佐々木良介と琴音桜、もしくは炎使いの男の場合
この小説には残酷な描写があります。苦手なかたはご注意ください。
4月10日水曜日。午後9時58分。
道路のすぐそばの店からショーウィンドウを通して光が漏れ出ている。世界の照明器具の明るさとしてはトップを走る日本では、その光は真昼のように道路を照らす。しかしもう夜が更けてきたためか客足が途絶え始め、閉店時間が近づいてきた店たちは閉める準備をしていく。
道路を照らしていく光が少なくなり、やがて街頭や夜間営業の店のネオンがさびしく闇を切り裂くだけとなった。
地上の光が強すぎるせいか真っ暗になり、深い黒を映すだけであった空は、やがて星の光を取り戻しかけてきた。
「やっべー!もう10時じゃん。急がねえと!これ以上遅れたら母さんに殺される!」
そんな夜の街を一人の少年が走っていた。
少し長く癖のある黒髪と吸い込まれるようなきれいな黒い目をもった少年だった。体格は一見中肉中背に見えるが、服の下にはそれなりの筋肉がついている。その理由としてはこの少年が日々何らかのトラブルに巻き込まれ続けているからだ。実は今日もトラブルに巻き込まれたところだった。そのせいで、彼は門限ギリギリの今こうして走っているのだ。この少年事態がトラブルメーカーと言うわけではない。しかし彼の交友関係を結んでいる者たちの多くは、俗にそう呼ばれるものたちではあった。
ちなみに彼の母はとても厳しい人で、ひとたび怒ると修羅か鬼神のごとく息子に盛大なげんこつと説教をぶちかますのだ。まあ、それも息子に対する愛情ゆえの行動なため仕方のないことなのだと思われるが。
少年―――――佐々木良介はひたすらに走る。足を必死に交互に動かし、腕を振り続ける。
ただただ、走り続ける。
大通りを抜け、路地裏に入る。薄汚れていて壁や地面には、何のものかは良く分からないが黒かったり、茶色だったりする染みがいくつもいくつもこびりついている。染みだけならまだいいが壁には妙な固形物までこびりついている。路地裏という事もあり長年掃除がされてこなかったのか、埃は隅の方に溜ままり、路地裏全体も少々煙たくなっている。ポリバケツに入りきらなかったゴミはそこら中に巻き散かせられ、カラスと猫が少しでも良い獲物を手に入れるため睨み合いを続けているが先制したのはどうやら猫のようだった。
良介はそれらには目もくれず足を走らせる。路地裏を右に左に曲がり駆けていく。もうかれこれ三十分近く走り続けているためか、息を切らしてしまいゼェ、ハァと大きく荒い呼吸を繰り返している。
良介が次の曲がり角を曲がろうとしたその時だった。
突然、目の前の路地裏から何かが転がり出てきた。とても勢いのついた状態のそれを、良介は最初何なのか分からなかった。
飛び出てきたそれは人だった。それもまだ若い少女のようだった。どこかの高校の制服を着ていることからまだ10代、それも良介とそう年が離れていないように思われる。
背中にちょこっとかかる位に伸ばされた明るい茶色の髪。くりくりとした黒目がちなおおきな目は吸い込まれそうに光っている。少しだけ日に焼けた健康的な美を感じる肌はきめ細やかくすべすべしていた。小動物を思わせるような小柄な体躯はまもってあげたくなるほど華奢である。その容姿は全体的に美人と言うより、かわいいと言いたくなる少女だった。
しかし、その少女は全身がスス汚れ、身に着けた制服は所々破れかけている。先ほど転がった時についたのか手や足には小さな擦り傷がいくつも見える。だが幸いにも、どこにも大きな傷や怪我は見えなかった。
「桜!?」
良介はその少女―――――桜を見て驚いたように声を上げた。
その少女は良介の幼馴染の琴音桜だった。
「良介!何でここにいるの」
「それは俺のセリフだ。桜こそ何でここに!?それにその恰好はどうしたんだんだよ。」
「それは」
桜はその続きを言う前に後ろをふりかえった。
