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もう一度与えられたチャンス

「無様、だろ」

 留置場の冷たい椅子に座りながら、面会に来たルイスを相手に、自虐たっぷりに呟いた。

「薬物を売って、銃を密輸して、間接的にだが、何人も殺した。俺がここにいるのは、当たり前なんだろうな」



 そうして、もうずっと剃っていない産毛や髭をなでる。チクチクしていて、時折痛む。まるで、今の心模様を表しているようにも思えた。



「……怪我は、大丈夫なんですか」

 抑揚のない声で、死んだような顔をしているだろうアキムに、ルイスは問いかけた。

「……顔はこの通り無事だが、まだ体は痛む」

 あの時、エレベーターから爆発と共に投げ出され、向かいの壁に激突した。ルイスが公開した映像を見て駆けつけたパトカーより先に、アキムは救急車で病院に搬送された。

 不幸中の幸いか、いくつかの骨にヒビが入るだけで済んだが、回復したらすぐに留置場送りだ。



「笑えよ。お前を騙して、善意を踏みにじって、挙句の果てには殺そうとした相手が、こうして臭い飯を食べている。笑えるだろう?」

 ルイスは、口を開かない。黒いスーツに身を包み、防弾ガラス越しで、ただ椅子に座ってアキムを見ている。

 その瞳に、僅かな憐れみを宿して。



 アキムは、語ることなどない。これから待ち受ける裁判と牢屋の中での人生に、頭痛を通り越して、何一つ感情が湧きあがらない程だ。

 これ以上、なにも喋れないし、喋る気もない。

 だというのに、ルイスはアキムを見つめていた。



「――今のあなたは、まさに弱者です」

 ルイスの声に顔を上げれば、金色の双眸がアキムを照らしているように見えた。

「そうだな……飯を食う時間も、朝起きる時間も、夜寝る時間も、なにもかも、管理されていて、それに抗えない。まさに、弱者だ」

 だから笑えと言うのに、ルイスは眉一つ動かさない。



「弱者の気持ちは、分かりましたか? どうしても社会に溶け込めず、周りから拒絶され、『おかしい』『変な人』『障害者』と、勝手にカテゴライズされる辛さを。ここまで追い詰められて、理解しましたか?」



 理解。その一言が、そういえば始まりだったのかもしれない。

 ルイスに考えてみると答えながら、初めてムジナに会ったときのことを思い出していた。

 好奇心。ムジナの講義を聴きながら感じた、ただそれだけの感情。まさに、ギフテッドの頭が理解を望んだことによって生まれた感情だ。

 そういう意味では、無意識にルイスが心に宿している感情を理解するために、好奇心が沸いているのかもしれない。

 今になって気付いても、なにもかもが遅いというのに。

 それでも、答えてはやった。興味は沸いたと。



「進歩ですね。当然ですか。人間は成長する生き物ですから。それに――前も話しましたが、人間は善意と悪意を持ち合わせています。そればかりは他の動物にはない感情機能です。そしてあなたは、人間です」

「だから、善意をもっと増やせと? こんな寒い場所で、こんな暗い場所で……孤独と喪失感に苛まれながら、善い人でいろと? 無茶言うなよ」

「そこまでは求めていません。ただ、あなたが悪意を持って欺いてきた人や、悪意を持って殺してきた人。そういった人々に、ほんの僅かでもいいから、善意を持って向き合ってくださいと言っているんです」

「そんな長く面倒な言葉、今の俺には考えられない。それに、俺は悪意をよく知らない」



 所詮は、他人だ。考えていることも、世界との向き合い方も違う。

だが、アキムは悪意を持って、今まで裏の世界を生きてきたか?

