尽きる
「終わったと、思っていたろう?」
暗い、どことも知れぬ地下室で、アキムは椅子に腰かけていた。久しぶりに買ったセブンスターを咥えて、銀のジッポーで火をつける。
横にはニオが茫然と立っていて、目の前には手足を椅子に縛られ、猿ぐつわをされたルイスが、ガタガタと拘束を解こうと暴れている。その両隣りには、『念のため』別の場所に残していた、薬中が二人、ピクピクと痙攣しながら、アキムの懐にある餌……麻薬を待っている。
アキムはセブンスターを存分に吸い、灰皿に捨てる。代わりに懐かしきワルサ―P38を取り出す。初めて人を殺した銃を。
「残念ながら、まだ終わらない――いや、この命が尽きるまで、永遠に終わることはないのだろう。俺の知的好奇心を満たすための行いは」
顔も目も真っ赤にして涙を流しているルイスは、こんなこと予想もしていなかっただろう。
善意を知らずとも、もっと危なく、持てる者が少ない感情を知って、身に着けていた。
『狂気』。抑圧されたギフテッドが心に宿した、冷たい氷の様な感情。狂気は枝分かれし、ソシオパスとなり、ムジナというサイコパスを超え、もう一度シャバに戻ってきた。
「右のお前、猿ぐつわを取れ」
唐突な命令に、麻薬でおかしくなった頭ではついていけずにもたもたしていたので、その眉間を撃ちぬいた。
「なんだ、殺す対象が変わっただけじゃ、たいして気は引かれないな」
それじゃ、左の奴に取れと命じた。恐怖を宿していた薬中は、震える手先でルイスの口を自由にすると、まずは咳き込んだ。
「次の台詞は、なんでこんなことをするのか、とかか?」
「あなたは……!」
「あなた? 俺は斎賀アキムだ。自らを探究心の塊と定義した、ギフテッドだよ。なにか問題あるか?」
「チャンスを、いえ、善意を知ったのではないのですか!」
初めてルイスが声を荒げた。アキムは膨大な頭の中にあるメモ用紙に反応を記録すると、知ったからだと返した。
「フィクナー財団とイクセルを通して、各国の貧困や差別から人を救うのが善意だと、よく知れたよ。障害者や老人にも救う価値はあるとも知れた。でもな、もう善意に関しては知りつくしてしまった。善意について、脳内分泌物との相関を表せという条件で論文を百枚書けと言われても書けるほどにな」
だが、知り尽くしてしまったことに興味はない。ルイスはそんなことなど知らずに、慈善事業に手を貸してくれと、久しぶりに訪れたメニーピープルの帰り道に話しかけてきた。
もう飽きていたアキムは、周囲に見られていないことを確認すると、隠し持っていたスタンガンで気絶させ、大げさに騒いだ。
救急車が来たら、イクセルがようやく建てた会社に運ぶように賄賂を渡して命令し、すでに買収済みの社員によって拘束させ、トラックに乗せてエリアナインに戻ってきた。
ここは、誰とも知れない人が、いつか建てて、潰れた会社の地下室。ニオにも来るように命じて同席させると、拘束されているルイスを見て、笑い顔と恐怖の混じった顔になった。
「次はボクかい?」と、冷や汗を流しながら問いかけながら。
その答えは、「フィクナー財団を仕切る代表は必要なので、ニオには傷一つ与えない」という、利害だけの関係の始まりだった。
「さてルイス。あんたの善意とやらは、この脳がしっかり記憶した。実体験も経た。時間も金も人も使った。とても有意義な時間だったよ」
「なら、なぜこんなことを!」
「理由は二つある。一つは、単純に邪魔なことだ。ニオとルイスの二人に合わせて世界を飛び回っていたら、ゆっくりと観察する時間が持てない。第二に――善意を知ったから、今度は悪意を学ぶことにした。悪意に関するお手本は、バラバラに爆死したが、この頭がしっかりと覚えている。桐生ムジナという、最高のお手本がな。あいつならこうするだろうと思って、あんたを拘束している」
「あの人は、そんな悪人ではなかった! 私を二年もの間、匿ってくれていたんですよ!」
「それは、表面上、そう見えただけだ。ムジナは、たぶんお前のことなんて、ライアードで働いていた薬中と同列にしか見ていなかっただろうな」
ともかくだ。今後の知的好奇心を満たすため、ルイスは邪魔で必要ない。だが、殺してしまっては、弁明ができないかもしれない。
そこらへんを伝えてやると、懐から注射器を取り出した。中身は、ライアードにあった麻薬を『念のため』、別の場所へ大量に隠していた物の一つだ。
「名前は興味がないから忘れたが、依存性が高く、正気を失わせるほどの効果があるらしい。まあ、人生が嫌になったが、死ぬ勇気のない精神的弱者が使う物だろうな」
それを、ルイスの手首に刺す。このために、利き腕ではない左手は表向きで固定した。
「や、やめてください! 邪魔しませんから! なにも言いませんから! お金だって、いくらでもあげます! だから、そんなことはしないでください!」
