愚かな王太子に味方はいない
「オレリア・ヴァスール・ド・ユベール。君との婚約を破棄する」
20歳の誕生日パーティーの場で、俺は腕に別の令嬢をぶら下げて、婚約者であるオレリアに婚約破棄を言い渡した。
「シモン様」
「気安く名を呼ぶな。もう君とは婚約者でも何でもない。将来の王太子妃は、君のような悪女より、このマノンがふさわしい」
オレリアの美しい顔が歪む。ふらりと体を傾けたオレリアを、弟のベネディクトが支えた。
「兄上。オレリア嬢が悪女とはどういうことですか。それにマノン・トリュフォー嬢は聖女で男爵家の養子とはいえ平民出身。王太子妃にはふさわしくありません」
「黙れベネディクト。陛下と母上には話を通している」
トリュフォー男爵家が有する商会は、驚異的なスピードで力をつけ、今ではどの商会よりも大きな財力と影響力を持っている。ヴァスール公爵家よりも有用であると判断したのだ。商会から母への賄賂は国庫に勝る勢いであるし、マノンは耳心地のいい甘言しか吐かない。耳障りな諫言をするヴァスール公爵や、オレリアを内心煙たがっていた国王と母にとって、マノンの方が都合が良かったのだ。
「オレリアはマノンが気に入らず、階段から突き落とした。殺人未遂と傷害の罪だ。聖女の力はこの国を守る結界の要。大事に扱わねばならないというのに、害そうとするなど言語道断。それだけではない。マノンの実家、トリュフォー男爵家の商会の馬車を野盗に見せかけて襲撃しただろう!」
「違います!」
「うるさい! この期に及んでまだ言うか。潔く認めたらどうだ!」
オレリアの悲痛な表情と声に胸がずきりと痛む。その痛みを怒りに変えて叫んだ。
「兄上‥‥‥」
弟のベネディクトが秀麗な眉をしかめて瞑目した。完璧な弟もまた、俺の愚行を悲しんでいるらしい。
──断罪が始まる。
****
俺は、何もかもが弟より劣っている。
シモン・オベール・ド・ゴール。
第一王子。正妃から生まれた長子というだけで王太子という肩書を持つ俺。
ベネディクト・ベルジュ・ド・ゴール。
第二王子。俺が生まれた2年後に生まれた愛妾の子である弟。
頭も、剣も、話術も、魔力も。
背も、顔も、体格も、性格も。
俺は全てがぱっとしない。
自覚してるから努力はしたさ。
何度も復習した。走り込みをした。話術は、本を読んだり、真似てみたりした。なるべく笑うようにした。
でも駄目だった。
俺がどんなに努力しても、あいつは軽く飛び越える。
弟は、天使かと思うほどの容姿をしている。生まれたばかりの時は、ふにゃふにゃとした生き物だったのに、成長するにつれて兄の俺から見ても美しい少年になっていった。
輝く銀髪。空よりも澄んだ蒼い瞳。桜色の頬。健気に俺の後をついてきて、目が合うとふにゃりと笑う。何でも俺の真似をして、俺と同じ事をやりたがる。
俺よりも遅れて授業を受けるようになったのに、難なく追いついた。
いや分かっている。あいつだって努力してるんだ。もともと出来るやつが努力したら、出来ないやつの努力なんて、大岩と砂粒。燃え盛る火と一滴の水みたいなもの。あっという間にすり潰されて消される。
母は、あいつにだけは負けるなと言う。毎日俺の肩を掴み、呪詛のように王太子は俺だと、卑しい愛妾の子なぞとは違う、俺こそが一番なのだと、そうあらねばならないのだと言う。
言われる度に、母に申し訳がなかった。期待に応えられない自分が嫌いになった。
母の失望の目が。憎悪の目が。怖かった。
俺を見ているのに、俺を見てくれないことが悲しかった。
だから俺は諦めた。
どうせ手を伸ばしても、伸ばしても、何一つ届かない人生だ。
適当に流して、消化してしまえ。
そう思っていた。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
彼女に会うまでは。
「はじめまして。オレリア・ヴァスール・ド・ユベールと申します」
太陽の光を弾き、波打つ金髪。草原のような優しい緑の瞳。温かく眩しい春の光のような少女が、子どもの俺から見ても美しい姿勢でカーテシーをする。
