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月の路(みち)

作者: 解剖タルト

「またね。」

 その言葉だけで十分だった。私が救われるために必要だったのは、同情でも優しい言葉でも叱咤激励でもなく、明日を生きるための“意味”だった。

 ──『月の路』

 人生に絶望しているわけではないが、何となくだるい。いっその事どん底に落ちれば楽になれそうなものだが、私の心は中途半端に浮遊していた。

 疲れている。人生に? そんな大層なものではない。私は今を生きるのに疲れている。そして未来を見ることができずにいる。

 変わるきっかけがほしいと思うが、その一方でこのままひっそり生きていけたら良いとも思う。気持ちの分裂、そこから湧き出す不安はいとも容易く私を飲み込み、私を臆病にさせる。この時期特有の不安定さなのだろうとどこか達観している自分は、大人の振りをしているだけで、それは子どもなら誰しも持っている全能感の書き換えでしかない。達観した自分が、「私は大人だ」と自我を出すとき、私は大人になれないことを悟る。そしてそれが打ち砕かれたとき、私はきっといやな大人になる。


「あなたの夢は何ですか?」

 知るかそんなもん。とはいえず、

「より良く生きることです」と答えておいた。より良く生きるって何だ。生きることの価値観を問う、それは命の価値を問うことと同義ではない。だがこの世の中はきっと価値観と価値をごちゃ混ぜにしてしまっている。

「何か具体的に。」

 それを具体的に言明すれば、命に価値がついてしまう。

「いえ、特には……。」

「では好きなものとか、将来こうなりたいとか、何か無いですか?」

「何も無いです。」

「それでは進路を決めることができません。」

 進むみちと書いて進路と読む。私は、歩くのをやめたい。

「最近、部活も休んでいるようですが、まさかアルバイトをしているんじゃないでしょうね。」

「家の用事があって……アルバイトはしてません。」

 嘘。

「そうですか。とにかく、あなたはまだ若いから、何にでもなれる。好きなことをやるでもよし、安定を目指すもよし、とにかく何か考えてください。これはあなたの人生なのですよ。」