その瞬間、手のひら大の炎の玉が路地裏を一直線に駆け抜けた。
炎の玉はまっすぐに桜に向かっている。轟轟と燃え盛り、炎の届かない場所もその熱で燃やしてしまうかのように猛り狂っている。
桜はその炎の玉を間一髪右に転がることで避けた。気づくのがもう少し遅ければ、確実にこの少女を焼き払ってしまっていただろう。
桜に当たらなかった二つの炎の玉はドンッと低い音を立てて路地裏の壁と地面にぶつかった。コンクリートで出来ていた壁ははがれ、アスファルトの道路は無残に飛び散って、その炎の玉の凶悪さを物語っていた。
「逃げて!」
また、炎の玉が桜を狙って路地裏を飛んでくる。
「はやく!」
叫ぶ桜に炎の玉は執拗にも何度も飛んでいく。
「きりがない!....水細工師!」
突然桜の手の中にいくつも水の玉が現れる。
「消えろ!」
水の玉は唸り声を上げ桜の手を離れえる。そして炎の玉と空中でぶつかり、その力を拮抗させた後、両方ともその姿を消え失せた。
「今のうちに。...良介!こっち!」
桜は良介の手を掴むと炎の玉が飛んできた方向とは逆の路地裏の飛び込んだ。
「急いで!すぐにあいつが来る」
「何がどうなってんだ!」
「落ち着いたら話すから、今はとにかく走って!」
◇◆◇◆◇◆
廃ビル。
13偕建ての大きなビルだ。もともとは大企業の持つビルの一つだったが、経営縮小のため多くの社員といくつかのビルを手放した。このビルもその一つである。
その日は解体工事の途中だったためショベルカーやブルドーザがビルの前に無造作に置いてあった。
ビルの中は使われなくなってまだ新しいのか埃や汚れは少ない。しかし解体工事の邪魔になるためか窓のガラスはすべて抜き取られ、中は無防備にも外気にさらされてはいたが。
ビルの6偕。ガランとしたフロアに良介と桜はいくつかある柱の一つを背もたれにして座っていた。
満身創痍、という言葉がピッタリ似合うかのような恰好だった。
体のあちこちに擦り傷や切り傷が広がり、服はしわくちゃになっていたがそれも気にならなくくらい二人はボロボロになっている。
「...桜。久しぶりだな」
「...うん」
桜は小さくうなづいた。
先ほど、琴音桜の事を佐々木良介の幼馴染と形容したが、真実を明記するならば幼馴染だった、とするのが正解だろう。
二人の付き合いはおそらく家族の次に長いものとなるだろう。いや小学生までの彼らだったならばおそらく家族よりも長く深い付き合いあったかもしれない。
もともと彼らの親たちは大学生時代のサークル仲間だった。学生時代大抵の事は一緒に過ごしてきた親たちは社会人になっても関係は変わらず疎遠にならず良好なままだった。そしていつからか良介の両親、桜の両親は交際を始め紆余曲折を経て結婚し、良介と桜と言う子宝を同時に手に入れた。
そのため良介と桜は家族ぐるみの付き合いで物心がつく前から常にそばにいた。家が隣同士だったものも合わさってか、小学生低学年まで二人はそれこそ文字通り四六時中ともに過ごしていた。
しかしそれも小学校高学年になってくると思春期特有の異性に対する意識の芽生えとまわりの子供からの悪意の無い嘲笑によってだんだん疎遠になっていく。男子は男子同士。女子は女子同士で行動するという子供の心理に流された二人は小学校の卒業間近になるとほとんど会話をすることもなくなっていった。
いつしか二人の間には大きな溝が出来ていた。良介が気付いた時にはすでに時遅く、その溝はもう一人では埋めることは出来なかった。
そして中学生時代は二人の間の溝の広がり方がさらに加速させられていった。
桜は生徒会に入り華々しく学校の中心的存在として活躍していた。良介の目から見ても、身内びいきかもしれないが桜はどんどん愛らしくなっていった。コロコロと変わる表情と小柄な体躯が相まってか自然と守ってあげたくなる欲求に心惹かれる。そして本人の生来の純粋さも手伝い彼女の周りにはいつも笑顔が絶えることはなかった。
