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「ふんふんふーん あーめの中をるんるんるーん」
背中に背負っている竹籠の中には沢山の食材が積まれている。紫色の傘を差して、スキップをしながら水溜りを踏んづけていた。
スキップをすること三分、『喰魂狩人』と書かれている建物の目の前に到着する。差していた傘を畳んで、そして扉をゆっくりと開いた。
「明智三郎、ただいま戻りましたー」
三郎は帰還の知らせを建物内に響き渡らせる。そして建物内に入ろうとしたときだった、
「百九十七…… 百九十八…… 百九十九…… 二百」
「…… って誰!?」
三郎は目を大きく見開いて後ろに下がる。そして建物の名前を改めて確認するも、ここが自分の目的地であることは間違いなかった。
三郎が扉を開いた瞬間、目の前には上半身裸で腕立てをしている死干支がいたのだ。
三郎は見知らぬ人物がこの場で当たり前のように腕立てをしていることに驚きを隠せない。
一方で死干支はこんな所で時間を無駄にすることは出来ず、より強くなるために腕立てをしていたのだ。
腕立てを二百回やり終わってうつ伏せの状態で横になっていた死干支は、突然の叫び声を聞いて声のした方に顔を向けた。
死干支の視線の先にいたのは百六十センチメートルほどの身長の人物である。紫色と黒色の羽織を羽織っており、腰には差していたのは紫色の鞘に収められている刀だ。
紫色の短髪に黒い瞳、そしてそのふくよかな体型が目についた。
死干支はうつ伏せになっていた体を起き上がらせて、三郎を見つめた。何回かこの場所に来ているが見知らぬ人物ということは、この三年間ほどに入った人物なのだろう。
又、三郎も見知らぬ死干支のことをじっと見つめる。
その場に静寂が訪れる中、この互いが見つめ合うという気まずい空気を変えようと先に口を開いたのは三郎だった
「えーっと、君は誰かな?」
「……」
「えーっとね、うん。名前を言って欲しいんだけど……」
「……」
三郎の質問に死干支は無表情のまま口を閉ざし続けている。
なぜ死干支がずっと口を閉ざしているのかというと、昔照子に知らない人には自分の情報を簡単に喋るなと念押しされていたからなのである。
目の前で黙り込んでいる死干支を見て三郎は困り果てた。このままでは状況は変わらないので質問を変えることにする。
それにしてもなぜ何も喋らないのだろう……。
「分かった、名前は言わなくていいから。君はなんでここにいるの?」
「逃げて来たから」
「逃げて来た……ってことは喰魂に襲われたのかな。ここに二人も人達がいたはずなんだけど知らない?」
「烈士さんと雨凛さんは母さん達を助けるために山に向かって行った」
この少年は二人を知っているのか、もしくは知り合いなのだろうか。詰まるところあの二人はこの少年の親を助けに行った、ということか。
それにしても二人同時に行くなんて珍しい、よほどの事態だったのだろう。
少年の話を聞いて、事情はなんとなく理解出来た。さあ、これからどうしたものか。
「それで君はここに居残っているんだね」
「まあ……」
「僕は喰魂狩人古町支部所属の明智三郎って言うんだ。二人共いないから、困ったことがあったら僕に言ってね。さあ、これから夕食を作ろうっと」
三郎は厨房まで歩いて行き、背中に背負っていた竹籠を台所に下ろす。そして様々な食材を竹籠から取り出していった。
雨凛と烈士がいないことなんて日常茶飯事なのだ、いない理由は様々だが。なので三郎は動じることなく夕食作りを始める。
「俺は何をすれば良いんだ、手伝った方が良いのか」
「そうだなぁ、手伝ってくれると嬉しいかも」
「分かった」
死干支は三郎のいる台所に歩いて行き、左隣に並んだ。
「じゃあこれを使ってこの食材の皮を剥いて僕のと同じ大きさに切ってくれ」
死干支は三郎から渡された皮剥き機と包丁を手に握る。目の前にはじゃがいも、人参、玉ねぎが合わせて五個ほど並んでいた。
三郎は目安の大きさを死干支に見せるため、それぞれの野菜の皮をめくり切る。
それを見た死干支は両手に握っていた皮剥き機と包丁を台所に置いた。そして左手を野菜の上にかざすと風を発生させて野菜の皮をめくり、めくった野菜を切って瞬く間に一連の作業を終了させる。
「ええ!? な、何が起こったんだ!?」
