない。


「わ、私は・・・その、その・・・」


「何でもいいから今の心境をお聞かせ下さい!!」


「恩人が亡くなってどんなお気持ちですか?」


 だが、記者団の質問がカメラのフラッシュと一緒に次々と容赦なく飛んでくる。


「今日はもうええやろ!!」


 突如そこに大きな声が響いた。


「プロデューサー・・・」


「彼女はこの後もスケジュールがぎっしり詰まっとるんや。収録に影響出しとうないからそんな話は明後日ぐらいにせい!!」


 ずっと背後で状況を見守っていたプロデューサーがついに声を荒げ始めたのだ。


「質問はたった一つだけじゃないですか!なのに今日じゃダメなんですか?」


「ダメに決まっとるわドアホ!!つまらん質問する暇あったらお前ら仏さんに黙祷の一つも捧げたれや!!・・・おら、次のアフレコ行くで!!」


 なおも食い下がろうとするレンホスを一喝すると、プロデューサーはイザベラの腕をつかんで歩き出してそのままタクシーへと乗り込んだのであった。




「・・・さっきはどうもありがとうございました。」


 乗車から数分、ずっと押し黙っていたイザベラがようやく口を開いた第一声がその言葉だった。


「なぁ、さっきの話やけど・・・もし辛いんやったら今日のアフレコ休んで違う日に別録りしてもらうように頼んでもええんやで?」


 しかし、プロデューサーの計らいにイザベラは首を横に振る。


「大丈夫です。私、こんな事でみんなにもプロデューサーにも迷惑をかけるつもりはありませんから。スケジュールは予定通りの決行でOKです。」


「イザベラ・・・」


「でも・・・」


「でも?」


「でも、いつか気持ちが落ち着いたら彼女のお墓を参りに行くから一緒に来て下さい・・・・・・・」


 イザベラは、そこまで言うと肩を震わせ静かに泣き始めた。


「そんなんで気が済むんやったら俺がどこへでもついてったるわ・・・」


 それまでずっと声をかけ続けていたプロデューサーも、そこまで言うと窓の外に顔を向けて下車時まで一言も発する事はなかったのである。






わしはもう十分に生きて十分に悦楽を手に入れた。もうこの世に未練はないからわしはこの辺で自死を選ぶねん。


 遺産は娘とモンテレーの慈善団体に半分こや。くれぐれもわしがおらんからって銭のネコババするんやないで?


 後な、娘と野郎ども。まだ回収しとらん借金があったらちゃんと集めといてな。高利貸しが銭の回収し損ねたなんて知れたら笑い話にもならへんからな。


 それと、こんなわしでも一つだけ気がかりな事があるからこの文面を通じて書き残しとくで。


 それはあのイザベラ・コンデレーロの嬢ちゃんの事や。あの子な、ごっつう真面目でどこまでもまっすぐでいつでも一生懸命過ぎるやろ?それが悪いとは言わんけど、あんなに正直な生き方しとったらどっかで汚い奴らに足元すくわれてしまうんやないかと心配でな。そりゃあ声優としても歌手としても申し分ない才能があるのは分かっとる。せやけど、それだけであの業界を生き抜くのはほんまに困難や。実力や礼儀正しさだけで生き残れるほど芸能界は甘うない。もっと悪賢さを身につけて生きんとどっかで痛い目見るのは明白や。それを思うとわしは不安で死んでも死にきれん。


 嬢ちゃん、あんたがこれを読む頃にはわしはこの世におらんやろうけどそれだけは忘れんといてや。




 ―ミヨーネ・ダス・ミロン―






 後日、マスコミによって公表されたミヨーネの遺書にはそんな言葉が綴られていた。


「プロデューサー。この遺書は真っ赤な偽物です!!」


 朝刊でそれを知ったイザベラは、開口一番電話を通じてプロデューサーにそう告げた。


「なんや、イザベラも気付いたんかいな。俺もテレビ見ながら変な手紙や思うとったんや。」


 携帯電話の向こう側から同じ意見が返ってくる。


「・・・オフの日、空けといて下さいね?」


「分かってまんがな。ま、用事あっても全部キャンセルしたるけどな。」


「それでは、正午にまたレコーディングスタジオで。」


 電話を切るとイザベラは小さくため息をついて台所へと向かった。


「おはようございます。食事の支度は既に整っているので一緒に召し上がりましょう。」


「ワン!!」


 チーホスとエルベルが居てくれるいつもの朝が今日は何だかいとおしい。


「ねぇチーホス、食事が済んだらエルちゃんのお散歩に私もついていっていいかな?」


「それは構いませんけど・・・お仕事の前に動き回って大丈夫なのですか?」


「今日は開始時間もそんなに早くないから大丈夫よ。それに・・・少しぐらい動いて体を作っておかないと案外リハーサルの時にうまく立ち回れなくて本番に差し支えたりするからね。」


