ルイス・フィクナー
新宿、池袋、渋谷、銀座、六本木――そういった所謂、老いも若きも、男も女も大勢訪れる地域は、他と比べて目まぐるしい発展を遂げた。
人と車の交通を滞らせないよう、横断歩道は緩やかな山になっており、その上を車が走り、下を歩行者が歩く。大規模な工事もアンドロイドの大量投入で迅速に進み、立体型の道路が完成した。
その真下、上を車が走る電磁広告の中、アキムは少し乱れたワイシャツにジーンズ姿で大通りを進んでいる。潜っているとも言える道を超えれば、ホテルヒルトの噴水広場へとたどり着いた。
優雅ではあるが派手さはない、ある意味日本らしい噴水広場は、ホテルヒルトの正面にある。女の足かつ、ボディガードも連れてくるのなら、こちらの方が早く到着するだろう。
案の定、こちらよりも遅く、午前七時を回らない冬の冷たい噴水広場に、ルイス・フィクナーは現れた。画像で調べた通りのブロンドのくせ毛で、金色の瞳は、まだ眠たそうにまどろんでいた。
しかし奇妙なことに、ボディガードの一人もいない。耳につけてきたピアス型の無線機でムジナから見て誰かいないのかと聞けば、フィクナー財団一行どころか、スナイパーも含めて監視はないという。奇妙ではあるが、話しかけるなら今ということだ。
アキムは噴水を前にしてぼうっと立っているルイスに話しかけた。「ニュースで見ましたよ」と。
「エリアナインの視察と復興。今やあなた方フィクナー財団の方々は日本人にとって時の人だ」
突然のコンタクトにビクッと体を震わせたルイスは言葉を探しているようで、口をパクパクとさせてから、「こんにちは」とカタコトの日本語を口にした。その後、訂正するように手を顔の前で振ると、ロシア語でこんにちわ、を発する。
「英語で構いませんよ。なんならフランス語でもドイツ語でもチェコ語でも会話はできますから」
そうでしたか。ネイティブに戻ったルイスは、アキムを頭から靴まで見ると、「どこかでお会いしましたか?」と聞いてきた。
「さっきも言った通り、こちらはニュースでなら見ていますよ。インターネットもSNSのトレンドも、あなた方の事でいっぱいだ」
「そんな、たいしたことではないのです。私はお父様とお母様についてきただけの、観光客にすぎません」
「なら尚更、有名人と気軽に話せるというものです。遅れましたが、僕はこういう者です」
ワイシャツのポケットから一枚の名刺を取り出すと、ルイスに差し出す。受け取ったルイスは羅列されている情報を読み取ると、大学関係の人ですか、とアキムへ向きなおった。
「そうですね。たいてい昼は教授の手伝いをして、夜は論文を書く毎日です」
「出会ったばかりの人に聞くのは、この国では失礼かもしれませんが、どういった研究を?」
「機械工学とAIについて少々。つまりは、アンドロイドに関する研究をしています」
「そうですか。しかし、そんなあなたがなぜ、こんな時間に、こんな場所へ?」
「向かいのホテルに教授と住み込みで研究を進めているんですよ。なんでも、高いところにいるほうが天啓を得られるとか言いだしまして。エベレストへ機材を持って行こうとするところを止めて、ホテルの最上階で我慢してもらいました」
まったく困ったものだと肩をすかすアキムへ、変わった方ですねと、なにもかもが嘘である話に、ルイスは微笑む。サイコパスではなくとも、知的好奇心のために人へ何発も鉛玉を撃ちこんで、その末に礼を言うアキムは後天的なサイコパスであるソシオパスだと、自らを定義している。
だから嘘をいくらついても罪悪感を感じないし、嘘をつくためにいくつもの会話のルートを頭に描いている。同時にアキム式恋愛術として、まずは自分について興味を持ってもらえるように会話を誘導した。次は友人になれるかが焦点となる。
「それで、あなたもこんな時間から、なぜ外へ? 見たところボディガードはいないようですが」
「所詮、私は付添いの観光客ですから。アメリカと違って治安のいい日本なら、一人で朝の新しい空気を吸うのも悪くないと思っただけです」
「なるほど、僕はアメリカへ行ったことがないので、映画くらいでしか街並みを知りませんが、物騒なんですか?」
「こんな時間に女一人でうろついていたら、攫われても文句が言えない程には」
これも知っていたことだが、結局受け入れてしまったメキシコからの移民と、貧富の差が生み出したアメリカの街並みは、どこかエリアナインに似ている。金持ちとホームレスが同居しているような光景は、このまま何の手もうたずにエリアナインを放っておけば実現するだろう。
金持ちが金持ちを押しのけ、住むところがなくなり、もしくは会社を立てる土地がなくなり、仕方なくエリアナインが選ばれる。そうなれば、バットマン誕生に欠かせない様な、金持ちと人殺しが同居する混沌とした場所になるだろう。
