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「うん、毒は入ってなさそうだ」
椅子に座っている死干支は、食卓の上に置かれたカレーをスプーンで掬って口の中に入れた。
なんの変哲も無い、ただの美味しいカレーである。
「逆に何を思ったら毒が入っていると思うんだよ。君も僕が作るところを見ていただろう」
三郎は死干支の発言に、ため息まじりに突っ込んだ。
死干支が三郎の作ったカレーに毒が入ってそうだから発言の原因は照子である。死干支は前提として、照子以外の人間が作った料理を食べたことがない。
それに加えて小さい頃、照子に「知らない人の料理を食べては駄目よ。毒が入っているかもしれないからね」と念押しされていたことも原因で三郎の作ったカレーを拒絶していたのだ。
断ったものの、三郎が食え食えとうるさいのに加え、少しお腹が空いていた死干支はほんの少し味見してみることにする。
死干支の体は丈夫に出来ており、自身の体に害をなすものが入るとそれを感知できるようになっているのだ。
その結果、一口食べて毒などの異物が入っていないことを体で感じて初めて、カレーを安心して食べることが出来るようになる。
「母さんが言ってたんだよ、他人の作った料理には毒が入っているってな」
「君のお母さんは変わっている人だね。一体何があったのやら」
「別に変わってなどいない。母さんは立派な人だ」
「そうか、親は大切にするもんだよ。僕みたいにならないためにも……」
小さく呟いた三郎の発言を死干支は耳に入れるも、特に興味が無かったので触れることはなかった。
食べるのが早い三郎はすでに皿に盛ってあったカレーを全て平げ、ガラスコップに注がれている水を飲み干す。
「ぷはー、それにしても雨凛さん達遅いなぁ。せっかく作ったカレーが冷めちゃうよ」
雨凛と烈士が食事の時間にないことなんて、これまでに二、三回あったかどうかだ。それほど向こうで大事が起こっているということだ。
「無事だと良いんだけど……」
「……」
死干支の左手に握っていたスプーンの動きが止まり、視線の先の焦点が合っていない。暗い雰囲気になったのを察した三郎は話を変える。
「ごめん、話を変えようか。君は何か趣味みたいなものはあるの? さっきは腹筋とかしてたけど」
「特に趣味なんてない。鍛錬を行うのは当たり前だ」
「当たり前、か。さっきのネオンの使い方といい、君は一般人のそれとは違う。小さい頃から誰かに教えて貰っていたのかな?」
「まあな、素晴らしい人に教えて貰っている。今の俺があるのもその人のおかげだ」
物心ついた時には、既にある程度の出来るようになっていた。全ては蘭溪のおかげである。
だが小さい頃から共に暮らしているのにも関わらず、どこか蘭溪に距離をおかれていると死干支は薄々感じていた。
しかしそんなこと死干支にとっては些細なことに過ぎない、蘭溪が師であり家族であるという事実は変わらないのだから。
「へぇ、どんな人か気になるな。僕もそんな人に色々教わってみたいよ」
「なら、まずそのだらしない体系を変えることから始めるんだな」
「余計なお世話だな!」
死干支もカレーを食べ終わり、一息ついていると扉の開く音がする。
二人が扉の方を見ると、荒い息遣いをしながらそこに立っていたのは全身びしょ濡れになている雨凛と烈士だった。
烈士の手元には金色の花飾りが握られている。
「雨凛さん、烈士さん、どうでしたか!」
二人の存在にいち早く気がついた死干支は、二人の側に駆け寄った。二人は唇を噛んで、悔しそうな、そして悲しそうな表情をしている。
駆け寄った死干支を目の前にして、二人は膝をついて頭を下げた。
「すまない死干支、もう現場に行った時には……」
雨凛は死干支に謝罪する。その瞳から垂れ流れている水は、涙か雨か考えるまでもなかった。
「そんな…… じゃあ母さんは! 蘭溪さんはどうなったんだ!」
烈士がゆっくりと口を開く。
「俺達が到着したときには、二人は現場にいなかった。残っていたのは砕け散った家跡と、この花飾りけだったんだ」
烈士は手に握っていた花飾りを死干支に渡す。死干支は恐る恐る両手を広げてそれらを受け取った。
「これは母さんの花飾りじゃ……」
両手の掌の上に乗ってある花飾りを見つめる。
