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第十三章 出発前日

第十三章 出発前日


インターホンが鳴り、僕はドアを開けた。

そこには亜美が立っていた。

「やっほー、入っていーい?」

「当たり前だろ?どうぞ、狭いところですが。」

ちなみに今、白猫は明日のための準備とやらで出掛けている。

亜美は脱いだミュールを丁寧に揃えて部屋に入ってきた。

「明日、だね。」

「そうだな。亜美はもう準備終わったのか?って言っても何持って行っていいかわかんないよな。」

「聞いてると服はあたしに合わせて作ってくれるらしいから、数着見本みたいなの持っていけば大丈夫みたい。そんで薬は不要だって。あたし、ハルトさんが生きてる限りは不死身だから。あはは。困るのが食べ物だよ!ハルトさんに聞いたらこっちと同じようなものって全然ないんだって言うんだよ?あるとしてジャガイモみたいな土に埋まってる野菜くらいだって、信じらんないよぉ。」

「食べ物は慣れるしかないんだろうな。なんか肉とか魚みたいなもんとかはたくさんありそうじゃん?」

「あたし、グロテスクな食べ物ってダメなの知ってるでしょ?」

「だよな。それより家族への説明は大丈夫だったのか?」

「めっちゃ大変だったよ?一度死んだなんて言ってもこうやって話してるんだから信じようがないし、ハルトさんが弱いせいでさ、あたしの力ってまったく変わってないし、どうすればいいかわかんなくなって、とりあえず電気屋さん行ってハルトさん捕まえて連れてったの。」

ああ、そういえば毎日ビッグカメラでテレビ見てるって言ってたな。

「それで、木村がうまく説明したのか?」

「はぁ、ハルトさんのおかげでさらに大混乱だったよ。あの調子であっちの世界のことを語りだしちゃってさ、でもまあ最終的には納得してくれて、遠い外国に行くみたいなものってことになったの。お父さんは泣いてたけどね、変な宗教にはまってしまったって。」

「ごめんな、元はと言えば僕のせいだ。勢いで悪魔の力に頼ってしまったから、亜美にばかり辛い目を。ホントごめん。」

「何言ってんの、秋人がハルトさんを説得してくれなかったらあたしは今頃さらに違う世界に逝ってるんだよ?むしろ感謝だよ。ただ、辛いのは家族や秋人に逢えなくなることかな。あっ、ごめんごめん、しんみりしちゃったね。それに心配しないで。今は秋人よりハルトさんのこと好きになっちゃったんだ。だから秋人はちゃんと別のいい人を見つけてよね?」

