衆人、光束、異世界転移
目が覚めると、そこには天井なんかなくて。
ただ吸いこまれそうな、どこまでも高い、青空があるばかりだった。
◇◇◇
青空の広がる空間。それ以外には何もない。
ただ屋内とも屋外ともいえない。ただそこにあるだけの空間。僕らはそこに集められた。
そこにいるのはちょっと数えきれないほどの人だった。あいにく僕の身長はそこまで高くないので皆の頭部を超えて見渡すことは出来なかったけれど、多分地平線ぐらいまでいるんじゃないかという人。人の群れ。
僕を起こしたのは一人の黒人の青年だった。まず、言葉が通じることに違和感を覚えるが、日本にも日本国籍を持った黒人はいる。なので道徳的に配慮して、僕は独り言っぽく呟いてみた。
「外国人?」
すると彼はニヤッと笑った。代わりに彼は聞いてくる。
「お前こそ、英語上手だな」
その言葉を聞いた瞬間あたりが暗くなった。しかし、影が伸びるように迫ってきたのではない。ここには太陽が無いのだから。暗やみはあくまで突然に、電気を落とすみたいに僕らを包んだ。
周囲がざわついている。僕と青年は反射的に空を見渡す。そこには何もないと知りながら。けれど見える。天井知らずの空の向こう。真っ暗で何も見えないはずの空間に、何かがいる。
段々とその存在が近づいてくる。それは幻ではない。勘違いでもない。ただ確実に、僕たちの頭上へと歩を進めている。
それは光の集合体だった。
文字通り影も形も見えない。人型かどうかも判別できない。でも確かにそこにいる。暗やみの中で光をばらまき、僕らの視線の中心に居座っている。
それは言う。
言葉を話す。
「あなた方は選ばれた」
第一声がそれだった。人々のざわつきが強くなる。ある人は何事か叫んでいる――ように見えた。けれど、見えるだけだ。対した距離が空いているわけでもないのに、その声は何故か少しも聞こえなかった。
それは続ける。
「今からあなた達には選択権が与えられる。我々から祝福を授かる為の選択権を。それは何度行使してもいいし、与えられた祝福をどう使おうとあなた方の自由だ。
あなた方にはただ証明してほしい」
何を?
「優生を」
「ただ自らが選んだ祝福と共にその世界で生き、生き延び、その優秀さを証明してほしい。そして見せてほしい。最も優れた祝福は何かと」
誰も声を発せなかった。それは声を出してもかき消されるからではない。
ただ目の前の存在の発言への混乱と、自分たちが置かれている異常な状況。
自分の事が分からないという異常な状況を前に、与えられた目的。誰もがそれらをかみ砕くことだけにリソースを使い、上手く考えることが出来ていない。
しかしそれは、僕らの脳の処理が完結するまで待つことはしてくれなかった。
「今から送る。あなた方が生きる世界へ。何も覚えていないあなた方だけれど、これだけは忘れないでほしい。
ただ優生を証明してほしい。
祝福はいくつ授かっても構わない。
得た祝福で何をしようと構わない。
どうか優生を。証明を。その生の中であなた方が生み出す価値を高め続けてほしい。
ああ。それが、出来ないのであれば――」
全身が光に包まれる。それを中心として光が伸びてくる。
意識がもうろうとする。まとまっていない思考はそのままに、どんどん体が重くなる。陽だまりに包まれるような気分の中で、最後にその言葉を聞いた。
「――あなた方は一生、元の世界には帰れませんよ?」
◇◇◇
青空の広がる空間。けれどそれだけではなかった。眼前には雲があり、太陽があり、鼻孔に届くのは草の匂いと、春の陽気な風の匂い。僕はだだっ広い平原の真ん中で寝かされていた。
髪の毛についた草を払いながら立ち上がると。遠くから吹いてくる風が頬をくすぐる。あたりを見渡して現状確認。少なくともあたりには地平線まで見渡せそうな人数の人はいないし、まっくらな空間で光の束が浮かんでいたりもしない。今のところ見えるのはあおいそらと、綿あめみたいな太陽、喉かな緑の平原に、あたり一面を覆う木々。それと――。
