第2話 冒険者組合と課外授業
朝日が昇る頃、街の通りは少しずつ活気を取り戻していた。
露店が開かれ、商人たちが忙しそうに品を並べ、行き交う人々が活気ある声を交わしている。
その中を、二つの人影が歩いていた。
黒髪の少年と金髪の少女。
白夜とフィリアである。
前日は宿で魔術の基礎を学び、ようやく簡単な発動ができるようになったばかりだ。
「……ここが、冒険者組合、ですか?」
「ああ。金を稼ぐには最も効率がいい場所だ。ついでに、お前の登録も済ませておく」
白夜が指差した先には、石造りの頑丈な建物が立っていた。
冒険者たちが頻繁に出入りし、掲示板には無数の依頼書が貼られている。
中には魔獣の討伐依頼、素材の収集、警護任務など多岐にわたる内容が並んでいた。
二人は建物の中へと足を踏み入れた。
広いホールには長いカウンターが並び、職員が対応している。
目立つのは装備に身を包んだ冒険者たち。男も女も、険しい表情で話し合い、時には地図を広げて相談している様子だ。
「……結構、賑わってるんですね」
「それだけ需要があるってことだろう」
白夜は周囲を一瞥すると、受付に向かって歩き出した。
カウンターの前には若い女性の職員が立っており、柔らかな笑顔を浮かべて迎え入れる。
「いらっしゃいませ。今日はどのようなご用件で?」
「依頼の受注と、彼女の冒険者登録を頼む」
そう言って、白夜はフィリアの背中を軽く押した。
彼女は少し緊張した面持ちで前に出ると、受付嬢が優しく微笑んだ。
「初めての登録ですね。お名前と年齢、簡単な経歴を教えてください」
「……フィリアです。年齢は……多分、十六……?」
「多分……ですか?」
受付嬢は少し困ったような顔をするが、すぐに笑顔に戻った。
冒険者登録は身元の詳細確認を厳密に行わない。
そのため、奴隷上がりや記憶を失った者も多いらしい。
「では、こちらに手を置いてください」
フィリアが差し出された水晶板に手を乗せると、淡い光が走り、彼女の情報が浮かび上がる。
名前、年齢、種族、適性――白夜は目を細めてそれを確認する。
「……魔力適性A。潜在成長力も十分だな」
「えっ……私、Aなんですか……?」
彼女自身が驚いたように呟く。
白夜はそれを無表情で見つめ、淡々と頷いた。
「だから、俺が選んだんだ。使えない奴なら放っておく」
「……そう、なんですね」
少しだけ顔を赤らめながら、フィリアは嬉しそうに頷いた。
受付嬢も登録内容を確認し、彼女に小さなカードを渡す。
「これが冒険者証です。これがあれば依頼の受注や報酬の受け取りが可能になります」
「ありがとうございます!」
フィリアはカードを大事そうに握りしめる。
それを確認した白夜は、再び受付に視線を戻した。
「それから、パーティ申請も頼む」
「パーティ申請ですね? かしこまりました。二人でよろしいですか?」
「ああ、今のところはな」
パーティの登録も無事に完了し、二人はようやく依頼の掲示板に目を向けた。
並ぶ依頼は多岐にわたるが、今回はフィリアの訓練も兼ねているため、比較的難易度の低いものを選んだ。
「魔物の討伐……ゴブリンか。数は二十ほど、発見場所は街の西側、森の端か」
「そ、それって……危なくないですか……?」
「いや、ちょうどいい訓練になる」
白夜は淡々と言い放ち、依頼書を手に取り、受付で受注手続きを終えた。
その後、街の外れへと歩き出す。
* * *
草木が生い茂る森の入口。
白夜とフィリアは並んで立ち、周囲を見渡していた。
小鳥のさえずりが響き、風に木々が揺れている。
「今日は、お前は見学兼授業だ」
「……見学、ですか?」
「ああ。実際に目で見た方が早いからな」
白夜は手を前にかざし、魔力を流し込む。
彼の手のひらに展開されたのは、青白い光を放つ複雑な魔法陣だった。
「……まず、この世界の魔術は詠唱が必要だな?」
「は、はい。呪文を唱えないと……魔法が発動しないから……」
「詠唱は、想像力の補完だ。魔力を強制的に形にするための補助。だから、誰でも長い詠唱さえ覚えれば発動できる」
「そう、ですね……詠唱が長ければ長いほど、魔法も強くなるって聞きました……」
「それは正しくもあり、間違いでもある。……本来、魔力というのは“形”を与えることで発現する。制御と運用を行えば、詠唱など不要だ」
白夜はそう言い、手のひらの魔法陣を操作する。
次の瞬間、空中に青白い光が収束し、周囲の空気が震え始めた。
「……っ!」
フィリアは思わず後ずさる。
彼の手のひらに集まった魔力は、まるで雷光のように揺らぎ、強大な圧力を発していた。
「見ていろ」