 そう、私の人生。

「私はあなたを思って言っているのです。」

 大人はみんなそう言う。大人も、大人を嫌いな私も嘘つきだ。


「ゆうかさん、こっち手伝って。」

「わかりました。」

 飲食店のバイトは活気があって良い、わけがない。バカが。

 とはいえ、忙しい中に身を放り込むことは悪いことではない、と思う。暇だと人は死ぬことばかり考える。

「ちょっとこれ、注文間違ってるんだけど。」

「申し訳ございません。すぐに取り替えます。」

「いいわよ勿体ないし。」

 いいなら言うな、バカが。いや、私の間違いだから、私がバカだ。

「水おかわり。」

「申し訳ございませんがセルフでお願いいたします。」

「そうなの? めんどくさ。というか、対応悪くない?」

「申し訳ございません。」

 お前が飲み干したその水、自分でつぎに行ったんじゃないのかよ。喉をうるおしたのに頭カピカピかよ。

「注文お願いしまーす。」

「はい今伺います。」


「お疲れ様、今日も大変だったね。」大学生のバイトの先輩が話しかけてくる。

「お疲れ様です。疲れました。」

「ゆうかちゃんが対応してたあのおっさん、ボケてんのかな。何回も来てるんだから、水がセルフだって知らないわけないよね。」

「それ私も思いました。」

「ゆうかちゃんにばかり話しかけてるから、もしかしてゆうかちゃんのこと好きなんじゃない?」

「え、ガチでキモいんですけど。」

「ははっ、言うねぇ。」

 先輩は今日バイトを辞める。

「終わったな。」先輩はカレンダーを見る。「今までありがとう。」

「いえ、こちらこそ、色々と教えていただきありがとうございました。迷惑かけてばかりですみません。」

「ううん、ゆうかちゃんは頑張ってくれてるから大助かりだったよ。今までありがとう。」

「いえ。」

「じゃあ、お疲れ様。」

「はい、お疲れ様です。」

 先輩は別の人の所へ行く。この人とはもう会えないんだなと思うと、たとえ「他人」だとしても少し寂しくなる。

 私ももうじきバイトを辞める。そのことを先輩に伝えることができなかった。


「ただいま。」

「おかえり。今日学校の先生から電話がかかってきたわよ。進路どうするの?」

 先生うざすぎてハゲそう。暴れ回りたい気持ちを抑えて淡々と答えることにする。この世の中で母の逆ギレほど面倒なものはない。

「進路は決めてるよ。」

「進学するなら国公立にしなさいよ。」

「わかった。」

「あんたほんとに分かってんの? バイト行ってないでちゃんと勉強しなさい。」

「分かってるってば、バイトはもう辞めるし。」

「そう、なら良いけど。」

 人の顔色を伺いながら生きることを果たして自分の人生と言えるのだろうか。

「シャワー浴びてくる。」

「ご飯は?」

「いい、食べてきたから。」


 シャワーを浴びて髪を乾かし、部屋に戻る。

「うさばく。」うさぎのぬいぐるみを手にとる。

「うさばくは良いよね、何もしなくていいから。」うさぎのぬいぐるみを少し乱暴にベッドの上に置いた。

「勉強めんどくさ。あいつ課題出しすぎなんだって。」

 カバンからプリントを取り出す。

「やば、めんどくさ。明日の朝やろ。……やっぱ起きれる気がしないや。今やろ。」

 少しの辛抱、その積み重ねが人を成長させていく。そう信じたい自分がいるから、私はまだ生きている。


「ゆうか、久しぶり。」

「久。」

「でた、久。バイト辞めたん?」

「うん、辞めた。」

「そう、なら私も辞めよかな。」

「辞めるの? 楽しいって言ってたのに。」

「バイト自体は楽しいよ。でも次のステップへ行く時かなって。」

「成長するってわけね。」

「身長伸びねぇかな。」

「ほんとそれ。」

「最近、デブって縮んだ。」

「縮むの?」

「重みで。」

「重力?」

「ウチにだけ5倍くらい重力かかってんのかも。」

「重力が少ないところ行けば体重軽くなるんじゃない?」

「月行くか。」

「眩しいんじゃない?」

「存在が。」

「やかましいわ。」

「そんなことより絵描けって。」

「そう言うちひろだって何も描けてないじゃん。」

「天才はな、ひらめきがあるその時まで待ち続けるのだよ。えぇっとね、もうすぐインスピレーションが──」

「ねぇちひろ、ウチら美術部向いてないんじゃない?」

「やっぱり?」

「うん。辞める?」

「それはなんか違う。」

「だよね。」

 ほんとは辞めたかった。千尋が辞めると言ってくれれば、今すぐにでも辞めるつもりだった。

 でもふと思う。逃げてばかりな気がする。ぞっとした。このまま嫌なことから逃げて、面倒なことから逃げていけば、私はいつか学校から、家から、自分から逃げることになる。

「ウチ頑張るわ」と言ってみる。嘘だけど。

「いいことだ。何事も経験よ。ほっほっ。」千尋はあごひげを触る仕草をする。

「何それ神っぽい。」

「そりゃあ月に行くべき人材だからね。あ、インスピレーション来た!」

 千尋が鉛筆でアタリをつけていく。私も何か描いてみることにした。でもその日は消しゴムばかりが減っていき、ついに何も描けなかった。


「今日はダメだった。」

「そういう日もある。」

「ちひろはどう?」

「締切には何とか。」

「あれ、締切いつだっけ?」

「ちょうど1週間後だったかな。」

「マジ? やばいじゃん。家でも考えてこようかな。」

「逆にカフェでも行く? 気分変えると何か思い浮かぶかもよ。」

「でもウチ、ちひろと違ってセンスないし。」

「センスでものは語れないでしょ。」

「え?」

「センスはエッセンス。大事なのはつらっしょ。」

「何それ深。」

「というわけで、行くぜスタバ! ミッションその一、青春モラトリアムを謳歌せよ!」

「おー!」


 カフェに行き、デブになると言い合いながら笑う。「またね」と言って帰路につく。

 ふと思う。明日を生きる「意味」があればとりあえず生きていける。“とりあえず”、これが大事なことなのかもしれない。

「とりあえず」とつぶやく。「とりあえず、また明日生きてみる。」

 太陽が沈み、空がかろうじて青を残す。目の前に満月が浮かんでいる。子どもの頃、車窓から見た満月はひたすらに私を追いかけ続けていた。今の私は月に向かって歩いている。

 舗装された道路が月の光に照らされる。私はいま、月のみちを歩いている。

「あ、そうだ。」月の路、これを描こう。千尋と若干被るかもしれない、いや、彼女はセンスもエッセンスも面もいいから、きっと私みたいな凡人では思い浮かばないような絵を描いてくる。

 私は私の表現をして、それでもし打ち砕かれたら? 大丈夫、とりあえず完成させればいい。大事なのは価値ではなく価値観だ。

 スマホを取り出してこの光景を写真に撮ろうとしたがやめた。その代わり、変わりゆく景色を忘れないよう、しっかりと目に焼き付けた。そのとき、私は永遠を感じた。

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