70話「ヌクインの町⑦」
「イエイ」
「やったっ! ユーシャすごいっ!」
ユーシャの勝利にエーダとフアムは声を弾ませる。仲間の実力を知っている二人は一切の不安もなく勝利以外の結果は頭の片隅にもなかったが、やはり実際にその瞬間が来ると喜びも一入であろう。彼女達は未だにスクワットを続けているユーシャに駆け寄る。エーダがハイタッチをしようと右腕を伸ばしたその時、ギャラリーの一人が声を上げた。
「ちょっと待ってくれよ。今のは勝負として成立しているのか⁉」
周囲がざわつく。男二人の白熱した勝負になんと物言いがついたのだ。女の子二人を連れた少年が勝ったのが癪に障ったのか。それともユーシャと相対した無敗の男の戦歴に傷が付くのを嫌ったのか──このジムにやってくるトレーニーの中には彼のファンが相当数いるらしい──。いや、そうではない。スクワットを行い、先に脱落した方の負け。この文言であれば間違いなくユーシャの勝利である。だが──。
「ルールは『一定の速度で』となっているだろ? でも途中で少年の方が明らかにスクワットの速度を上げたじゃないか。もしトレーナーがそのスピードに付いてこれずに脱落したのであればルールに則ってないんじゃないか? 立会人も何でそのまま流したのかもよくわからないよ!」
──そう、ユーシャは幼き日の思い出に浸っているうちに立会人が読み上げている声も忘れてどんどんペースアップしていたのだ。対戦相手の無敗の男も最初は驚いたものの、勝負心を焚きつけられたのかユーシャのペースに合わせていった。ふらりとあらわれた少年の高速スクワットに数百回ほどは付いていっていたが、あまりの速さに次第に遅れはじめ、ついには地に伏してしまったのだった。
──そういえば、いつもよりテンポが速かった気がしたなあ──。
──あぁそうなんだ。スクワット対決をみるのは初めてだからそういうものかと思ってた──。
──でも、勝負自体は公平ではあったのでは? 不満なら言えば良かったじゃないか──。
──そうかもしれないけど、勝負をしている最中は言い出しづらいかもなあ──。
──審判の彼がちゃんと裁定してれば物言いがつく事もなかったのに──。
──そりゃそうだ。全く、ちゃんとやってくれよ──。
周りのギャラリーも物言いをつけた者の声に煽られ、勝負の決着に疑問を抱きはじめていた。立会人のトレーナーは押し黙っている。挑戦者のユーシャと対戦相手の受付の男についた二人のトレーナーは実際は審判ではなく、あくまでも数の読み上げと、しっかりとスクワットを行えているかをチェックする立場でしかなかった。だが、審判に間違われても仕方がないだろうし、スイートルームの宿泊代という高い金額が掛かっている勝負イベントを開催しているジム側の人間である以上、勝負事を取り仕切る責任はあったのかもしれない。
立会人の彼ら二人もユーシャのペースアップには当然気付いていた。勝負の最中、二人は目を合わせる。目配せでどうするかを擦り合わせていた。結果、数字の読み上げを、ルールを無視した形になったユーシャの振る舞いを面白くなってきたなと黙認したのだった。
「このまま少年の勝ちにしていいのか? 脱落させようとしてわざとペースを上げたんだとしたら、卑怯なんじゃないのか?」
「で、でも、ジム側に有利になった訳じゃないんだし、子どもの方が多くやったんだし、それに、もしかして花を持たせてあげたんじゃ……」
「えぇ⁉ だったら他の挑戦者が可哀想じゃないか! 挑戦料だって高くないんだぞ。もしそうだったら不公平だよ!」
当事者をよそにギャラリーの中で言い合いが激しくなってきた。ペースを上げたユーシャの思惑だったり花を持たせたなどという憶測で始まった議論は周囲が仲裁しても収まる事はなかった。ジムのトレーナー達も困惑し、いよいよ騒ぎに収拾がつかなくなっていった。
「待ってくれ!」
大きく響き渡った一人の声にジムが静まる。不穏な空気に包まれた場を制したのは、先に脱落して地に伏していた対戦相手の男だった。脱落直後は荒くしていた息もすでに整っていた。上体を起こし、片膝を立てて座っている受付の男は、周囲の視線が一身に集まる中で話し始めた。
「皆もトレーニングをしているうちにテンションが上がってハイテンポになってしまった経験があるんじゃないか? きっと彼もアドレナリンが出てペースが上がっただけさ! 彼は何も悪くない! それに見てくれよ──」
彼の表情を──! 男はユーシャに視線を向けるよう促す。
「…………」
……。ユーシャは未だにスクワットを続けていた。こいつの体力は底なしか──静まったギャラリーは言葉を失うどころか凍ったかのように固まっていた。
「何故スクワットを止めないのかはよくわからないけど、これだけ動いているのに彼はほとんど息を切らさずに涼しい顔をしているじゃないか。きっと、一定の速度で続けたとしても結果は変わらない。それに花を持たせたなんてとんでもない。僕は全身全霊で戦った! ほら、その証拠に筋肉がこんなにも喜んでいる!」
男の太ももは痙攣を起こしていた。『筋肉が喜んでいる』と独特の表現をした彼の顔は実に晴れやかだった。
「勝負に不満はないよ! 僕の、完敗だ!」
男は潔く負けを認めた。清々しい気持ちで白旗を上げたのだ。勝負をした本人がそうだというのなら口を挟む余地はない。次第に周りも二人の健闘を称え、温かい拍手と喝采を送った。
おめでとう──! 最終的には満場一致で勝ちを認められたユーシャは晴れてスイートルームの宿泊代を手に入れたのだった。




