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プロローグ

東京都心の外れ、忘れられたようにひっそりと佇む神社。その地下深くに、封印された一室が存在する。

 そこは、古来より“魔術”を極秘に受け継いできた術師の一族が、研鑽と研究の場として利用してきた実験区画だった。


 その空間の中心で、静かに魔法陣が発光する。

 術式の中心に立つのは、一人の青年。黒髪に鋭い目元をした、痩身の青年――四宮白夜しのみや びゃくや。

 齢わずか十七にして、現代魔術の深淵に踏み込んだ存在。彼は今、自らが構築した転移術式の最終調整を行っていた。


 指先で描いた空中式が結界に重なり、七重の制御層が展開される。

 魔力の流れに一切の淀みはない。理論、実践、感覚。すべてが完璧だった。


「霊脈同調率98.7%、座標固定完了。重力干渉誤差ゼロ……」


 淡々と呟くその声には、自信も高揚もない。ただ必要な確認作業を進めているだけ。

 ――いつも通り。

 だが、この日だけは“例外”だった。


 唐突に、魔法陣の縁が黒く濁った。制御層にノイズが走る。

 ありえない。こんな干渉、理論上は起きないはずだった。

 それでも、四宮白夜は即座に原因を特定する。


「……悪魔か」


 あの日、封印したはずの存在。

 下位の地獄階層、“憤怒”に属する存在――名を持たぬ悪魔が、術式のスキマを嗅ぎ取り、精神の奥へと“声”を響かせてくる。

〈我が身を犠牲に封印を成した……愚かなる魔術師よ。〉

 〈お前の魔術は見事だ。緻密で美しい。だが――万能と信じたその傲慢さこそが、最大の隙だ〉


「詠唱パターンを模倣して潜伏……。封印構造の癖を逆用か。……感心はする」


 だが、それだけだ。白夜は一歩も引かない。

 術式の崩壊は始まっている。停止すれば暴走、発動すれば未知。

 それでも彼は、冷徹に判断する。


「――強行する」


 瞬間、術式が暴走した。

 結界は反転し、光と闇が交錯する。重力が乱れ、視界が引き裂かれ、空間そのものが断裂する。


 世界が、軋む音を立てた。


 〈貴様はここで滅ぶのだ……!〉

 〈この歪んだ術式の果てで、なにもかも失うがいい!〉


「お前の“負け惜しみ”を聞く義理はない。……消えろ」


 冷酷な言葉を最後に、白夜の身体は術式の中心に呑み込まれた。

 光が爆ぜる。空間が潰れる。世界が反転する。


 彼の意識が、光の渦に呑まれて消えた――。


 それは、人類未踏の領域への転移だった。





______________________________________




 ――風の匂いが、違う。


 草の香り、土の湿り気、遠くの木々から漂う樹液の甘い芳香。すべてが微妙に異質だった。

 目を開けた白夜は、全身に重力を感じながら、ゆっくりと上体を起こした。背中にはまだ転移の余波による重圧が残っていたが、身体そのものに異常はない。意識も明瞭、魔力の流れも正常だった。


