二話 ~花咲~
眩い炎の雨。
根源的な恐怖に思わずカグヤは目を閉じた。続いて降り注ぐはずの身を焦がす熱。幾度となく味わってきた苦しみを、痛みを、熱さを、カグヤは改めて思い出し恐怖した。
しかし、炎の熱は彼女に届かない。
それに十数秒遅れて気付いたカグヤは目を僅かに開いた。
目の前には悠然と立つ武獲りの翁の背中だけが佇む。空を覆っていた赤は気付けば消え失せ広がるのは焼け焦げた竹と切り開かれた青い空のみ。
「何が……起きたの?」
自らの身に降りかかった何かが理解できぬままにカグヤは目をぱちくりさせる。それを理解するのは武獲りの翁がくるりと身を翻したその時のことだった。
サァッ、と風が吹き、視界を覆う竹藪はまるで蜃気楼のように消え失せる。その先には大道具を抱えた一人の男が立っていた。
「よう。何か用か?」
武獲りの翁は腰の刀に手を添えながら、いかにも怪しい男に尋ねる。
「てめぇ、今何しやがった?」
男は質問に答えず、その表情を険しくした。身の丈2mはくだらない大男は、その肩に背負うその身の丈さえも上回るほどの巨大な筒を武獲りの翁とカグヤに向ける。その先に開いた巨大な空洞は明らかに何か嫌な空気を吐き出していた。
ぞわりと悪寒を感じるカグヤ。一方、まるで動じない武獲りの翁。
「そりゃこっちの台詞だ。いきなり火なんか使いやがって。火事になったらどうする?」
「その火をお前はどうしたかって聞いてんだ!」
声を荒げる大男。
「礼儀がなっちゃいねぇなぁいい年したおっさんが。このイカれた小娘でも自己紹介の一つくらいは出来てたぜ?」
「ふざけるな!」
男は筒の引き金を引く。放たれたのは黒い球体。空から降り注いだあの球体。
正面からその球体を見据える事で、その独特の臭いで、カグヤはその球体の正体を理解した。
「危ない!それは爆……」
巨大な球体は僅かに遅い。しかし、それの正体を理解してから動くには遅すぎる程度には速い。カグヤの忠告が武獲りの翁の助けになる筈もなく……
ザァッ……
不気味なざわめきと共に、『カグヤの忠告を助けとして受け取る必要もなく』
その爆発物は先程の竹藪と同じように、蜃気楼のように霧散した。
「何しやがった!」
「見りゃ分かるだろ」
改めて正体不明の現象に焦りを見せる大男に、武獲りの翁は悪びれる様子もなく答えた。
「『斬った』んだよ」
「馬鹿な!」
そんな筈はない、と言いたげな大男。
それも当然、武獲りの翁は、刀を抜く所か『一歩たりとも動いていない』。いや、さらには『指一つ動かしていない』。腰の刀に手を添えて、翁の面でその表情さえ伺わせず、ただぼんやりと立っていただけ。
その動作(動いていないのだから動作とも言い難いが)からは『斬る』なんて言葉を連想させる要素は一つたりとも見つからない。
大男はその言葉の意味を理解しかねたが、まじまじと出鱈目を抜かす男の面を睨んで、ようやくその言葉の意味を理解した。
そしてそれは同時に、彼に絶望を与えることとなる。
「まさか……武獲りの翁……?」
「人はそう呼ぶが……俺ぁただのしがない剣士だよ」
『斬った』。
その言葉の意味はそのままだ。
本当に目の前の男は『斬った』のだ。
動いていないのではない。
『目に見えない程の、動いていないと錯覚するほどの速さで斬った』、ただそれだけ。
あり得ない。しかし、噂の男はそんな伝説を持っていた。
不可視の刃、神速の居合、幻のような男の幻のような太刀筋……
「まさか……実在したとはな……!」
大男はにやりと笑って大筒を構えた。
その笑みは果たして強がりか、それとも伝説にであった喜びか。
「俺の名は『花咲』。しがない花火職人だ」