「さようですか・・・ならば、お好きなように。」


「ワンワンワン!」


 さり気なく頬を染めているチーホスと嬉しそうに尻尾を振っているエルベルの姿がやはりいとおしい。


 この一人と一匹がいつも家で自分の帰りを待ってくれているのだと思うと、イザベラは改めて幸せな気持ちになれるのであった。




 そして、運命の「オフの日」がやって来た・・・・・・・




「ほぅ・・・あの遺書は他人の手で作られた物だと言うのかね?」


 メキシコシティの警察署長は怪訝な顔をして突然の来客を見据えていた。


 警察署を訪ねていたイザベラとプロデューサーは、本業の業績もあって事の経緯を説明するや否やすぐに署長が直談判に応じてくれたのである。


「君たちがそれぞれ声優としてプロデューサーとして我が国に多大な貢献をし続けているのは私・・・いや、すべてのメキシコ国民が知っていると言っても過言ではないだろう。しかし、何の脈絡もなしにそんな事を言われて信じろというのも無理がある。納得の行く根拠がなければ我々も自殺と断定してこれ以上の捜査はしないつもりだよ。」


「根拠は・・・ここにあります!」


 イザベラは、古ぼけた小さなメモ用紙を机の上に差し出した。


「これは・・・」


「遠い昔、ミヨーネさんが私に恵んでくれた朝食入りのバスケットの中に入っていた応援メッセージです。おそらくそれは彼女の直筆で間違いないでしょう。ですが、あの遺書の筆跡とは明らかに形が異なります。」


「ふむ・・・」


 そこには、偽りのないミヨーネの本心が刻み込まれているかのようだった。






 大丈夫!嬢ちゃんは一人やない。


 たとえ離れて暮らしとっても家族も友達も心で見守ってくれとるし、高校行ったら新しい仲間も出来るに決まっとる。ええか嬢ちゃん、今は孤独な青うさぎでもそのうち立派に成長して蒼炎の女神になるんやで。


約束やで。破ったらわし、ホンマもんの鬼になってまうで(笑)






 ―泣く子も黙る鬼尼ミヨーネ・ダス・ミロン―






「確かに・・・この筆跡と先の遺書の筆跡にはあまりにも違いがあり過ぎて同じ人が書いたには到底思えないな。」


 筆跡を見た署長にも疑念が生じていた。


「署長はんも思いますやろ?でも、それだけやないんです。」


 そこにプロデューサーが口を挟んでくる。


「聞けばミヨーネはんはスペイン系の血を引くメスチーソだったそうやないですか。まぁ俺もそうやから分かるんですけど・・・例の遺書、ところどころにイタリア語が混じってはったんですよね。」


 確信めいた口調でプロデューサーがさらに続ける。


「母語であるスペイン語ですら訛りの取れへんかった彼女がイタリア語など使えるはずがないでしょう?まして、それを文字にして書くなんて有り得ない芸当です。」


「・・・・・」


 話を聞きながら署長は熟考する。やがて。


「よし!そこまで言うのならまずは筆跡鑑定だ。ついでにイザベラ君が持っていたメモ紙の筆跡が本当にミヨーネのものかどうかも確認をしておこう。それと、彼女の近辺でイタリア系の血を引く者が居たらその者を調べ上げねばならないな!あと、ここからはあくまでわしの独り言だが・・・」 


 妙な言い回しにイザベラがきょとんとする。


「時折、警察が動く前に無茶をする者がいる。それを頭から咎めるつもりは毛頭ないのだが同じやるならば捜査の手助けになるようなやり方を選んでほしいとつくづく思うのだよ。そういえば先ほどイザベラ君のファンを公言する女性が署の周囲をうろついていたような気もするがあれも連れて行けば戦力アップは間違いないだろうな・・・」


「署長・・・」


 だがすぐに言葉の意味を理解する。


「さて、わしは捜査一課をフル稼動させるための下準備に入るとしよう。その間に頼もしい人たちが必ずや魔窟攻略を果たしてくれると信じてな。」


 署長はイザベラたちには目もくれず部屋を後にした。


「プロデューサー、行きましょう!」


「おう!せやけど、ハイウェイに乗る前に・・・」


「?」


「おい、いつまでそこに突っ立とんねん!時間ないんやからはよう入って来んか!!」


「は、はい!」


 ガチャッ!