その瞬間。ふわりと微笑む彼女以外の時間が、世界が止まった。
「‥‥‥王太子のシモン・オベール・ド・ゴールだ」
8歳の俺は掠れる声を絞り出して、挨拶するのが精一杯だった。笑顔の一つも作れず、恥ずかしくてそっぽを向いての一言。エスコートも忘れて突っ立っていた俺の手を、彼女の小さくて柔らかい手がそっと引いた。
世界が色づいて回り始めた。
生まれてはじめて、かけがえのない一番が出来た。弟が持っていない、誰よりも綺麗で、可愛くて、完璧な婚約者。俺だけの宝物。そんな彼女が俺に笑いかけてくれる。話しかけてくれる。
俺は舞い上がった。
彼女のためにもう一度頑張ろう。彼女にふさわしい男になるために。彼女に失望されないために。彼女に愛してもらえるように。
相変わらず弟には届かないが、それでもいい。俺にはオレリアがいるから。
俺は正妃の子で、第一王子だ。余程の馬鹿でなければ俺が王太子で、弟より劣っていても王位は俺のもの。王太子妃は、この国で一番高貴な家門のヴァスール公爵家の令嬢で揺るがない。
教科書が擦り切れるほど読み込み、いくつものノートを消費して復習した。何度も豆を作って潰して、手のひらがガチガチに固くなるほど剣を振った。魔力が枯渇して倒れるほど魔法を使い続けた。ブサイクなりに、鏡の前で笑顔の練習もした。
定期的にオレリアとの交流もした。いつも俺はオレリアの前だと恰好つけてしかめっ面になってしまうのだが、オレリアはちょっと困ったように眉を下げながら、静かに微笑んでくれる。
だからこそ。
人気のない離宮で、弟と寄り添い笑い合っている彼女を見た時。
世界が再び止まった。
****
「シモン王太子殿下。私はマノン様を階段から突き落としてなどいません!」
ああ。そうだろうな。いつだって正しい君はそんなことはしない。
15歳を過ぎた頃から、俺と弟、オレリアの三人で少しずつ政務を担うようになった。必死に虚勢を張って進める俺を、オレリアはいつもたしなめ、正しい方法を弟と提示してきた。
それがどんなに俺をみじめな気持ちにしてきたか。知らないだろう。
「やだぁ。シモン様ぁ。マノン怖ぁぁい」
「ああ、マノン。大丈夫だ」
吐き気をこらえて、俺はマノンの頭を撫でた。何もかもに反吐が出る。
マノンはオレリアと違って馬鹿で可愛い。そして強かで、腹の底に何かを持っている。マノンの側にいれば、卑屈でぱっとしない俺でも少しは立派な人間だと思える。
「証拠だってあるんですよぉ。ね? ブーシェ卿。クーザン卿ぉ」
「ええ」
「ここに」
猫背のクーザン侯爵令息と小太りのブーシェ伯爵令息が、にやにやと進み出た。二人とも俺の幼少の頃からの従者だ。どちらも家柄はよく、影響力のある貴族家門の長男だが、能力は俺と同じくそれなり。俺にとって戦友のような存在だ。
今回二人が柄にもなく俺のために動いてくれた。
「ヴァスール公爵令嬢がマノン嬢を階段から突き落とした件ですが。最近開発された映像魔道具での記録がありましてね」
クーザン侯爵令息が、猫背であまり高く上がらない手で映像記録を空間に投射する。
そこには、オレリアに嫌味を言いながら近づき、わざと大きな悲鳴を上げてから自分で階段から落ちるマノンが映っていた。もちろん階段下にマノンの取り巻きの男爵令息がいて、抱きとめている。
「聖女としての力も、ヴァスール公爵令嬢の方が遥かに上ですな。結界の補強はずっとヴァスール公爵令嬢がやってこられていて、マノン嬢はやったふりをしていただけです。マノン嬢と関係のあった複数の下位貴族令息からの証言もとってますよ」
「‥‥‥は?」
腕にぶら下がるマノンから、聞いたことのないような低い声がもれた。
「男爵家の商会ですが。違法魔道具やらポーションやらが商品で、どっぷり裏社会と繋がってます。裏金、賄賂のオンパレード。馬車の襲撃は確かにヴァスール公爵令嬢の命ですが、あれは隣国に武器と我がオベール国の情報を売ろうとしてたからです。情報には、わざとマノン嬢だけが担当した結界の場所が。警備が比較的薄い箇所を担当して、結界と防御の弱い部分を作り、その情報を売ろうとしたみたいですねー」
