第十四章 元の世界へ
第十四章 元の世界へ
いよいよ今日、異世界からの来訪者と、そのうちの一人の従者となってしまった亜美が僕たちの住むこの世界から去る日を迎えた。
今にも雨が降り出しそうな重い灰色の雲が出ているせいで、僕の気分まで沈んでしまう。
僕たちは既に帰り道となる歪みがあるという山の中まで来ていた。
何を話していいかわからず、ユナやシェリルはもちろん、あの木村までもが無口だった。
「ほら、あそこ。大きな岩で隠してあるから見えないけど、歪みがあるのはここだよ。」
ユナが指差す先には断崖があり、少し窪んだ壁に直径2メートルほどの岩が置かれていた。そしてその岩の近くで首輪をつけられた可哀相な騎士と、シェリルが連れてきたインプたちが待っていた。
「ご苦労ご苦労。ご主人様が帰ってきたぞ。しかしもう少し待つのだきっちゃん。秋人にお別れを言わねばならんのでな。」
「できればその、この首の鎖を外してはくれないだろうか?」
「よかろう。シェリル、外してやれ。」
「もうお兄ちゃん、自分でやんなよ。」
文句を言いながらもシェリルは騎士のところへ向かって歩いて行った。
「ケケケッ!さっさと帰ろうぜ!やっとここからおさらば出来ると思うと興奮してたまんねぇ!」
「先に行けばいいだろ。」
「ケケッ!ユナの姉貴がいねぇと俺たちゃ帰ったとたんに黒コゲにされちまう!」
「だったら黙って待っていろ。それとも私が黒コゲにしてやろうか?」
「すっ、すまねぇ旦那。もうしゃべらねぇから勘弁してくれ。」
今更ながらだが、木村というこの悪魔はハッタリだけで生きているのかもしれない。
真実を知ったらきっとこのインプさんたちに痛い目に遭わされるに違いない。
「秋人よ、本当に色々と世話になったな。結局一度しか寿司を食べることが出来なかったのが残念だが、私はどんな手段を使ってでも再びこちらの世界に舞い戻ってくるつもりだ。その時は頼むぞ。」
「何が頼むだ。今度来たら確実にあのインプたちと同じ目に遭って、下手したら帰ることは出来ないんだぞ?それに勝手なことしたら亜美への魔力供給が無くなるじゃないか。」
「安心しろ。その時は亜美も一緒に連れてくるから。ん?ユナやシェリルのことか?大丈夫だ、綿密な計画を立ててこっそりと実行に移すからら。」
「お兄ちゃん、全部聞こえてるけど?」
「あ、シェリルちゃんいたのね。じょ、冗談に決まってるじゃん。まったく怖い顔しちゃヤだよ。」
こいつ、絶対本気だ。
けど、さすがに実行には移さないだろう。
この世界への影響を考えると、木村と亜美が再びこっちへ来た場合、その責任は重い。
意外とこの木村という悪魔はその辺だけは真面目に考えているようだ。
「とにかく、秋人、貴様に出会うことが出来てよかったぞ。」
「まあ僕にとっては天災だったけどな。」
「ひどいっ!このお別れの間際になってもそんなこと言う?普通言う?」
「はははっ、相変わらずの変なキャラだよな木村って。冗談だよ。まあ一部本気だけど、僕もそれなりに楽しかったよ。」
本心だった。
ずっと一緒にいるととんでもないことの連続で疲れたけど、いざ、いなくなるって思うとちょっと寂しい気持ちになる。
「ありがとな。ちゃんとお礼言ってなかったよな。」
「ん?なんのことだ?温泉旅行に連れて行ってやったことか?」
「あれは僕の金だ。そうじゃないよ。亜美を助けてくれてありがとう。それと、まだ安心は出来ないけど、あの騎士と、その主から世界を守ってくれてありがとな。」
「ああ、亜美のことは仕方ない。貴様に頼まれなくとも非常に迷うところだったからな。なんせ目の前で美女が倒れていたのだからな。」
「は、はあ。そんな理由でお前は生涯一度の契約を使っちゃうかどうか迷うわけ?ホント変なやつだよな。」
「貴様もな。悪魔3人に囲まれて生活して楽しかっただと?悪魔も堕ちたもんだ。それに時々だが、僕ちゃん的には秋人の方が悪魔に見えることがあったよ。君、ホントに人間?」
「当たり前だ。僕は逆にお前が時々ホントに悪魔かって疑うことがあったよ。弱いし、すぐ騙されるし。まあ、だからこそ親近感が沸いたのかもな。」
木村と話していると時間がどんどん過ぎていく。
もっとこうやって話をしたいって今になって後悔してしまう。
不覚にも僕は少し泣きそうになっていた。
木村を見ると平然としているのが悔しくて、つい悪態ついてしまう。
「そんじゃ、せいぜい向こうで長生きしろよ?」
「うむ。秋人もな。」
