69話「ヌクインの町⑥」
いずれこの国を担う王子のため、吹き抜けの上階から兵士の一人が「極上」の札を吊るす。絶妙な按配で吊るされた札は届きそうで届かない。王妃が設定した挑戦時間はわずか十分。何回も何回も腰を下ろし、屈んだ状態から高く飛ぶ──さながらジャンピングスクワットの動きをユーシャは繰り返した。
「もっと深く屈んで高くジャンプするのです!」
ひた向きに挑戦する息子への母の声掛けは毎度熱を帯びていた。ユーシャは来る日も来る日も挑戦したが達成する事が出来ない。最初は消極的だった少年は極上の札を手にしてシェフ自慢の一品を母と堪能するため、ただ体を動かすではなく秘策を練ってくるようになってきた。毎回あと少しの所まで来ているのだが札を掴むよりも制限時間が先に来てしまう。ならば──息子が考えた秘策を母は嬉しそうに訊ねる。
「昨日よりもたくさん飛びます! いつもあとちょっと足らないから、あと何回か飛べば行けるはず!」
「……。……そ、そうですか……」
……。飛ぶ回数を増やせば増やす程に体力を消費し、高さが足りなくなる。事実、ユーシャはジャンプする度に高さが落ちていた。だが、兵士が調整して毎回届きそうで届かない位置に札を吊るしてあるせいか、届かないのは飛ぶ回数が足りないからだと幼い王子を間違った方向に進ませたのだった。
王妃はユーシャの秘策通りの行動に、結果に反映しないであろうその挑戦に言及する事はしなかった。試行錯誤こそ最高の学びだと、ただ息子の挑戦を見守った。
挑戦が始まった当初は十数回でへばったジャンピングスクワットという高強度な運動を、いつしか凄まじい速度で数百回もこなせるようになっていた。だが──。
「あーっ! もう終わりかあー! またできなかった!」
「ふふふ、ユーシャよ。今日もよく頑張りました。私には、あなたがいずれあの札を掴む未来が見えます。もう少しですよ」
「えっ? 本当ですか⁉」
「えぇ。挑戦をクリアできなかったので極上のおやつをあげる事はできませんが、いつも頑張っているから今晩の食事が豪華になっているとか何かいい事があるかもしれませんね」
挑戦を続けて疲れている息子に母イーナはそう言い残し、いつものように厨房へ向かった。
「料理長。今日も宜しくお願いします」
王妃の言葉に、料理長は少しばつが悪そうな表情で具申した。
「あのお、いい加減ユーシャ坊ちゃんに本当の事を教えてあげてもいいのでは?」
イーナは首を横に振り、毅然と言葉を返す。
「どうかあの子にはおやつが徐々にグレードアップしている事は内緒にしていてほしい。目標を達成できずともご褒美を貰えるのだと思ってほしくないのです」
「いえ、私が言ってるのは夕食の方です」
いつも頑張っているから今晩の食事が豪華になっているとか何かいい事があるかもしれませんね──あの時のユーシャへの言葉は前フリに過ぎなかった。食事が豪勢になっているのかと思いきや、なんと食器や盛り付けが豪華になっていただけだったのだ。王妃イーナはやはり目を瞑って首を横に振った。
「もう少し待ってください。どうかあの子が『豪華になってるのは食器や盛り付けじゃないですかー!』とツッコむまで……!」
……。王族の考える事はよう分からん──高貴なおふざけに料理長は呆れながらなおも言葉を返す。でも──。
「坊ちゃん一向に気付く気配ないですよ。毎回目をキラキラさせて喜んでますよ」
「……えぇ。まさかあんなおおらかで素直な子に育つとは思わなかったわ」
一体誰の血かは、毎回食事が豪華になっていると高らかに笑う国王を見れば言わずもがなであろう。結局母の企みを知る事はなく『おやつのグレードは自分で上げやがれジャンプ』から、次第に違う「お遊び」に移っていった。
「──極上のおやつってのは最後まで食えなかったけど、母上は夕食の方を豪華にしてくれてたんだっけか。この動きしてると何か思い出すなあ」
「──あぁっ!」
ユーシャがスクワットを淡々とこなしながら幼き日の出来事に思いを馳せていると、ギャラリーが大きな声を上げた。ふと隣を見ると、ぜえぜえと息を切らしていた受付の男が床に大の字になって転がっていた。立会人のトレーナーのカウントは止まっていない。その回数はなんと千を優に超えていた。驚きのあまり絶句したり興奮して絶叫する周囲の目線は、苦しそうに寝転がっているトレーナーからすぐさま挑戦者のユーシャに向けられた。視線を向けられた当人はカウントとともにまだ反復運動を続けている。この瞬間、挑戦者ユーシャの勝ちが決定した。先に脱落したのは、この種目で負け知らずの最古参でジム最強格である男であった。




