第2話 食われるくらいなら、喰い返してやる
胸元に残っていた緑色の光が消えた。
どうやら配信は終わったらしい。
全国の皆様に俺の失禁と脱糞をお届けする地獄の番組は終了したが、残念ながら俺の人生までは終わっていなかった。
「ぐっ……ああああっ!」
半透明の青い塊が、俺の両脚をゆっくりと溶かしている。
熱い。痛い。
気を失いかけるたび、溶けた皮膚へ消化液が染み込み、無理やり意識を引き戻された。
(コイツが最弱って言った奴、出てこい。普通に人間を食ってるじゃないか!)
清掃スライムは攻撃性が低く、健康な人間を襲わない。
死骸や排泄物、廃棄物を分解する迷宮の掃除役だと、訓練では教えられた。
(つまり俺、ゴミと間違われて片づけられてる?)
最弱のモンスターにすら敵と認識されない。
あまりにも俺の人生らしい最期で、笑う気にもなれなかった。
腕へ力を込め、床を這おうとする。
その瞬間、腹に突き刺さった金属片が内臓をさらに傷つけ、口から血がこぼれた。
「誰か……助けて……」
瓦礫の向こうから聞こえていた声は、もう消えている。
救助隊が来る気配もなかった。
(全部、あの法律のせいだ。俺を送り込んだ国が悪い。指示を出した奴も、配信を見て笑ってた連中も悪い)
父の顔が浮かぶ。
働けと何度も言われた。
ハロワへ相談に行こうと誘われたこともあったが、俺はそのたびに体調が悪いと言って断った。
母は何も言わず、毎日部屋の前へ食事を置いていた。
最後に顔を合わせた時も、俺は礼を言わなかった。
(帰ったら言えばいいと思ってたんだよ)
だが、もう帰れないかもしれない。
その考えを認めた途端、怖くてたまらなくなった。
訓練を真面目に受けなかったのも、仲間を置いて逃げたのも、誰かに命じられたわけではない。
(俺が逃げなかったら、こんな場所へ落ちなかった?)
「違う……」
そんなはずはない。
俺には才能がある。ただ、まだ本気を出していないだけだ。
本気で勉強すれば成績は上がった。
本気で就職活動をすれば働けた。
本気で努力すれば、今頃は有名人にでもなっていたはずだ。
何も成し遂げていないからこそ、その可能性を否定できる人間はいない。
「俺は……本気を出してなかっただけだ」
いつもなら安心できる言葉なのに、今は何の役にも立たない。
スライムが腰を越え、腹部へ達する。
壊れた内臓へ消化液が流れ込み、血と胃液が喉までせり上がった。
(このまま、何もしないで食われるのか?)
家からも、仕事からも、人間関係からも逃げてきた。
だが、これ以上逃げる場所はない。
顔の近くまで伸びてきたスライムを、残った力でつかむ。
手の中で冷たい身体が震えた。
訓練で聞いた説明を思い出す。
迷宮生物の身体には高濃度の虚素が含まれており、生で食べれば急性虚素中毒を起こす。臓器不全や肉体変異によって死亡する可能性が高い。
(知るか。もう死にかけてるんだ。少し早まるだけだろ)
「食われるくらいなら、喰い返してやる……!」
俺はスライムへ噛みついた。
強烈な苦味と腐った水のような臭いが、口いっぱいに広がる。
「まずっ……!」
人生最後の食事がこれとは、最後までついていない。
それでも歯を食い込ませ、ちぎった塊を飲み込んだ。
直後、全身が焼けるように熱くなった。
傷口から青白い光が入り込み、血管を逆流するように身体中へ広がっていく。
頭の奥で、何かがつながった。
【認識型スキル《催眠》が発現しました】
視界へ、見覚えのない文字が浮かぶ。
意味は分からない。
ただ、これまで何度も自分へ言い聞かせてきた言葉が、異様なほど強く胸へ響いた。
俺は本気を出していないだけだ。
追い込まれればできる。
俺には誰にも見つかっていない才能がある。
「俺は……最強の探索者だ」
最強の探索者が、最弱のスライムに食われるはずがない。
モンスターくらい食べられる。
毒だって栄養にできる。
自分でも無茶苦茶な理屈だと思う。
それでも死にたくない一心で、俺は本気で信じ込んだ。
体内を壊していたスライムの虚素が動きを変える。
熱が痛みを押し流し、失われた肉の内側へ青い組織が広がり始めた。
俺を覆っていたスライムたちが、危険を感じたように離れていく。
「待てよ」
逃げようとする一匹をつかみ、口元へ引き寄せる。
「食料のくせに、俺から逃げてんじゃねーよ」
スライムの動きが止まった。
それどころか、離れかけていた個体まで、再び俺の周囲へ集まってくる。
(食えば食うほど、痛みが減ってる。だったら全部食うしかない!)
暗い未確認区域に、俺がスライムを啜る音だけが響き続けた。




