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第一話

この話にはあらかじめフィクションがちりばめられていることを申し添えます。

 


 五丈原――。


 台地上にあるこの地は草が生い茂り、灌木がところどころある程度の単調な風景でしかない。

 その風景に2点彩りが加わったのは234年の晩夏からである。

 一方は青い魏の旗が――。

 もう一方は深紅の蜀の旗が――。

 それぞれ数万流はためいている。

 だが――。


 蜀の旗がたなびく陣容は壮大であるが、どこか生気がない。張り巡らされた幔幕の一片をわけて、一人の美しい、まだ20代の女性が出てきた。長い黒髪をうなじで纏め、少女と言ってもいい可憐な容姿に似合わない身の丈ほどの槍をもち、軽装さを秘めた天女の羽衣を纏わせた緑色の鎧を身に着けている。

 女性は天を仰いで吐息を吐いた。五丈原は日が落ちかかっている。斜陽を取り囲むように輝くオレンジ色の空、そして徐々に表れてくる漆黒の空との間に、儚い青色の空が残されている。


「ホント・・・まるで私たちのくにみたい」


 私たちの、とは言える筋合いはないのだけれど、等と、かつては魏の陣営に所属していたこの女性は自嘲する。


「姜維姫・・・おっと、姜伯約殿」

「馬炎儀殿」


 女性に話しかけた長身の壮年の男性は時折寒風が吹きすさぶこの大地にあって、上半身裸で立っている。そんな男性に姜伯約と呼ばれた女性は眼を細めた。


「またお清めですか」

「丞相がお斃れになってから欠かさずにはおれんのです。何故魏のクソッタレ野郎共は蟻のように群がり続け、何故蜀はひとが減っていくのでしょうね」

「せめて魏の半分も将がいてくれれば――」


 二人はそろって吐息を吐いた。


「失礼、愚痴を言いあっていても仕方がありませんね。私は丞相の様子を見てきます」


 姜維は吐息を吐いた。女性でありながら、前線において敵将を討ち取り、諸葛亮の片腕として軍略に関わり、時には万を越える大軍を指揮して戦い続けてきた女性は男性として扱われている。そうでなければ陣容に加われないのであるから。


「丞相の意志を継いで北伐を続ける・・・北伐には莫大な軍需と人員が必要。それこそ国力を傾けるほどの・・・そうまでして北伐を続ける・・・・本当にそれが正しい在り方なのかしら・・・・」

「何ゴシャゴシャと吐いてるんだテメェは」


 野太い声がした。姜維姫はハッとして地面に膝をついた。いつの間にか目の前には椅子と机が置かれ、そばには床が敷かれている幕間の一室に入り込んでいた。


「姜伯約!!」


 叩き付ける様な声が細い両肩に降り注いだ。


「そんなしけっつらみせられたんじゃァ、俺が安心して逝けねえじゃねえか。あぁ!?」

「・・・・・・・・」

「第一旗が死んでるぞ旗が。今司馬仲達のクソッタレ野郎が攻め寄せでもしてみろ。いってえ誰が防ぎにかかる?魏延の犬野郎一人に負かしておいたんじゃァ、俺があの世に行く前に俺の首が中天に飛んでらァ!!」

「・・・・・・・・」

「全軍にカツを入れろ!シャンとさせろや!それこそがおめえの役割だろうが!!」

「・・・・・・・・」


 怒声は不意に止み、代わりに盛大なため息が聞こえた。


「顔を上げろや」


 姜維が顔を上げると、目の前には精悍な大男がいた。身長2メートルに近いと思われる体には豊かな筋肉が備わっている。顔にはいくつもの古傷があり、盛り上がった筋肉にも戦場傷がいくつもついている。八の字の太い髭は白くなっていたが、まだ蓬髪は黒々さを残していた。

 目の前の男、諸葛亮はあきれ顔をした。


「おめえ、俺がすぐにでもくたばると思ってんのか?」

「それは・・・・」

「別に十秒後に死ぬわけじゃねえだろ?あ?」

「丞相・・・私は、丞相のことを想って――」

「ケッ!クソ気持ち悪いことを言いやがって!」


 諸葛亮は地面に「ペッ」と唾を吐いた。


「俺はおめえの容姿にほれ込んだんじゃねえ。おめえの才能と、ひたむきさにほれ込んだんだ。そんなおめえがしょぼくれたまんまってんなら、もう用はねえよ。魏に帰っちまいな」