「それにしても、日本はいい国ですね。行政が社会的弱者のためにお金と人を出して、病院の医療費は国がほとんどを負担しています。レール社会という、ある側面から見れば窮屈な社会かもしれませんが、アメリカに住む私から見ると、安定した生活が約束されていて、とても素晴らしいものだと思います」
レールなんてクソくらえだ。そんなことを口にすれば、徐々に近づいてきた関係が一気に崩れる。アキムはルイスと自分に嘘をつく為に、レール社会を肯定した。
「あなた方は、要は弱者を救うために、わざわざ海を越えてきたわけですが、それはご自身の考えでもあるようですね」
「考えることしかできませんけれど、財団の一員として、意思だけは大切にしようと思っています」
素晴らしい姿勢だ。とても感服しました。アキムは嘘をこれでもかと並べると、単純に知的好奇心を満たしたいという理由を付けて、「財団ではなくあなたがこれから行うこと」を問いかけた。
「僕は金持ちでも高い地位にいるわけでもないですが、人一倍好奇心に満ちていまして。よければ話を聞かせてくれませんか?」
ルイスは、そうですねと頬に手を当てて考えている。おそらくこの方法を日本人女性に行えば、距離の詰め方が早すぎると警戒するだろうが、アメリカ――というより、外人は基本的に人付き合いを積極的に進める。
要はとっとと相手と自分を比べて、話し相手に値するかを早急に決めるのだ。
「まだ来たばかりで色々と落ち着いていないので行けませんが、歌舞伎町と呼ばれる多民族が集まる街へ足を延ばそうかと考えています。なにぶん両親が高い地位にいるもので、同年代の知り合いが少ないのです。私本来の姿を見るというより、後ろにいるお父様やお母様を見ているような――だから、ちょっとした変装をして、ボディガードにも来てもらわずに、純粋な友人関係を築く為、行こうかなと」
変ですよねと困った様な笑みを見せるルイスに、自分に似ているなと思いながら、ここがつけこめるポイントだと、瞬時に言葉を選んだ。
「友人という面では、僕も同年代にはあまりいません。今の日本は日本人とメキシコ人、そこにベトナム人と中国、韓国からの移民者を集めた、アメリカに次ぐ移民大国となりつつありますから。その中にロシア人がいないので、なかなか友人に恵まれません。それに、ここ数年は教授と僅かな職員たちと研究の毎日ですから」
「意外ですね。こうして話していると、とても社交的な雰囲気を感じますが」
「自分なりに友人を作る努力、みたいなものです。そういったハウツー本は、書店に所狭しと並んでいますから、勉強する分には問題ないのです。ただ、実践がないというだけで。そういうわけで、朝の空気を吸いに来たらあなたがいたので、話しかけたというわけです」
それでは口説いているようなものですよとルイスは笑うが、悪い印象は与えていないようだ。あとは、この嘘で塗り固めた斎賀アキムを友人として迎え入れてくれるかだ。
「口説いて恋人になっても、友人がいなければ誰にも自慢できませんよ。それにあなたは十日間しか日本にいない。それでも、今の世界なら、距離は友人関係に大した問題にならない。そういうわけで、僕の好奇心を満たしてくれる友達になってくれませんか?」
時間があれば、もっと少しずつ距離を詰めたいところだが、期限は十日しかない。それに、こうやって自由に動いてくれるのもいつまでかわからない。だから直球勝負で手を差し伸べた。
「まるで古い映画の様な方ですね。悪い意味ではないですよ? ただ、日本人とは、もっと慎重かつ消極的だと思っていましたので」
「見た目でわかると思いますが、ロシア人の血を多く受け継いだようでして。お酒にも強いですし、他人に対しても積極的に接するようにしているんです。それで、答えをお聞きしても?」
本当に変わった人だ。ルイスは微笑ながらも、初めてであろう日本人の友達として、アキムの手を取った。
「このあと四日ほど、両親は日本を回るようですが、私と妹のニオはここにいます。友人として、この新宿という街のエスコートをお願いしてもいいですか?」
「こちらも、しばらく教授が思考に耽るそうですので、時間ならあります。今後のためにも、連絡先をお聞きしても?」
もちろんですと、Iドロイドを取り出して、電話番号とメールアドレス、それからショートメッセージを送れるアプリのIDを交換すると、早速今日の昼間には出かけることとなった。
「それでは、昼の一時過ぎに、この場所で」
それだけ約束して、互いのホテルへと戻っていった。きっとルイスは純粋な笑顔だろうが、アキムは無表情だった。こんな茶番に四日も付き合わなくてはならないことに、面倒くささだけを感じて。