そう言うと木村は歪みのある岩のところへ歩いて行ってしまった
「いいの?あんなあっさりとしたお別れで。」
僕と木村のやり取りを隣で聞いていた亜美が言った。
僕は寂しそうな表情をしていたのかと思うと少し恥ずかしくなった。
「いーんだよ。男同士の別れなんてさ、あっさりしてなきゃ逆に変だろ?それより亜美、向こうへ行ってもあまり無茶するんじゃないぞ?」
「無茶なんてしないよーっだ。あたしは看護師だよ?みんなの健康を守るのだ。あっちに行っても仕事するつもりなんだぁ。まあ身体の構造とか根本的に違うんだろうけど、グロテスクじゃない悪魔さんだったら治療してあげようかな。」
いや、悪魔ってほどんどグロテスクなような気がするんですけど。
「じゃあキンバリウム家の専属看護師になれば?そんなのがあるのかどうか知らないけど、あの弱い木村じゃケガが絶えないかもね。」
「そうだね。一応あたしが眷属魔なんだし、治療技術は磨いておくとするかっ!」
そう言って亜美は笑った。
ホントは不安で仕方ないはずなのに、最後くらいはって強がっているのだろう。
「ところで亜美、こんな時だけど最後に確認しておきたいのだけど。」
突然ユナが会話に入ってきた。
真剣な顔をしたユナ。
なぜ今なのだろう。
「結局のところ、亜美は秋人を捨ててラインハルト様の元へ行くってことでいいのね?」
「えっ?捨てるって言うか、仕方ないって言うか。なんて答えていいかわかんないよ。」
「ユナ、今そんなことを聞かなくてもいーじゃないか?」
「秋人は黙ってて。私にとっては大切な問題なの。」
ユナの表情があまりに真剣だったので僕は言葉を失ってしまった。なんだか嫌な予感がするぞ・・・
「あたしはやっぱり秋人のことが好きだよ。ハルトさんのことも好きだけど、でもこれはなんて言うか違うんだよね。きっとホントに好きなのは秋人だと思う。」
「そっか。じゃあ秋人はどうなの?」
えっ?ぼ、僕に来ましたか・・・
この場面、どう答えるべきか。
「秋人?どうかした?」
「うん、そうだね。亜美のこと好きだよ。」
「えー、ひどーい秋くん。シェリルにあんなことしておいてぇ。」
今度はシェリルが参戦してきた。
さっきの台詞は僕の人生にピリオドを打ったことと同意語であるような気がする。
「ちょっと秋人、どういうこと?」
亜美が険しい表情で僕に詰め寄る。
「ちょ、ちょっとシェリルちゃん?」
シェリルは無言でニコッと天使のような微笑を僕に返してくれた。
「秋人、もしかしてシェリルにも手を出したの?」
今度はユナだ。
眉間にシワを寄せ、ぐいっと近づいてきた。
ああ、近すぎです。
僕は変な汗が止まらないこの状況をどうやって回避するか必死に考えた。が・・・
「今、シェリルちゃんにもって言った?ってことはもしかして秋人、ユナさんにも手を出したの?」
その時、亜美の左足がぐっと踏み出され、地面をしっかりと捉えた。
そして細い腰がずっしりと綺麗に低い位置に定められた。
次の瞬間、上半身だけがゆっくりと半回転し、僕の目の前には亜美の華奢な左腕が現れた。その左腕に気をとられていると、いつの間にか左腕は残像を残して消え、代わりに上半身のバネを惜しみなく使ったフルスピードの回転運動から繰り出される綺麗な右ストレートが僕の目に飛び込んできた。
「ごふっ!」
シュッという音が聞こえたと思った時には、亜美の右の拳が僕のおなかに突き刺さっていた。
きっと横からご覧いただけますと、僕の身体は綺麗な”く”の字をお見せすることが出来たことかと思います。
「秋人なんてもう知らないっ!バカッ!」
亜美は怒って木村の待つ歪みの近くへ歩いて行った。
きっとこれでよかったんだ、そう自分自身に言い聞かせながら僕はその場に崩れ落ちた。
「じゃあ秋くん、ずっと一緒にいたかったけど、シェリルも行くね。もし、もしだよ?」
そう言うとシェリルが僕の耳に唇を近づけてそっとささやいた。
「次に逢うことが出来たら、またシェリルのこと、ね?」
シェリルの吐息が頬にあたる。
僕はひざまずいたままシェリルの頭を撫でてやった。
「ああ、約束だ。また逢おうな、シェリル。」
「ひぐっ、ひぐっ、あーん・・・ヤだよー、帰りたくないよー・・・」
突然シェリルは子供のように泣き出してしまった。
まあ見た目は完全に子供なのだが。
僕はそっと抱き締め、いい子いい子して慰めた。
向こうの方からと隣から突き刺さるような視線を感じるが、この場合は仕方ないでしょう?そう思いませんか?
