7話「ヘイサ村」
ショークニーの町よりさらに西、川に架けられた橋を越えた先の森にユーシャはいた。
酒場を営む麗人・リリー・パティの助言を頼りに少年は旅を続けているのだった。
──あら、次はどこへ行こうか決めていないの?
「うん。今はあてどない感じで旅してて……。とりあえず色々と歩いて探し回ろうと思うんだけどお姉さん、持ち運べる地図とかないかな?」
「ごめんなさい持ってないわ。この町じゃ確か売り物としても置いてなかったと思うし……。うーん、壁に掛けてある地図じゃ大きくて持っていけないし困ったわね。あ、良かったら書き写しましょうか?」
さすがにそこまでしてもらうのは気が引けるのでユーシャは丁重に断る。
──そういえば──。どうしたものかと思案しているとリリーは何かを思い出し、少年に話し掛ける。
「ここから西、橋の向こう側に行ってみるといいかもしれないわ」
「え? そっちの方に何かあるの?」
私も詳しくはないのだけど──。そう言いながらも教えてくれるリリーを見て、一階の酒場のマスターが彼女をして気立てが良い子だと評していたのを思い出す。
──ただ、ひとつ問題があるとするなら……。
「香ばしいメスの匂いがするわ」
「アンタは一刻も早く言動を改めろ‼」
……。世の中に完璧なものなどない。彼女の存在は意図せずしてそんな教訓となっていた。
「……。つーか、あんな根拠もなさそうな話信じていいもんだったのかな」
今更ながら、ユーシャはリリーの助言に疑問を感じていた。そもそもメスの匂いってなんだ。人の香りがそんな遠くまで届くものなのか。それともなければ犬ないし象レベルの嗅覚を彼女は持ち合わせているというのだろうか──。
そんな事を考えながらも少年は決して歩みを止めなかった。
「……まぁいいか! そんなに悪い人じゃなさそうだったし!」
──いくらかのお金と、媚薬を盛って襲おうとした未遂犯すら信じる心を持って、少年は道をゆく。
しばらく森を歩いていると、木洩れ日が一層と眩しくなる。どうやら出口が近づいてきたようだ。
森を抜けたユーシャの目に入ってきたのは、崖の下にさらに続く森と遠く広がる海だった。
「う~わぁ~‼ すっげーなぁ‼」
そう感嘆したのも束の間である。ユーシャの視界が突如として理解できないほど揺れる。結果から先に言うと、崖から落下した。絶景に気を取られて崖から先に足を踏み出してしまったのだ。
甲高い絶叫とともに勢いさながら、いや、更に加速度的に落ちていく──。そして、けたたましい音を立てて木々をつんざき、絶叫は止んだ。
「…………。……いててててて……。な……何が、起きたんだ……?」
少年は生きていた。どうやら背の高い繁った木々がクッションになったようだった。
ユーシャは倒れたまま上を向く。──あぁ、崖から落ちたのかとぼうとした頭で理解した。青い空が目に映り、いい天気だと悠長な事を考えていたが次第に意識が鮮明になる。しばらくの後、ユーシャはゆったりと体を起こした。
「……あぁ良かった。かすり傷程度か」
……。森がクッションになったとはいえ、高い崖の上から落下してどうしてかすり傷だけで済むのか。鍛錬の賜物かはさておき、少年の体は恐ろしく頑丈だった。
森を抜けたと思ったらまたもや森。生い茂る緑に少し辟易としてきたがどうにか抜けなければと、また歩き続ける。崖の上から見た景色を思い返すに、今いる森がこの大陸の西端なのだろうとユーシャはショークニーに一旦戻ろうと考えていた。
……。まあ香ばしいメスの匂いという根拠という根拠もない話だから肩透かしな感じもさほどない。
いい景色を見れただけでも良しとするか──。崖から落下した事などすっかり忘れて頭に残る絶景に浸りながら崖の上に続く道を目指したのだった。
「……? あれ、何だろう?」
視界に、どこからか煙が上がっているのが見えた。森が燃えてるのだろうか。それとも……? このまま帰るより、とりあえず確かめてみるかとユーシャは煙の元に向かう事にした。
煙を辿っていく事数刻。鬱蒼とした森を抜けてすぐそこにはこじんまりとした村があった。どうやらユーシャが見たのは、ここ──ヘイサ村の外れにある焚き火の煙だったようだ。
村をしばらく歩いていると、村人を見つけたので声を掛けてみる。──だが、こちらを一瞥して何事もなかったかのように去っていった。
……? どういう事だろうか。まるで「声がする方を見てみたら誰もいなかった」──村人の反応はそんな風に見えた。いや、きっと気のせいだろう。ひどい近視の村人が眼鏡を探してうろついていたのかもしれない──どこまでいってもユーシャは前向きだった。
──しかし、その後も何人かの村人に声を掛けるも皆同様の反応だった。
「……もしかして……俺の姿が見えてない……?」
いや──そんなまさか──。そんな事はあり得ない──。だが、村人の反応はそうとしか思えなかった。ユーシャは自分を取り巻く現状がまだ理解できずにいる。それは当然だろう。まさか透明人間になったわけじゃあるまいし思い当たる節もない。
懲りず村人に声を掛けようと試みるもいつの間にか無意識に足取りが重くなっていた。これだけ反応がないとさすがのユーシャも気落ちせずにいられなかった。
気づけば夕陽が沈み始めている──。
暗む空の下でユーシャは途方に暮れていた。まるで解決の糸口が見えない。理由がわかれば改善なりしてどうにかできるかもしれないが、その理由さえわからない。
ふとした瞬間、肌を触る風が余計に冷たく感じる。──夜か──。勝手に他人の家に入るわけにもいかない。どうやって寒さを凌ごうか。
あぁ、そういえばとユーシャは思い出す。村の外れで煙が上がっていたな──。確か誰かが焚き火をしていたはずだ。……。もう煙は上がってないので火は消えているだろうが、それを使わせてもらおう。もし、それで怒られたとしても話す切っ掛けになるなら有りかもしれないな──。
──その時だった。遠目でユーシャはとんでもないものを目にする。まさか見間違いか──? いや、違う。ユーシャは自分の視力に自信を持っていた。それにもかかわらず確認を急ごうとするのはこの目に映ったものが常識ではおよそ考えられない姿だったからだ。
「…………っ‼」
焚き火跡に駆けつけると、果たして全裸の女が闊歩していた。
……何だか人の裸を見たいがために急いで駆けつけたようにも思えるが、信じがたいものを目にした時、真実を確かめたくて仕方がなくなるのは人の性というものだろう。
女も人の足音に振り向き、二人は目が合った。
あからさまに自分を見て驚く少年に、女もぎょっとする。今まで幾人もの村人の自分の姿が見えていないかのような振る舞いに絶望していた彼女にとって、少年の反応はひどく新鮮に映った。
──良かった……! 自分は透明人間になったわけじゃなかったんだ──‼
だが、そんな感激と同時に自身の痴態を振り返る。そして一気に羞恥心で顔が赤くなり、勢いままに叫んだ。
「いやーーー!!! 見ないで変態ーーーーー!!!」
「へへへ変態はお前だーーーーー!!!」
全裸で外を闊歩する変態と、その姿を追いかけ駆けつける変態。
二人の変態が今、邂逅した──。
「キセキの洞窟①」につづく。