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アキムが抱えている暗い激情

 スターバックスで談笑し、新宿駅西口ではアンドロイドが案内する電気屋やカフェを回り、三日目には歌舞伎町を通り越して字幕の映画をピカデリーで見た。

内容はつまらないラブロマンスだったが、どうやら映画館自体が初めてだったようで、4DXを進化させた5DXの、人によっては車酔いを感じるほどの臨場感を楽しんでもらえた。それと、どことなく初日よりも、二人で歩く距離が近くなったようにも思える。話しかければ顔を赤らめて、舌を噛む事も増えた。



これはムジナが言わずとも、好意に気付いていたかもしれない。それとついでだが、コンドームはその手のホテルで売っているそうだ。ムジナは強姦こそ至高だとか言いだすサイコパスなので、健全……とは言えないが、そういうホテルに行ったことがないのだろう。



とにかく、もしかしたらそういうことに発展するかもと心に決めると、またしても、ギフテッドの好奇心が騒ぎ出す。どれだけの快楽が得られるのか。どんな声を出すのか。そもそも、そういうホテルとはどういう造りなのか。金を稼ぐために嘘の付き合いをしていたら、性に関する知識がついた。そんな結果も悪くないと思える頃、歌舞伎町にたどり着いた。



「噂には聞いていましたが、人でいっぱいですね」

 帽子に眼鏡姿のルイスは、様々な肌の色を持つ人が行きかう歌舞伎町を見回しながら、あれはなに、これはなにと、まるで子供のようにはしゃいでいる。そう、かつてレール社会がアキムに押し付けてきた、『特殊』な子供との接し方に出てきたように。



「アキムさん、その、ありがとうございます」

 周りを見回すのを突然止めて、そう口にしたルイスは一息つくと、改まってアキムを見据えて、頬を高揚しながら微笑んでいた。なにがですかと聴いてみれば、意外な答えが返ってきた。

「無理、させていましたよね。忙しいでしょうに、私のために、色々と行く先を見つけてくれて、案内までさせてしまって」



 無理と聞いて、嘘が露顕したかと冷や汗をかいたアキムだが、ルイスは嘘をつかれたことにすら気づいていなかった。

しかし、これは好機だ。このまま距離を詰めるのは容易であり、全くと言っていいほど、警戒心を抱かれていない。むしろ、無理をさせたと、自分を卑下しているほどだ。ならば甘い言葉の一つや二つで、本当にホテルへ直行になるかもしれない。



 だというのに、知的好奇心以外がピクリとも反応しないので、そういう行為の際に上手くいくかは分からぬところだが、とりあえず今は、ルイスの言葉を否定する時だ。



「いえ、僕としてもいい経験でした。最初に話した通り、友達も少ないわけでして、女性ともなると指が一本立つかどうかです。ですから、この四日間はとても楽しかったですよ。これが大人の友情なのだと知れたのですから」

 そこから先を話すのは、酒を飲んでからにしよう。人間誰しも、酔えば判断能力が鈍るものだ。その先のホテルより先に、フィクナー財団についてあれこれと聞けるかもしれない。



「それで、友人として最後の案内先に、なにかご要望は?」

 ムジナから学んだ笑顔で問いかければ、多民族がより集まっている店がいいとなった。その答えはもちろん想定済みなので、経年劣化して造りなおされたゴジラの見守る歌舞伎町で、メニーピープルという、読んでそのまま、多くの人々が集まる、静かというより多民族がそれぞれの国の酒や踊りが楽しめるバーを選んでおいた。



ネットでの評価は、星五つしかないほどの有名店だったので、ムジナに頼んで席の融通をきかせてもらった。

「それじゃ、今日が終わればしばらく会えませんから。飲んで騒いで、楽しみましょう」

 そうですねと、ルイスは答えたが、どこか悲しげな顔をしていた。

「今夜が終われば、ずっと会うこともなくなるんでしょうね……」



 いくらでもチャットや通信の手段はあるが、やはり生で顔を合わせるのが、人間関係において重要なのだろう。

アキムからすれば、ようやく面倒なことに付き合わずに済むので大歓迎なのだが、ルイスは心底悲しそうだ。知ったことではないが、好かれるのなら、好かれる分だけいい。

ムジナから貰ったコンドームも使うかもしれないと何度目かのことに思考を回しつつ、独特な色合いをしたメニーピープルの扉を開けた。





 ミラーボールがギラギラと照らし、その下で踊りながら酒を飲む人々をカウンター席で見ながら、お気に入りのベビーラムのロックを探すと、流石はメニーピープルを名乗るだけあって、置いてあった。それに、アルコール度数も四十%近く、早速頼んだ。