 プロデューサーが大声を上げると見覚えのある顔が部屋に入ってきた。


「あなたは・・・」


「はい!またイザベラ様にお逢い出来て光栄でございます!!」


 それは、カンクンのビーチでであったミサ・クエンドーラだった。


「でも、どうしてあなたがここに?」


「実をいうと私、実家がメキシコシティにあるんです。それで、イザベラ様のご自宅付近に張り込んでたらおじさまを伴って警察に出向かれてたじゃないですか。だから私もこっそり後をつけて来てたんです。」


「・・・どうして私のお家をほとんど初対面のあなたが知っているのかな?」


「それは・・・」


 ニヤリ。妙な含み笑いが何かを物語っていた。


「あぁ~もうキモい話はどうでもええねん。それより嬢ちゃん。あんた今から俺らについて来てくれんか?」


 話を遮ってプロデューサーが割り込んでくる。


「今から俺らちょっとしたミッションでモンテレーまでヘリかっ飛ばして来るんや。あんたがホンマもんにイザベラのファンなら俺と一緒に彼女をサポートしたってや。」


「ちょっと、プロデューサー・・・」


「はい!!イザベラ様が一緒ならモンテレーでもモンスターでもどこへでもお供します!!」


 イザベラが口を挟む前にミサは二つ返事で承諾した。


 こうして、イザベラたちに委ねられたミッションが開始されたのであった。




 プロデューサーの運転で飛び立ったヘリコプターがモンテレーに到着するのにはさほど時間がかからなかった。


「すごいですね。自宅のお庭に自家用のヘリコプターが2台もあるなんて流石はイザベラ様のプロデューサーです!」


「当然やないか。俺はイザベラ・コンデレーロという名の原石を究極のダイヤモンドにまで育て上げた男やで。ヘリの一つや二つ買うたって釣りが出るぐらい銭持っとるわ。」


「ま、未婚ゆえに働いたお金が全部自分の手元に残ると言ってしまえばそれまでなんですけどね。」


「イザベラ~。ええやないかぁ~。その分お前さんに熱意を注ぐ時間につぎ込めるんやからそれは言いっこなしやて。」


 他愛もない会話を繰り広げながらヘリコプターが廃墟ビルの屋上に着陸する。


「ここは・・・」


「ここはモンテレーの中でも特に貧困層が住むと言われている“アーリー地区”っちゅう所や。今日行くべき場所はこの先にある主を失ったあの豪邸やさかい嬢ちゃん肝に銘じといてな。」


 プロデューサーが指差した先に敷地の広い大きな家が見える。


「いいえ、プロデューサー。ミヨーネさん亡き今あそこは豪邸ではありません。外観を取り繕っただけの魔窟です。」


「・・・そやな。もう、あの人情味あふれるコワモテのオバハンはおらんのやからな・・・」


 戦う前からやりきれない悲壮感だけは消し去れそうになかった。


「もう、イザベラ様!肝心のあなたがしょげてたんじゃそのミヨーネさんだって草葉の陰で悲しんでますよ!!ほら、彼女の御霊を救うためにも前を向いてやり遂げるべきミッションがあるのでしょう!!」