「花火職人が随分と物騒な真似すんじゃねぇか」
大男、花咲はくっくと笑う。そして背負った大荷物を降ろして中身を開く。
「魅せるだけじゃあ食っていけないんでな。ちょっとした副業だよ」
「世知辛いな」
「だろ?だが、案外性に合ってるみたいでな。こっちの仕事も案外愉しい」
無数の球体をゴロゴロと取り出し、その大きな指で大量の球を包み込む。そして指に球を挟んだまま、大筒を構えたまま、花咲は器用にも煙草を取り出し点火する。
「その仕事ってのは?」
「『殺し屋』だよ」
武獲りの翁はため息交じりに一言。
「……世知辛いな」
花咲はその言葉に対してにやりと笑みを返す。
「手合わせ願おうか。伝説の『殺し屋』、『武獲りの翁』」
「いやいや、殺しはしたことねぇよ。誰だよ俺を殺し屋扱いしてる奴ぁ」
構える花咲に対し、武獲りの翁は直立不動。動く気配すら見せない。
しかし花咲は構えを待つこともなく、先手必勝とばかりにその球体を放り投げた。
「枯れ木に花を咲かせましょッ!派手に輝く炎の花をッ!枯れ木も炭も変わらねぇッ!」
その球体に続くように、くるりと花咲がひっくり返した大筒からはまっすぐに伸びる炎が飛び出す。
炎が球体に届く直前、武獲りの翁はやらやらと首を横に振りため息を漏らす。
「上手くねぇよ。座布団一枚没収もんだ」
炎が球体に接する。
炎はその勢いを轟音とともに増幅する。
球体は弾け飛ぶようにその殺意をばら撒く。
武獲りの翁に、その背後で伏せているカグヤに迫りくる炎。
しかし、炎は届かない。
音もしない。
霧散。
「チッ……!やっぱり化け物かよ……見えやしねぇ!」
花咲は笑みをたたえながら冷や汗を流す。目の前の能面の男、その動きは一切見られないというのに、炎は確実にかき消されている。
ここまで見えないものなのか。
「だったらこいつはどうよ……!」
抱えてきた大荷物。それは大量の銃火器。
目で追えない剣術ならば、此方も目で追えない銃撃を見せてやればよい事!
所詮は剣士、遠距離から攻撃し続ければ反撃なんざ怖くねぇ!
「ほら……俺の弾幕掻い潜って……俺に一太刀浴びせてみろやぁぁぁぁぁぁ!」
巨大な機関銃を抱え上げ、花咲は咆哮する。
そんな大男を前にして、武獲りの翁はふうとため息をついた。
「近づかなきゃ斬られない、とでも思ったか?」
武獲りの翁は刀の切先を花咲に向ける。
「……違うのか?」
其方のの考えはお見通しだと言うかのような分かりきったような声に、花咲の額を汗が伝う。
……あれ?
そこで異変に気付く花咲。先程までとは明らかに何かが違っている。
(何がおかしい……?)
花咲は構えた武器をそのままにその異変の正体を探る。
「何かおかしなことでもあったか?」
その様子さえも見透かすように、仮面の下から漏れる声。まるで当ててみろとでもいうかのような、『変化は確実にあった』とでもいうような言い口に、花咲は息を呑む。
何を仕掛けた?何を仕掛けた?何を……
武獲りの翁はかちゃりと刀を鞘に納める。
鞘に納める?
そこで花咲は異変の正体に気付く。
「お前……いつの間に刀を抜いてた?」
「さぁ。何時だろうなぁ?」
時既に遅しとは正にその事。
「うがっ……!」
花咲が足に走る激痛に気付いた時には決着はついていた。
鋭い何かに刻まれ、ガチャガチャと崩れ落ちる機関銃。常人には持ち上げる事の適わないその重量が、幾つにも分かれて花咲の爪先を粉砕する。
ズン、と崩れ落ちた機関銃。それに潰された花咲の足。顔を苦痛に歪めて花咲が遅れて崩れ落ちる。
その現象の犯人は明らか。
「お前……何した!?」
犯人、武獲りの翁は首を振って、決まってるだろと答えを告げた。
「斬ったんだよ」