「うぐぅ、ごめんね秋くん。これ以上いたら秋くんをシェリルの眷属魔にしちゃいそうだから、あっちに行くよ。バイバイ秋くん。大好きだよ。」
シェリルは泣きながら木村と亜美の待つ方へ歩いて行った。
その後姿はとても弱弱しく、僕の胸がズキズキと痛んだ。
でもシェリルも覚悟を持って自分で道を決めている。
僕は頑張り屋のシェリルを見守ることしか出来ないのだ。
「最後は私だね。」
ユナが僕の目の前に立った。
風になびくユナの髪は輝き、とても美しかった。
「なんか短い間だったね。一番たくさんの時間を過ごしたのはきっとユナなんだろうな。ま、半分以上は猫だけどね。」
そう言って僕は笑った。
でもその笑いはどこか寒々しく、自分でも滑稽に思えてしまう。
「私は楽しかったよ。こっちの世界のことを色々聞いたり、秋人の小さい時の話や友達のこと。ゲームなんかもしたよね。それにバイトだよ。けっこう頑張ったんだけど、結局自給あがんなかったな。初めてのことばっかりで、やっと慣れてきたって思ったんだけど、
私は当初の目的を完全に忘れちゃってたんだよね。」
「そうだったね。木村を連れ戻すためにこっちに来たんだもんね。いつの間にか生活しちゃってたね。」
フフッと笑うユナ。こうして近くでその笑顔を見るのはこれで最後になるんだな。
「あっちに戻ったらちゃんと歪みを塞ぐから。この素敵な世界には私たちのような悪魔は来てはいけないから。」
「ユナみたいな悪魔だったら僕は歓迎だけどね。」
「バカ。」
小さな声で呟いたユナはうつむいてしまった。
「ユナ。僕もとっても楽しかった。むなしい言葉かもしれないけど、また逢おうな。」
もう逢えないことは分かっている。だけど、だけど、さよならなんて言えない。言いたくなかった。
ユナはゆっくりと顔を上げ、唇を5文字分だけ小さく動かし、声にならない音で最後のメッセージを僕に伝えた。
その声は聞き取れなかったけど、なんて言ったのかは理解できる。
僕も同じ気持ちだから。
そしてユナは小走りで去っていった。
危ないから岩の方へは近づくなと言われているけど、最後にもう一度みんなに、そう、みんなにちゃんとお別れを。
そう思った時だった。
歪みを隠していた岩が騎士の雷撃によって砕かれ、そこには黒ずんだ紫色の穴が姿を現した。
そして最初にユナとインプたちがすっとその中へと消えた。続いてシェリル、亜美、騎士と消えていった。
最後に木村がこっちを振り返り、無言でそのまま歪みへと入っていった。
なんかあっさりした最後だ。
僕はポツンと一人その場に残された孤独な猫みたいだった。
僕も飛び込めばあっちの世界へ行けるのだろう歪みが今もぽっかりと口を開けている。
いやいや、行ってどうする。
当たり前のことだ。僕は今までの生活に戻るだけなのだ。