「ミサ・・・」


 そんな中で、ミサの明るさだけがつらい気持ちを打ち消す特効薬だった。




 “アーリー地区”の雰囲気はそれまでにない異質さをもってイザベラたちを包み込んでいた。


「なぁ、なんであの声優がこんなトコほっつき歩いてるんだ?」


「貧乏人の暮らしを見てせせら笑いに来たとかじゃね?」


「どうせあいつもあと10年ぐらいしたらノリンビーみてーに薬で捕まっちまうだろ。」


 通りを歩くと耳に入るは陰口の雨あられ。


 だからといって裏道など恐ろしくて足を向ける気にもなれやしない。


「あいつら・・・イザベラ様を中傷するなんて許しがたい愚者どもです!!」


「そうカッカしなさんな。俺らの目的はそんな連中とケンカするんちゃうやろ。直接俺らにからんで来んのんやったらワケの分からん奴らは一切無視や。」


 しかし、プロデューサーの理性も空しく一行は目的地の手前でからまれてしまうのである。


「よぉ!アイドル声優とその手下ども!!」


 気がつけば数人の怪しげな男たちが辺りを取り巻いていた。


 そしてその中心とおぼしき男が一歩前に進み出る。


「お前が噂のイザベラ・コンデレーロか。こんなチビに仕留められるたぁ俺の姉貴も随分と劣化してたんだな。」


「姉貴・・・?じゃああなたは・・・」


「おうよ!俺の名はアゲレーロ・ノリンビー!アオウサレ・ノリンビーの実弟だ!!」


 ドンッ!!


「きゃっ!」


 アゲレーロに突き飛ばされたイザベラが転倒する。


「おい、お前・・・」


「イザベラ様に何をするの!!」


 それに強く激昂したのはプロデューサーではなくミサだった。


「あん?誰だお前。雑魚に用はねーんだよ。大人しく寝てやがれ!!」


 威勢良く棍棒を振り上げて殴りかかろうとするアゲレーロだったがそれは一瞬遅かった。


「牙が刺し影乱脚!!」


 ズガッ・・・!


 素早く背後に回りこんだミサの回し蹴りがアゲレーロの後頭部に直撃する。


「あが、が・・・」


 その一撃でアゲレーロはその場に崩れ落ちてしまったのである。 


「イザベラ様に危害を加えるとこういう目に遭うんだよ!!」


「ようやったで嬢ちゃん!今のうちにこっちから反撃や!!」


「私も応戦します!!」


 そして、流れに乗ったイザベラたちはそのまま残りのゴロツキたちをあっさり退治してしまったのである。


「けっ、ええ年こいたオッサンどもがたった3人相手に返り討ちとは無様の極みやな!」


「イザベラ様、邸宅はもう目の前です!さあ、ご決断を!!」


「ミヨーネさん、あなたの無念は私たちが必ず晴らしてみせます・・・プロデューサー!ミサ!突撃です!!」


 イザベラの音頭で一行は門を開けて主亡きダス・ミロン宅へと突入を仕掛けたのである。


「メヒコ・メヒコ・ビバ・メヒコ!!メヒコ・メヒコ・ビバ・メヒコ!!」


 あふれ出そうな恐怖心を陽気なかけ声でごまかしながら・・・




「なんだお前ら!ここに何の用だ!!」


 玄関前に大柄で屈強そうな男が待ち構えていた。


「私はイザベラ・コンデレーロ!今は亡きこの屋敷の主ミヨーネ・ダス・ミロンからたくさんの恩を受けた声優です!!」


「イザベラ・・・?なるほど、その名前は親分から聞いた事がある。しかし!親分はとうに自害して朽ち果てた存在だ。だからもうお前はこの家とは無関係の人間だ。分かったらとっとと帰れ!!」


 しかし、イザベラは引き下がろうとはしない。


「無関係ではありません!私たちは偽装自殺によって人の手で殺められた事実を闇に葬られようとしている彼女の無念を晴らすべくここに来たんです!」


「何だと・・・?」


 男の表情が露骨に険しくなる。


「随分と物騒な事を言う女だな。あまり変な詮索をしているとお前だけでなく連れの奴らまで仏さんになっちまうぞ。ま、そうなったらせいぜい棺をメキシコ国旗に包んで国葬にでもしてもらうんだな・・・?」


だが、言っている途中で男は妙な違和感に捕らわれる。


「時間がありません。早くここを、通して下さい!!」


「こ、これは・・・」


 違和感の正体は目の前のイザベラだった。


 イザベラの全身から沸き立っている青いオーラに男は思わずたじろいでしまう。


「なんやこの子は・・・こない隠し玉まで持っとったんかいな・・・」


「イザベラ様、素敵・・・」


 プロデューサーとミサも思わず驚きと敬意の声を漏らす。


「くっ・・・そ、そこまで言うのなら通るがいい。」


 その神々しさに気圧された男はそれまでの悪態から一転、ドアを開いて道を譲った。


「ご協力、感謝します。」


「だが!この先の生死に関しては全てお前さんたちの自己責任だからな。それと、何を嗅ぎ回っているのかは知らないが俺は一切無関係だ。親分が世代交代の意味で自らの命を絶ったとしか聞いていないからな。」