対して良介はどちらかと言うと日陰者よりの三年間だった。友人と呼べるものも数多く成績だって悪くない。しかしそれでも彼の中学校三年間は灰色だった。華がないというか色が薄いというか、何とも青春などと呼ばれるバラ色とは無縁の生活だった。毎日友人からのトラブルに見舞われ続け、気付けば殺伐とした知り合いが多くなった気がする。
片や青春の雛形であり方や根暗者の少年。そんなこともあり良介と桜が互いに家が隣なだけの同級生という関係に落ち着いてしまうのも無理からぬ話やもしれなかった。
だから、この時彼らが会話をするのも久しぶりの事である。
「元気にしてたかって聞くのも変だな同じクラスだし......。でも、こうして二人っきりってのもずいぶん久しぶりな気がするな」
「うん...。そうだね」
「なあ...桜。...何があったんだ?」
桜は少しの間逡巡するように口をつぐんだ。
(良いのだろうか?良介にすべてを打ち明け、彼を巻き込んでも良いのだろうか?)
桜の心の中に疑問とでも言うべきか、小さなわだかまりがあった。
(もし彼にすべてを話す事が出来るとしたら、どれだけ楽になるだろう。どれほど嬉しいだろう。彼が受け止めてくれるのならば今すぐにでも打ち明けたい。でも......)
桜には決められなかった。決めきれなかった。
すべてを良介に打ち明け、彼に受け入れられるのならばこれほど嬉しい事はない。
しかしそれは出来ない。
もし彼に打ち明けるとするならば、それは彼を自分の戦いに巻き込むという事だ。運が良ければ今心の中に湧き上がる最悪の事態も起きず彼が無事なままで終われるかもしれない。でも十中八九それはない。どんなに頑張っても彼は必ず傷つく。下手をすれば命を落とす。そんな危険な事に彼を巻き込みたくはない。
「桜...」
不意に良介が小さく、呟くように桜の名を呼んだ。
「もし、言いたくないんだったら言わなくてもいい。ほんとは、何で桜がそんなにぼろぼろになってるのかとか、さっきの炎の事とか、桜が抱えてる秘密とかほんとはすっげー気になるんだけど、桜が言いたくないんだったら、聞かない。......でも、これだけは覚えておいて欲しい」
良介はすでにあちこちガタが来始めている体を何とか起こして桜の方を向いた。体の節々の関節がキイキイと悲鳴を上げる。ずっと走り通しの足は自分のものじゃなくなっちまったように少しだって動かせない。体中の擦り傷が痛む。腕にももう力が入らない。それでも良介は精いっぱいの力を振り絞って桜に体を向ける。
全てはたった一言自分の心からの本心を伝えるために。桜と疎遠になり始めていた小学校五年生のころからずっと、いやもっと前から。おそらく彼女と初めて会った時から抱えていたこの気持ちを伝えるために。
「俺はお前の味方だ。桜。たとえどれだけの秘密を抱えていようとも、たとえ世界が桜の敵になったとしても、たとえ桜が俺の敵になったとしても。それでも俺は桜の味方だ。だから、どんなことでも受け止めてやる。俺が桜の事を守ってやる」
「でも...!」
桜にはおそらく良介がそう言う事を分かっていた。
「もしかしたら死んじゃうんだよ!そんな事に良介を巻き込みたくないよ!」
だから言えない。彼が自分の事を受け入れてくれるってことを心のどこかで分かってはいた。良介ならば多分何時だって桜の事を守り、助け支えるだろう。どんな困難にも立ち向かいともに戦うだろう。だからこそ彼に打ち明けられないのだ。
なぜなら、桜は良介の事が――――――。
そんな桜の心中を察したかの様に彼は言い張った。
「おいおい信用ねえな...。俺はお前の幼馴染だぜ」
そして良介は気丈にニッと笑った。ひまわりのように輝く笑顔だ。
久しぶりに見る、彼の笑顔。桜はいつも良介のその笑顔に助けられてきた。どんな危機的状況でも、どうしようもない逆境でも、何故か頼りがいのある不思議な笑顔。