裏金と賄賂の帳簿と、隣国と接触した商会の馬車の映像記録を持ったブーシェ伯爵令息が、ははは、とこの場に似つかわしくない笑い声をあげ、立派な腹を揺らした。
「う、嘘よ!! シモン様ぁ。シモン様は信じてくださいますよね?」
すがるような目を向けられたが、俺は真っ青になって震えるだけで何も言えなかった。
ああ。吐き気がする。
マノンに。俺自身に。
「何をしている、衛兵。罪人を捕らえよ!」
笑みを浮かべて静観していた国王が立ち上がり、マノンを指差して叫んだ。裏金と賄賂の恩恵を受けてきた自分に飛び火してはたまらないのだろう。
「‥‥‥衛兵!」
国王が命じたというのに誰も動かない。衛兵、従者だった二人、オレリアとヴァスール公爵を含む上級貴族、燃えるような目をしたベネディクトと、血の気の引いた俺。母と国王と同じくうろたえる一部の貴族を除く、全員が国王に視線を注いでいた。
俺たちはもう終わっているんですよ、父上。
俺は暗い目を父に向けた。
商会から母への賄賂は、その実国王と国王に与する一部の上級貴族に流れていた。
父の代になってから、この国の国政は腐りきり、国民は重税にあえいでいる。王侯貴族も王政派と貴族派に分かれ、反乱の火種は国中にくすぶっていた。
そこにベネディクトという眩しい旗印が立ったなら。こうなるのは必然だ。
「父上。いいえ、国王陛下。一番の罪人は貴方です。衛兵!」
ベネディクトが高らかに叫んだ。
ずっと前から断罪の舞台は整っていた。俺の浮気とマノンは、泉に投げられる賽だっただけ。
「なんだ貴様ら! こんなことをしてただで済むとっ!!」
会場に立っていた衛兵のみならず、城中の兵が国王と母、王政派の貴族を捕らえる。わめく彼らを牢に引きずって行った。
「マノン」
俺は、へたりと座りこんで放心したマノンの前に立った。
「触らないで!」
伸ばした手をバシッと叩くように跳ねのけられた。
「この間抜け! あんたなんて最初から好きでも何でもない。男爵に言われたから構ってやっただけなんだから!」
「そうか」
ため息を吐くように言って、手を引っ込めた。
知ってたさ。だから利用したんだ。
ああ本当に吐き気がする。
「聞いただろう、ベネディクト。マノンが俺をたぶらかしたのも情報を売ったのも、男爵に強要されただけだ。軽い刑罰で平民に戻してやってほしい」
「最初からそのつもりでした。兄上。貴方は‥‥‥どうしてそう‥‥‥」
ベネディクトがオレリアを支えていない方の拳を握りしめる。
どうしてそう、か。それは俺のセリフだな。お前はこんな愚かな兄に心を痛めているんだから。
「ありがとう、ベネディクト。それと」
俺は意を決して、涙を湛えるオレリアに視線を移した。
涙で瞳を潤ませ、薔薇色の唇を震わせるオレリアは、やはり誰よりも綺麗で可愛かった。
人気のない離宮で、笑い合う二人を見た時。
輝いて動いていた世界は再び止まった。
止まった世界で感じたのは、憎しみでも悲しみでもなく、諦めだった。
俺は何一つ弟には敵わない。
頭も、剣も、話術も、魔力も。
背も、顔も、体格も、性格も。
恋も。
似合いの二人だった。頬を上気させて笑う二人は、俺といる時よりも無邪気で自然体に見えた。
俺たちの婚約は政略で結ばれた。俺の王太子としての地位を盤石にするために、母がヴァスール公爵令嬢をあてがったのだ。家と家の契約。そこに当事者の意思はない。
俺が勝手に恋して、舞い上がっていただけ。彼女は俺を好きじゃない。
弟は、ベネディクトはいい男だ。あいつなら俺よりも、何倍も。
「オレリアを頼む。お前が幸せにしてやってく‥‥‥」
「シモン様の馬鹿っ」
バシン!
頬に強烈な痛みが走って、俺は目を見開いた。
「貴方以外の人が、私を幸せにできるわけないじゃないですか」
「は?」
手を上げたオレリアが息を荒げながら、ぽろぽろと涙を流していた。
「殿下は他の方の感情に敏感なのに。私の気持ちは分かって下さらないのですね」
「え? いや、だってオレリアはベネディクトのことが」
「何でそうなるのですか! むしろ嫌いです」
「僕もです、兄上!」
「?? へ?」
嫌い?