「・・・・・・・・」


 諸葛亮は舌打ちした。そして、やや声の大きさを落とし、視線を地に落としている姜維を憐れむような視線で見下ろした。


「姜伯約」

「・・・・・・・」

「馬幼常のガキがしくじっちまってから、俺のすべてを託すに足ると思ってんのはおめえ一人だ。そんなおめえがいつまでもメソメソしていちゃぁ、預けるもんも預けられねえじゃねえか」

「申し訳ありません」

「そんなしけた面いつまでもしてねえで、陣容にカツを入れなおしてこい。はなしはそっからだ」

「はい」


 姜維は立ち上がり、一礼した後に幔幕を出た。既に夜の帳はおり、あたりには歩哨がかがり火のそばに立って番をしている。その敬礼を受けながら、姜維は各隊を回った。

まずは本営付近、そして中軍、第二陣、右翼、左翼――。

諸葛亮の陣立ては流石であった。病床に付したとはいえ、さすがにひそとしており、乱すものはいない。


「見回りご苦労様です」


 前線付近に布陣する隊将の一人が姜維に敬礼した。


「様子はどう?」

「敵の前線には変化なし。未だこちらの様子をうかがっている模様ですな」

「ありがとう。引き続き警戒を」

「言われるまでもありません」


 うなずいた姜維は、馬に一鞭くれた。


「ハッ!!」


 白馬は日ごろの快速を発揮するのはこの時とばかり、勇んで前線に駆けだした。夜の夜気が体にまとわりつき、ひいやりとした風が吹き抜けていく。

 五丈原の敵前最前線は小高い丘の上にあった。一気にそこに駆けあがった姜維は馬から降りた。


「あらあらあら、これはこれはお嬢ちゃん」


 いきなり甲高い声が振ってきた。見上げると、銀色に近い白髪を後ろで束ね、紫の紅を唇に塗り、眼には濃い化粧を施している異形の武将が立っていた。豊かな胸、そしてほっそりした腰つき。紫色の衣を着て巨大な大鎌を引っ提げている。


「・・・・魏文長殿」


 魏延はニンマリと笑みを浮かべた。姜維はぞっとなった。魏延はすらりとした体格ながら、戦場では巨大な大鎌を振るい、草刈りのごとく敵兵を刈り取っていく。顔立ちは美しいのに、戦場では血をなめとるように疾駆する。戦えば戦うほどに残忍さを重ねていく。

 それが姜維の魏延に対する印象だった。


「お嬢ちゃん。何しに来たの?即刻総攻撃を行えという命令書でも持ってきてくれたのかしら?」

「いいえ、丞相の命で前線視察を行っています」

「あらあらあら、随分とのんきねぇ」


 魏延はわざとらしく、やれやれと大げさな身振りをした。


「前線に物見遊山にでもいらしたのかしら?後方の人間は前線の気苦労をわかっていないようねぇ」

「・・・・・・・・・」

「丞相のお具合はどうかしら?」

「・・・丞相はご健在です。軍務に精励されております」

「その割には前線のことはほっぽらかしねぇ。仮に丞相がご健在なら、私の勝手気ままを許しておくわけがないのに」

「ぐっ・・・・!」


 姜維は詰まった。


「お嬢ちゃん、前線のことはこの私に任せておけばい・い・の♪仲達ちゃんなんて私がいいようにあしらって差し上げてよ」

「あなたにあしらわれるような司馬仲達ならば、我が軍は当の昔に長安を攻略で来ていたでしょうね」

「・・・・アンタ、私を怒らせたいわけ?」


 魏延の白い顔色が蒼白になった。眼光が紫の光を帯び、殺気が姜維に向けて放たれる。姜維は魏延から視線をそらさなかった。


「まぁ、いいわ」


 つまらなそうに魏延は視線を外した。そして、ぽつりと言った。


「まったくつまらない。こうして仲達ちゃんと対峙していったい何か月経つのかしらね。その間は小競り合いばっかり。私の大鎌ちゃんにもいい加減血を吸わせてやらなくてはさびてしまうわ」

「丞相は長期戦の構えを取っておられます。現在わが軍の兵站は屯田によって滞りなく補給可能です。そうなれば対峙すればするほど焦りがあるのは常に本国から背を見られている司馬仲達の方。おのずと焦りが出てきましょう。そこに生じた相手の虚を突き――」