二人の心が離れてしまったあの頃から一度として自分に向けられることのなかった、もう二度と見ることはないだろうとあきらめていた、その笑顔。
気付けば桜は自分の頬に何か生ぬるいものが伝わっているのを感じた。埃と土で薄汚れた頬を伝うそれは一度だけでは止まらず、後から後からあふれ出ていく。
「おっ、おい!?」
涙を早く止めなければ。ほら、彼が心配そうに自分の顔を覗き込んでる。さっきまで自信満々に笑っていた顔が今は悲しみで曇ってしまっている。私のせいで。ほら、笑いなさい。良介が心配してるじゃない。笑って、何でもないって、言わなきゃいけないのに。
そうやって必死に自分に言い聞かせているのに、両目から滴る涙は一向に止まってくれない。
「なん、でもない。大丈夫、だから...」
何とか言葉を絞り出すけれど、うまく言えている自信がない。目じりをごしごしとこすって涙を止める。止まらないけど目に力を入れて雫が落ちないように踏ん張って良介に笑顔を見せる。
「大丈夫、だから。...全部話すよ...」
桜はもう一度手の甲で目を擦った。
「えっとね、さっき良介が見た物について話すけど」
そう言いながら桜はおもむろに右手を胸の高さまで持ち上げて、天井に向けられていた手の平の指先に何かを込めるように勢いよくピンと広げた。
するとシュッと空気を裂くような鋭い音が良介の耳朶を叩いたかと思うと、桜の手の平にピンポン玉サイズの水の塊がフワフワと浮いていた。向こうの景色が透けて見えるその球体の表面は揺ら揺らと波のように絶え間なく震えていた。
「わたしには水を操る【才能】があるの」
「水を操る【才能】...?」
「そう。こうやって空気中の水蒸気を集めて水の玉にしたりこんな風に――――」
桜の手の平で浮かんでいた水の玉は数瞬小刻みに振動したかと思うと駆け回る子リスのように桜の腕を駆け、良介の目の前を縦横無尽に踊った。良介が二度まばたきを繰り返すとやがて水の玉は桜の手の平の上に戻っていき、桜が握りしめる動作をするとパンッと軽い音と共に弾けた。
「動かしたり。自由に水を扱えるの。それが私の【才能】、水細工師。中学校に上がってすぐのころだったかな、どうすれば水を動かすことが出来るのかってわかり始めたの。最初はおぼろげにだったけど、だんだんはっきりと分かってきて。戸惑ったりもしたけど慣れると案外楽しいんだよ」
桜は目の端で良介を捉える様に首を傾げ、小さく唇の端を持ち上げた。
「さっきのは炎を操る才能を持った奴の仕業」
「何で追いかけてくるのか心当たりはあるか?」
「多分これのせい」
桜は左手の手首のあたりを良介に見えるように持ち上げた。するとそこには銀色の直径五センチメートルほどのプレートが鎖によって巻きつけられていた。そのブレスレットは月明かりしか入って来ないビルの中でも小さな光を綺麗に反射していた。そのブレスレットを付けている本人がぼろぼろになっているにも拘わらず。
「それは...?」
「【銀のブレスレット】。今回の【スキルゲーム】の必須アイテム」
「【スキルゲーム】ってあの噂の!?」
「そう。超常現象を操ることが出来るあたしやさっきの炎使いの男なんかを集めて互いに争わせる悪魔のゲーム。今回のゲームの参加者にあたしも選ばれた。ゲーム名は【銀色の血飛沫】。この【銀のブレスレット】を互いに奪い合うゲーム」
「奪い合う...」
「そう。ただ、【銀のブレスレット】の奪い方は自由。殺し合いでも盗んでもいい、そしてあいてに譲渡してもいい」
「譲渡してもいい?だったらさっきの炎使いに渡せばいいじゃないか」
「無理。さっきの見たでしょ。あいつ、あたしたちを殺す気だった。今さらあいつの目の前にのこのこ行ったら嬲り殺されるのが落ちよ。だから、戦うしかないの」
ゴオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!!!!!!!