「だって二人は離宮で会っていたじゃないか。楽しそうに」
「あれは」
ぼっと音がするくらい、一瞬でオレリアの顔が赤くなった。こんな時なのに可愛いと思ってしまう。
「あれは、シモン様の話題になるとつい楽しくて」
「兄上をとったオレリア嬢は嫌いですけど、兄上の推しポイントは気が合うんです」
「???」
俺の話題で楽しくなるようなことがあるのか?
あと推しポイントってなんだ?
「とにかく! 私が好きなのはシモン様ただ一人です」
「嘘だ‥‥‥」
「本当です。努力家なところも、悔しいですけど生意気な弟に優しいところも、笑顔が可愛らしいところも」
笑顔が可愛い? 俺の引きつったような笑顔が!?
あとベネディクトが生意気ってどういうことだ。あいつは俺と違っていつも謙虚で素直だぞ。
ぽかんと口を開けて馬鹿みたいに立っている俺の胸に、オレリアが飛び込んで来た。受け止めきれずよろけたが、なんとか転ばずに踏みとどまる。
「こうやって、全部一人で進めてしまう、その不器用さも好きです。けど、もうしないで」
「ごめん」
腕の中で震える小さな体に、おそろおそる手を回した。
「だが俺はもう、王太子じゃなくてだな」
「シモン様となら、たとえ平民になっても構いませんけど。それは無理ですね」
「あ?」
「だって兄上。兄上を王太子から降格だなんて、誰も言っていませんよ」
「‥‥‥あ」
そういえば宣言する前に国王と王妃は退場した。
「ちなみに、婚約破棄の手続きもまだ進めておりませんよ。ですが、王太子でなくなるのは本当でございますね、新国王陛下」
ヴァスール公爵が膝を突いた。ベネディクトを含め、その場にいた者たちが一斉に公爵に倣う。
「待て。俺は婚約破棄を引き起こした凡愚だぞ。国王はベネディクトの方がふさわしい」
「またまたー。男爵の不正・売国行為・国王陛下と王政派貴族の摘発。そのための証拠を俺たちが第二王子殿下に渡すように仕向けたのは、王太子殿下のくせにー」
「わざと騙されて、第二王子殿下に譲ろうとなさっただけですな。そんな方が凡愚と言えましょうか」
クーザン侯爵令息とブーシェ伯爵令息がにやりと笑った。
「お前たち、まさか」
ベネディクトに王位簒奪させるため、トリュフォー男爵家の不正を漏らしてから、二人を追い出した。
打算的な二人なら、俺に見切りをつけてベネディクトにつくと思っていたのに。やられた。
「俺たちは最初から、殿下のために動いてましたよー」
「自己犠牲の手伝いなどクソ喰らえでしたので、きっちり裏切らせていただきました」
「お前たちの家門は第二王子を押していたはずだろう」
「そうでしたかねー?」
「そんなもの、忘れましたな」
ブーシェ伯爵令息は舌を出し、クーザン侯爵令息は肩をすくめた。ああ、全く。こういう反抗的な態度だから俺の従者なんかになったんだ。
二人とも将来を嘱望されていたのは、別の兄弟で。その兄弟たちがベネディクトの従者になっていた。
俺にあてがわれたのは、俺と同じく容姿も能力もぱっとせず、家門から見放された問題児。
従者候補には他に母が選んだ、優秀な者もいた。だが俺は二人を選んだ。息のつまるような従者ではなく、友人が欲しかったから。
「この裏切り者め。愚か者め。お前たちは馬鹿だ。大馬鹿者だ」
俺は俺を王座にふさわしくないと思うのに。この場にいる者たちは、俺に王座を望む。
努力しても届かないことが悔しかった。
期待されることが怖かった。
だから俺は、俺を諦めた。
こんな愚かな王太子に味方はいないと思い込んでいた。
「‥‥‥一番愚かなのは、俺か」
俺は俺に期待しては失望して諦めて、でも未練たらたらで。また期待して、失望して諦めた。そしてまた期待する。その繰り返し。嫌になるほどの繰り返し。
俺は愚かだから。きっとこれからも、それを繰り返し続けるだろう。
「私はそんな愚かなシモン様も好きです」
「オレリア」
俺は跪いてオレリアの手を取った。
美しい愛の言葉なんて出てこない。甘い笑顔も無理だ。
「生涯君を愛する」
万感の想いをこめて。ぎこちない口づけと、捻りのない誓いを捧げた。
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