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3.3 よく言われる「好きなことを

 死に物狂いで説得して、

滋賀へは電車で行くことになった。

 よく言われる「好きなことを延々つづけられるのが才能」というのは、

たぶん正しい。

俺にはできない。

野球をしていたときも、毎日寝るまでボールやバットと戯れるなんて無理だった。


 杏奈(アンナ)は才能があった。

琵琶湖に来てから一日中ギターを弾いていられた彼女は。


 しずかな湖畔の砂浜に、

レジャーシート代わりの新聞(今朝キオスクで買った)を敷いて、

あぐらで座り、ずっと即興演奏していた。

目に見えた自然を感じたままにギターであらわし、

何時間たっても飽きないのだ。


 たしかに琵琶湖は広大できれいだったけれど、

とにかく冷たい風が西の山地から吹きおろして、

演奏の指もかじかむだろう。

どんな絶景でも十五分であくびが出る俺からすれば、

本当に狂っていた。


 横にすわって聴きながら、

雑談の聞き手にもなった。

いつものことだが向こうの自慢風ひとり語りが多かった。


『この楽器は普通じゃないぞ。

ナイロン弦のクラシックギターだから、

ジャカジャカうるさいスチール弦のフォークギターとは値段も格も違う。

正倉院の琵琶とおみやげのウクレレくらい別物だ。

覚えとけよ?』とか、


『やっぱり雪月花(せつげっか)花鳥風月(かちょうふうげつ)飛花落葉(ひからくよう)をたのしめなきゃ、

人間はダメだ。

日本のあちこちに行って古代以来の四季のパワーをもらって、

初めて自由になれる。

人間のつくった世界に居たら、人間のことだけ見て人間にしばられるんだ。

あたしみたいに古代風に生きれば自由になれるのに、

なんでみんなやらないんだろうな? 

なあ黒之瀬(くろのせ)?』とか。


 他のささいな話は風が寒すぎて忘れた。

さいわい積雪はなかったが、

重いねずみ色の空は粉雪が舞っていた。


 杏奈はスマホですべて録音していた。

即興のメロディを帰宅してから聴きなおし、

編曲し、雑談や自然音をヒントに歌詞を考え、

あらためて動画を撮るのだ。


 スマホはハンカチを下に敷いて、

杏奈の二メートルほど前方に置かれていた。

これで風に揺れる砂の音まで記録できるんだとか。ホンマか?


 そんなこんなで夕暮れ。

土曜日が終わってしまう。


 俺はテント設営をしていた。

そう野宿だ。

寒くてやってらんないので早く避難所がほしかった。


 胃も寒々としてきた。

夕食は背後の松林をぬけて県道を南へ行ったところのコンビニで買える。

昼のサンドイッチもそこで買った。

夜はカップ麺にして温まろうと強く思った。

松の下で固定杭(ペグ)を打ちながら。


 俺のスマホがそのとき尻でふるえた。


 ヴ、ヴヴッ、ヴヴッ――この小刻みなバイブは、

とある通知のために設定した。

WEB小説家「市川林々(いちかわりんりん)」が連載を更新したときだけ、

この震え方なのだ。


 まったく無名の市川林々は、

ネットの片隅でまるで文豪のような作品を書いていた。

戦時中の華族の三人兄妹をえがき、

タイトルは『花の嵐』。

上の兄は極右思想をもって激しく〈非国民〉をとりしまる憲兵隊長。

下の兄は日本が敗戦したほうがいいと信じて政権転覆をくわだてる極左ゲリラ。

そいつらにふりまわされる末の妹がかわいそうでしょうがない――

という波瀾万丈のお話だ。

最近の章では下の兄が毛沢東(もうたくとう)に会って協力をとりつけていた。

スケールがデカい。




 市川林々の正体は須田きとらだ。


 俺ときとらだけが共有する秘密だ。




 そして砂浜では、

杏奈のスマホも通知をうけてピカピカ光っていた。

俺のスマホとほぼ同時に。


 ……あれ?

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