裏の社会への入口
交通渋滞緩和のために造られた立体型で三段の高速を走ること五十分ほど。誰一人として降りないエリアナインへのインターチェンジを下っていると、まだ斉藤は追ってくる。
とはいえ、下道に下りてしまえばこっちのものだ。車では追いつけない細い路地や人ごみの中を走ると、斉藤の車はアキムを見失い、スラムと化したエリアナインで右往左往している。
そんなことは気にせずに、現在地を確認して、記憶していたライアードの本社へとバイクを走らせる。しかし、
「酷いものだ」
エリアナインは悪臭が漂い、日が差しているというのに薄暗く、かつて千葉県だったころの建物の窓は割れ、その下で腕に何本も注射後のある男や女が虚ろな目でアキムを見ている。薬物のやり過ぎであろうことなどすぐに理解したが、同情など一欠けらも抱かなかった。
所詮、薬に頼らなければ現実を受け止めきれない精神的弱者たち。アキムは、そんな弱い奴らが嫌いだった。ここにいる連中は無謀な移民か破産なりで住むところがなくてこうしているのだろうが、アキムが最も嫌う――憎悪していると例えてもいいかもしれない奴らがこの国には大勢いる。それは――
と、若干夕方に差しかかってきたエリアナインで、ライアードの本社にたどり着く。
「……なにか、違うな」
想像していたのは、もっと立派な建物がドンと構えていて、人の出入りが激しいのかと思っていた。しかし、目の前に建っている建物は、看板こそライアードだが、崩れかけかつ木造二階建ての掘っ建て小屋だった。
アキムは名刺をもう一度確認し、Iドロイドのナビも確認してみる。しかし、ここがライアードの本社だと、どちらも示していた。
人の気配こそするが、どうにも大学の講義に呼ばれる人が経営する建物ではないと頭を掻いていたら、斉藤の車が遠目に見えた。こちらに気付いているようで、すぐさまフルフェイスのヘルメットを被ると、ライアードの本社を超えて細かい路地に入る。
もはや標識もない道を滅茶苦茶に進み撹乱すると、何隻か船が停泊する港と、コンテナターミナルに出た。開けていて、またしても斉藤の車に見つかる。そういえばGPSを切っていなかったとIドロイドを取り出してOFFにする。バイクは人気のない潰れたスーパーの中に隠し、コンテナターミナルへと走った。
エリアナインと呼ばれる一因となった海に面している港のコンテナターミナルの中を、通って来た道のすべてを暗記しながら身を隠すと、斉藤は車から降りて、Iドロイドを確認しているが、GPSなしでは見つかるはずもない。おそらく違法ドラッグだとか銃器が入っているだろうコンテナの影からざまぁみろと中指を立てると、肩に誰かの手が置かれた。
「へぇ、あの男から逃げているわけか」
誰だと振り返ろうとしたら足を払われて転んでしまい、コンテナに頭をぶつける。いったい誰だと見上げれば、つい先ほどまで大学の講義に来ていた桐生ムジナがそこにいた。
「ヤッホー、天才君。困ったら連絡しろとは言ったが、直接来いとは言ってねぇんだけどな」
どうにも雰囲気が違う。温厚で接しやすく、笑顔を絶やさなかった人材派遣会社の社長ではない。見上げた先にいるのは、不敵な笑みを浮かべ、真っ黒いロングコートを着たムジナだった。
「それにダメだろう? 将来を約束されたギフテッドがこんなところに来ちゃ」
口調も雰囲気も全く違うムジナは、アキムが立ち上がると、結局廃れなかったが値上げした一箱千円はするタバコに金色のジッポーとかいうライターで火をつける。
「それで? ああ、そうだな。なんだったか……ああ! 質問だ! そうそう、お前はなんでここにいる?」
おどけた様な口調で煙草を吹かすムジナに、アキムは頭を押さえながら、「ライアードに興味がある」とそのまま伝えた。
「なるほど、俺の会社に興味とはねぇ。テメェみたいなギフテッド……いや、違う。うん、頭のいい連中は、客になってくれりゃいいんだよ――表向き、のな」
表向き? と聞き返そうとして、後ろを見るように顎で促された。そこには、サングラスをかけた屈強な男たちを連れた初老の男性が、杖を強く地面にうち付けて声を荒げた。
「取引の品はどうした! まさかそこにいる小僧じゃないだろうな!」
どうにも怒っている初老の男性もムジナも、おそらく堅気の人間ではない。そんなムジナは、怒っている初老の男をなだめると、指をパチンと鳴らした。
それが合図だったのか、コンテナの上や影から猿ぐつわをされた女性や段ボールを持った男たちが現れると、次々に初老の男性へと渡され、中身を吟味している。
「あの、あれの中身って……?」
恐る恐るムジナに問えば、決まっているだろうと鼻で笑う。
「覚せい剤、大麻、コカイン、MDMA、LSD、ケタミン。それから薬で頭がおかしくなったが商品として見た目がいい女と、ID認証なしで使える銃ってとこだ」
それって違法でしょ。そう言いかけて口を閉じた。エリアナインでは、当たり前のように扱われているのだろうから。