 男は、目もくれずにそこまで言うと黒塗りの高級車に乗り込んでそのままどこかへと走り去ってしまったのである。




「はあぁぁぁぁぁぁっ!!」


 次から次へと現れてくる大柄な男たちを退けながらイザベラたちは先へ先へと進む。


「しっかしイザベラがトランスモードに入ったらこない強うなるとは思わんかったわ。これやったら俺休んどいてもええんやないかな?」


「イザベラ様が前線で戦ってるというのにプロデューサーのあなたがサボっていいワケないでしょ!!」


「はは、ごもっとも。」


 そして、長期戦の末ようやく3階にたどり着いたのである。


「なんや?ここは下と違うてえらい静かやなぁ・・・あのオバハンようしゃべるわりに自室周りは閑静に作っとったんかいな・・・」


「・・・ここにミヨーネさんの部屋はありません。彼女は最も寵愛する者たちのためにこの3階を増築して部屋を作ってあげたんです。」


 オーラを発した状態を持続しながらイザベラが淡々とした口調で続ける。


「ですが、皮肉にも彼女はその寵愛する者たちの手によって・・・」


「イザベラ様!!もういいです!!これ以上そんな話の続きを聞いたら私、私・・・」


 だがその先はミサによって遮られ、話はそこで強制終了となった。


 ちょうどその時点で一行は最奥部の部屋に到着した。


 バァァァン!!!


 イザベラが両手で勢いよくドアを開け放つ。


「ロドヴィコ・ダス・ミロン!!義母殺害の罪であなたを逮捕します!!」


 豪華な家具たち。高価そうな装飾品の数々。


 典型的な大富豪の部屋のようなその室内の片隅に、問題の人物は存在した。


「・・・はぁ?」


 愛人とおぼしき男と一緒にソファに座ってマリファナ吟味の真っ最中。


「誰かと思えばこの前カンクンであたしが因縁つけたビビリどもか。どうした?見逃してやったあたしの慈悲に感動して子分にでもなりに来たか?」


「聞こえなかったのですかロドヴィコ?義母殺害の罪であなたを逮捕します。」


「母さん?・・・ああ、あたしに全てを託して逝っちまったな。まさかあんな形で死んじまうとは思わなかったけどさ、潮時だったんだろうね。」


 気丈な物言いをしながらもロドヴィコの目が泳いでいるのをプロデューサーは見逃さなかった。


「せやな。ついでにお前ら夫婦の娑婆暮らしも潮時やけどな。」


「おいおいオッサン。言葉に気をつけないといい加減血ィ見るぜ。」


「ミヨーネさんはラジオの公開収録ではっきりと言いました。“また私の番組に出たい”と。そのような人がどうして“未練がない”などと遺書に書き残していたのでしょうか?」


「そりゃあヘボパーソナリティの進行に嫌気が差してやっぱり出る気が失せたんだろ。んで、思い残す事もないから世代交代の意味も込めて自害して・・・」


「おう!嬢ちゃんのプロデューサー!わしや、モンテレーの鬼尼ミヨーネ・ダス・ミロンや!!物は相談なんやけどな、今週の嬢ちゃんのラジオにわしをサプライズ出演させてくれんか?あんた敏腕や言うからそれぐらいワケないやろ?嬢ちゃんの恩人の頼みや思うてな、一つ真剣に考えといてや。あ、それと嬢ちゃんにはナイショやで。収録中にいきなり出てきてびっくりさせたるんや。ほな、よろしゅうな~。」


「・・・っ!!」


 プロデューサーの携帯に入っていた留守番電話メッセージ。


 その声は、紛れもなくミヨーネ・ダス・ミロンのものだった。


「これはオバハンが亡くなる前日に俺の留守電に残しよったセリフや!どないや!!これでもまだ出る気が失せたとかぬかすんか!!!」


「そ、それは・・・」


 ブルルルルル!!