「お嬢ちゃん」


 魏延は姜維の言葉を遮った。


「私は弁舌を聞きたいんじゃないの。いったいいつになれば総攻撃の指令は下されるのかを聞きたいの」

「それは――」

「私が言うのも何だけれど、丞相は慎重すぎるのよ。あんなガタイのいいヤクザみたいな言動しているのに、今の姿勢なんて百点満点を取ろうとする優等生そのものじゃない」


 魏延は忌々しそうに顔をしかめた。そして深い吐息を吐いた。それは姜維に向けられたものではなく、もっと遠い何かに対してのようだった。


「先帝陛下や法孝直が生きていらっしゃれば、漢中攻略のように長安も、そして洛陽も鮮やかに攻略できていたでしょうね。あなたにはわからないかもしれないけれど」

「・・・・・・・・」

「漢中攻略。思えば、あの頃が本当に華だったかもしれないわね」


 いつしか魏延は視線を天に向けていた。姜維もつられるようにして視線を天に向ける。そこには満天の星々が広がっていた。


** * * *


 諸葛亮は目の前で吼える髪を逆立てた男を冷たい眼で見下ろしていた。


「オジキ!!なぜ魏延のオカマ野郎をのさばらせておくんですかい!?」

「・・・・・・・」

「今日も前線で好き勝手なことしくさってからに、ワシはおろか姜伯約の言葉もきかんとです!」

「・・・・・・・」

「あんなけったくそ悪い野郎は即刻軍法に照らして処刑させちまった方が良いと違うんですかい!?」

「・・・・・・・」

「わしゃぁ、オジキに拾われてからずっとオジキの恩を片時も忘れたことはありやせん。ですから耳にクソができるようなイケんこともいいますさかい。エエですか!?あの魏延のオカマ野郎はオジキの眼の黒いうちに始末しとかんといけません」

「じゃかぁしい!!!!!!」


 諸葛亮が目の前の男を吹き飛ばす勢いで怒った。


「楊、てめぇ何か勘違いしてねえか?」

「ほ?」


 楊儀は眼をぱちくりさせた。先ほどまでの威勢の良いヤクザの風貌が間抜け顔になった。


「今アイツを殺すような真似してみろ。前線は崩壊するってえのがわからねえのか。司馬仲達のクソッタレ野郎にわざわざケツをかかれる隙を見せつけろっていうのか!?あぁ!?」

「ですが、オジキ――」

「俺はなぁ、孫仲謀の野郎にも内兜を見すかされたほどのどうしようもねえ野郎だ。ずっと前に孫呉に使者送った時に、野郎は俺の左右にいる人間が誰かを聞いた。そしてその答えを聞いた野郎は何てぬかしたと思うか?」

「・・・・・・・・・」

「『諸葛亮も苦労されることよ』とな!!その片割れが楊、てめえだぞ!!俺がどれだけ顔から火が吹く思いをしたか、おめえわかってんのか!?」

「申し訳ありやせん!!!」


 楊儀は地面に頭を打ち付けるばかりにひれ伏した。


「クソッ・・・こんなことなら、こんなことなら・・・・・・!!」


 諸葛亮は忌々し気に唾を吐いたが、ふと考え込む顔つきになった。そして深い吐息を吐いていた。


(カシラ・・・・すまねえな、どうも俺ァ下手うっちまったようだ。後進育てることをおろそかにしちまった。ずっと自分一人で支えて行けるなんて大層な妄想抱いた結果がこれだもんなァ・・・・。こんなことじゃ残された若がどんなことになるやら・・・)