「あ?」

 唐突に、真っ暗だった心に小さな灯が揺らいだ。それは記憶と経験という薪をくべることで炎になり、思わず心臓のあたりを押さえた。

「悪意じゃ、ない。悪意を、知らない」

 悪いことをしたいから、この道に入ったわけではない。入らなければ殺されていた状況とはいえ、拒絶は欠片も抱かなかった。

 むしろ、もっと昔からあったもの。社会に抑圧されてきた、ギフテッドの持つ、理解につながる好奇心。

 まるでこの世のすべてを知りたいが如く、何ものにも向けてきた、知りたいという単純な動機。



 それが、斎賀アキムを裏世界に浸透させた。



 あの政治家を騙せばどんな顔をするか。あの俳優の弱みを握れば、テレビで映った時にどのような変化が現れるか。

 斉藤を殺した時も、知りたいから殺したのだ。人は撃たれたら、どう反応するのか。筋肉と骨はどのような動きを見せ、血しぶきはどれだけ広がるか。



 知らなかったから、知りたかった。アキムの動機は、全てそれだった。知りたいという知的好奇心が、アキムを突き動かして、その副産物に金や人脈が生まれた。

 その金にも興味が湧いた。どのように揺さぶれば、どれだけ貯金から吐き出すのか。どれだけ集めれば、ライアードを発展させられるのか。



 そして今、アキムは知らない感情と向き合っている。善意と悪意という、ルイスが差し出した感情は、どれだけ枝分かれするのか。



 善行を積めば、天国に行けるとも言う。人に対して良いことをすれば、それはいつか自分にかえってくるとも言う。

 悪行を積めば、地獄に落ちるとも言う。人に対して悪いことをすれば、それはいつか自分に返ってくるとも言う。



 ――そうか、そうだったのか。



「まだ、たくさんあったんだな。知らないことが――なあ、ルイス。善意と悪意は、平均的に人の中にどれだけあるものなんだ?」

純粋な疑問だ。これから先を刑務所で暮らしていくアキムがようやく抱いた、善意と悪意についての知的好奇心。

ルイスは、どことなく微笑んだように堅苦しかった表情を崩す。



「平均なんて、ありません。善意も悪意も、国が――社会が決めると言っても過言ではありません。ユダヤ人を大量虐殺したアドルフ・ヒトラーも、かつてのイスラム国も、正しいと――善意からくる感情で、判断を下したのでしょう。過ちであるかは、別ですが」

「なら、俺はなんだ? 善意も悪意もなく、ただ頭が知りたいと求めてくるから、裏の世界を駆け抜けた。そのせいで死んだ奴もいるし、栄えた奴もいる。でも、俺は、そんなものどうでもよかった。ただ、ただ知りたかったんだ! 知らないことを、どこまでも……」



 いつの間にか、涙が頬を伝っていた。



ああ、そうか。こんなどん詰まりにまで来てようやく、自分の行動の指針を知ることができたのか。それすらも知らなかったというのに、知れたのか。



 でも、ここでは多くを知れない。隔離された牢の中で、代わり映えのしない罪人たちと起きて、飯を食って、労働して、寝る。まるで大人の通う学校の様な生活が待っている。



 嫌だ。こんなところ、出ていきたい。嫌だ。嫌だ嫌だ……。



「ここから、出してくれ……」

 思わず台に顔を押し付けて、両手で頭を押さえつけて泣いていた。

 こんなところには居たくないと、心の底から思える。出ていけるなら何でもすると、藁にだってすがる。

 そんなアキムへ、静かだが透き通った声が耳に入る。やっと、あなたの本心を知ることができました」と。



「いくら嘘が上手くても、そんなに苦しい泣き方はできないはずです。ようやくあなたは、私に本当の自分を見せてくれました。それだけで全てを許すわけにもいきませんが、こういうのはどうでしょう」