亜美は嘘をつくとき必ず目が左上を見る。

木村のことを好きになるわけないじゃないか。

まあ眷属魔として契約関係にあるから感情がどうとか言ってたけど、これは僕を安心させるための嘘だ。

僕は亜美を悲しませないために、嘘と分かっていても、うん、とだけ返事をした。

きっと亜美も僕が嘘って分かってること、気付いてるんだろう。

突然亜美が唇を重ねてきた。

僕も亜美を抱き寄せ最後の二人の時間を過ごした。


「それじゃ、あたし帰るね。もう少しやること残ってるし。明日はホント来なくていいから。秋人が来たらあたし泣いちゃうもん。だから来なくていいの。」

「でも、きっと僕は行くと思うよ。最後くらい笑顔で見送らせてよ。」

「バカ。」

そう言って亜美は駅の改札をくぐった。

僕の方を振り向いて手を振る亜美は、いつもの元気な亜美の姿だった。

亜美を送り家に戻ると、そこには獣がいた。

「秋人よ、どこに行っていた?我輩は腹が減ったぞ?最後の晩餐だ、寿司を食べに行こうではないか。一度くらい食べないと帰らないぞ?」

「そうだな。行こうか。予約してないから木村が行きたいって言ってた高級な寿司屋には行けないけど、ちょっとネットで探して」

「その必要はない。我輩が予約をしておいた。貴様の財布の状況も考慮して、駅裏の寿司屋にしておいてやったぞ。」

「お前、よく知ってるな。いいのか、あそこで。」

「うむ。回る寿司じゃなければとりあえずよしとしよう。ほれ、ここにクーポンもあるから早く行こうではないか!おい、我輩を抱きかかえて行くがいい。」

「自分で歩け、このヒモ猫が。」

そして僕は木村を念願の寿司屋へ連れていってやった。

暖簾をくぐる木村はとても嬉しそうで、そのくぐる瞬間をスマホで2回撮らされた。

「さて秋人よ、まずはギョクか?なんでも寿司屋ではギョクを頼んで味を試し、その良し悪しで判断すると言っていたぞ、テレビで大西川アナがレポーターとして。」

「お前さぁ、色々と知識を得るのはいいけど、食べたいものを食べるのが一番いいんだよ。それにお前には良し悪しを見分けるだけの舌はないだろう。さあ好きなもの頼めよ。」

「貴様、頭が悪いくせにたまにはいいこと言うではないか。では、大将、ギョクを。」

「木村くん、人の話を聞いてください。」

その後、木村は以前にあれだけ語っていたくせに一皿目のワサビに涙し、二皿目からはサビ抜きで頼み、そして合計30皿以上を食べたのだった。

「いやぁ、寿司とはここまで旨いものなんだな。私は感動したぞ。やはり鯛だな鯛。あの白い美しい肌がたまらん。」

「あれは肌ではない。切り身だ。身だよ身。てっきり木村はマグロとかサーモンとかを気に入るって思ったんだけどな。最後はずっと鯛じゃないか。」

「やはり貴様は頭が悪い。どうせヴァンパイアだから血の色みたいなマグロが好きなんだろ、そんな風に考えていたのだな?はぁ、幼稚なオツムですねぇ。」

「幼稚で悪かったな。旅行の時に赤いからって理由だけでワインを注文して喜んで飲んでたどっかのアホなヴァンパイアだから、当然マグロが好きかなって思ったんです。」

「なっ!きっ、きさっ!そこまで言いますか?私をアホと?命を捨てる覚悟は出来ているのだろうな?」

「はいはい、僕より弱い悪魔に命とられる覚悟なんてしませんよ。それより、亜美をよろしく頼む。ああ見えて寂しがり屋なんだ。」

「うむ。私の同身とも言える眷属魔なのだ。任せておけ。私には3つのポリシーがあってな。まず1つ目、吸う血は気に入った美しい女性に限る。そして2つ目、美しい女性を泣かす奴は許さない。最後に、いや、最後のは宿題にしておこう。私はきっとまた貴様、いや、秋人に逢いに戻ってくる。その時に答えを聞かせてやる。」

「いや、別に聞きたくないっす。」

「ひどいっ!今のとてもひどいわっ!」

そんな感じで僕と木村の最後の晩餐はお開きとなり、僕は部屋に戻った。

どうやらユナはまだ帰ってないようだ。

ん?ちょうど扉をノックする音が聞こえた。帰ってきたのかな?

「秋くん、来ちゃった。」

「シェ、シェリルちゃん?どうしてここに?」

「むー!シェリルが来ちゃいけなかったぁ?帰っちゃう前に秋くんにちゃんとお別れしておきたかったの。ね、入ってもいいかな?」

「う、うん、いいよ。」

今日のシェリルも亜美に借りたと思われる服を着ている。

亜美がいくら細くても、華奢で小さな身体のシェリルにとっては大きいみたいだ。首元から白く透明な素肌が見える。

なんとなくこの後の展開が読めてきた僕だったが、とりあえず諦めモードで部屋に戻った。

「シェリルちゃんはもう帰る準備は出来たの?」

「うん。ちゃんと店長さんにもお別れしてきたし、荷物は元々ないしね。あとは秋くんとお話したかったの。ホントはもっともっとたくさん一緒にいたかったの。出来れば秋くんも一緒に来て欲しいの。だけどそれは出来ないってわかってるから。だから。だから少しだけシェリルのわがまま聞いてほしいな。」

