68話「ヌクインの町⑤」
「猛き筋肉達よ、健闘を祈る──」
スタート──! 勝負に立ち会う大人しめなトレーナーの謎の前口上を皮切りに対決は始まった。
一、二、三、四──小気味良いテンポで回数が読み上げられていき、ユーシャとこのジム最強格のトレーナーは寸分違わぬフォームでスクワット──直立の状態から腰を下ろし、また上体を上げていく動きを繰り返す。周りに集まっていたマッチョ達は静かに見守る者、檄を飛ばす者、中には二人の対決に刺激を受けたか、高いテンションでトレーニングを再開する者もいた。熱気を帯びたジムの中で、ギャラリーはそれぞれの姿勢で対決を楽しんでいた。
「ユーシャっ、頑張れー!」
エーダが甲高い声でエールを送る。その隣でフアムがぼそっと呟いた。
「ユーシャが負けたら私達一文無しの宿無しだね」
この町で一番高い価格のホテル。その最上階のスイートルームの宿泊を賭けた勝負の挑戦料は破格の一万Gであった。日中の大食いチャレンジに失敗した一行の所持金は挑戦料の一万Gの半分にすら届かなかった。だが、絶望する一行に救いの手を差し伸べる者はいたのだ。なんと、少年の気遣いに胸を打たれた受付の男は自らが対戦を熱望したとして差額を負けてくれたのである。なけなしの全財産をはたいたこの勝負。何が何でも負けるわけにはいかない。フアムは静かに勝負の行方を見守っている。対照的に財布のひもを握っていたエーダの応援には熱が入っていた。
受付の男──最強のトレーナーはそのさなかに対戦相手のユーシャを見やる。何食わぬ顔で反復運動を続ける少年を見て、久し振りに歯応えのある勝負が出来ているのか楽しそうに笑った。滾ってきたと、男は俄然燃え上がったようだ。
その一方で、パーティーの今晩の寝床を一心に背負っているユーシャは燃えているではなく、しかし冷めているでもなく、どこか淡々と同じ動きを繰り返していた。苦しいはずなのにあの涼しい顔は何だ──? スクワットの回数が百を優に超えているにもかかわらず一切疲れた素振りを見せない少年に、周囲はにわかにざわつきはじめていた。
ユーシャは奥の天井あたりを視線を動かさずボケっと見つめている。決して集中していないわけではない。昔の出来事を思い出していたのだ。かつて祖国オカノウエー城で行われていた母の発案による「お遊び」を──。
──いいですかユーシャよ。
「あなたはいずれこの国を治める男。栄光は自らの手で掴み取らなければならないのです」
母であるオカノウエー王国王妃イーナは愛する息子に幼い頃から国を治める者としての気構えを説いていた。母から訓示を受ける息子は不思議そうな顔で言葉を返す。
「お母様。今はおやつの時間じゃないんですか?」
「おやつ時だからこそです」
「いえ、意味がわからないです」
「おいしい思いも自らの手で手繰り寄せるのです」
「……今までのおやつもすごいおいしかったですよ?」
高潔な王妃イーナは息子ユーシャの発言に耳を貸さず、おやつ時でさえ試練を与えようとしていた。
「題して『おやつのグレードは自分で上げやがれジャンプ』です」
「……。……はあ」
『おやつのグレードは自分で上げやがれジャンプ』──極上の文字が刻まれた宙に吊るされた札をジャンプして掴み取れたらシェフ自慢の一品を口にする事が出来るという「お遊び」である。
今まで出されたおやつでも美味しく頂いていた少年は挑戦に難色を示していた。ユーシャの父・ノンキーナ国王も欲という欲がない人間であった。そんな父に似たのか、挑戦をクリア出来れば極上のおやつが食べれるというのにもかかわらず消極的である。母イーナは息子の性格を踏まえた上で発破をかける。
「ユーシャよ。あなたが挑戦せず、極上のおやつを食べないというのなら私も口にしません」
「え! 何でですか⁉ お母様は食べてもいいじゃないですか!」
「違いますよユーシャ。私はあなたと最高のひと時を過ごしたいのです。極上のおやつは思い出の入り口に過ぎません」
私は愛する我が子と素晴らしい時間を共有したい。ただそれだけなのです──その言葉を聞いた少年の目は見るからに輝いた。
「じゃあやります!」
……。愛する我が子はとてつもなくチョロかった。母の言葉にいいように踊らされて、素直な少年はこの「お遊び」に挑み始めたのだった。