その瞬間、突然フロアが明るくなった。
「よう。ようやく見つけたぜぇ。水細工師オォ!」
真っ黒な男だった。
黒いぴっちりとしたレザーのパンツに真っ黒な革ジャン。髪の毛だけは金髪に染められ異彩を放っている。
顔には下卑たにやにや笑いが張り付かせ、ガラスのなくなった窓枠に腰かけている。
「ちっ!」
桜は小さく舌打ちをして立ち上がる。良介もそれに倣うかのように立つ。
「勝手に逃げるなよぉ。探すのに苦労しちまったじゃねえかぁ」
男はゆらゆらと手を上下に動かす。つられるように手のひらに浮かんだ炎の玉もゆらゆらと浮き沈みを繰り返していた。フロアの壁にうつる二つ影は小さく揺らめいた。
「良介は隠れてて。こいつはあたしが何とかするから」
桜は決意を込めた瞳で良介を見ると、
「って、何やってるの!」
準備運動として屈伸をしている姿があった。
「俺も手伝うよ。桜一人に任せてのうのうと逃げちまったら、母さんに死ぬほど叱られちまうし、死んじまった父さんにも死んだあとで説教くらっちまう。
それに、桜をこれ以上一人で戦わせるなんて、俺が耐えられない」
「バカ!!良介がかなうような相手じゃないのよ」
「大丈夫だって、俺はお前の幼馴染だぜ」
そういうと良介は準備運動をやめ、ファイティングポーズをとった。
「なあ、一つ、聞いていいか?」
「あぁ、いいぜぇ。冥土の土産に何でも答えてやるよぉ」
「ゲームに勝ちたいんだったらこっちに戦闘の意思はない。【銀のブレスレット】なんてくれてやるって言ったらどうする?」
「......。だめだなぁ。そんな事は関係ねぇんだよぅ。俺はお前らを殺すぅ」
「なんで」
「なんでぇ。なんでぇだってぇ?そんなの決まってるじゃないかぁ」
男はそこで言葉を区切ると下卑た笑顔を浮かべた。口をだらしなく開き今にもよだれが落ちそうだ。目は全開まで広げられ、ギラギラといやな光を放っている。頬は驚くほど吊り上げられ、眉は二つの山のように弓なりになっていた。その男の表情は覚せい剤を打った直後の人間のそれだった。
「楽しいからさぁぁ」
男はなおも言葉を続ける。
「人を殺すのがぁ、どうしようもなく楽しいからさぁ。俺を怖がって逃げる奴を追いかけるのがぁ、追い詰められて汗と涙と血でぐちゃぐちゃになった絶望の表情がぁ、為す術もなく途方に暮れちまった奴に炎を叩き込む瞬間がぁ、体を生きたまま燃やされてのたうち回る姿を見るのがぁ、体のどこからそんな声が出せるのかって疑問に思うような叫び声を聞くのがぁ、どうしようもないほどぉ、たまらなくってぇ、どうにかなってしまいそうな位にぃ、だぁいぃすぅきぃだからさぁ。
特に能力者同士はさいこうだぁ。お互いの身を削りあいながら戦うのはぁ、何者にも耐えがたいぃ、最高でぇ、最上のぉ、娯楽だぁ」
男は酔いしれるように恍惚とした表情を浮かべた。
「そうか」
そう聞くと良介は静かに目を閉じた。
「もういいのかぁ?最後の話になるかも知れないんだぜぇ」
良介はつぶっていた目を開いて言った。
「いいさ。待たせて悪かったな。こいよ」
◇◆◇◆◇◆
その戦いは一方的で圧倒的に一瞬だった。
男には傷一つ付いていなかずまったく息も上がっていない。
対照的に良介の体はボロボロになっていた。全身に擦り傷や火傷のあとがはしり見ていて痛々しいほどだ。
「だから言ったのに!」
桜は床に転がった良介の元に駆け寄ると体を大事そうに抱え上げ、良介の顔を覗き込んだ。
「無視してんじゃねえぞぉ」
男はゆらりと桜に一歩近づいた。
「俺たち能力者同士の戦いに首突っ込んだんだぁ。そうなることは初めから分かっていた事だろうぅ」
「だまれ!よくも良介を」
桜が激昂する。
「そいつが勝手に出しゃばってきたんだろぅ。逆切れされてもこまるよぉ」
男は右手を振り上げた。
「つまりはぁ、自己責任だぁ」
炎の玉をその手に造りだすと桜に向けて振りかぶった。
「死ぃぃぃねぇぇぇぇ!!!」
ゴオオッと音を出して燃えるそれは桜の元に一直線にやってくる。
(避けたら良介に当たる!)