「意外ですね。ロシア人の方々は、ウォッカが好きだと思っていましたので」

「それは固定概念ですよ。まあ、度数が高い酒の方が好みですが」

「ロシア人はお酒に強いというのは、固定概念ではなさそうですね」

 確かに。なんて会話をしながらチェリーの乗ったカクテルを頼んだルイスと乾杯すると、一口含む。この甘い味わいかつ、度数が強くてチビチビとしか飲めない飲みはじめと、氷が解けて、アルコールが薄れた時への味の変化がたまらないのだ。



 しばらくはそのまま、静かに酒を飲みながら、踊りや歌を見ていた。これが男女間でいう良い雰囲気だというのなら、話しかけるべきだろうか。そういうタイミングだろうか。

だがしかし、アキムはポケットから針の穴程の透明なチップを取り出すと、見入っているルイスのカクテルに沈ませた。仕事は完了したと、ルイスへ聞こえないようにムジナに伝えれば、あとは好きにしろということになった。



 正直、あと一、二杯飲んだら帰って寝たい。性行為がどうとかはいつでも学べるので、今こだわる必要はなく、むしろ関係が進んでしまったらウソがばれるだろう。一応ライアードの社員ですと名乗れるが、一般人や常識人は異様に嘘を嫌う。ちょっとした優しい嘘なら気付かないし、露顕しても深く言及はされないが、一定のラインを超えると、目くじら立てて捲し立ててくる。



なぜ嘘をついたのか。嘘をついて心が痛まないのか。相手に失礼が過ぎるのではないか。どうしてこうも嘘が嫌いなのか理解できないが、そんな連中を、アキムは一言で黙らせる自信がある。

 「それがどうした?」ただそう言うだけで、一般人や常識人は話が通じない相手だと去っていく。嘘をついても心は平常心だし、心はいつも通りピカピカで、むしろ嘘をついた時の反応を楽しんでいる。相手に失礼に関しては、それこそ「それがどうした?」だ。

だから、この場も早々に切り上げようとしたときだった。適当な嘘を考えていたら、ルイスが助けたい人々がいると口にしたのは。



「お父様やお母様に連れられて、世界中の貧困や飢餓に苦しむ人々を見てきました。とても悲しいことですし、同情心をいくらかけても足りません」

 面倒になってきたが、念のため、今後もコンタクトを取って利益になるかもと、財団のお金でどうにかなるのではないかと返した。しかし、ルイスが救いたい人々は別にいるらしい。



「お金がなければ、その国や、小さなところで言えば村の村長に寄付すればいいんです。おなかがすいていれば、品種改良したお米や野菜が育つ環境を整えればいいんです。ですが……」

 そこでカクテルを一口飲んだルイスは、どうしても救えない人々がいると呟いた。



「生まれもって、障害を持っている子供たちです」

 ルイスの真剣な声に、アキムの嘘という化粧で作った顔にヒビが入った。



「どこの国でも、障害児は差別され、虐げられていきます。それを受け止めてくれる福祉施設は、日本には多いですが、海外に目を向けると少ないもので……。それに、救いようがないじゃないですか。お金をあげても価値が分からなくて、食べ物をあげても一人じゃ食事ができない子もいます。社会的に見ても、成人した障害者は行き場を失います。何らかの職につけても、それは社会に適応させるための措置としてでしかなく、お金ももらえません。ですから、もしも私がフィクナー財団を継いだら、世界中の障害者たちを支援する方向へと、イクセルも含めて方向転換するつもりなんです」



