3.6 「読んでみろ。面白いから」
そして今、きとらが作者だとは知らなさそうで、
変な話だが安心した。
市川林々の正体はずっと俺だけの秘密であってほしかったので(独占欲の亜種だ)。
「読んでみろ。面白いから」
寝袋ごとにじり寄ってきて、
スマホを渡された。
本日更新され、
俺はそれをテント設営の直後に流し読みしていた。
なにやら憲兵隊長の兄がいない場所で、
弟がむずかしく非難しているらしい場面だった。
引用すると、
『兄は、思想の依代の無さを、誤魔化してゐる。
文明開化の、何でも攝取すれば良かつた時代が過ぎて、
昭和の日本國は、取捨選擇に迷つてゐる。
ゆゑに兄は、新時代の指針を、民族の神聖性に求め、
逆行して古の神明を奉ずるのだ。
古代へのファンタジイを持ち過ぎだ。
萬葉集の、數多ある凡歌と、
早くもイメエジの陳腐化した歌枕を見よ。
取り繕つた尊皇の言葉を見よ。
廣く清けき心のある歌人は、
實に僅かぢやないか。
即ち、
古代も現代も、
同じ暗黒だ。
過去に於ては、原始共産制のみが称揚するに足るのだ』
こうして読むのさえ難しいから、
お察しの通り、全くネットで評価されない。
俺もサッパリわからないまま、
ひとまず義理でアクセス数を捧げている。
きとらに後日あらすじを教わって、
ようやく「な、なるほど……?」となるレベルだ。
杏奈がこれを読解できるとは、正直驚いた。
「いいこと書いてあるだろ」
「そうなんすか」
「キャラがあたしと違う意見なんだ。
確かに良い指摘をしてる。
復古主義ってのは無理に昔を甦らそうとする擬古・逆行に陥りやすい」
「ギコギャッコー?」
「万葉の歌がその時代状況のなかで、
自然におのずからヒネらずに生まれたんだとしたら、
千年後にそれを褒めて真似ようとするのは、
摂理にさからってゾンビをよびだすようなものだろ?
そういう風に性根が歪んでると言いたいんだ、このキャラは。
目に見えている現代からなぜ逃げるのかって話だよ。
単純だろ?」
なんのことやら。
本当にこの人は、伝わっているかどうか気にせずに喋る人だった。
しかも決まって同意を求めた。
勝手に猛進しつつも、
無意識にそれが不安になるのかもしれなかった。
「でも、あたしは一念を曲げない!」
寝袋を出て体を起こし、杏奈は俺にまっすぐ問うた。
「時代とか現代とか古代って、そんなに距離があるか?
過去をふりかえって参考にしたいとき、
昨日と去年と千年前にたいした差があるか?
おなじ過去じゃないか」