 視界に広がるのは、起伏の穏やかな草原。日差しは穏やかで、空には鳥のような何かが旋回している。遠くの地平線には山脈の影。

 ただの自然に見えるが、彼の観察眼は即座に異変を見抜いた。


「……太陽の軌道が東西じゃない。あれは……赤道傾斜が40度以上?」


 立ち上がると、まずは足元の地面に手を触れる。土の温度、魔力の感触、地脈の走行線。

 白夜の頭の中に、見取り図のように大地の構造が組み上がっていく。


「地脈の流れ方が地球とは違う。地盤の魔素濃度……日本の平均値の三倍か。……こっちの方が“濃い”な」


 異世界。

 それは確信だった。地脈、気候、星の配置、空気中の微粒子と浮遊する魔素の分布。どれ一つとして“地球”の物理法則に収まっていない。


 ――あの悪魔が、術式に介入した結果。


 「……あれをただの干渉と見るか。あるいは、誘導された“別の座標”と見るか。……まあ、どちらでもいい」


 彼にとって重要なのは“帰還”ではない。

 未知の世界、未知の理ことわり、未知の魔術――それこそが、彼の探求すべき対象だった。


 白夜は術式札を取り出し、手早く展開。広範囲探知魔術《千尋ノ眼せんじんのまなこ》を起動させる。

 指先から展開された青白い魔方陣が空間に揺らぎ、半径5キロ以内の魔力反応と熱源を探知していく。


「……人間らしき群体が、東南東方向に一点。数百単位か。街か、村か」


 魔力を折りたたみ収納し、方角を確認してから歩き出す。

 転移地点から徒歩で約二時間。途中で何体かの獣の気配を察知したが、白夜の気配抑制術式の前ではただの通過対象にすぎない。


 道も整っていない草原を越えた先に、小さな城壁が見えてきた。


「……街か。あの規模なら、それなりの自治組織が存在するはず」


 城壁の外には簡素な門と番兵が二人。武装は甘く、魔力感知の仕掛けもなかった。

 白夜は最低限の探知式を起動しつつ、堂々と正面から歩み寄った。


「おい、そこの兄ちゃん! 旅人か? 魔獣にでも追われてきたのか?」


「……ああ、通りがかりだ。少し、宿と市が必要でな」


 言語が通じた。正確には、“通じてしまった”。

 術式《言霊同調》によって、自動的に音声と言語を脳内で変換しているのだ。術式の自動発動範囲に、異世界も含まれていたのは僥倖だった。


 身分証の提示も求められなかった。代わりに、一人の兵士が街案内の地図を手渡してくる。


「お前みたいな奴、多いんだよ最近。ダンジョン帰りの冒険者かと思ったが、違うのか?」


「……まあ、似たようなものだ」


 適当にあしらいながら街へと入る。


 白夜が初めて足を踏み入れた異世界の街の名は、《ロドゥナ》。

 人口は推定3000〜4000。貴族階級は存在せず、領主は市民選出型。冒険者制度を中心とした自由経済体制を持つ比較的開放的な自治都市だった。


 市街には露店が並び、薬草や食料、鉱石、魔石といった商品が売買されている。

 白夜は目立たぬよう魔力を抑え、数軒の書店や道具屋を見て回った。


 だが――それはすぐに、強烈な落胆へと変わる。


「……これは、冗談ではないのか」


 呟いた声には、珍しくわずかな苛立ちが混じっていた。

 魔術に関する書物の数は少ない。基礎書と称された巻物は紙質が粗く、内容はお粗末。魔力の定義すら曖昧で、感覚的表現が大半を占める。


 術式陣のサンプルも見た。だが、そのどれもが非効率かつ構築理論に欠け、子供の玩具のようなレベルだった。


「魔力調律も魔術変換式も存在しない? この世界の魔術は……“未完成”だ」


 理論の根本から違う。

 日本で白夜が修めてきた魔術は、完全なる数理と理論に裏打ちされた“完成された魔法体系”だ。だがこの世界のそれは、ただ“火が出る”“風が起こる”という結果を真似るだけのものだった。


 この異世界の魔術は――原始的で、未熟で、脆弱だった。


 白夜の視線は、無感情のまま地図の一点を見据えた。

 《魔術師ギルド・ロドゥナ支部》。最後の望みに近い場所だった。


 入ってみると、中は魔法陣のような円卓と本棚が並ぶ簡素な空間だった。

 そこにいたローブ姿の青年が、やけに陽気な笑顔で白夜に声をかけてきた。


「ようこそ! もし魔術師にご興味があれば、初心者講習や訓練も――」


「……その“訓練”とやらで、どこまでやれる?」


「えっ、ええと……初歩は《ライト》です! 明かりを灯す魔法ですね。火球を撃つ《ファイア・ショット》は高等術です!」


 ――終わっていた。


「……助言しておく。魔術とは、“現象の再現”ではない。“理論の運用”だ。君たちがやっているのは、ただの祈りだ」


「えっ……?」


 言い残し、白夜はギルドを後にした。


 落胆はした。だが、それだけではない。


 ――ここまで魔術が未発達ならば、“未発見”の古代魔術や禁術がまだ眠っている可能性がある。


 この世界に、意味はある。未知は、確かにここにある。

 彼の灰色の瞳が、わずかに光を帯びた。








 ロドゥナの街を覆う夜は早かった。

 日が沈むと同時に、街路の松明が一斉に灯り、光と影が交錯する通りを人々が行き交う。冒険者、商人、盗賊上がりの警備兵。昼とは異なる顔を見せるこの街の夜に、白夜の足取りはぶれることなく真っ直ぐだった。