来たぞ。これは最後の吸血だ。きっと僕はまた暴走しそうになるに違いない。

まあ最後なんだし、なるようになれ、だな。

「いいよ、言ってみ?」

「あのね、頭をナデナデしてほしいの。そんで、ギュッてしてほしいの。」

「な、なでなで?こ、こうかな?」

寂しそうにうつむいているシェリルの小さな頭を僕は何度も何度も撫でた。

ツヤのある綺麗な金色の髪が撫でるたびに揺れる。

そして僕はそっとシェリルを抱き寄せた。

「秋くん。もっと強く。んっ。えへへ。」

シェリルはいつもの明るい笑顔を見せてくれたけど、それは無理をして作った微笑みだった。

涙で潤んだ瞳が僕の心まで濡らしていった。

気付くと僕は自分の唇をシェリルのそれに重ねていた。

そしてシェリルの腕が僕の背中を強く掴んだ。


「遅くなっちゃった。それじゃ、亜美ちゃんのとこ帰るね。多分心配してるから。」

「気をつけてな。明日、見送り行くから。」

「来なくていいって言ったじゃん。シェリル泣いちゃうよぉ。明日来なくていいからさ、その代わりもう一度だけ、ね?んぅ。」

「ったく、みんな揃って来なくていいってさ、行くって言ってんのに。」

「秋くん?待ってるんだけどー?んぅ。ぁ・・・」


シェリルを駅まで送って家に帰ったが、ユナはまだ戻っていなかった。

ユナとも最後くらいゆっくり話をしておきたかったけど、仕方ないか。

帰るための準備や調整はユナがほとんどメインで動いているから忙しいのだろう。

今日は軽くシャワーを浴びて眠ることにした。


ん?何か、ゴソゴソと音がする。ああ、猫が帰ってきたみたいだ。布団に潜り込んできたのか。

「おかえりユナ。随分遅かったね。」

「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」

布団の中からこもった声が聞こえた。

「そりゃゴソゴソされたら起きるよ。晩御飯は?」

足元から入ってきた白猫はゴソゴソと僕の顔の横まで布団のトンネルをくぐってきた。

「ぷはっ!晩御飯は大丈夫。それより明日も早いんだから寝よっか。今日は秋人の隣で添い寝してあげるね。」

「ははは、猫が添い寝か、ちょっと暑いかな?」

「あー、ひどーい。せっかく最後くらいって思ったのにぃ。もう知らなーい。」

そう言ってユナはベッドからひょいっと飛び降りてこちらを振り返った。

暗くてあまりわからないけど、小さな舌を出してあかんべーをしてるみたいだ。

「ごめんごめん、おいで?」

「ペットじゃないんだぞぉ!」

「猫じゃん。ほらほら、おいでぇ。」

ぴょんと飛び跳ねてベッドに乗ってきた白猫は僕の顔の横で丸くなり、そのまま眠ってしまった。疲れているのだろう、すぐにスースーと寝息が聞こえた。


「んぁっ!」

変な夢にうなされ、僕は目が覚めてしまった。まだ窓の外は暗い。

もう一眠りするか。そう思って僕は違和感に気付いた。

そう、再び出ました、これがプロミス・シチュエーションというヤツだ。

隣で寝ているはずの猫は猫じゃなくて、うん、ヴァンパイアになってるんだな。

暗くてよく見えないけど、これがまた一糸まとわぬお姿なんです。

おっと、そりゃそうだよな。そりゃ僕も起きたけど、僕のヴァンパイアも起きるよな。いけない、いけないぞ。寝ぼけてるせいでちょっとお下品になってしまった。

さて、自分と自分の中の悪魔を抑えて眠るとしよう。

「ん・・・あ、きひと?どうしたの?眠れないの?」

はい終わったぁ!ユナも起きたぁ!起きましたぁ・・・

諦めたらそこでゲームセットだよ。

うん、むしろゲームセットでいいっす。

「ユナ、なんで裸?」

「え?えっ!?あっ!ゃん・・・」

寝起きで油断していたユナは不意を突かれ、とっさに布団を引っ張り寄せて胸元を隠した。そういやヴァンパイアの服ってどうなってんの?

猫になる前は服着てたよね?

猫になると服ないよね?

そんで猫から戻ったら、普通は服があるよね?

もうわけわかんないよ。

ユナは恥ずかしそうに布団を握り締め、少しうつむきながら僕を見ている。

「ご、ごめん。その、あの、起きたらユナがその姿で・・・」

「秋人はさ、どう思う?」

「え?どう思うって?」

「なんでもない。バカ。鈍感。エッチ。」

「綺麗だよ。とっても綺麗だと思う。」

「ホント?ホントにそう思う?」

「うん。思うよ。だからユナには猫の姿になってもらったんだ。猫の姿じゃなかったら、きっと僕がユナのこと意識してしまう。」

「うれしいな。ありがと。」

そう言って微笑むユナはとても美しく、そして可愛らしかった。

暗闇でも分かる青い瞳に僕は吸い込まれそうだった。

その時、雲が晴れたのか、月光が窓から射し込み、部屋を青と白のコントラストに染めた。

僕とユナの姿もはっきり見えるほど今日の月は明るい。

部屋の壁に僕とユナ、二つの影が映し出されている。

自然とその二つの影は一つに重なっていった。


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