 まだ夢物語ですけれどね、と苦笑を浮かべるルイスに、アキムは珍しく怒りを心に宿していた。



「あなたは、その莫大な金を、障害者に使うのですか」

 今までより低くなった声で問いかければ、いずれはそのつもりですと意気込んでいる。

「より優秀な人を育てるとか、そういう面には援助をしないのですか」

「優秀な人は、今ある社会が支えてくれますから。日本のレール社会の様に、世界も変わりつつありますし。それに、」



 若干間をおいたルイスは、心からの微笑で口にした。かわいそうじゃないですかと。

「同じ人間なんですから、同じように生きるべきだと思うのです。もしも足りないところがあったら、その面だけを助けて、育てていく社会。もしかしたら、先天的な障害をなくす薬や医療法も作れるかもしれませんから。妹のニオは違う考えのようですが、それでも、いつかは障害者に誰もが優しい世界を作る。それが私の、フィクナー財団という、社会的弱者を救うために出資する家に生まれた運命だと思っていますから」



 まだ遠い夢ですけどねと、はにかむルイスに、コップを持つ手に力が籠る。やがてカタカタと震えてきて、ベビーラムのロックを一気に飲み干した。



「その甘さが、障害児の減らない理由なんだよ」



 声音も言葉づかいも普段と同じように戻して口にした言葉に、ルイスは間の抜けた顔をして、ムジナは落ち着けと無線越しに騒いでいるが、ピアスを取って、カウンターを叩きつけた。



「この国も、あんたたちもそうだ。いつも夢みたいな理想だけ掲げて、ボケ老人やIQが七十を切っているよだれダラダラでまともな会話もできない障害児に手厚く接して、金も人も出す。ようやくこの国の老人どもが死んでくれてスッキリしたと思ったら、今の総理もあんたらも、切り捨てるべき障害者を擁護し、IQが百三十を超えるメンサには一銭も払わない。そんなクズどもに、これからはAI技術もアンドロイド技術も投入される。だが、それで成人したら、社会にポイだ。散々甘やかしてきた奴らを、あとになっていきなり切り捨てる」



 ルイスは、豹変したかのようなアキムに困惑していた。それでも、かわいそうでしょうと同意を求めるが、アキムの青い瞳は明確な怒りを宿してルイス・フィクナーという偽善者を睨み付けた。



「日本は障害者が乗っているってだけで、高速道路の料金が激減するんだよ。その他にも、例を上げれば限りなく、産んだ親が得するシステムになっている」

 それは、障害児を抱える親が大変だからとルイスは俯きがちに言い返すが、アキムには火がついていた。

同じように頭が常人とは違うのに、なにもかもが手厚く守られる障害者たちと、ギフテッドとしてアメリカへ行けだの、社会のためだの言われ続けたアキムだからこその意見だった。



「だいたい、今の産婦人科なら、生まれるずっと前に障害の有無どころか、その度合いまで分かる。だというのに、命が大事だ、子供がかわいそうだと、無責任に障害児を産んでは、社会が用意したサービスに浸かり、さっきも言ったが成人したら捨てる。何度も障害児の相手を学校がさせてきたから分かるが、あんな奴らに未来はない。よくて工場のライン作業がいいとこだ。生産性も、コストの面でも、まず一に作業を教えるところから無駄なんだよ。あんな奴らに金を払うなら、馬券でも買った方がまだマシだ。せっかく人間は高度な文明を築いて、戦争もない世界ができたのに、クズどもに金を使うのが、全ての面から見て、間違いだ!」



 一気にしゃべりすぎて疲れたが、これがアキムの本来の姿なのだ。一番嫌いな障害者という、ギフテッドである自分には厳しい社会が優しくする相手が。そこに費やされる金が、人が、施設が、土地が、知識が、時間が、理解が、全て無駄だと、アキムは怒りに燃えている。そんな様子を見ていたルイスは、歌舞伎町へ来た時とは明らかに違う悲しみを含んだ顔で、アキムを見ていた。

「今の言葉、私は聞いていてとても悲しかったです。まるで氷のように冷たくて、障害者に死ねと言っているようで……それに、もっと温厚な方だと思っていたことも、悲しいです。ですが、一番悲しいのは――あなたの言葉が、心の底から湧き出てくるものだったからです」

 ルイスは静かに席を立つと、一礼して、「今日までありがとうございました」と言い残して、メニーピープルを去っていった。


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