 ――目的は一つ。


「古代遺跡、か」


 酒場の奥、情報屋の老人がぽつりと語ったのは、北方にある断層地帯の話だった。


「大陸暦前期……この辺り一帯には、“神代魔術”っちゅうもんがあったそうな。今じゃ使えるヤツはいねぇ。遺跡もほとんどが封鎖されとる」


「封鎖理由は?」


「解析不能な魔術装置が動いてるせいだ。触れたら吹っ飛ぶ。死人も出た。だから誰も近づかねぇ。だが……本当に“古代の魔”が眠ってるとしたら……」


 ――その可能性だけで、白夜は動く価値を見出した。


「調査には資格と金がいる。なら、冒険者ギルドに登録するまで」


 その日のうちに、彼は冒険者登録を完了させた。名前も偽らず、そのまま“四宮白夜”と名乗った。どうせ隠すつもりはない。


 冒険者ランクは最低のFから。

 だが、実力が伴えばすぐに昇格できると聞き、白夜はすぐさま依頼の掲示板を物色する。


「……素材収集、討伐、護衛……効率のいいものを選べば一日で三件はこなせるか」


 それから数日間。

 白夜は淡々と依頼をこなしながら、並行して自らの魔術研究も進めていた。


 依頼先で見つけた未知の鉱石から魔力共鳴を得て調律術式を改良。

 護衛任務の帰りには、魔力の波形が歪んだ地域で局地的結界の実験。

 市で購入した紙に独自の術式を記録し、再構築理論の試行錯誤を繰り返す。


 だが、そこには明確な“限界”もあった。


 ――一人では、効率が悪すぎる。


 飯を食うにも、着替えを整えるにも、街での買い出しも含め、全ての雑務が研究や任務の妨げとなる。


 「……時間が、無駄だ」


 無駄を嫌う彼にとって、もはや決断は明確だった。


 生活補佐、魔術補助、そして“実験素材”としての資質。

 これらを備えた存在が必要――すなわち、奴隷である。


* * *


 奴隷商《メルディナ商会》。

 街の北端、陰気な石造りの建物。扉をくぐると、腐ったような獣の臭いと鉄錆のような血の匂いが入り混じった空間が広がっていた。


 「いらっしゃいませ、旦那。よくぞお越しを……本日は、どのような目的で?」


 低頭した初老の商人に、白夜は端的に告げた。


「生活補佐と研究補助。魔術適性が高ければなお良い。だが従順さを最優先にするつもりはない。資質を重視する」


 商人は一瞬、目を見開いた。

 “資質を重視する”という言葉を使う客は、極めて稀だった。通常の買い手は奴隷を「使いやすさ」で選ぶ。だが、白夜の目にあるのは「素材を見る職人の眼」だった。


「……でしたら、こちらの方々などいかがでしょう?」


 連れてこられたのは、端正な顔立ちのメイド、料理に特化した奴隷、癒し系の幼い獣人、さらには薄着の踊り子系――

 だが、白夜の目は一度も“光らなかった”。


「……魔術適性が低すぎる」


 彼は自らの魔術で空間を探知し、店舗の構造を“見る”。

 地下。微かに押し殺された魔力反応。鈍いが、強く、深い“芯”を感じる。


「――下に、まだ何かいるな。強い魔力を持った個体だ。案内しろ」


 商人は、明らかに動揺した。


「し、しかし、あちらは……廃棄予定の個体でして……魔術適性は確かに高いのですが、肉体に重大な欠損が……」


「構わない。問題は、“使えるかどうか”だ」


 しばしの沈黙のあと、商人は観念したように頭を下げた。


「……かしこまりました。では、すぐにお連れいたします」


 鉄の扉の奥、冷たい石床の上。

 連れてこられた少女は、全身を薄汚れた布で覆われていた。長い金髪は乱れ、頬は痩せこけ、目は虚ろに見える――が。


 白夜はその目を見て、即座に判断した。


「まだ目は死んでいないな。」


 布を取ると、衝撃的な姿が露わになった。

 彼女は、両腕と両脚を欠損していた。肩口と太腿から先が存在せず、包帯が巻かれている。通常の買い手であれば、即座に“選外”とするであろう姿。


 だが、白夜はまったく動じなかった。


「再生は可能。魔術で神経再接続を施し、義肢成形を同調させれば……問題はない」


 商人はおずおずと口を開く。


「……今なら、破格でご提供できます。銀貨20枚で構いません」


「買う。すぐに連れてこい」


 あまりの即決に、商人が呆気に取られるのも無理はなかった。


 こうして――


 四宮白夜は、異世界最初の“助手”を手に入れた。

 彼女の名はまだない。けれど、やがてこの少女は、彼の旅と研究、そして物語において、確かな居場所を得ていくことになる。


 だが、今はまだただの“奴隷”。

 それを“価値ある素材”と見抜いた男の、冷たくも確かな眼が、彼女の未来を変えていく――


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