 ロドヴィコが返答に詰まっていると今度はイザベラの携帯電話が音を立てる。


「はい、イザベラです。」


「イザベラ君、わしだ。」


 その声の主はメキシコシティの警察署長だった。


「君たちが今どこにいるかは知らないが大きな声で話すからしっかり聞いておくように!」


「はい!」


 バカでかい署長の声にイザベラが思わず通話口から耳を離す。


「筆跡鑑定の結果!この遺書はミヨーネの書いた物ではなく誰かが偽装した偽物だと断定した!!」


「そ、そんな・・・」


「明日彼女の周辺の人間を対象に改めて筆跡鑑定を実施し、誰が書いたものかを特定する!!」


 徐々に今まで沈黙を貫いていた愛人とおぼしき男の顔も青ざめてくる。


「さらに!自殺に使われたと思われるロープから他人の指紋が検出されたので捜査次第では他殺と断定し、改めて周囲の者を・・・」


「そんな!俺は手袋を使ってやったのに指紋なんて・・・」


 男が思わず口走ったその言葉を電話の向こうにいた署長は聞き逃さなかった。


「何だと!誰が手袋を使って何をやったというのだ!!」


 バカでかい声のボリュームがさらに大きくなる。


「誰かは知らんがそこに重要参考人がいるみたいだな!イザベラ君、少々手荒な真似をしても構わないから生け捕りにするつもりでそこに居る人たちと遊んであげなさい!!」


 ガチャッ!!


 乱暴に電話を切る音が響いて通話は終了した。


「なんや~署長はんもカマかけが上手やな~。おかげさんで簡単に真犯人が割り出せそうやないか~。」


「イザベラ様、ミヨーネさんを手にかけた人が誰なのか今はまだ断定できないけどこの分なら時間の問題ですね!!」


 ロドヴィコを横目で見やりながらミサが嬉しそうに微笑む。


「これでほとんど明るみに出てしまいましたね。後は取調べを経て卑劣な殺人鬼の正体が白日の下に晒される日を待つだけです。さぁ、私たちと一緒にメキシコシティまで来て下さい、重要参考人さん。」


「・・・ハン!流石はメキシコ屈指のアイドル声優様だねェ!!」


 それまでずっと表情の引きつっていたロドヴィコがこの状況下で大きく笑い声を上げる。


「そうさ!あたしがあのババアを殺すようにこいつに命じてやったんだよ!!」


 そして愛人とおぼしき男を親指で差し示す。


「その通り!俺の名はシルバ・タカスソー。麻薬漬けのシャブサーファーにしてロドヴィコの愛人だっ!!」


 開き直った男がついに名乗りを上げる。


「こいつはね、旦那が病死して途方に暮れていたあたしを覚醒剤とサーフィンで元気付けてくれたのさ。以来お互い情が湧いちまってね、気がつけばこの部屋で一緒に生活するようになっちまったんだよ。」


「それで・・・実の息子さんとあなたのためにミヨーネさんが増築してまで作ってくださったこの部屋でクスリ漬けの生活を送っていたというのですか?」


 イザベラの声音が怒りで打ち震えていた。


「あーご名答ご名答。だけどさ、あのババアにクスリやってんがバレちまってよ、“わしの娘をやめるかクスリをやめるかどっちかにせえ”とかあんまりしつこく毎日毎日言ってくるからうっとうしくってね・・・」


「そんな理由で・・・そんな理由でミヨーネさんを手にかけたというのですか・・・」


「なーに、心配は無用だ・・・てめーもついでに殺してやるからよっ!!」


「!」


「デーモンアッパーカット!」


 ゴッ!


 予想外の不意打ちがイザベラを襲った。


「重ね重ね気に障る真似しやがって・・・どうせもうすぐあたしゃ牢屋行きなんだ!その前にてめーをぶっ殺してババアんとこに連れてってやるよ!」


 ロドヴィコはもはや鬼の形相と化していた。


「イザベラ様!すぐに助太刀を・・・!!」


「ミサ!これは私の戦いだから手出しはしないで!!」


「でも・・・」


「お願い!・・・プロデューサーも今回は傍観の立場でお願いします!!」


「了解や!!」


 だが、この状況下でも敢えてイザベラは一騎打ちを選んだのである。


「マインズボール!」


 まずは気の塊を放つ。


「おそい!そんなへろへろ玉をあたしが喰らうと思うてか!」


 しかしそれはあっさりとよけられ反撃の隙を与える形となる。


「今度はこっちの番だ!シューティングニーミサイル!!」


 天井まで飛んだロドヴィコがニードロップで落ちてくる。


「パワーシールド!」


 バゴオッ・・・!