左隣で何やら風が発生したので何事かと見れば、そこに置いてあったのは皮を剥かれて自分のと寸分違ぬ大きさに切ってある野菜だった。
三郎は野菜を見終わった後、死干支の顔を見つめる。死干支は先程と一片たりとも変わらずに無表情のままだ。
「えーっと、どうなってるんだ?」
置かれている野菜は全てが完璧に仕上げられている。
どの野菜も皮が一枚も残っておらず、切られた大きさも自分の切った大きさとと全く同じなのだ。
魂力を使って、ここまで繊細にコントロールできる人なんて中々いない。コントロールを極めた人間なら出来るかもしれないが。
「そんなに驚くことじゃない。これぐらい誰でも出来るはずだ」
「いやぁ…… 誰でも出来ることはないと思うよ。現に僕出来ないし……」」
死干支の余裕ぶった発言に三郎は苦笑するほかなかった。それと同時に、左隣に立っている人物について興味を抱く。
一体何ものなのだろう。名前も教えてくれなければ素性も知らない、ただの少年という認識しか三郎にはないのだ。
「それで、次は何をすればいい?」
「そうだなぁ…… それじゃあ僕の手元にある野菜も同じようにやってくれないかな? それが終わったら好きにしてていいよ」
三郎は自分が担当するはずだった野菜を死干支に渡し、少し離れた所に置いてあった牛肉を取りに行く。
そして握っていた包丁で肉を切り始めようとしたときには、死干支は既に全ての作業を完了させていた。
「本当にこの子は何者なんだ……」
その謎に包まれている正体に疑問を抱きながらも、自分の仕事を全うするために牛肉を切り始めた。
一方で三郎に頼まれた仕事を全て終わらせた死干支はやることが無くなる。床に座って上を向いたときだ、二人のことを思い出した。
今頃雨凛と烈士は家に到着している頃だろう、死干支は皆の無事を祈る。
そんな死干支の気持ちなどいざ知らず、三郎は今夜の晩ご飯作りに勤しんでいた。
切り終わった野菜と牛肉を、コンロの上に置いてある鍋に入れる。そしてコンロを点火して野菜と牛肉を炒めた。
野菜と牛肉を炒め終わると、鍋に水を入れて十分ほど煮立たせる。十分経過したら側に置いてあった茶色い固形物を入れて再び十分ほど煮込んだ。
待ち時間が出来た三郎は近くに置かれている食卓の椅子に座る。そして右手を顎に当てながら死干支の様子を見ていた。
「百九十八、百九十九、二百」
死干支は腕立てに続き腹筋を行っているのだ。二百回全てをやり終わると一息つく。
「いやー、よくやるよ。かなり鍛えているんだね」
三郎は休憩中の死干支に話しかけた。死干支は三郎の方を振り向く。
「そんなことは無い。強くなるためにはまだまだもの足りないんだ」
「目標が高いことは良いことだと思うよ。僕なんて三十回が限界だよ」
三郎は自分の非力さに苦笑する。それを聞いてしばらく無表情だった死干支は、目を大きく見開いて驚いた。
「三十回だと…… お前、人間か」
「ちゃんとした人間だよ! 君の人間に対する基準はどうなっているんだ!」
そんなやり取りをしていると十分経過する。三郎はコンロの火を止めて鍋の中を覗き込んだ。
「うん、良い感じに出来た! 匂いも良い匂いだ」
三郎は台所の上に置かれている食器棚から二つのお皿を取り出す。そして台所の横に置かれていた釜の蓋を開けると、中には真っ白な米が敷き詰められていた。
「うん、しっかり保温されてるね」
お皿を左手に持ち、釜の側に置かれていた杓文字で掬った白米を皿に盛る。
白米を盛り終わると台所の壁に掛けられていたお玉を手に取って、掬った鍋の中身を同じお皿に盛り付けた。
同じ作業を再び行って両手に持った皿を食卓の上に並べる、それはついに完成した。三郎は再び椅子に座る。
「じゃじゃーん、カレーの完せーい。さあ、君も一緒に早く食べよう」
「いや、俺は食べない」
「え!? なんで食べないんだよ!?」
死干支から衝撃の言葉が放たれ、三郎は驚いた。
あそこまで一緒に作業をして、食わないと言う人なんているわけないだろう。なぜだ、もしやこの子は人の作ったものを食べないのか。それともまさか自分の作ったカレーが不味そうだからなのか……。
そんなことを考えている三郎を見つめながら、死干支は真顔でゆっくりと口を開く。
「毒が入ってそうだからだ」
「毒なんて入ってるわけないだろ!!」
思わず三郎は両手で机を叩くのと同時に、立ち上がって叫んでしまった。