人を殺すということ
いつものフカフカベッドと違い、固い床に布団一枚だったので寝不足だが、Iドロイドは午前九時を指していた。
ライアードの本社の中、埃と悪臭に悩まされながら一晩を過ごすと、そういえば両親に連絡を送っていなかったと思いだし、どんな言い訳をついたものかと画面と睨めっこした。
そこへ、ヨタヨタとおぼつかない足取りで、若い男が歩み寄ってくる。
「あんたも薬中か?」
三十かそこらの男は、ボロボロのTシャツから見える赤く爛れた腕をチラつかせていたので聞いてみたが、こちらの言葉が耳に入っていないのか、早く立てと急かしてばかりだ。
仕方なく立ち上がり、埃を払って男についていくと、崖の様な穴に直面する。どうやら、元々はエレベーターがあったのであろう。ロープだけが真下の暗闇に伸びている。よく見れば、そのロープに取っ手がついており、足を置く台もある。
「これで降るのか?」
冗談半分で聞いたつもりだったが、男は想像した通りの乗り方で宙ぶらりんになると、早く来いともう片方へ急かされる。
どうせ逃げられないのだから、肩をすかして手と足を乗せると、男が奇声を上げた。何事かと耳を塞ごうとしたが、どうやら合図だったようで、ロープは下へとゆっくり落ちていく。痙攣する男は落ちないのかと心配だったが、最下層まで降りてくると、立派なゲートがあった。
上の掘っ建て小屋からは想像もつかない最新式のセキュリティゲートであり、男がパスワードを振るえる手で打ちこむと、ゆっくりとゲートが開いていく。
「なるほど、上はダミーか」
ゲートの先には学校の体育館ほどのスペースがあり、照明で照らされた山のように積まれている木箱や段ボールが見受けられ、開けっ放しの白い粉の入った袋や、年季の入った銃器と弾丸が並んでいる。
奴隷のようにそれらを分けている男や女たちとは別に、地下室の真ん中には、木箱に座ってムジナが待っていた。
「どうだ天才君、死ぬかもしれない覚悟はできているか?」
笑えない冗談――いや、冗談ではない現実に、まだ死ぬ気はないと返しておく。すると、今まで隣にいた痙攣する男が犬のようにムジナへと駆け寄り、注射器となんらかの薬を受け取っている。
「これが一番操りやすくてねぇ。ほら、あれだ……そう、あるだろ? 馬の頭に人参つけた棒きれ固定して走らせるやつ。ここにいる奴らはみんな、俺が持っている薬が欲しくて働いてるんだよ。給料ゼロ円で」
「……もしも、こいつらに襲われたらどうする。薬欲しさになにをしてくるか分からないだろ」
そういう時はこれだと、サベージを取り出す。ついでとばかりに指を鳴らすと、何人かのまともに見える黒ずくめの男たちが集まる。
「いわば、こいつらは幹部だ。俺が有能だと見抜いた奴らだよ。殺しも強盗も強姦も、命令すれば何でもこなす。あの薬中どもと違うのは、純粋な悪意かつシラフのまま働いてくれるってところだな」
さて、ちょっとついてきてもらおうか。ムジナの言葉に、黒服を残してついていった。
「気を付けろ。薬中の奴らは痙攣が酷いからな。グレネードのピンを抜いちまうかもしれねぇ」
どう気を付けろというのかと心の中でボヤきつつ、いくつかのセキュリティのかかった扉を開けていくと、照明の切られた真っ暗な部屋に通される。なにか呻き声が聞こえるが、なにも見えない。
ムジナに問おうとすれば、特等席で見せてもらうと、真っ暗だというのにソファーかなにかに深く腰掛け、パチンと指を鳴らした。途端にLEDの光が狭い部屋を照らすと、数メートル先に薬中の男が二人と、椅子に縛られ、黒い布で顔を隠された誰かがいた。