白夜の指先が、遠くの木に向けられた。
そして、何の前触れもなく――轟音と共に閃光が走った。
木々は一瞬で粉砕され、無残な形に吹き飛ばされた。
詠唱もなく、わずか数秒の発動。
その威力と正確さに、フィリアは息を呑んだ。
「……これが、俺の世界の“魔術”だ」
静かに放たれたその言葉に、フィリアはただ驚愕するしかなかった。
白夜の手のひらから放たれた一撃は、詠唱もなく、魔力の奔流をまるで指先で遊ぶように操作し、木々を一瞬で消し去ったのだ。
「……これが、本当に魔術……?」
「そうだ。だが、まだ基礎の基礎だ。俺の知る魔術の中では、初歩にすぎない」
「し、初歩……」
フィリアはその言葉に呆然としながらも、興味を抑えきれないように白夜の手を見つめた。
彼は淡々と手のひらを広げ、青白い光を揺らめかせている。
「お前が今まで学んできた魔術は、想像力を詠唱で補い、無理やり形にしていたものだ。だから詠唱が必要だった」
「……はい」
「俺の世界では、それを根本から変えた。
詠唱なしで発現できるよう、魔力の制御理論を確立し、さらに“共鳴”や“霊脈”の利用で効率化を図った」
白夜の言葉に、フィリアは目を輝かせた。
これまで教わってきた魔術とは、全く別次元の話だ。
彼は続けるように、いくつかの羊皮紙を取り出し、そこに複雑な術式を書き始めた。
「例えば、これは“魔力調律”だ。
魔力の波長を統一し、無駄な流出を防ぐ。これにより、魔力消費が抑えられる」
「調律……ですか?」
「そうだ。楽器の音色を調整するようなものだな。これを行うことで、空中の魔素も利用できる」
白夜は手をかざし、空気中の微細な魔力粒子が集まり、指先で輝き始めた。
それはまるで小さな光の粒が寄り集まっているように見える。
「すごい……魔力が集まってる……!」
「今までは自分の体内の魔力だけを使っていたが、世界には空気中に“漂う”魔力も存在する。それを引き寄せ、同調させて使うことで威力も増幅する」
白夜は魔力を指先に集め、そのまま手を振った。
次の瞬間、空中に展開された魔法陣が光り、目の前の岩が粉々に砕け散った。
「これが魔力調律の基礎だ」
「……凄い……! まるで、別の魔術みたいです……」
フィリアの目は輝きを増し、興奮に頬を紅潮させていた。
だが、白夜はまだ話を続ける。
「魔術はこれだけじゃない。“術式札”の存在もある」
「術式札……?」
「ああ。これは魔法陣をあらかじめ符に刻み込み、魔力を流し込むだけで発動できるものだ」
白夜は懐から一枚の札を取り出した。
それには細かく文字が刻まれ、薄く光を放っている。
「見ていろ」
彼は札に魔力を通すと、瞬時に青白い炎が巻き起こった。
詠唱もなく、手元の札が炎を生み出しているのだ。
「こうやって、簡単に発動できる。これも詠唱を排除するための工夫だ」
「す、すごい……! 魔術がこんな風に……」
「まだあるぞ。“霊脈”というものもある。大地には魔力の流れがあって、そこから直接エネルギーを引き出せる。術者の魔力消費を最小限に抑える方法だ」
「……霊脈、ですか?」
「ああ。そして、言霊同調。これは言葉そのものに力を宿らせ、詠唱をさらに短縮する技術だ。
お前が使っていた長文詠唱を、わずか一言にまで圧縮することも可能だ。」
フィリアの目はさらに輝きを増していく。
彼女は白夜の説明に完全に魅了されていた。
まるで、魔術が無限の可能性を秘めているかのように感じたのだ。
「こうして、様々な手法を組み合わせて効率を追求してきた。……地球では、長い歴史の中で無数の魔術体系が生まれ、進化を繰り返してきたんだ」
「無数……それって、どれくらい……?」
「人によって異なる。術者の数だけ存在すると言っても過言ではない。
炎の魔術一つ取っても、国や流派によって全く違う理論と操作がある」
フィリアは思わず息を呑んだ。
自分が知っている“魔術”が、どれほど狭い範囲だったのかを痛感したのだ。
「……それを、私も学べるんですか……?」
「もちろんだ。お前が使えるなら、全て教える。時間はかかるがな」
「はい! 私、頑張ります!」
フィリアの目には確固たる決意が宿っていた。
白夜はその目を見て、静かに頷いた。
「さて……そろそろ本題だな」
白夜は手をかざし、空間を歪ませた。
彼の手元に現れたのは、異空間に繋がる“ポータル”だった。
その空間へ手を突っ込むと、金属製の小さな刃が取り出される。
「こいつで討伐証明を持ち帰る。……ゴブリンが相手だ。お前は見学だが、しっかり観察しておけ」
白夜の目には冷静な光が宿っていた。
フィリアもその眼差しに触発され、真剣な表情で頷く。
