3.5 二十三時を過ぎた。
俺は異性の寝室に招かれていた。
息抜きできない一番の理由がこれだった。
二十三時を過ぎた。
真ん中に吊るした電気ランタンを消し、
赤い寝袋に入ったが、案の定寝つけない。
杏奈の残り香が想像をこえて強かったし、
元凶の張本人はスマホの光を横でチラチラさせていて、それも気が散った。
なんて迷惑な先輩だ。
彼女をどうにか懲らしめたいという欲望が湧いた。
寝袋越しにかけられる関節技はないかと思案した。
あるいは真上にのしかかって潰してやろうかと。
しかし闇夜で男女がそれをする意味を考えたとき、
俺はひどく反省した。
単純で浅ましい情動に支配されかけたことを恥じた。
杏奈を支えなきゃいけないのだ、俺は。
人生に迷っていた彼女を〈土俗超現代〉に引きこんでしまった、
その責任があるから。
「何見てんだ黒之瀬」
「あっ」
知らずしらず先輩の容貌を凝視していた。
「わかった。
スマホで何してるか気になるんだろ?」
「いや、なんでもなくて……」
暗い中でニヤリと笑って、
「実は小説読んでんだよ。『春の嵐』ってやつだ」
「!?」
「ぜんぜん無名だけど面白いぞ。
体制側と反体制側のふたりの兄がいて、
主人公の箱入りの妹が、すごいかわいそうでかわいいんだ。
それで、現代にも通じる日本人の心のひずみを、
これでもかと表わしてる。
これを書いてるやつは誰なんだろな?
とにかく物を知ってるやつだ。
ネットじゃなくて新聞連載にしてほしいくらいだよ」
「……へえーっ」
夕方、同時の通知が来たとき、
俺は何かの偶然だろうと思って詮索しなかった。
そして今、きとらが作者だとは知らなさそうで、
変な話だが安心した。
市川林々の正体はずっと俺だけの秘密であってほしかったので(独占欲の亜種だ)。