「なにかの、その、プレイか?」
そういった知識に疎いアキムは首を傾げるが、ムジナは手を叩いて笑うと、その黒い布を取れと命令した。
分かりましたと震える手で取られた先に見えた顔は、ここ数年で嫌というほど見てきた顔だった。
「斉藤さん……」
猿ぐつわをされて必死に何かを伝えようとしているが、聞き取れるはずもなく、なにをどうすればいいのか、斉藤の事などどうでもいいのでムジナに聞いた。
「ああ、そう、そうだな。あれだ。ロシアンルーレット……じゃねぇな。ああそうだ! 度胸試しだ!」
度胸試し? とそのまま聞き返せば、何度も頷いて興奮している。
「俺としても、ギフテッドが加わってくれたらありがたいからな。だが、常識人や善人じゃ意味がねぇ。つまりは、ああ、そうだそうだ、悪人になってもらわなきゃいけないんだ。と、いうことで、お前には、そこの男を殺して悪人になってもらう。それがチャンスだ」
人を、斉藤を殺す? 一瞬理解できなかった時に一丁の拳銃が投げ渡された。
「ワルサ―P38。千九百三十八年に作られた銃だ。口径こそ小せぇが、初めての殺しには十分だろうよ」
銃という物を初めて手に持ってみて、ズシリと重たいワルサ―は、人が人を殺すために作った代物なのだ。今から、これを使って、斉藤を殺す? 殺せなければ、殺される?
――ああ、なんだろう。まただ。また、別の人格に変わりそうだ。冷たい感情が沸いて、動悸は静かになる。まるで殺す事を、すでに決めているような、そんな感覚。この感覚の正体は、なんなのだろうと、そういえば調べたことがあった。
そこにはギフテッドだからとかではなく、もっと別の答えがあった。その答えを否定しようとしたが、気が付けばワルサ―を斉藤に向けていた。一切の躊躇もなく、無意識に人を殺すための道具を斉藤に向けていた。
「なんだったかな……俺の感情、意識、脳内、全てが冷たくなって、なにもかもが――自分のこと以外がどうでもよくなる、これは……」
ああ、思い出した。ずいぶん昔に調べたきりだったから、忘れていた。その答えを否定もしていたから、余計に。
試してみよう。斎賀アキムは『それ』に値するのかを。
「あの猿ぐつわを外してくれ」
ワルサ―を向けたまま、顔面蒼白の斉藤をしり目に、ムジナへ要求した。
「おいおい、ハードルが上がるだろ? 命乞いってのは、余程の殺人鬼でもない限り、結構心にくるんだぜ?」
「ああ、だからだ。そのハードルを越えられるか確かめたい」
それを聞いたムジナは、口角を上げて目を見開くと、次第に笑みへと変わる顔で、アキムを凝視している。
「お前まさか……いや、うん、後でいいな。全部終わってからにしよう。――おい右の……なんだったか。とにかく右の奴、猿ぐつわを外せ」
指名されたこちらから見て右側に立っていた男は聞いていないといった様子でモタモタとしていたら、ムジナに眉間を撃ちぬかれた。
「死にたくなかったら、とっとと外せ」
サベージを左にいる男へ向けると、震える手つきで猿ぐつわを解いた。途端に、斉藤は唇を震わせて言葉を発した。
「ま、待ってくれ! なにもかも狂っているぞ! 今の男も、なにも殺すことはないだろう! 一生警察に追われる人生になるんだぞ!」
正論だ。まったくもって正論で、筋も通っている。そもそも人殺し自体、間違って……ん? 間違っているか?