 不意に諸葛亮は胸を分厚い手で押さえた。急に深い海に飛び込んだように胸が苦しい。


「オジキ・・・・オジキ!?」

「・・・・・・・・・っ」

「オジキィッ!!」


 楊儀の声も届かなかった。諸葛亮は地響き立てて地面に倒れこんでいた。


** * * *


 同時刻、魏陣営――。


 星が落ちた。そう感じ取った者は少なからずいた。北天に輝く星の一つが急に尾を引いて大地に落ちて行ったのを目撃した者はかなりいたのだ。

 そしてこれを吉兆と捉えた者はいた。


「フ・・・フハハハハハ!!!!諸葛亮め、ついに、ついに寿命を終えるものと見える!!これまで彼奴に苦労させられてきた我らの苦しみも終わるときがきたのだ!!」

「・・・・辛佐治殿はお人が悪いですね。まだ終わってはいないというのに」


 長身白皙の年を感じさせない若々しい容貌の司馬懿は、黒いなにかを全身から噴き出しつつ笑っている辛毗を眺めながら隈のある青眼を向けた。


「諸葛亮が斃れたのは天文を見ればわかりますが、ごらんなさい。衰えてはいますが、未だ陣営には精気が満ち、隊伍は整然とし、歩哨は粛々として各自の任を果たし、前線にあっては林のごとく静かになりをひそめている。これは未だに諸葛亮の威風が各陣営にしみわたっていることにほかなりません。まったく・・・・」


 司馬懿は嘆くように息を吐いた。そして天を見上げる。


「かつて周公瑾はこう言い放ったそうですね。『天は我を生ませながら、何故諸葛亮をまた生ませたるや』と。私も同感です。同じ時代に生まれなければ、本当に尊敬できる方だったのですが」


 そんな司馬懿の背中に辛毗はじっと眼を注いでいる。


「しかし司馬仲達様。私たちにとってもこれは好機ではありませんこと?」

「辛憲英殿」


 振り向いた司馬懿のもとに、金髪を腰まで伸ばした美女が爽やかな表情で歩み寄ってきた。辛憲英、辛毗の娘でありながら、軍略武芸に秀でており、魏の中枢の将として司馬懿と共に前線に来ていたのである。

 彼女は、緑色の眼を悪戯っぽそうに細めながら、


「諸葛亮の寿命が近いことは確実だと司馬仲達様はさきほどおっしゃいましたね。ならばこのさい徹底的に相手方を挑発し、諸葛亮を憤死させてしまえばよろしいのではなくて?」

「辛憲英殿はお人が悪い」


 司馬懿は苦笑した。そうもいっていられない評判が自分に対して内外で立っているが、その要因はこの二人にあると言ってよい。辛憲英、そして辛毗が司馬懿のいわばブレインとして内外で立ちまわっているからである。


「ですがそれも一つの手かもしれません」


 おっ、というように二人は司馬懿の顔を見た。


「夏侯季権、夏侯叔権、夏侯義権をここへ呼んでください」


司馬懿はそばにいた司令部付の伝令兵に依頼した。兵は一礼して丘を下っていった。司馬懿たちもまた蜀陣営の前線よりもやや小高い丘の上に立っている。むろん幾重にも防備を施して総司令官の位置を敵に悟られないようにしているが。


「あの三将をお呼びになるとは、どのようなおつもりですかな、司馬仲達殿」


 辛毗が底意地の悪そうな眼をしながら尋ねる。


「私も不器用な人間でしてね、独創性がないもので。辛憲英殿の助言を自分の物としてしまうことになるでしょう」

「構いませんわ、それこそが私の喜び」


 辛憲英はうっとりとした眼で司馬懿を見つめる。


「ですが、司馬懿殿、一つお願いがございますの。どうかこの私も今から行われるお芝居に加わらせていただけませんこと?」

「あなたが?」


 司馬懿が問いかけるのと、草むらを踏む音が聞こえてきたのが同時だった。3人が振り向くと、ちょうど今丘を登ってきた3人が拝礼した。


「仲達の兄ィ、どんなご用件ですかい?」


 野太い声で言ったのは、精悍な肉体を大鎧で包んだいかつい顔の武将だった。


「称兄は相変わらずせっかちすぎるなァ、司馬仲達様のお言葉をまずは聞かなくちゃ」


 どこかつかみどころのない優男が優しい声でたしなめる。


「うるせえよ、威は。俺ァもううずうずしてんだ。早く殺したくて殺したくてよォ」

「おぉ、おっかない。まったく・・・称兄の血の気の多さは僕たちの一族随一だからねぇ。ね、和」


 そう言いながら、こらえきれないように、舌なめずりをせんばかりに、優男は微笑を浮かべる。

その兄二人を無言で眺めていたもう一人は何も言わなかった。


「和は相変わらずしゃべらないね。まぁいいや、で、司馬仲達様、おおよそ察しはつくけれど、僕たちにどんな御用をさせるおつもりですか?」

「ええ、あなたたちに一つやってほしいことがあります。諸葛亮の寿命を推し量ることです」


 司馬懿は詳細を語り始めた。


 

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