17話「海の魔物」
爽やかに吹き抜けていく風。耳障りな音とは裏腹に体を打ち付けるそれはどこか心地良かった。
ユーシャ達を乗せた船はつつがなく海上を進んでいる。王女の暴走から程なくして操舵手は現れ、本人は知らぬままに皆の窮地を救っていたのだった。人員が揃いようやく船は港を離れる。目的は無論、港町を苦しめる海の魔物の討伐である。
甲板の上にはハウクトー大陸に存在する二つの国の王族が並び立っていた。オカノウエー王国王子・ユーシャとサンミアーク王国王女・クロイエ。二人の出会いは十年前に遡る──。
それは隣国の王子より一年早く生まれたサンミアークの王女の七歳の誕生日を祝して行われた宴での話である。
幼い時分より利発な王女──クロイエ・ローラ・サンミアーク──は隣国の面々の名前を不思議に思っていた。
オカノウエー王国王子の名はオカノウエー・ニール・ユーシャ。サンミアーク王国のファーストネームが先となる慣例と照らし合わせると国王、王妃、そして王子までもが皆オカノウエーという名前になる。どうにも気になっていた可憐な少女は手持無沙汰な少年に挨拶もままに問い質した。すると少年は自分の国ではファミリーネームが先にきてファーストネームが後なのだと答えたのである。幼き隣国の王子もまた、利発な少年であった。
「わかりました。あたし、あなたの国に嫁ぎます」
「決め手どこだよ」
思考回路が読めない王女と幼いながらツッコミが達者な王子が許婚の関係となるのは、この出会いから数年後の話である──。
「エーダさん……と言ったかしら」
港を離れてからしばらく経ち、目的の魔物も見つからずどこを見渡しても変わらぬ風景に気が緩んできた船上でクロイエがエーダに声を掛けた。
共に旅しているユーシャはクロイエの許婚として、そうでなくとも隣国ないし友好国として見知った仲で船員や王女護衛の兵士達の中に見事に溶け込んでいた。
一方で一人だけ関係性がなくどこか気が引けていたエーダは輪の中に入れず所在なさげに景色を眺めたり甲板をうろうろしていた。
兵士達との話に花を咲かせながらも遠目でエーダを気に掛けていたユーシャは頃合いを見て話を切り上げ、彼女に駆け寄ったが、そんな彼よりも先にエーダの隣を取ったのは昨日顔を合わせたばかりの王女クロイエだった。
玉座の間でのやりとりの後、ろくに会話をしてはいなかったのだがそんな事はクロイエには関係がなかった。人の上に立つ者としての資質か、それとも彼女本来の性質か、孤立している人間を決して見過ごす事はしない。そんな二人の初々しいやりとりをユーシャは微笑ましく眺めていた。
「あなた、そそる体してますね」
「初手セクハラかい」
「良いですかエーダさん。その体で彼を発情させるのは構いません。ですが決して慰みの道具になってはいけませんよ。女性でも、いえ、女性だからこそ気高く生きなければなりません」
未来の夫がところ構わず発情すんのはいいのか──。
ユーシャはその部分こそ聞き捨てならなかったが、以降の文言には感銘を受けた。彼女の考えや生き様が垣間見えたような気がしたからだ。
女だてらに旅をしているエーダが男勝りに見えたわけでもないだろうが、取り立てて性別にこだわる必要がなかったとしても、それでも女として生まれた事に誇りを持っていたいのだろう。そんな高潔な王女の言葉をエーダも真剣な眼差しを向けながら聞き入っていた。
「でも彼の一人目の子を産むのは私です」
「オチがすっ飛び過ぎだろ」
暢気なユーシャ達とは裏腹に船内では乗組員の挙動がにわかに慌ただしくなっていた。
マストの上で周囲を見張っていた船員は望遠鏡と肉眼とで何度も繰り返し一点を見ていた。その様子を訝しんだ他の船員と兵士も見張り役が見ていた方角に目を向けると思わず目を見開き絶句する。驚きの声を上げる兵士の異変に気付き、ようやくユーシャ達も周囲に目を向けた。
息を呑み、言葉を失う。皆と同じ反応をした挙句に、思わず自身の目を疑った。
船に乗る彼らの目に映ったのは、海の上で大層な髭をなびかせ、下半身からイカのような足を十本程生やした魔物だった──。
「ま、魔物か……! ん……? え、あ、そっか俺ら魔物の討伐をしに来たんだっけか」
「まったく……相変わらず忘れっぽいのねコケコッコー」
「誰がニワトリだ‼」
緊張感が欠片もない王子と王女を乗せた一行はサンミアークの港町を苦しめる魔物とついに対峙した。
海の上に浮くそれは上半身と下半身が別の生き物のように見える。そんな異形の存在を前にして命同然である船を破壊された船員、国を代表して船に乗り込んだ王女を護衛する兵士達に緊張が走る。だが、サンミアークの王女はたじろぐ様子も見せずに毅然と魔物を見つめていた。