残されていたのは花飾りのみ、二人は勝ったのか、負けたのか、それとも逃げたのか、それすらも逃げた死干支には知る由もない。
しかし、勝ったのなら二人は現場に残っているはずだ。つまり勝ちの可能性はゼロに等しいだろう。
つまり残された選択肢は負けたか、逃げたかのどちらかだ。逃げてるのなら良いが、万が一に負けていた場合二人が連れ去られている可能性がある。
「探さないと、二人を探さがさなければ!」
想定される事態の深刻さを察した死干支は、突如湧き出た使命感に駆られて二人を探しに外に出ようとした。
だが、もちろんそれを二人が許すはずがない。雨凛と烈士は外に飛び出そうとする死干支を抑えつける。
「二人とも離して下さい! 俺は母さんと蘭溪さんを探しに行かないといけないんです!」
「駄目だ! さっき私が言ったことを忘れたのか。それにもう現場には誰もいない、証拠も無しに探せるはずぁねえだろ!」
雨凛は感情の昂ぶった死干支を宥めようとするが、死干支の体に込められた力は徐々に強くなっていた。
二人に止められていた死干支はついに、激しい怒りと焦燥感に駆られ我を忘れてしまう。
死干支は左手をローブのポケットに突っ込んで、先ほどしまった摩天数珠を取り出した。
「ーーどけって言ってるんだよ!! 変化・摩天の鎌!」
大鎌へと変化した摩天数珠を強く握り、目の前に立ち塞がる二人目掛けて振りかざす。
だが二人も鍛え抜かれた精鋭だ。死干支が摩天数珠を取り出したのと同時に、雨凛と烈士は危険を察して腰に差さっていた鞘から刀を抜く。
そして死干支の振りかざした大鎌を受け止めた。
三つの武器がぶつかり合う甲高い衝撃音は、部屋中に留まらず辺り一帯の街中にも響き渡る。
その衝撃で生まれた衝撃波は、建物の窓ガラスを割るほどの威力だ。
「死干支一回落ち着け! お前の気持ちも分からなくはない、だが今のお前は正気を失っている!」
烈士は死干支に呼びかけるも、死干支は鬼のような形相で二人を睨みつける。
それにしても以前あった時よりも完成されており、二人がかりで止めているが中々しんどい。元々の素質が素晴らしいが更に磨きがかかっていた。
そんな状況が続く中、今の状況を打開するために先に動いたのは死干支だ。死干支は二人から距離をとるために、一歩後ろに下がる。
そして、
「ーー寅の刻・如月虎牙!」
死干支が左手の人差し指と中指を重ねると、二人の背後に巨大な虎の幻影が現れて二人を噛み砕こうとした。
それにいち早く雨凛は反応する。
「散れ、桜花乱舞」
雨凛の刀の周りに桃色の桜の花びらが無数に現れる。雨凛が刀を振ると、振った方向に花びらが勢いよく飛んでいった。
鋼鉄のように鋭い花びらは狼を切り裂き、自身の拠点である建物さえも粉々に切り裂いた。
「烈士!」
「おう、任せとけ!」
烈士は左胸ポケットに入れてあった金色の煙管を取り出して口に加える。そして蓋を開けて息を吹き込むと、巨大な白煙が現れた。
白煙は瞬く間に部屋中に蔓延し、中の様子は辺り一面雪景色である。どこに誰がいるのかは烈士以外分からない。
烈士はその碧眼の瞳で対象を捉えると、変幻自在に煙を操った。
「よしっ」
手応えを感じた烈士が煙管の蓋を閉じると、次第に白煙は消え去り先ほどの景色が戻る。
そして部屋の真ん中に存在していたのは、先ほどの白煙に巻かれて身動きが取れずに横に倒れている死干支だった。
烈士の煙管から発生する白煙は実態を持つ煙なのである。また烈士の碧眼は視界が悪くてもはっきりと見えるという力が秘められており、視界を悪くする白煙と相性抜群なのだ。
先ほど烈士は白煙を操り死干支を縛ろうとした。初見の攻撃に我を忘れていた死干支は、不覚にも白煙に縛られてしまったというわけである。
「早く解放して下さい! 二人とも俺の大事な家族なんだ、早く探しに行かないと!!」
死干支は抵抗するも、白煙は中々解けない。烈士が奥の部屋に行くと、右手に茶色い小袋を握って死干支の元に歩み寄った。
「すまねえ死干支、少しおとなしくしていてくれ」
烈士が小袋を死干支の顔元に近づけて、結ばれていた縄を解いて小袋を開ける。すると小袋の中から、ほんのりと匂いが漂ってきた。
「なんだ、これ……」
小袋から漂う匂いを嗅いだ途端に死干支の目蓋が重くなる。次第にゆっくりと目蓋が閉じていって…… そして完全に意識が失われた。