私の日常
「はぁっ!」
気合一閃。
目の前に居た二匹の魔獣のうち一匹に正面から剣を真っ直ぐ振り下ろす。
逃れる術も間に合わず、魔獣はそのまま私の一太刀にて倒れ伏した。
残りの一匹の狙いは元から別だったのか、一匹の相手をしている間に私の横を通り過ぎるとただ只管真っ直ぐ目標へと向かって力強い四肢を動かしている。
今から走ったところで間に合う筈もないので、私は注意を促すべく後方へと声を飛ばした。
「そっちに行ったよ!」
「りょーかい」
些か覇気の感じられない応答と同時に、視界の端を赤い閃光が過ぎる。瞬間、周囲に響き渡る爆音、爆風。
それと共に巻き上がる砂塵に目をやられないようにと、条件反射のように体は自然と距離をとっていた。
横凪に襲い掛かる風も問題なくやり過ごすと、小規模爆発だった為か、程なくして砂塵もなくなり視界は一気にクリアとなる。
分かってはいたが、念の為にと周囲に意識を巡らして他に魔獣が潜んでいないかを確認する。
やはりあの二匹が最後だったようだ。
「ふぅ……」
小さく息を一つ吐くと、手にした剣を一振りして鞘へと仕舞った。
この時に『チンッ』という小気味良い金属音がしたら気持ちいいものだろうと、何時もこの瞬間に考えてしまう。
そう考えられるのも、自分の身に危険がないからなのだけど。
そんな考えを頭の片隅に押しやり、爆発の発生地点へと視線を向ければそこには想像に違わず真っ黒焦げに焼けたレッドベアの死骸があった。
……。
赤い閃光が視界を過ぎったのを確認した時に嫌な予感はしていた。
期待しても無駄だとは思いながらも、それでも少しの配慮をと願っていた。
そして結果はいつもどおり……。
「ちょっとお兄ちゃんっ! なんで炎の術を使ったのよっ!」
視線に苛立ちを載せ、後方でのほほんとしているお兄ちゃんを睨みつける。
この言葉を幾度となく叫んだ事か。
叫んだって仕方ない事だと分かっていても、目の前に真っ黒焦げのレッドベアの死骸があるとどうしても感情が先立ってしまう。
お兄ちゃんはそんな私の心境を知っている筈なのに、にへらと笑って一言。
「……条件反射?」
「はあっ!? 意味わかんないっ!! しかもなんで疑問系っ!? やったのお兄ちゃんでしょっ! 絶対悪いと思ってないでしょっ!」
真剣味の感じられない言葉や態度に、私の怒りのボルテージも一気に上がる。
「いや、悪いとは思ってる、思ってるけどなー。仕留め損なうと不味いよなーっと思ってしまうとだな、つい使い勝手がよくて間違いのないものを選んでしまうというか……」
仕留め損なう? ありえない言葉を聞きとがめ、思わず地を這うような低い声が出てしまった。
「全属性の攻撃魔術を全て取得していて尚且つ『大魔導師』の称号まで持つお兄ちゃんが? 冒険者ランクトリプルSのお兄ちゃんが? たかが、レッドベア一匹を仕留め損なうと?」
「ほ、ほら俺って魔導師だし、物理防御なんて剣士に比べると紙レベルだし……。そこに中型魔獣のレッドベアの一撃が間違って当たりでもしたら瀕死状態になるのは間違いないだろ? だから思わず……」
まぁ確かに。剣士である私に比べれば素の状態では物理防御というか、肉体の耐久度というのは低いだろう。
着ている装備品だって、剣士に比べると頑丈さにはかなりかける。何せローブという布一枚だ。下のインナーだって似たようなものだろう。
でもね?