「何だかイカの足っぽいのが巨大なこしみのに見えるわね」
「言ってる場合か!!! ちょっと兵士さんっ!」
──クロイエを船の中へ──! ユーシャは兵士に向かって指示を出した。まずは王女の安全確保が最優先と判断したのだ。兵士もそれに応じ、クロイエに船室に入るよう促したが当の彼女は頑なに拒んだ。
危険に立ち向かうユーシャを背にこの国の代表として一人安全に逃げる事は許されないと。それに船に同乗した時点で、どこにいても危険度は同じ。この国の誇りを見せよと突っぱねられてしまった。
ユーシャはどこか予想通りの反応だとも思ったが、ここは俺に任せろとなおも説得し、兵士達もそれに同調した。
「クロイエ様! ユーシャ殿ならたとえ臓器を抉られようとも大丈夫です!」
「大丈夫じゃねえよ死ぬわ‼」
「手足がちぎれようともきっと再生します!」
「俺を何だと思ってんだ‼ せめて人間扱いしてくれ‼」
「頭にある核が傷つかない限りは死にません!」
「どこの異星人だそいつは!!!」
──船を見るのは何日振りだろうな──。
すったもんだしているユーシャ達をよそに、威厳さえ漂わせる魔物は船首に降り立っていた。
ユーシャ達の標的は海に座する魔物なのだが、魔王に仇成す勇者を探して始末する事を目的に船を破壊して回っている魔物の標的もまた勇者なのだ。だとすれば無論、船を見つければ言わずもがな近づいてくるだろう。魔物を発見してから王女の安全がどうだのと考えるのは完全な失策であった。
船上で困惑している人間を悠然と見下ろし、この船を破壊するという事を枕詞にして魔物は訊ねる。
──私がいると知ってか知らずか海をゆく無謀な人間達よ──。
「海の上を歩く勇者を見なかったか?」
「見るわけねえだろ。いたとしてもそいつ勇者じゃねえよ芸達者だよ」
……。……恐らく船を、勇者を探し出すというのはこの魔物にとって過酷だったのだろう──。魔王を脅かす勇者ならば海の上を歩く事くらい訳ないだろうと考えていた魔物は、広い海で誰とも話す事なく孤独にいる内に勇者はきっと海の上を歩いてくるだろうと思い込んでしまっていた。この星の七十パーセントを占める海での孤独は魔物の正常な思考を蝕んでいたのだった。
では──と、嘆息を吐きながらおもむろに船を破壊しようとする魔物にユーシャは自分こそが魔物の探している勇者だと自ら名乗り出た。空を浮いている魔物と違って自分達人間は足場を失ってしまえば後は海の藻屑となるのを待つのみである。そうならないためにも名乗り出る事で標的を船ではなく自分に向けるように機先を制したのだった。
「俺が目的なんだろ? あんた、えーと……クライケン? だっけ?」
「……? 誰だそいつは」
あれ? こいつ自分でそう名乗ったんじゃなかったのか──? 以前、襲われた漁船に乗っていた船乗りの話を聞いた限りでは本人が確かにそう言ったはずである。船乗りの聞き間違いだろうか?
予想していなかった反応に戸惑いを隠せないユーシャを前に、それを察したかどうかは定かではないが自己紹介がまだだったと魔物は自ら名乗ったのだった。──私の名はコラーゲンだ──と。
……。その場にいる皆は口を結び、美容にいいと言われているあれかと頭を巡らせた。すっかり緊張が解けたように映る人間達の表情を見て軽く見られたと思ったのか、イカと人のキメラのような魔物・コラーゲンは怒気を放っていた。
「甘く見るなよ貴様ら‼ イカはコラーゲンを多分に含んでいるんだからな!!!」
「どこにキレてんだお前!!!」
コラーゲンはタンパク質の一種である。人体の構成の中で、およそ二十パーセントあるタンパク質のうち約三十パーセントを占めるのがコラーゲンであり、肌に潤いや弾力を与えたり丈夫な骨を形成するなど必要不可欠な成分なのだ。
……。そんな話はさて置き、関係ない事を口走る様子を見るに、やはり孤独に苛まれておかしくなっているのだろうか。だがしかし、ユーシャと会話を繰り広げている内に落ち着いてきたのか、コラーゲンは短く息を吐いた。そして本来の目的を思い出したかのように戦闘態勢に入る。
「フッ、少し取り乱したようだ」
「少しどころじゃねえよ。栄養コラムに書かれてるような事言い出しやがって」
「さて、勇者よ。魔王軍からは『勇者の情報を提供した者には報酬を支払う』と言われているのだが……」
「指名手配犯か俺は」
──始末してしまえばきっとそれ以上だろう。貴様を倒した後の美酒が楽しみだ──。
表情を強張らせるユーシャに口上を垂れた後、カッと目を見開き、大きく口を膨らませる。
海上の戦闘の口火を切ったのは、イカの足を下半身に持つ魔物・コラーゲンの攻撃だった──。
「海上の戦い」につづく。