この場にいておかしいのは、アキムなのだから。
しばらく確認に時間がとられ、これで問題ないとなったら、黒いスーツケースが運ばれてくる。中身は容易に察しがつく。金だろう。
そうして初老の男たちは夜に差し掛かってきたコンテナターミナルから黒塗りの高級車で去っていくと、この場に商品を運んできた男たちは姿を消した。
「あいつらは俺の部下だ。俺の手足の様に動いてくれる。まあ、大概が借金背負ってる奴らだがな……さて、そろそろお前の相手をするとしようか」
ムジナは沈みかけている夕焼けを背に、腰から一丁の銃を取り出した。
「このご時世、二千年代以降の銃の類はほとんどID認証がかかって、そう簡単に撃てなくなっちまった。だから博物館物の銃を使うしかねぇ。俺としてはクラシックが一番に思えるがな。それでこいつは、サベージM1907、千九百七年に製造された銃だ。この後のことは、分かるな? お約束の、お前は知りすぎたってやつだよ」
不味い。エリアナインとはいえ、このレール社会で銃を向けられるとは思ってもみなかった。冷や汗が頬を伝って、ギフテッドの頭はこの現状をどうにかするためにしわを刻む。
――だが、どこかでこの状況を楽しんでいる自分がいた。刺激に満ちて、死と隣り合わせな、この現状が。たまらなくスリルと緊張を与え、全身の血液が振動しているようだ。それは現状を打破するためではなく、更なる興奮を求めるためへと思考を変えた。
「……撃ち殺される前に聞いておきたい。あんたは、本当に大学の講義にやってきた桐生ムジナか?」
口調もやっていることも、全てが違う。いつ撃たれるかという瀬戸際のスリルを肌で感じながら答えを待つと、ムジナは腹を抱えて笑い出した。それがしばらく続き、やがて俯いて低い声で何度かクックと笑えば、狂人という言葉が一番あてはまる笑みで「ああそうだよ」と、当たり前のように答えた。
「お前はたしか、生まれもってギフテッドとやらになったんだろ? それと同じだよ」
「同じ……?」
「同じ同じ、本当に同じ。俺も生まれもって頭が、脳みそが他人と違うわけなんだよ」
ムジナは笑いを押さえながら懐を漁ると、今では廃れた紙媒体のコピー用紙をばら撒いた。
一枚取って見てみると、桐生ムジナの名で医者の診断書が書かれていた。精神科らしい診断書を読み解いていくと、たった一言、今のムジナを納得できる結果が記されていた。
『サイコパス』ただその一言で、アキムの頭にあった映画に登場する奇人変人たちが浮かび上がる。目の前には本物のサイコパスを瞳に映して。
「医者がそう診断したのが十六の時だ。嬉しかったね。とてもとても嬉しかった! 今まで俺のことを思春期特有の中二病だとか多感な時期だからって誤魔化していた連中に叩きつけられたからよぉ! 俺の狂気は純粋なものだってなぁ! ヒヒ、ヒハハハハ!」
笑い転げるムジナは、生まれもってのサイコパスなのだ。知っている限りのサイコパスについて思い返してみれば、全てが目の前のムジナに当てはまる。
「平気で嘘をつき、人の感情を操るのが上手く、サイコパスだとは容姿や立場からは想像もつかない。そして、共感性に欠けている――なるほど、人材派遣会社はダミーで、こっちが本業というわけか」
流石ギフテッド、話が早い。弾が籠っているのであろう銃を振り回しながら笑い続けるムジナだが、そこまで知られては、躊躇なく殺すとトリガーに指を駆けた時だった。アキムが大声で「大金をくれてやる」と、叫んだのは。
「単刀直入に言うが、俺なら、さっきみたいな裏取引を含めた全てに安全性と確実性、それから値段交渉やら他の会社や組織へのハッキング、それ以外にも、Iドロイドとアンドロイドの不法改造――とにかく、あんたの役に立つことをたくさん用意できる」
正真正銘のサイコパスに得が多いというだけで人殺しを止めてくれるだろうか。どこか心地よくなってきた緊張感が数瞬流れると、サページとかいう銃を下ろした。
「ヒ、ハハハ……なら、テストだ」
緊張感が解けて、なぜか物悲しく感じるも、ムジナはIドロイドを取り出した。なにかを命令したかのような口調で話し終えると、もう一度テストだと口にする。
「明日、お前がこっちの世界に来られるかテストしてやる。合格したら、さっき言っていたことをやれ。不合格なら――分かるな?」
死。それをこのレール社会でいきなり突きつけられるとは。だが、胸の鼓動は高鳴るばかりだった。
きっと、どこかで期待していたのだろう。ギフテッドだからと、人生を世のため人のためって生きるように強要される世界から、スリルと刺激に満ちた裏の世界へ行くことを。
なにせ、ギフテッドは人一倍刺激を求めるのだから。
「明日まで、ここにいろ。なに、布団くらいなら用意してやるからよ」
顔を歪めたムジナに答えるよう、こちらも笑っておく。なにが待ち受けているのか想像しながら。