桜はフロア中にある水蒸気をありったけ集めると、水の膜で良介と自分を包み込んだ。それによって炎の玉は弾かれたが、しかし決して炎の勢いは衰えず、なお煌煌と燃え続けている。
「無駄な足掻きだぁ、さっさとくたばれぇぇぇぇぇぇ」
男は腕を振り上げ炎の玉を自分の方へ引き戻すと再度降りおろし、桜と良介に向かって降り下ろす。
バシンッ、バシンッと何度も降りおろし、水の膜を震わせる。
(あたしが絶対守ってあげるから)
桜は良介をしっかりと抱きかかえながら心の中で呟いた。
バシンッ、バシンッと炎の玉を何度も何度も叩きつけられた水の膜は熱で蒸発していき、どんどん薄くなっていく。
そしてついに、水の膜が破れた。
「あっ!!」
「ひゃっはあああぁぁぁぁ!!!!」
男は今まで以上に炎の玉を引き戻すと、野球のバッターのように大きく振りかぶると思いっきり振り投げた。
瞬間、時が止まった。
「はっ!!」
良介は飛び起きた。そこには迫りくる炎が鼻先数センチにあった。
「な、なんだこれ!?」
良介が驚いて思わず飛び上がろうとすると、
「ようやくきみとコンタクトが取れた。いやはやまったく、ほんとにギリギリだねー」
いつの間にか良介の右隣に白衣の男が立っていた。縁なしの眼鏡をかけた白髪の男だった。白髪であるにもかかわらず、その男は老人と言うほど老けてはおらずどちらかというとまだ若く見える。しかしその髪の毛には染められた形跡がまったくないように見えることから、おそらく天然のものなのだろう。
「だれだ!?」
「僕はビックリ箱の才能持ちだ。気軽に教授と呼んでくれ。いやはや、まったく面倒だけど君を助けにきたよ、少年」
「助けに来た?」
「ああ、そうさ。僕の趣味は君のような善良な市民を助けることだからね。」
男はそういうと眼鏡を中指で押し上げて、胡散臭く笑った。
「じゃあ、桜を助けてくれるのか」
「いやはやまったく、なにを勘違いしているのかな?僕の趣味は君みたいな子を助けることで能力者同士のいざこざを解決することじゃない。その少女は才能持ちだろ。なら助ける義務も義理もないよ。少年」
「なんだよ、それ」
「理不尽だと思うのかい?でもね、少年。彼らは超常の力を持った者たちだ。そんな人間の世話まで僕らは面倒見きれないよ。自分のことは自分で何とかするべきだ。彼らにはそれをするだけの力があるのだから、僕らがわざわざ手を出す事じゃないんだ。才能持ちの人間たちの戦いに首を突っ込んじゃいけないのさ。それがこの世界のルールなんだもの」
男はまた眼鏡を中指で押し上げた。
「おや。お気に召さないようだね。そんなにその少女を助けて欲しいのかい?」
「...」
「仕方がない。いやはやまったくもって不本意極まりないな」
男はそういうと嘆息した。
「君には3つの選択肢がある。」
男は指を3本たてた。
「1つめは君だけは助かり、明日の朝すべての記憶を無くしていつも通りの日常を過ごす。そのかわり、その少女は死ぬだろうね。僕としては一番おすすめの選択肢だ。一番後腐れもないし、処理も簡単だ。
2つめはこのまま君とその少女が一緒に死ぬ。いやはやまったくもって分かりやすいだろう。ただこれを選択されると、僕はとっても不機嫌になるからまったくおすすめできないな。せっかく時間を止めてまで助けてあげようとした相手に死なれるなんて、いやはやまったく、骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだね。
