72話「ヌクインの町⑨」
「あらためてすごい景色っ! 大自然の中でお風呂だなんて風情よねえ」
ホテル最上階にあるワンフロア貸し切りの高級スイートルーム。広々とした浴場があったかと思えば、そこから外に出ると何と露天風呂まで付いていた。エーダとフアムは一糸まとわぬ姿で大自然に晒された湯気が立ち上る温泉を満喫していた。
「あっ! フアムちゃん見てっ! お星様もたくさん見える!」
フアムは硫黄の微粒子が乱反射して白く濁った湯に首元まで漬かり、恍惚とした表情を浮かべていた。静かに楽しむフアムとは対照的に開放的な空間にはしゃぐエーダは湯船の中を歩き回っている。……。歩き回る、というよりかはフアムの目の前を何度も執拗に横切っていた。一体何を目的として横切っているのか。それは言わずもがなである。赤らめた顔も熱い湯に漬かっているだけが原因ではないのかもしれない。
「ねえフアムちゃん──」
「エーダ。そんなに体が出てたら冷えちゃうよ」
「……あ、そっ、そうよね……」
最年少にたしなめられた。意気消沈と湯に漬かるエーダ。目論見は見るも無残に散り、自慢の健康的な体は白く濁った湯の中に隠されていった。
「そういえば、なんでこのお湯って白いのかエーダは知ってる?」
「えっと、うーん……ちょっとわからないなあ。やっぱりフアムちゃんも透明な湯の方がいいわよね?」
「いや、どっちでもいい」
「あ……そっ、そう……」
……。露出に魂を売った女の意図を見透かしたようにあしらった。寂しそうに体育座りをして温まる裸女。彼女を見てフアムは心の中でニヤリと笑う。
「そろそろ出る?」
「え? フアムちゃんは出たいの?」
「十分楽しんだし。ユーシャも待ちくたびれてるだろうし」
「あっ、そっか、そうよね。じゃあそろそろ出ましょうか」
「私が体拭いてあげるよ」
「えっ? そんなっ、悪いよ──」
「見せるチャンス」
「──! ……お、お願いしてもいいかな……」
私に全てを委ねなさい──年上の女をいいようにおちょくるフアムはどこかオヤジくさかった。
広い部屋をぐるりと回り、ひとしきり景色を楽しんだ後、大の大人が五人は優に座れる派手な柄のソファにユーシャはぽつんと座っていた。ソファに腰を下ろしてからも忙しなく目線を動かしていると、脱衣所からフアムが戻ってきた。温泉に漬かり、よく温まったからか、顔を紅潮させて目をとろんとさせている。ほかほかしている少女にユーシャは声を掛けた。
「どうだったフアム。気持ちよかったか?」
「うん。エーダの体、どこもモッチモチですごい弾力だったよ。触ってて気持ちいいなんて事が──」
「俺が聞いてんのは湯加減の方だよ‼ そっちの加減じゃねえ‼」
心の中のオヤジが顔を覗かせた少女が頓珍漢に答えていると、続いてエーダも脱衣所から戻ってきた。少しばかりウェーブがかった髪の毛がしっとりと濡れてフアム同様に顔を紅潮させていたエーダだったが、フアムとは違い少しうつむいてどこか恥ずかしそうにしていた。どこもモッチモチで──エーダの肢体を語ったフアムの話を逸らすように同様の質問をユーシャはエーダに投げかける。エーダは更に顔を紅潮させて答えた。
「あっ、あのっ! フアムちゃんの触り方と力加減が絶妙で……あのっ、つい気持ちよく──」
「そっちの加減じゃねえって言ってんだろ‼ 湯加減を聞いてんだこっちは‼」
ユーシャの質問も言葉足らず感が否めないが、そもそも二人は浴場で一体何をしていたのか気になる感想であった。兎にも角にもすごくいい風呂だったと二人は答え、ユーシャにも早く入るよう促す。
「いいダシ出てるよ」
「いかがわしい言い回しすんじゃねえ‼」
少年は逃げるように浴場へと向かった──。
「──やっぱりこの変なにおいは慣れないなあ」
きれいに体を洗い流し、目先を霞ませるほどの湯気が立ち上る湯に漬かったユーシャは、この町に来た当初から感じた独特なにおいに未だ慣れていないようだ。いい気持ちだなあ──祖国でも暖かい風呂に入った事はあったが、訪れた町のスイートルームという情景の違いか、それとも国を出て過酷な旅を経たからなのか、疲れを癒すヌクインの温泉は格別に感じた。
不意に湯の表面を見つめる。すると先程フアムが発した言葉を思い出した。いいダシ出てるよ──何を言っているんだと呆れるも、さっきまで彼女達が入っていた風呂に自分が漬かっているのだと意識してしまっていた。
「い、いやいやいやいや! 別に意識する事でもないだろ! た、ただの水だし、一緒に入ってるんじゃないんだし何考えてんだ俺は!」
──エーダの体はどこもモッチモチで──。
──すごい弾力。触ってて気持ちいい──。
フアムの言葉が何度も脳内でリピートされる。何とか気を逸らそうとするも、遠ざけようとすればするほど頭から離れない。完全にドツボに嵌まってしまった。目を瞑っても、瞼の裏で顔を紅潮させて恥ずかしがるエーダの顔が出てくる。
「落ち着け! 落ち着け俺──! 逆に考えるんだ! 果たして、意識する事なのだろうか。いや、違う!」
エーダは一緒に旅をする大切な仲間だ。断じてそんな劣情を抱く事なんてしない──。思春期真っ只中の少年は必死に自分に言い聞かせる。そして今までの事を振り返った。
カランカ・ランデスで王女を助けるためにともに苦心した事。ヒエンルナで出会ったフアムと国宝を奪うために動き、自分達は一切貢献しなかったくせに報酬はちゃっかりいただいた事。海上で、山中で、ともに戦った仲間。エーダはもはや家族同然である。卑しい気持ちはこれっぽっちもない。自問自答するユーシャの脳裏にはエーダと出会ったあの時の記憶が、忘れっぽい割に鮮明に浮かんでいた。何も特別な事なんかじゃない。今更意識する事なんてない。思い出してもみろよ。大体エーダなんて初めて会った時から──。
「全裸だったじゃないか……!」
……。
…………。
「出会い方が奇天烈過ぎんだろ‼」
……あれ──? 自分が発したセリフにセルフツッコミをしたら急にふらつき始めた。
「何だ……目がチカチカする……」
周囲の景色がぐるぐると回る。胸部から上が出ていたユーシャの体が、ずるずると湯の中に飲み込まれていった。煩悩と激闘を繰り広げているうちに熱い湯に漬かっている事も忘れ、のぼせ上がってしまったのだ。ユーシャの叫び声──ただのツッコミであるが──が気になって駆け付けたエーダとフアムに救出されたのは、湯船に沈んでから間もなくの事であった。