「なあ、人殺しっていうのは、いけないことか?」
自然と口に出ていた。斉藤は当たり前だと、誰もが口にして、心の底から思っていることを喚き散らしている。だが、ムジナは高笑いを上げると、素質があると前のめりに座りなおした。
「いけないわけ、ないだろう? 人殺しのなにが悪い? 心臓が止まって、親族やら友人その他が悲しむだけだろう? ……ああ、いやいや、それだけじゃない。それだけなら悪いことだ。だから視点を変えよう。教習所みてぇにもしかしたらって考えるんだ。誰かが死んで、喜ぶ奴だっているかもしれねぇとよ。むしろ待っていましたとばかりに極上のシャンパンを開ける奴だっているかもしれねぇ。そう考えてみろよ? 一概に、人殺しは悪か? 喜ぶ奴がいるのに」
その男は狂っている! 斉藤は必死の形相で否定しようとしたが、アキムもムジナの言葉を聞いて思うところがあった。人を殺すということの当事者は、どんな経験をするのだろうか。
どんな感情になるのだろうか。
どんな知識や思い出として残るのだろうか。
それを知るには、実際に殺さなくてはならない。ギフテッドは好奇心の塊だが、術がなければ、その好奇心を満たせない。
だから、こんな人を殺しても警察に見つからないであろう場所での殺人など、本来人生にはないものだ。
それが、今ならある。必要な殺意も斉藤にはとっくの昔から沸いているのだから。
「今まで散々、俺よりも無能な大人たちにギフテッドへ対する英才教育という名の洗脳教育を受けてきたから敬称はつけずムジナと呼ぶが、二つ質問をしてもいいか」
「俺としても畏まられるのは鬱陶しいから許すが、なんだ?」
「あの右側に立っていた男。あいつをあんたが撃ち殺した事に対してだが、俺も命令を迅速に出来なかったり、背いたりしたら、殺されるのか?」
「サイコパスの言葉を信じるのは難しいだろうから、一経営者として答えてやる。そうだな……そうだ、薬もやっていない将来有望かつギフテッドをそう簡単に殺したりはしないぜ? 損害でしかないからな。その点は、まあ心配するな」
「そうか」
そうか……そうなのだな。仮に斉藤を殺したら、きっと裏社会で生きていくのだろうな。家族に連絡しなくてよかった。
「それで、二つ目の質問だが――こいつには、何発入っている?」
ヒヒ、ハハハハハ。そんな笑い声が地下室に響くと、ムジナは答えた。「八発」だと。
「分かった。ありがとう」
言葉が途切れた瞬間に、一発右足に向けてトリガーを引き、悲鳴が上がる前に左足を撃った。痛みと出血で悲鳴は絶叫になり、殺さないでくれと涙を流しながら懇願している。
ああそうか、これが命乞いで、これが人を撃つということか。
「勉強になったよ」
そのまま右手、そして左手と発射する。素人とはいえ、相手は椅子に縛り付けてあるのだ。真ん中あたりを狙えばどこかには当たる。
「斉藤さん、俺、あんたのこと大嫌いだったよ。それでさ、何度も殺意が沸いていたんだ。でも、いつもそれはおかしいことだって思い直していたけれど、違うんだな」
右腹、左腹、順番に撃ちぬいていくと、その口から大量に血が吐き出される。
「その口も嫌いだった。口うるさく、俺の人生を決めようとするその口と、頭が」
待ってくれ。血を吐き出しながら、そう言ったような気がした。でも、もう、うるさいから、口の中に弾丸をプレゼントして、最後の一発はしっかり狙って頭蓋骨を砕いた。脳みそは、ぐちゃぐちゃだろう。
「さようなら斉藤さん。いろいろ教えてくれてありがとう。俺、これから『ソシオパス』として、悪人と付き合っていくよ。善人と一緒にいてもつまらないことばかりだったから」
サイコパスはギフテッドの様に生まれもって与えられるものだ。しかし、後天的にギフテッドになれない事に対し、サイコパスには近づける。育ってきた環境が、人の心を歪ませるのだ。その歪みを受け入れるようになれば、やがてソシオパスという後天的なサイコパスになる。
「合格だよ、イカレタ天才君」
ムジナは、ただ高笑いを続けながら肩を抱くと、心底気に入ったと頭を撫でてくる。これからは、ムジナが通じている裏社会の情報を頼りに金を奪っていくのだ。
「それじゃ、色々と説明することがある。お前の頭脳で俺が用意した金のなる木から沢山の銭を落としてくれ」
それもそれで楽しそうだ。またたくさんの知らないことを知れる。
「楽しみだよ、ムジナ」