「いるだけで邪魔だし、口約束ほど信用できないものもない。金はこれからありったけ稼ぐから、あんたの提示した条件では止まらない。それに、実際使ってみたら、楽な気分になれるんじゃないか? 数日間、辺境国の視察に出ているということにしておくから、その間、半日に一本指す。それで中毒になったら、表舞台に立つ。実は、ライアードから麻薬を受け取っていました、という物語も作っておくから」
助けてと泣き叫ぶルイスの左手を押さえると、パラパラと読んだ医療書にあった注射の仕方通りに刺して、麻薬を血中に流し込む。
呻いていたルイスも、だんだんと意識が朦朧としてきたのか、よだれを垂らしている。これでは障害者と区別がつかない
。
まあ、いいか。あとはライアードにいた頃『念のため』に遠くに配置していた部下に任せるとして、薬中には白い粉の詰まった袋を投げかけてやる。
「さてニオ、次はお前の番だ」
お前の番と聞いて、ニオは顔面蒼白だったが、代表としてまともな状態でいてもらわなければならない。
しかし、それだけでは足りない。フィクナー財団を思うがままに操るには、ニオがアキムに反抗できないようにする必要がある。
「という事で、子供を産め」
「え……?」
「お前も女だろ。子供の一つくらいは作れるはずだ」
イクセルの社内で、監視カメラも盗聴器もないことを確認すると、ニオにそう命じた。
「君の……子供を産むのかい?」
「まんざらでもなさそうだが、違う。血の繋がりとやらに興味はあるが、そのせいで正しい判断を下せなくなっては、この先困ることになるだろう」
だから、用意した。A4容姿ほどの端末に、世界を飛び回って得た、優秀な遺伝子を残せるだろう男をピックアップしてある。
「全員買収済みで、俺と血液型が同じで、いつかはイクセルの支店で働いてもらう人材だ。この中から好きな男を選んで子供を作れ。流産することもなく、障害もなければ、念のために父親は殺すがな。代わりに俺を父親だと思わせる」
表向きには、アキムとニオとの子供ということにしておく。アキムにとっては他人の子供なので情など沸かないが、ニオは母親として守るだろう。
そこを利用して、フィクナー財団を操る。
「反論は考えるな。椅子に縛り付けられたくなければな」
「……そんなことしたら、誰が代表をやるのさ」
「それは一番簡単なケースだな。適当に操りやすそうな奴を探して、権力という椅子に座らせる。あとは、お前たちの様に弱みを握るだけだ」
分かったらさっさと男を選べ。アキムは冷徹に告げると、ニオが初めて怒りを露わにした。「この悪魔め」と。
「悪魔じゃない。お前たち一般人が嫌っている人間というだけだ」
ニオはそれを聞くと、理解したようだ。アキムに話は通じないと。
「一時間以内に選べ。決まり次第連絡を取る」
そうして、部屋を後にした。ニオの顔など見ずに、まだ見ぬ、知らないことに溢れる未来を夢見て。
あれから、数週間ほど時間が流れた。イクセルはアキムの息のかかった社員により、人材育成へと方向を変えた。
ルイスはライアードと繋がっていた薬物中毒患者として世間で騒がれ、もはやまともな意思もないので、隔離病棟へと移された。
ニオの子供は、今のところ障害も見当たらず、フィクナー財団とイクセルを率いる表の顔となってもらっている。
アキムは、3Dホログラムだらけの部屋で、部下に命令を下すか、他国へ飛んで、著名人とのつながりを強くしている。
そんな生活が順風満帆に流れて、一段落した時、アキムは懐かしのエリアナインにあるライアード跡地を訪れていた。
蟻の巣の様に張り巡らせていた建物は、粉塵爆発で吹き飛んだ部分以外はそのままで、ホームレスたちが雨風を凌いでいた。
アキムは静かに廃墟と化したライアードをグルグル回りながら目にした後、崩れている一角――地下室に繋がるエレベーターへとやってきた。
大きな穴は、依然として地下室続いている。
そこに座り、セブンスターに火をつける。ゆっくり一服すると、忘れないうちに、ポケットからマルボロを取り出した。買い直した金のジッポーもだ。
「先に地獄で吸っていてくれ」
大きな穴に投げ捨てると、もう一服して、そこら辺に投げ捨てた。エリアナインに、喫煙所などないのだから。
「それにしても、楽しかったな」
一人、ゴロンと横になってみる。やはりエリアナインは薄暗く、日の光も満足に浴びられない。
所詮、ここはそういう場所なのだ。汚いからと誰も立ち寄らず、価値がないからと会社やマンションもない、捨てられた地。
きっと、ムジナはそこに目を付けたのだろう。誰も相手をしてくれないサイコパスが、嫌でも相手をさせるように造りだした。それがライアードなのだ。
「いつか、再建させてやるよ。だから地獄で待ってろ。ここにはたまに来てやるから」
立ち上がり、埃を払う。すると、どこからかムジナの笑い声が聞こえた気がした。
非常に愉快なことでもあったような狂った笑い声は、懐かしさを感じさせる。
「楽しかったよ、ムジナ」
さて、いつまでもここでじっとしているわけにはいかない。アキムには、フィクナー財団とイクセルを思うがままに操る大仕事が待っているのだから。
「楽しみだよ、みんな」




