King Gnu『CEREMONY』(2020年)
●最強の音楽は弱さを認めない
King GnuはオルタナティブロックをJ-POPにしてしまった新しい存在だ。J-POPを特徴づけるものは強いメロディだと思う。King Gnuの音楽は、音楽的でありつつ、メロディが強いのだ。だが、強いメロディがずっと続き、メロディに強弱がないようにも僕は感じていた。だから、一部の曲はサビがどこなのかも分からない。
また、メロディだけではなく、ブラックミュージックのフィーリングを取り入れた重たいビートにより、リズムも強い主張を持っていて、King Gnuの音楽は強靭なメロディとリズムの二刀流なのだ。だから、メロディもリズムも一曲通して強靭で、一息つける抜きがないようにも感じる。アルバム曲では、一息抜けるところが増えていたので、音楽的にシングル曲よりも良くなっていると思う。
King Gnuの自由さと自由な音楽が若い人たちに勇気を与えることを願ってやまない。ただし、その斬新さを好きになったこともあったけど、正直、彼らの音楽の良さは分からなかった(ボーカロイド以降の複雑で新しい音楽だとは感じる。ファルセットと地声の男性ツインボーカルのバンドというのも新しい)。しかし、僕がスピッツに10代の頃にハマったように、彼らの音楽にハマる若い人は幸せだと思った。
歌詞にも目を向けてみよう。「人生にガードレールは無いよな/手元が狂ったらコースアウト/真っ逆さま落ちていったら/すぐにバケモノ扱いだ」(「どろん」)、「どうしようもないこの世界を/悪あがき、綱渡り」(「ユーモア」)、「自分の替えなど/いくらでもいるんだ/自惚れんなよ/世界はそんなもんだって/生きてりゃわかるさ」(「Overflow」)など、社会に対するシビアな現状認識の歌が続く。
だが、King Gnuの歌は、そんな社会に対して、「きらりこの世を踊るんだ」(「ユーモア」)、「この時代に飛び乗って」(「飛行艇」)などのリアクションしかしない。つまり、時代と共に踊ったり、時代に飛び乗ったりするだけで、現状追認しかしないのだ。その点、僕が人生の名盤だと崇める中村一義『ERA』とは全く違う。『ERA』には社会を変えようとする気概があったが、King Gnuは権威に迎合しているようにしか思えない。
「明日を信じてみませんか/なんて綺麗事を並べたって/無情に回り続ける社会/無駄なもんは切り捨てられるんだ」(「どろん」)という歌詞には絶句。社会をもっと頼ってもいいんだよ、社会にもっと甘えてもいいんだよと言いたくなる。だが、小泉政権以降のネオリベラリズム政策の時代に生まれ育った若者にとっては、これが自然な心情なのだろう。れいわ新選組が主張するような、誰だって生きているだけで認められる社会に変えようだなんて、ちっとも思わないのが若者の多数派なのかもしれない。
シビアな社会認識の歌は、タイトなリズムと相性が良い。社会のギリギリスレスレを綱渡りする感覚と、これしかないというタイトなリズムはお互いに存在を補強し合う。強いメロディ、強いリズム、強いハーモニー、強い歌詞、強いテクニック。僕の嫌いなマッチョイズムが顕現する音楽に半ば幻滅する。
最強な音楽は弱さを認めない。社会の袋小路に突き当たり、弱ってしまった人間を「バケモノ」扱いする(「どろん」)。僕も統合失調症を抱え、Xジェンダーだから、彼らの音楽は僕をバケモノ扱いするのだろう。そして、僕には、そのような音楽は到底認められない。
だが、スタイリッシュで新しい音楽であることには間違いない。これだけ批判しておきながら、僕もたまに聴きたくなってしまうのだ。音楽として、隙のないクールなデザインであることは間違いない。
Score 7.0/10.0
★追記★2020.1.20.
アルバムを最初に聴いた時と評価が覆る時は、僕はほとんどないから、最初に3回ループした後の感想をレビューには書いているけど(上記レビューもそう)、King Gnuだけは違った。
これから、前回レビューの際の評価を覆す文章を書く。そのことによって、自分への信頼を失ってもいい。ブレていると言われようが、今の自分に正直な文章を書きたい。
レビューを書いてから気になって何度も聴いているうちに、彼らの音楽の中毒になってしまったのだ。レビューで書いたような強靭なメロディとリズムが癖になってしまい、頭から離れない。
『CEREMONY』を聴いた時、前作と比べ、作品が"表現"になっていると感じた。感情の主張が息づいていると思った。でも、そこで見えてきた彼らの人間性はすごくイヤな奴だった。「人生にガードレールは無いよな/手元が狂ったらコースアウト/真っ逆さま落ちていったら/すぐにバケモノ扱いだ」(「どろん」)とか、社会と他人を信頼していない歌詞に憤ったりもした。
しかし、何度も聴いているうちに、初めは拒否反応を示していた歌詞も、この時代のリアルを描写しているんだなって腑に落ちた。この世知辛い時代に生きる一人の人間のリアルが『CEREMONY』には詰まっている。
僕はレビューの時に、現状の社会は「誰だって生きているだけで認められる社会」ではないことを書いた。だが、「Teenager Forever」の「明日を信じてみたいの/微かな自分を/愛せなかったとしても」という歌詞に、そんな社会でも明日を信じてみようとする彼らのリアルな心情である"微かな希望"を感じたのだ。
本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある
「壇上」の上記の歌詞に、強がりではない彼らの本音をそこに見る。ソングライターの常田さんは、この曲だけは自分のみで歌いたかったのだろう。彼の飾らない本音が愚直に歌われている。
紅白出場を果たして"何もかも"を手に入れた彼らが「壇上」で吐露する今の気持ち。「目に見えるものなんて/世界のほんの一部でしかないんだ/今ならそう思えるよ」というのなら、今なら彼らの人間性を信じてみても良いと思えるのだ。
レビューで書いたように、彼らの音楽は新しい。彼らの音楽の新しさに拒否反応を示していた僕は、何度も聴くうちにアレルギーが消えたようだ。革新性とポップを同時に鳴らした彼らの音楽は、間違いなく2020年代の邦楽史に残る傑作になると思う。
Score 9.0/10.0