54話「港町スーノ」
「おっ、明かりが見えてきた! あそこが港かな」
気付けば太陽も姿を隠し、足元もよく視認できないほど暗くなっていた。湾曲した山脈に沿った道を抜け、しきりに聞こえた汽笛の音も次第に聞こえなくなってきた頃、深い藍色に染まる海と陸地のはざまにいくつもの光が点々と灯る場所がユーシャ達の目に入ってきた。ひときわ高い位置に海を照らす光──灯台を目印に歩みを進める。次第に近づいていくと、ようやく明かりに隠れていた町の輪郭が見えてきた。
港町スーノ──ニスニアール大陸南端にあるこの大陸への玄関口では、建造物と呼べるものは灯台、船着き場のそばにある大きな建物、そしてその隣の宿屋くらいで、他には簡易的なテントで設営された露店が規則正しく並んでいる。辺りが暗くなっても店主と客の声が行き交う、いわゆる夜市と言えるような様相を呈していた。
そういえば──ユーシャ一行が山麓の町トモフで出会ったぼったくり精神に溢れたゲスに笑う商人もここ港町に出向いて商売をしていた事をエーダは思い出す。この町は船着き場のそばの建物の中にある受付で申請すれば高い手数料が必要になるがどっしりと腰を据えて商売ができるのであった。面白い町ねえ──店舗を構えていなくとも商いができる体制が整い、数々のテントが並ぶ活気賑わう町の様子を眺めながら、彼女は楽しげに見入っていた。
「宿に泊まる前にお店見ていく?」
フアムが想定外の提案をしてきた。一番と言っていい程に疲労の色を見せていた小さな少女が、である。一瞬、難色を示したが、そう言いたくなる気持ちもわかる気がする──宿屋で休む事ばかりを考えていたユーシャもフアムの提案に理解を示した。道中あれほど疲れていたにもかかわらず、町に踏み入った途端に不思議とそれが和らいだ気がしたのだ。先が見えない不安と辺りを包む暗闇で余計に溜まった疲れも、目的地に辿り着き、気持ちがおのずと前を向いて飛んでいったのかもしれない。まさしく気の持ちようといった所だろう。悩むユーシャをフアムが急かす。
「どうなんだい。夜のお店に繰出さないのかい?」
「表現に語弊があるわ! そんないかがわしい店見当たんねえし最年少がそんな事口にするんじゃない!」
「……? 夜のお店がいかがわしい? ねえどういう事?」
性癖に反比例して心が純なエーダが食いついた。当惑するユーシャを差し置き、夜の店──かつて日銭を稼ぐために出入りしていた山賊のアジトでの輩達の会話を盗み聞きして覚えた言葉を口にしたフアムはエーダに説明した。
「ザ・エーダみたいなお店らしいよ」
「えっ⁉ や、やだっ! 裸が売りって事……?」
「エーダ! お前それでいいのか⁉ そんな不埒な認識されてそれでいいのか⁉」
エーダは力強い目線をユーシャに送る。
「望むところよ」
「うるせえ。固い意志を瞳に宿すんじゃねえ」
付き合いきれん──。切り替えが早いユーシャは露店を見渡し、逡巡する。
「うーん、どうしようか。俺としては腹減ってるから先に飯を食いたいんだけど……ここらのお店って何時までとかあるのかなあ」
ひとまず宿に行って寝場所を確保。それとご飯にしよう──ユーシャは二人にそう促し、宿屋に向けて歩き出した。
「泥棒ー! だっ、誰か捕まえて──!」
その時、嬌声が港町に響いた。 出店を開いていると思われる女性の叫び声と素早い間隔で刻まれる足音が耳に入ってくる。そして暗がりの中でその足音の主が町の外れ──ユーシャ一行に向かって接近してきていた。何かを包んだ布を抱えた男が、息を荒げながらしてやったりの表情で逃げようとしている。こいつか──ユーシャはこちらに向かって必死の形相で迫ってくる男を泥棒だと即断した。すぐさま捕まえようと態勢をかまえる。だが、まるでそれが自分のものではないように体がずんと重たく感じた。そのせいか自身がイメージしていた初動の一歩目がずれてしまう。結果として犯人を紙一重で捉える事が出来ず、みすみすと逃がしてしまった。どんなに気持ちが前を向いていても体は正直である。それでも正義感から追いかけようとするユーシャ。しかしトップスピードに乗った犯人と、疲労と空腹でいつもの調子が出ないユーシャとの距離は広がるばかりであった。ダメだ、追いつけない──。
「私達に任せて頂戴」
背後から声が聞こえた。ユーシャ達が後ろを振り返ってみるも、声の正体は暗がりの中でシルエット程度しか把握出来ない。何者かとじっと目を凝らしていると、やはり背後で男の驚いたような上ずった声が響いた。辺りには盗んだであろう物品が散乱し、男は情けなく尻もちをついていた。
「ダメよ……。商人さんの大切なお品物を対価も払わずに奪うだなんていただけないわ」
尻もちをつく男から視線を上に移すと、そこには鎧ともいえるような筋肉を纏い、給仕用の衣服を身に付けた女性が立ち塞がって男を見下ろしていた。
ユーシャ達が呆気に取られていると、後ろの女性が正義感を持った少年に優しく声を掛ける。
「どうか気を落とさないで。見た所だいぶお疲れの様子だから無理もないわ。でも、あなたのその勇ましい気概はしっかりと……って、あら?」
あなたはあの時の──? 犯人を捕らえられなかったユーシャに気遣いの言葉を掛けた凛々しい人物は、かつて崩落に見舞われたカランカ砂漠へと続く山崖に挟まれた街道で出会ったメイドの一人・チョードリー。そして、盗みを働いた男の前に立ち塞がっている彼女はもう一人のメイド・スピードアであった。