「そのローブの防御率、目を疑うような高さだったよね? 普通にSレア級、こっちで言うなら伝説級? の装備品だったと思うけど? ステータス確認した時『何そのチート』って思って、よく調べたらそのローブの補正だったのすっごく印象に残っているんだからね」
「だって仕方ないだろ。痛いの嫌いなんだよ。そうなると必然的に防御が高くなるものを選んでしまうのは当たり前だろ。それに痛いの嫌だから魔導師なんか職業に選んでるわけだし?」
その気持ちは十分分かる、十分分かるけど……。
お兄ちゃんの言い分じゃ、剣士の私が痛いことが好きなように聞こえるのは被害妄想なのでしょうか? ……。
他意はないと思っておこう。
勿論、痛いことが嫌いな私もお兄ちゃんの事は言えず、同じくSレア級、伝説級の装備品で固めていたりする。
背に腹はかえられないというか、死にたくないのだから形振りは構っていられません。
救いは、見た目からだけでは伝説級の装備品だと気付かれない事。
勿論、その辺りの武器屋とかで売っているのとは素材からしても、見た目もちょっと違うから見る目がある人がみたら珍しいというか、もしかして? っていう印象はあるかもしれない。
それでも遺跡発掘品ですと言えば、納得される程度のものだ。
そうじゃないとほいほいと着ていけない。──狙われるから。
世の中にはいろんな人がいるからね。人から盗ればいいと思っている人もいる。盗った者勝ち? って考えかな。実際そういう人達にも遭遇したけど、私とお兄ちゃんとで丁重に対応してお帰りいただきました。
それから絡まれる率は格段に下がったから、きっと私たちの丁重な対応がよかったんだね、うん。
とにもかくにも、死へのエンカウントを下げる為に依頼の際は、常に自分にとって最高の装備品を付けるようにしている。それは冒険者なら当たり前なんだけどね。
何せこの世界、怪我したら終了。
保険なんて制度はないから医療費やら、休業中の手当てなんか一切ない。だから文字通り怪我したらお金が稼げなくなって、生活も困難になり最悪そのままさようならしてしまうのだ。
「こんなところで言い合ったって、時間の無駄だからな。さっさと素材を回収して街へと戻るか」
お兄ちゃんのいう事は尤もだったので──釈然としない思いはあるものの──渋々素材を剥ぎ取りに行く。
たまに視界の端に映る真っ黒焦げのレッドベアに、思いっきり溜息を吐きたくなるが気合でそれをなんとか抑えた。
それでも恨みがましい目を向けてしまうのは許して欲しい。
何せレッドベアの毛皮は高値で取引されていて、おいしいのだ。
剣で斬り付けてしまうと買い取り価格が一気に下がる為、お兄ちゃんの魔術に任せたのだけど……。まさか焼くとはねー。思わないよねー。
あー……。
こんな事なら、お兄ちゃんに任せずに自分で仕留めればよかった。終わった事を愚痴愚痴言っても仕方ないけどさ。それでも溜息は自然と零れてしまうんだよね。
そんな事を考えながらも、馴れた手付きで魔獣の死骸から素材を次々と剥ぎ取り、腰に下げている袋へとそのまま入れていく。
この一見なんの変哲もない腰袋、見た目に反して実は凄い優れものだったりする。
大きさ、重さ、素材等関係なしに九十九個まで収納できるという、かなり優秀な魔具なのだ。
勿論、収納後も袋の重さや大きさ、見た目も変わらないし、しかも素材の鮮度も保ったままという。袋の中身は一体どうなっているのか疑問に思う時もあるけど、考えたって仕方ないのでその辺は気にしない事にしている。
そんな事突き詰めても、袋の使用に関しては関係ないからね。
この様な優れものの魔具をこの世界で買ったなら、きっと恐ろしいほどの高値なのは間違いない。何せ未だ嘗て、普通に販売されているところを見た事がなかったから。本当、持っててよかったよ。
ちなみに、防犯対策として私とお兄ちゃんしか袋を開ける事が出来ないように、持ち主認定の魔術をお兄ちゃんにかけてもらっている。
持つべきものは大魔導師の兄だね、うん。
「全部回収できたか?」
お兄ちゃんの声にぐるりと周囲へと視線を巡らす。
「うん。大丈夫みたい」
「そうか。なら帰るか」
うーんと、伸びをしつつコキコキと首を横に傾けながらお兄ちゃんが言う。
まさか、素材の剥ぎ取りだけで疲れた……。なんて思ってないよね?
「そうだね。体力作りも兼ねて徒歩で帰ろう」
「はぁ? なんでそんな疲れる事を……」
心底嫌そうな声音だ。
「冒険者は体力仕事なの。お兄ちゃんみたいになんでも魔術に頼ってたら、いざという時に困るでしょ? だから時間に余裕がある時や体力に余裕がある時はなるべく徒歩で移動するの。私の為というより、お兄ちゃんの為なんだからね!」
「本人が嫌がってるんだから、そこは本人の意思を尊重するべきだろう」
無理やりやらせるのは、はた迷惑な行為だと言外に間違いなく含んでいる言葉。
それでも私は引きません。引いてたまるか!