「おい。おーい」
僕と同じように平原で寝転がりながらデカい寝息を立てる、この青年のみ。
少なくとも、夢ではないらしい。
中々起きないので鼻をつまんでやると、しばらくして起き上がった。
「ふがあっ!!!!ゆ、夢!?」」
「夢じゃないよ」
「うわあ!あ、お前は」
しばらく目を合わせると、青年は大きくため息を吐いて。
「夢じゃない、かあ。じゃあ気絶する前のあれも全部現実…いやいや、いくら何でも」
「…その様子だと。同じものを見たみたいだね?」
「ああ…信じられねえし今でも夢だと思ってるけど。あんたもか?」
「僕も今起きたばっかりでさっぱり…けど、他に人がいない。とりあえず記憶のすり合わせをしたい。これが頭がおかしくなって病院にいる僕の夢で、君の話してることも全部嘘だってなら、意味はないかもしれないけど」
「いや、賛成だ。実のところ俺もそう思ってた」
しばらくして
「…じゃあやっぱりあの光浮いてしゃべってたよな」
「のように見えた」
「あいつのいう事を信じるならここは…いわゆる異世界?」
「…」
青年は切りそろえられた坊主頭を手のひらでガシガシと擦りながら平原を見渡している。天気は陽気で、数分前と寸分たがわないその景色を見る。
「なんにせよ。ここでじっとしていても始まらない。ここが森なら早く出よう」
「ああ。…ところであんた、名前は?」
「名前?たしかユキカゼ…苗字は思い出せない。」
「ゆきかぜ…言いにくいな。ユキでいいか?」
隣から声がかけられる。彼は僕より幾分背が高く、声も低かった。しかしこんな状況だというのにこうして話せる人と知人に出会えたというのは、何か幸運が働いていると言って差し支えないだろう。
「呼びやすいようでいいよ。君の方は?」
「名前か?俺はマーズだ。ファミリーネームは思い出せない。同じだな」
「一応確認するけど、これまでの記憶は?」
「あのわけわからん空間に来る以前の話なら、無いな。覚えているのはこの名前と…」
「名前と?」
「…いや、やっぱり名前だけだな。他は何にも覚えてない」
「そっか」
嘘だ。直感的にそう思った。しかし僕は追及しない。彼の――マーズの事を何も知らないから。
あからさまな嘘を破って聞かせることも、その閉じられた心の扉を開くことも僕には出来なかった。
ざくざくと草原を歩んでいく。足裏で感じる草木と土の感覚に違和感はなかった。少なくとも、まだこの一連の光景が何か壮大な社旗実験の可能性も残されているというわけだ。
僕らはあえて意識を失う前の話――とりわけあの光の束の発言を話題に出さないようにしていた。それはどちらかがそうしようと示し合わせたのではなく、ただ何となく、心を平静に保つためにお互いがそうしていただけだ。言葉に出して、その存在を確かなものにして仕舞えばもう戻れないと感じて。
きっとあの存在が何か核心に迫るものであることは分かっていたけれど。
正直言って、既に僕らはいっぱいいっぱいだったのだ。
「森。林か?」マーズが木を前にしてそうつぶやく。
「何の木だろう。スギでもマツでもない」僕が言う。うかつにも触れた未知の樹皮はひんやりとしていて、鼻を近づけると樹木特有のにおいがした。
「今更だけど、森ならあまり迂闊に入ると道に迷うかもしれない」
「木登りしてみるか?」
「得意なの?」
「いやあ、昔庭の木から落ちてひどい目にあったような気が…」
「ああ、それは奇遇だね」
しばらく二人して悩む。腕を組みながら木を見上げ、そして頷く。
「僕が行くよ。その代わり、落ちたらキャッチして」
「それがよさそうだな」
僕は裸足になって腕をまくると、少し木から離れて助走をつける。体を預けられそうな太い枝はちょっと飛び跳ねて届きそうな位置にはなかったからだ。勢いよく地面を蹴り、腿から上がった衝撃を膝で受け止め、溜を作り、一気に開放する。
「お?」マーズの驚く声が後ろから聞こえる。