 泣きはらした顔でルイスを見れば、微笑みながらも楽しそうだ。そして発した言葉は、かつて聞いたものと酷似していた。

「あなたに、チャンスを与えます」





 フィクナー財団は、アキムの裁判に対し、早急に行い判決を下す様に急かした。更に、アキムのために日本一とも名高い弁護士を雇い、悪いことは全てムジナに押し付けた。

 決定的な証拠となったのが、ムジナがこだわり続けた紙媒体に残る、サイコパスとの診察書だった。



 全て、ムジナというサイコパスがアキムに無理やり麻薬を服用させることで判断能力の欠如を招き、ギフテッドの頭を利用していた。麻薬が切れる頃には引き返せないところまできていて、ムジナと共に悪の道を行かねばならなくなった。



 土石流の様な口調で検事を捲し立てた弁護士は、激流の別名で呼ばれていると後で聞いたが、まさしくその名の通りだった。

 もちろん、無罪というわけにはいかない。されど、フィクナー財団と激流弁護士の圧力から、執行猶予だけで自由を得た。



「よかったですね。こうして罪を洗い流したあなたは、とても輝いて見えますよ」

「ホント、なんていうかな……憑き物が落ちたみたいな、サッパリとした顔をしてると思うよ」

 身長と髪色や瞳の色は同じだが、スリーサイズが姉妹とは思えない程に違う二人は、裁判所の前で、アキムを待っていた。



「世話になった」

「その、無感情に見えるし聞こえる姿は、まさしく元通りだね」

「ですが、善意を体験することはできました。今までよりも、善い人になったと思います」

「姉さん、なんか顔赤いよ」



 目の前で、フィクナー財団を継いだ二人が騒いでいる。アキムはそんな雑音など気にせずに、雲の彼方を見るように上を向いた。

 ルイスがくれたチャンスを生かしたから、こうして空の下を歩ける自由の身になれた。高額な保釈金をルイスが支払い、アキムをフィクナー財団へ迎え入れた。

 そこでアキムは善意を知るために、各国が抱えている障害者や病人、老人といった弱者たちを何台ものデスクトップパソコンと3Dホログラムで表示し、ライアードの経験を生かして、フィクナー財団の人材を派遣した。



 それをするためのとっかかりとして、福祉についても学び、数日で資格取得者以上の知識を頭に詰め込んだ。

 ルイスのくれたチャンスとは、保釈金で自由な間、どれだけ人のために働けるかといったものだった。



 やってみれば、いずれ知ることができる。ルイスの言葉に、アキムは必死の努力で、裁判までの日数を駆け抜けた。



 こうして執行猶予が付いたとはいえ、自由の身だ。フィクナー財団もアキムが指示していた短い間だけでも、三倍ほどの時間と金の短縮につながった。イクセルとも提携を結び直し、アキムはフィクナー財団の正式な一員になった。

 いずれは、ルイスとニオのどちらかと結婚するという条件付きで。



「姉さんも、やることが遠回りだね」

 あの四日間で、ルイスがこれだけアキムに惚れてくれたのは計算外だった。今は、ニオと共に、別の仕事をしている。

 いわば、ダブルワークだ。ルイスは慈善事業に金と人を使い、ニオは人材を育てるために金と時間を使う。

 その両方に手を貸すことになったアキムは、毎日の様に新しい発見の毎日だ。

 見つけて、近づき、よく見て、触れて、知る。それを繰り返す毎日は、とても有意義な物だった。



 そうだとも。アキムの居場所はここだったのだと、今なら思える。

「次の便で、アメリカに戻るよ。君の場合は他国だろうけど、ついてきてくれるよね?」

「他に行き場もないしな」



 ライアードは率いるものがいなくなったのと、粉塵爆発跡地から見つかった大量の麻薬で、倒産した。ムジナと出会った時に質問した、人材派遣会社は倒産の憂き目にあってきているのにと質問したが、とうとうライアードも潰れたのだ。エリアナインも元通りになったが、ルイスは、元の千葉県に戻すために奮闘するようだ。

「早くおいでよ。置いてくよー」

 ベレッタもワルサ―もない身軽な体で、ニオの後を追う。これからも、刺激に満ちた毎日だろう。


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