「はい、分かりました!」
次の瞬間、二人は森の奥へと足を踏み入れていく。
彼らの前に立ち塞がるのは、ゴブリンの群れ。
それは異世界での初めての“実戦授業”の幕開けだった。
森の中は静寂に包まれていた。
草木が風に揺れ、木漏れ日がちらちらと地面を照らしている。
白夜とフィリアはゆっくりと歩を進めながら、周囲の気配を探っていた。
「……近いな。五体ほどか」
白夜は目を細め、木陰に潜むゴブリンたちの気配を捉えた。
その小さな体と濁った目が、隙間からこちらを睨んでいる。
「今回はお前は見学だ。俺が実際に見せる。しっかり観察しろ」
「はい……!」
フィリアは緊張した面持ちで頷き、後ろに一歩下がった。
白夜はその様子を確認すると、ゆっくりと手を前にかざした。
「……まずは、重力操作だ」
彼の指先から淡い光が広がり、空間を揺るがす。
次の瞬間、目の前の草木がわずかにたわみ、重力が局所的に変化した。
ゴブリンたちは違和感に気づかず、こちらに向かって駆け寄ってくる。
だが、一歩を踏み出した瞬間、彼らの体が“重く”なり、その場に倒れ込んだ。
「えっ……?」
フィリアは思わず声を漏らした。
目の前で、ゴブリンたちは必死に動こうとするが、身体が地面に引き寄せられて動けない。
「重力を二倍に増やしただけだ。単純な操作だが、低級な魔物には十分だな」
白夜は淡々と説明し、次に手を振る。
周囲の空間がわずかに歪み、目の前の風景が揺らめいた。
「次は、空間操作だ」
ゴブリンの一匹が無理やり立ち上がり、逃げ出そうとした瞬間――
その体が空中で“弾かれ”、別の場所に転移した。
「な、なに今の……!?」
「空間圧縮だ。指定した地点に圧力をかけ、瞬間的に座標を移動させた。……まあ、例えるなら、扉を一瞬開けただけだな」
フィリアは驚きに目を見開いたまま、その場に立ち尽くしていた。
彼女が知る魔術は、“火を放つ”や“風を起こす”程度のものだった。
しかし、白夜が使う魔術はまるで“現実そのものを操る”ように見えた。
「次は、“時間”だ」
白夜は指先を軽く動かし、微細な魔力を収束させる。
その手のひらに浮かび上がった光の球は、時計のように静かに回転していた。
「……時間操作……?」
「ああ。と言っても、大きな時間操作はできない。ほんの数秒程度だ」
白夜はゴブリンの一匹を指差し、軽く魔力を流し込む。
すると、そのゴブリンの動きが“止まった”。
一歩を踏み出すその足は空中で固定され、まるで時間が止まったかのように見える。
「……す、すごい……!」
「まあ、これは細かい調整が必要だ。魔力消費も大きいしな」
白夜は手を下ろし、空間にわずかなひび割れを作った。
そこから吹き出した風が、木々の葉を舞い散らせる。
「最後は、“環境操作”だ」
空気が渦を巻き、気温が一瞬で冷たくなった。
ゴブリンたちの動きが鈍くなり、肌に霜が張り付いていく。
「環境を支配することで、相手の動きを制限する。霊脈を利用すればさらに強化できる」
「霊脈……あの、大地を流れる魔力、ですよね?」
「そうだ。地面に手を触れてみろ。魔力の流れを感じるだろう」
フィリアは恐る恐る地面に手を当て、目を閉じた。
すると、微細な震えと共に、何かが体を通り抜ける感覚がした。
「……流れている……」
「その流れを利用することで、魔力を節約し、より強力な効果を発揮できる。……実演してみせる」
白夜は再び手をかざし、霊脈の魔力を手のひらに集束させる。
空気中の魔力が集中し、手のひらに小さな光の球が生まれた。
「《圧縮》」
何も発声しないまま、ただ指を軽く振っただけで、光の球は圧縮され、次の瞬間、目の前のゴブリンの頭を一瞬で貫いた。
頭部に残ったのは小さな穴だけだ。
「……こんな、ことまで……」
「当然だ。魔術とは、本来こういうものだ。……さて、片付けだな」
白夜は手を軽く振り、ゴブリンたちの耳を正確に切り落とした。
切り口はまるで刃物で切られたかのように綺麗で、血もほとんど流れていなかった。
「異空間収納も見せておこう」
白夜が手をかざすと、空中に微かな歪みが生じ、ゴブリンの耳が浮かび上がる。
それらは一つの空間に収められ、次の瞬間には消え去っていた。
「……ど、どこに……?」
「俺の空間だ。後で冒険者ギルドに持ち込む」
フィリアは驚きと興奮が混じった表情で頷いた。
目の前で繰り広げられた“魔術”は、彼女がこれまでに知るどんなものとも違っていたからだ。
「……これが、本物の魔術……」
「ああ、これからお前も学んでいくことになる」
白夜の言葉に、フィリアの目には確かな決意が宿っていた。