第一足は垂直の幹を足蹴にして、伸ばした腕が枝に届きかけた――その時だった。
「あぶなーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!」
「ぶっ」
突如目のまえに…否。その物体はまるで木の幹からとびだしてきたみたいに僕の目の前に現れ、そしてその顔面にぶつかった。思ったより質量のあったそれに姿勢は崩れ、自然、背中から地面に落ちると錯覚する。衝撃に備える僕だったが、その衝撃はいつまでたっても来なかった。
「…ありがとう」
「良いってことよ。それよりも…」
僕を下ろしたマーズが視界の下の方でちょろちょろしているそれを見る。僕もつられてそれを見る。
それは耳としっぽのついた黄色い毛玉に、ぬいぐるみのような愛くるしい顔を張り付けたみたいな動物だった。
「お前たち!何してるん!?」
その短い前足(?)僕らの方に向けてそれは言う。
「「...」」
僕らは黙ってそれを見ている。見ているというか、観察している。鋭い牙も爪もない。シルエットは全体的に丸っこく、尻尾は丸く顔が大きい。害になるところが一つもない。
愛玩されるために作られたみたいな、黄色い動くぬいぐるみ。
「...魔法少女モノか?」
「!?」
隣から何かすごく似つかわしくない言葉が聞こえた気がして、マーズの方を見る。が、彼はあくまで真剣な眼差しでそれを見ていた。
気のせいか...。
「なんで無視するん。お前たち、僕がいなかったらどうなってたか分かってるん!?」
それは何も言わない僕たちに憤慨して地団駄を鳴らす。リンゴ3個分ぐらいしかなさそうな質量から繰り出される衝撃がポヨンポヨンと地面に響いた。
その発言の中で気になることがあったらしく、マーズが一歩前に出る。
「どうなってたって...どういうことだ?」
「はあ?なんでそんな、本当に知らないみたいな顔をするん。神の話も聞けないなんて、地球人は本当に愚かで救い難いるん!」
「よしカナリィそっち持ってて」
「うん」
「ちょっ、急に何るん!?なんで頭を鷲掴みにしてっ!ああ、ちょっと!首捻らないで...シャレにならない!綿じゃないやつ出ちゃうから、子供に見せれなくなっちゃうからぁぁぁああああ!」
なんか馬鹿にされたのでマーズと協力して捻ってみた。
「普通に喋れるじゃん」
「し、死ぬかと思った...」
それは腹立つ語尾も忘れてゼェハァと息を吐く。僕はそれの後頭部を鷲掴みにしたまま持っており、感触としては頭蓋の存在を疑うほどに柔らかかった。本当に中身が入っていないんじゃないかと思うほどだ。
軽い体がブラブラと揺れている。
「それで君はなんなのかな」僕がいう。
「...」
「おい、答えろ。言っとくがこっちは訳わかんないことづくしで余裕がねえんだ。"神"に"地球人"?お前絶対何か知ってんだろ」マーズが言う。
「野蛮人どもめえ...るん」
どうやら少し余裕が出てきたみたいだ。
正体不明のぬいぐるみ相手に恫喝をしながら、ふと本気で、これがドッキリか何かだったら放送できない姿を晒しているなあ、なんてしょうもないことを考えてみる。二次成長を十分終えた男二人が、突然のことにパニクってぬいぐるみを虐待しているのだ。これを面白いと感じる人が、現代社会にどれだけいるんだろう...。
「ふん、まあ僕は寛容だから、野蛮人相手にも優しいるん。教えてやっても良いけど、絶望しないことるん。お前たちのような人の話も聞けない輩は、どのみちろくに優生も証明できずにみんなにがっかりされて終わりって相場が決まってるん!」
「カナリィキャッチボールしようぜ」
「うん」
「ちょっ、やめ。そんな大きく振りかぶったらやぶれるっ。遠心力で破れ...あーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
太陽目掛けて黄色い毛玉が飛んでいく。
目覚めてから、多分10分かそこらの光景だった。