3つめ、最後の選択肢は君がその子を助けるんだ。」
「俺が桜を助ける?」
「そうさ。いやはやまったくもって不本意極まりないが、君も彼らと同じように才能持ちになるのさ。いやはやまったくもって不愉快極まりない」
男は額に手を当てると大きくかぶりを振った。
「俺が才能持ちになれば桜を助けられるんだな」
「ああ。まったくもって不本意極まりないがそうなる」
「だったら、桜を助けさせろ」
「...いやはやまったくもってどうしてだい?」
男は眼鏡を押し上げながら言った。ただ、少し期待するような声音だった。
「桜はずっと前からこんな戦いを続けていたんだろう?」
「さあ、僕は詳しくは知らないけれどきっとそうなんだろう」
「ならこれからは俺が桜を守る。桜にこれ以上傷ついてほしくない」
「なんでそこまでする必要があるんだい。たかが幼馴染だろう」
「ただの幼馴染ならな。だけど桜は違う」
「君の命を懸けるだけの価値があるとでも?」
「ああ」
男は眼鏡を押し上げると、途端に身にまとっていた雰囲気が変わった。
「なら、好きにしろ、小僧」
男はしゃがみこむとそっと良介の胸に手を当てた。
「後悔するなよ」
「しないさ」
男の手がまばゆく輝き始め、とんでもない光量に視界が埋め尽くされたかと思うと、良介の胸と頭に突然激痛が走った。釘のように太い針を何本も何本もトンカチで脳と心臓に直接打ち付けられているような痛みが断続的に体を突き抜ける。良介はその強烈な痛みに歯を食いしばって堪え、こめかみに手を伸ばそうとするがあまりの痛さに指先を動かすのさえままならない。
「がっ!」
圧倒的な光量に慣れ始めたのか、ビックリ箱のシルエットがぼんやりと見える。
「才能は己の願望と渇望によって獲得出来る。お前の願いによって才能は形を成し、お前の想いによって強さに変わる。お前が手に入れる才能がどんなものか僕にも分からないが、手にした才能はお前の願いでありお前自身を象徴するものである。才能は意思と意志の力だ。願いの重さが、思いの強さが才能になるという事をゆめゆめ忘れるな。使い方は体が分かるはずだ。精々あがけ、小僧」
そして、時が、動き出す。
「表裏壱対」
炎の玉が良介と桜に当たりそうになる。
しかし炎の玉は本来の軌道を描かずいきなり正反対に動き出した。
「なにぃ」
「どういうこと」
炎の玉は一直線にそれを放った主の元に帰っていく。
ゴオオッと火の粉を飛び散かせながら男にあたった。
「ぐぎゃがあええあアアあおおぎゃあがあぐううええああっぎぃいいああ」
突然、その男の体は赤く燃え上がり、辺りには人の焼けた匂いが立ち込める。およそ人間の声とは思えない叫び声をあげながら肌と肉がただれていきやがては地面へと流れ落ちる。もしくはその途中で蒸発するのだった。男を支える筈だった骨は焼け焦げススと炭に変わっていきついには粉々に折れて灰に変わっていき窓の外へと風によって運ばれていく。
「なに、これ....」
桜は呆然と焼けている炎の塊を見つめている。その時良介が桜の方へと顔を向けると、
「桜...。よかった無事で」
そう言い残して、気を失ってしまった。
「良介!」
桜は良介の肩を抱き必死に揺り動かした。
桜が良介の名を叫んでいる間、かつては人だった者の明かりが静かに二人を包んでいた。
2013年4月28日改定