「きゃあぁぁーっ!」


 しかし、防御の盾は無残にも破壊されイザベラは前頭部に攻撃を受け弾き飛ばされる。


「ふん、口ほどにもない!ミヨーネのババアはこんな奴に一目置いていたというのか、お笑い種だな!!」


「なんですって!!」


「あのもうろくババアは黙ってあたしらに金払ってりゃ殺されなくて済んだんだ!それをいちいち口やかましく言ってくるから消されちまう羽目になるんだよっ!言ってみりゃあ自業自得ってオチさ!!」


「人の善意を利用して私腹を肥やしていただけでなく、自身の愚行を咎められただけで簡単に人を手にかけるとは何たる卑劣・・・」


 怒りの力でイザベラの体から湧き起こっていたオーラがさらに大きくなる。


 そして、それは女性をかたどった姿へと変貌を遂げて浮かび上がったのである。


「イザベラさん・・・やっぱり素敵・・・」


「こらすご過ぎるやろ・・・青色のオーラが女神の形に姿を変えたとか人間業超えとるがな!」


 イザベラは、その言葉には耳もくれず静かに立ち上がるとそのままロドヴィコの元へと歩み寄る。


「そ、そんなこけおどしがあたしに通じるとでも思うのか!デーモンアッパー・・・」


 ガシッ!


 拳を繰り出そうとしたロドヴィコだったがその腕をつかまれる。


「な、何て力だ・・・は、離せ!」


「離しません!!」


 イザベラはつかんだ腕にさらに力を込める。


「ぐがあぁぁぁ!!」


 そして、そのまま骨を砕いてしまったのである。


「たあっ!」


 この段階でようやく手を離し、そのまま壁に投げつける。


 ドゴン!


「これで少しは懲りましたか?」


「うぬぬ・・・イザベラ・コンデレーロ!てめェだけは生かしちゃおけねぇ!!」


 重傷を負いながらもロドヴィコが再び高く飛ぶ。


「今度こそ頭蓋を粉々にしてくれる!くらえ、シューティングニーミサイルだァ!!」


 イザベラも再びロドヴィコへ向けて両手をかざす。


「バカめ!そのシールドはさっき破ったばっかりだろうが!!」


「これで終わりです、女神裂光波!!」


「なにっ!!」


 だが、その両手から出てきたものはガードの盾ではなく強大な閃光だった。


 ゴウゥゥゥゥゥゥン!!!!!!!


「ぐわあぁぁ―――っ!!」


 その一撃は、ロドヴィコを家の外まで吹き飛ばすには十分な威力を持っていた。


 バシャァァン!!


 そして、天井を突き破って飛んで行ったロドヴィコは敷地内のプールへと落下したのである。


「・・・彼女を回収してきます。」


 イザベラは、特に喜ぶ仕草も見せずそれだけ言うと部屋を後にした。


 残ったミサとプロデューサーは顔を見合わせると安堵のため息を漏らした。


「ようやく終わりましたね・・・じゃあ私たちもおいとましましょうか。」


「おっと、その前に・・・」


 ガシッ!


「ぎゃっ!」


 こっそりその場を立ち去ろうとしていたタカスソーの首根っこをプロデューサーの左手がキャッチする。


「逃がさへんで実行犯。せいぜいムショまでの道中で自分のした事反省せえや。」


「私も警察署まで見張っておきます!!さあ、殺害実行犯、観念するのです!!」


「・・・トホホ。」


 こうして、警察署長から託されたミッションは無事に遂行されたのであった。




 逮捕後、ロドヴィコ・ダス・ミロンとシルバ・タカスソーはミヨーネ殺害をあっさりと自供した。


 計画犯であるロドヴィコが遺書を偽装し、実行犯であるタカスソーがミヨーネの寝込みを襲って絞殺し、あたかも自殺であるかのように部屋に吊るし上げておいたのである。一方で、ミヨーネの目を盗んで両者が不当な高利貸しを行って数名の人間を闇に葬り去った可能性も浮上し、家宅捜索とともにさらなる余罪を追及する形となった。




 結果的に事件は解決したものの、どこか後味の悪い幕引きとなったのは誰も否定出来そうになかった。




 あの戦いからちょうど一週間後、私はかつての恩師である先生と近所のレストランで久しぶりに出会った。


「話は聞きましたよ。やはり私が手塩にかけて育てた子は一味も二味も違うというコトですね。」


 全く、私を褒めてるんだか自分を褒めてるんだか分かったもんじゃない。だけど、そんな先生でも長く話し込んでいると何故だか幸せな気分になっている私がいた。ミサもプロデューサーも事、先生に関しては「病的な人」「気持ち悪い中年」などと悪い言葉で形容するけど私にとってはやっぱりかけがえのない人に相違ない。