「そんな事言っている間に、脂肪が体中についてすぐメタボになるんだからね。お兄ちゃんももう歳なんだから、常日頃から身体動かしてないと本当にあっという間だよ?」
「歳とか言うな! それ以前にお前とは二歳しか違わない」
ぶすっとした表情で告げられた言葉に、確かに肉体年齢はねーと心の中で相槌だけうっておく。
そこで下手に返答などしたら間違いなくお兄ちゃんのいいように話をもっていかれる。だからここは……。
「はいはいーい。お兄ちゃんは十分若いです。だから一緒に歩こうね」
問答無用とばかりにお兄ちゃんと腕組すると、引きずるように──実際引き摺ってますが──歩き出す。
「って、おいっ!?」
お兄ちゃんの抗議の声はスルーして只管前へと歩いていると、はぁっという溜息が頭の上から聞こえた。
「分かった、分かったよ。ちゃんと歩いて行くからとりあえず、腕を放してくれ」
それでも私は無視してお兄ちゃんを引き摺って歩く。
「おぉーい、聞こえてるのかミフユ?」
「聞こえてるよ」
「じゃあ、なんで腕を放さないんだよ」
はぁっと今度は私が溜息を吐く番だ。
「あのさぁ……。前もそんな事言って素直に腕を放したらお兄ちゃん、さっさと魔術使って消えちゃったじゃないの」
足を止めて、ジト目でお兄ちゃんをじっと見る。
ただ只管無言でじっと見る。
私の無言の圧力に負けたのか、観念したらしい。
「確かにそういう事もあったかもしれないが、今回は本当に歩いていくよ。距離もそれ程ないしな」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
真摯な声音だから今回は大丈夫かな? そう思ったけどそれでもやっぱり、保険は必要だと思う。
「うん、分かった。嘘ついた場合はジルさんに報告するね」
「はあ? なんでジルに……」
「ついでに私の技の実験体になってもらうからね」
「いや、ちょっと待て。それはかなり……」
「嘘をついた時の罰なんだから、普通に歩いていけば全然問題ないでしょ?」
ニッコリと微笑めば観念したのか、ガシガシと自分の頭を掻く──いや掻き毟っていた。
「あー……。さすがにその二つの罰を受けるのは俺には無理だ……。まあ、たまには歩いて行くのもいいか……」
仕方ないといった様子で、自分の意思で歩き出したお兄ちゃんの腕を私は解放すると、そのまま横に並んで一緒に歩いていく。
お昼を少し過ぎたぐらいだから陽はまだ高く、燦燦と空に君臨をしている。
何も起こらなければ、この陽が沈むよりも早く街へと着いているだろう。
時折風に遊ばれるように揺れている、燃え盛る炎のようなお兄ちゃんの紅い髪を視界の端に収めながら、のんびりと歩いていく。
ずっとこんな風にのんびり出来ればいいのにね。
そんな事は無理だと分かっていながらも、そう願ってしまうのは仕方がない、よね?
──この世界に来て五年が経つけど、こんな時に思い出されるのは自分が居た元の世界の事だ。
心の奥深くに鍵をかけて仕舞い込んでも、ふとした拍子に出てきてしまう。
まだ単純に思い出だと割り切れずに、気が付けば泣きそうになってしまう。
ここは夢の世界で、本当の私はまだ寝ているんじゃないか、いつか目が覚めるんじゃないかとそんな事を考えてしまう。
この世界が十分現実だと身にしみているのに。
一体何時になったら気持ちを昇華できるんだか……。
「はあっ……」
涙の代わりに溜息を零した。
すると慰めるように数回頭を撫でられる。──ようにじゃない、間違いなく慰められている。
立場は同じ筈なのに、何時も私が元の世界の事で沈んでいるとお兄ちゃんに慰められてしまう。
このままじゃいけないと分かっているのにな。
「とりあえず、街に着いたら美味いものでも食べるか」
元の世界の事にはけして触れない。
それは逃げだと分かっているけど、それでも自分達から話題にはできなかった。
暗鬱たる思いに苛まれる事は確実だから。
「でも、その前にギルドに行って換金だね。そして豪勢な食事にしよう!」
意図的に声を張り上げる。そうする事によって気持ちも上へと浮上すると知っているから。
「たまにはいいかもな」
「よーし! じゃあお兄ちゃん、もっとペースを上げて歩こう!」
ぐいっとお兄ちゃんの手を掴んで歩き出す。
「おいおい。こっちの体力の事も考えてくれよ」
「はいはーい」
私は一体何時までこの手にお世話になるんだろう。
元の世界を思い出しても泣かなくなるようにまでだろうか。それとも……。
平和な時間が続けばいい、この手が離れていかなければいい。
そう願ってしまうほど私は弱い。
だから、もう少しだけ甘えさせてねお兄ちゃん。
自分一人の力でこの世界を立って歩けるようになる為に……。