66話「ヌクインの町③」
「もう、こんな時間か……」
店の外に出てみれば、空は夕焼けに染まっていた。
食事処で行われていた大食いチャレンジに成功して賞金を手に入れようという目論見は無残に散り、失敗した場合に定められていた数時間の雑用で一日の大半がつぶれてしまった。今まで家事をした事がなく、そしてユニークな発想を持った無垢な破壊神ユーシャを除いて女二人で三人分働いた分、余計に時間がかかってしまったのだ。ユーシャはしっかり働いたエーダとフアムを労った。
「二人ともありがとう! ちょっと奮発してさ、温泉でも入ってしっかり休もうぜ」
「でも、お金ないよ」
「え?……あっ!」
この数時間で大食いに挑戦した理由が金欠のためだった事さえ忘れていた。どうもこの少年は目の前の事に心を奪われるとそれ以外はすっぽ抜けるようだ。エーダとフアム、女性陣があくせくと洗いものや床掃除をこなす中、ユーシャは店中を歩き回っていた。少年はまるでお母さんが家事をスムーズに行うために子供におもちゃを与えて遊ばせておくかのように店主から指示を受けていた。
──蛇口からちゃんと水が出るか確認して──!
──メモに書いてある材料ってちゃんとストックはあるかい──?
──お客さんはどんな表情で食べてる──?
──天気次第で客足って変わるものだからね。ちょっと外の天気見てきて──。
……。あの手この手で店主はユーシャを厨房から離れさせた。シンプルなタスクで且つ余計な事をしても被害が出ない指示を出す。最初は渋っていた少年は今までほとんど目にした事がない厨房の全てが新鮮に映ったからか、素直に従い、そして楽しそうにしていた。
「よしっ、今度は俺が働く。宿を探してくるから待っててくれ」
そう言ってユーシャは町を駆けていく。
「それはありがたいけどっ、ちゃんと予算把握してるの?」
エーダの言葉を聞いてユーシャは駆け足で戻ってきた。
「……わかんない」
「別に一人で頑張らなくていいわよ。一緒に探しましょう」
一行は、全員で宿を探す事にした──。
「ごめんなさいねえ。もう満席なのよー」
温泉の町ヌクインにある宿は三つ。うち二つはユーシャ達の所持金では泊まる事は出来なかった。最後の望みであるリーズナブルな値段で泊まれる宿も、空が暗む時分から訪ねるにはやはり遅かったようだ。
温泉の数は宿以上にあったが、休憩スペースがあるのみの施設が大多数でたとえ利用しても夜通し居座る事は迷惑千万だろう。逞しくも旅の心得がある女性二人は別に野宿でも構わないという。だが、少年は宿に固執していた。自分が今回の雑用で何も貢献できていないせいもあったからか、しっかりと寝床につける場所で休んでほしい思いが強いようだ。
おい──三人が途方に暮れていると、ふらりと現れた一人の男が一行に声を掛けてきた。
左の眉尻は下がり、非対称に右眉は上がっているお世辞にも愛想がいいとは言えない無精ひげを生やした男はわずかに口角を上げ笑っている。
「俺の家でよけりゃあ泊めてやってもいいぜ」
「えぇっ⁉ 本当に⁉」
宿なしのユーシャ達にとっては願ってもない発言が飛び出した。表情に似合わず優しい心の持ち主なのか。いや、当然そうではない。ただし──喜ぶ三人を前に、男は話を切り出す。
「そっちの女二人だけだ」
男はそう言ってユーシャに向けて馬鹿にしたような顔で笑った。
「へっへっへ。野郎に興味はねえんだ。お前はどっか行ってな」
愛想が悪い男は単純に性根が顔に表れていただけであった。最初から若い女と良からぬ事をする魂胆でユーシャ達に近づいてきたのだ。男はユーシャに対して口だけでなく手振りでも邪魔者を追い払うような仕草を見せる。男の顔はより下衆なものになっていた。呆気に取られて口をぽかんと開いている少年は表情一つ変えずに声を発した。
「別にいいよ興味なんか持たなくたって! 床でもいいからさ、俺も泊めてよ!」
「あ? あぁん⁉」
……。何ともあっけらかんと言い放った。今度はゲスな男が呆気に取られてしまった。困惑した顔で少年を見やる。何だこいつは。含みを持たせている事に気付いてないのか──? 男は少年を珍奇な生き物でも見るかのように凝視した。ユーシャの切り返しに特に意図などはない。一切の猜疑心を持たずに生きてきた少年は単純に言葉の裏を読み取っていなかったのだ。物珍しいほどの純粋無垢な少年を前に男は言葉を失った。
「ユーシャ、エーダ。他を当たろうよ」
男の企みに勘付いていたフアムは二人に促す。男は目に見えて焦り出した。健康的な美女と可愛い女の子。そうそうないこの機を逃すまいと妥協する事にした。意を翻してユーシャも来ていいと言うのだ。
「え⁉ 本当にいいの⁉」
「あ、あぁ。へへ、別の部屋で壁に背を預けてニヒルに笑うくらいなら許してやるよ」
「意味わかんねえよ‼ その文言この町で流行ってんのか⁉」
「あ、あのっ! ありがたい話ですけど、ご迷惑は掛けられないし失礼しますっ!」
健康的な美女──エーダが下衆と無垢の話に割って入る。男の企図を知ってか知らずか、エーダは男に一言断りを入れて二人を引っ張りその場を離れた。呆然と立ち尽くしていた無愛想な男は追いかけてくる事はなかった。ユーシャは残念そうな表情を浮かべる。
「泊まっていいって言ってくれてんだから別にいいじゃないか」
「でもあの人良い感じはしなかったよ」
「え、そうか?」
「ユーシャ、ほんの少しでいいから疑ってものを見た方がいいと思う……」
わかったのかわかってないのか、感情の見えない表情でユーシャは二人を見る。中々どうして欠点とは言えない部分を指摘するのは難しい──エーダはふうっと息を吐き、今晩の寝床をどうするか仕切り直す事にした。そんな時である。若者二人が一行の前を横切った。
──くそー! あとちょっとでスイートルームの宿泊代が手に入ったのに──!
宿泊代──⁉ ユーシャ達の体に電流が走った。横切った若者は昼に貴重な情報をもたらした二人組であった。寝る場所を求めさまようパーティーはのんびり歩いていく若い男二人の後ろを付いていき、彼らの会話に聞き耳を立てた。
「トレーニングジムの人に勝負で勝てばスイートルームの宿泊代をゲット! あのお兄さんも息が上がってたからあと少し粘れれば行けたよ!」
「いやー、でもあのお兄さんフォームが全然崩れてなかったし、まだ余裕あったと思うよ」
「ちくしょう、いつか絶対に勝ってやる! 一度でいいから丘の上のホテルの最上階に泊まりたい!」
かつてない速度で三人は顔を突き合わせた。彼らの会話を聞くに、町にあるトレーニングジムで行われている勝負に勝てば、この町にある三つの宿のうち、最も高い丘の上のホテルのスイートルームに宿泊する事が出来るらしいのだ。ユーシャが漫然と走り出す。そして仲間二人に声を掛けた。
「二人とも、行くぜ!」
──この町には、やはり都合のいい話が転がっていたのだった。




