1.2 ビビる先輩に対し
横へ歩いていき、杏奈・ロズムンド・ダーレイの頬をうしろから両手で包む。
「わっ!? 何しやがる」
ビビる先輩に対し、彼女は唇を濡らす。
「でも秋の季節はいろんな心にこたえてくれます。
月を思うとき、もみじを思うとき、あるいは稲穂、鈴虫、
すすき、台風、祭り、秋風、落ち葉を思うとき……
ほら、どれもちがう感情でしょう?
芸術の秋といわれるゆえんです。人の複雑な心を秋は映してくれる。
表現とイマジネーションと『あはれ』のかたまりなんです」
テーブルの反対側にやってきて、俺の耳に近づく。
「ねっ。早人先輩?」
やたらエロく危なげだが相手にしないのが吉だと知っている俺は、
杏奈に視線でもって反論をうながす。
「円城……お前は春の広がりをわかってない」
杏奈が眉間をピクつかせて言う。
「つくしを摘むときが良い例だ。
しゃがんだときに感じる土の匂い、目に入るあのうっすらしたつくしの茶色、
茎に触れれば朝露でしっとりしてて、摘むときにはプツンと音がする。
こういうときってあたしの心とか関係ないんだよな。
見て触れたものに体が溶け込んでいくような、あの言葉にならない感覚!
春は新しい季節だから邪念なく気持ちよさに浸れるんだ。
わかるだろ?」
「つまり現実逃避ですね」
「ああん?」
お、喧嘩か?
「世の中はつまり人の世界。人を悩ませ楽しませるのは人ですよ。
自然に浸りすぎちゃいけません」
「そんなんで季節の良さなんてわかるか!」
「感情を自然に向けて投影するから良いんですよ。
自分の孤独を重ね合わせたときに秋の夕暮れは最も美しいんでして、
もし私たちに人間事情がなければ、
あるいはそれを複雑に思考する心がなければ、
野山をうろつく獣とおなじで何の感動があるというんです?
どうです?」
目を細め、ボサボサの短髪をかきあげる円城惇の、
勝ちほこるようなむかつく態度。
それでいて俺がガチの殴り合いを心配しないのは、
このバトルがあくまで思想をふかめるための前向きな論議であり、
決して相手をぶちのめす闘争ではない……と聞いた気がするからだ。
二人もそこは踏まえてやっている……らしい。
たしかに奇襲で頭突きをしたり七味の瓶を投げたりは今までない。