 そんな先生と会って精神的に安らいでいたからなのだろう。その夜、私はついに待ち焦がれていた父の夢を見た。


「イザベラ、流石はわしの子だ!そこいらの者とは一味も二味も違う事を改めて証明してみせたな!!」


 昼間の先生と同じような物言いに思わず吹き出しそうになる。でも、この前のような声だけの父ではなく姿形がこの目にはっきり映っている正真正銘の父がそこにいる。


「だって私はパパの子だもの、これぐらい当然だよ!!」


 とっさ的に出してしまったその一言に青い草原の中に一人たたずむ父は恥ずかしそうに笑う。


「・・・全く、このおっさんには出来すぎた子やで。」


 ふと、父の背後からミヨーネさんが姿を見せた。


「嬢ちゃん、ラジオに出るって約束守れんですまんかったな・・・でも、ロドヴィコの事は恨まんといてくれな。」


 いくら義理の娘とはいえこの期に及んで自分を手にかけた相手を「恨むな」とは底抜けにお人好しなのかバカなのか。


 でも、どちらにせよ彼女の誠意みたいなものは十分すぎるほど伝わってきた。


「分かってます・・・ミヨーネさんが言うのなら、私はこれ以上彼女を恨むつもりも憎むつもりもありません。」


「ええ子や。こないまっすぐな嬢ちゃんはもっとCDが売れなあかんな!」


 どこか論点がずれているミヨーネさんの言葉に今度こそ笑ってしまう。


「いい笑顔。それこそがイザベラの一番素敵な表情だよ!!」


 父の背後から続いてはユメリオさんが姿を見せる。


「私のお店に今でも時折寄ってくれているんだね。元店員として嬉しい限りだよ。」


 ホテルから搬送されている際の彼女のデスマスクが今なお脳裏に焼き付いている分目の前の彼女がよりまぶしく見える。


「でも・・・ユメリオさんには生きて私の活躍をもっともっと見届けていてほしかったと今でも思います。」


「ううん、もういいの。だって、イザベラがメキシコ人声優として全米の音楽チャートで史上初の首位を獲ったあの瞬間に生きていられたんだもの。あれをリアルで見届けられただけでも私は幸せ者だよ。」


 そう、彼女もまた私を応援し、支えてくれた人たちの中の一人だったのだ。


「イザベラ。父さんは・・・いや、父さんたちはいつまでもお前を見守り続けている。だからお前は安心して己を磨き続けるのだ。」


「嬢ちゃんなら頑張ればCDもまだまだぎょうさん売れるはずやで。もっと高みを目指すんや!」


「お供え物をちょうだいとは言わないからたまにはお墓に来てよね☆」


 みんなから口々に励ましの言葉をもらって思わず涙が込み上げそうになる。


「みんなありがとう。私、どこまでやれるかは分からないけど声が出なくなるまで歌い続けるから。足が潰れるまで走り続けるから。だから、ずっとそばで見守っていてね・・・・・・・」


 涙で視界が歪んでよく分からなかったけどみんなが私に手を振っているのはなんとなく分かった。


 だけど、そこがタイムアップだった。


 少しずつ世界がフェードアウトして、気がつけば私はいつものベッドの上だった。




 そして今。


 私は声優としてアーティストとして精力的な活動を第一線で続けている。あれからメキシコ国内で特に目立った事件や事故は発生していないようだがもちろん起きたとすれば性格上放ってはおかないだろう。 だけど、それがない間は自分の仕事に専念するつもりだ。


 私は一人じゃない。周囲にはプロデューサーをはじめとする仲間たち。故郷には大切な家族と昔の仲間たち。家に帰ればいつでも帰りを待っていてくれるチーホスとエルベル。瞳を閉じれば父やミヨーネさんたち。そして、私を応援し、支えてくれる全ての人たち。みんなと心で繋がり合っていると思えば私はどこまでも大きく羽ばたける。


 その先に何があるかは分からない。どこに着くかも分からない。不安の影も拭えない。それでも!


 イザベラ・コンデレーロは未来へ向けて加速する。




 ―因縁編 END―

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