15話「山を越えて」
オカノウエー国領からの山を越える旅はようやく終点へと近づいていた。自分達の何倍もあろう高さの木々を抜けて少し向こうには平原が広がっていた。
ユーシャ達が目指す港町・コーロはここより西の方角に位置する。
「やっと山を越えたなあ。港町って西にあるんだっけ?」
「確か酒場のマスターさんがサンミアーク領の西端にあるって言ってたわよね」
「よし、じゃあ日が暮れないうちにさっさと向かおうぜ」
ユーシャは勢いよく足を踏み出し歩いてゆく。
……そしてすぐに立ち止まった。
「……西はどっちだ」
相も変わらず少年は方角がまるで分からずにいた。国を出てしばらく経つが、旅における知識のなさは最初の頃とまるで変わらずである。
変わった事があるといえば、頼もしい仲間が増えた事だろう。
「北があっちらへんだから西は向こうね。多分山麓を伝っていけば町が見えてくるんじゃないかしら」
「えっ⁉ 何で分かんの⁉」
ユーシャの疑問にエーダはある切り株の根元に付いているコケを指差す。
「ここの大陸赤道より上でしょ? だから日の当たらない場所に生えやすいコケがある方が大体北なのよ。それと影の出来てる方向を含めて考えても大きくは外れてないと思うわ」
エーダの経験は伊達ではなかった。彼女の持つ知識と知恵に驚嘆せずにはいられないユーシャだったが、それ以上に頼もしく感じた。魔王を討伐するために世界を回る少年にとってこれ程心強い事はない。エーダが旅に同行するのを後押ししてくれた酒場の女主人・リリーにも感謝しながら、ユーシャは目的地に向けて再び歩き出した。
海岸線が近づき、強い海風に雲の流れは速く、平原を彩る草も激しく揺れていた。エーダのこれまでの旅というのはもはやサバイバルと形容する方がしっくりくるようなものだったが、大自然を感じながらその景色の中をゆっくりと歩くというのも乙だと、エーダは一人感傷に浸る。だが、少し前を歩くユーシャを見ているとそんな風情に水を差されるようにも感じていた。問題は少年自身ではなく、着ている服である。魔王に仇をなす勇者を殲滅せんとする魔物・シンシーとの戦闘で衣服が大きく裂けていたのだ。彼女の思いも露知らず少年は体が無事ならそれでいいさとあっけらかんとしている。そんなユーシャはというとエーダの身に着けているローブに着目していた。驚く事に先の戦闘でシンシーに猛スピードで突撃されたにも拘わらず傷一つ付いていなかったのだ。
エーダは幼い頃から父とともに色々な場所を旅していた。その度に何度も衣服をボロボロにして母を困らせてきたものだった。傷んでしまった衣服を何事もなかったかのように笑顔で直してくれる母を見て忍びなく思い、エーダも裁縫も覚えたのだが、結局無事に帰った娘を喜ぶ母に甘えて、その技術を披露する機会はなかったようだ。しかしそんな母にもやはり思う所はあるようで、年頃の女の子が旅の道中を衣服をボロボロにして歩いているであろう姿を想像すると決して快くは感じなかった。
「それでね、お母さんからすごい丈夫なこのローブを貰ったの。これで駄目ならもう全裸で旅しろって」
「ノーヌードノーライフかお前。事あるごとに全裸ってワードが出てくるよな」
次、服をボロボロにしやがったら承知しねえぞと母の念が込められたかのように、前開きでゆったりとしたフード付きのローブは決して破ける事はなかった。
もしかするとエーダは、今のユーシャを見てかつての自分を重ねていたのかもしれない。旅をしていれば当然服は汚れる、時には破ける事も。それもきっと勲章なのだろうと感じていたエーダだが、客観的に見ているとみすぼらしく感じてしまったのだ。
──ああ、そうだ──。エーダは何かを思いつく。そしてユーシャに裂けた服を縫ってあげようかと提案してきたのだ。今までの旅では活かしきれなかった裁縫スキルだが、何事も覚えておいて損はないものだ。やっと役に立つ時がやってきたのである。
「他にも破けてる箇所はない? ちょっと全部脱いでみてよ」
「……親切を疑うみたいで悪いんだけどさ、俺が脱いだって事実を自分が脱ぐ大義名分にしないよな?」
「…………」
「…………」
…………。
「まあ服が破けたからって死にはしないわよね。さっ、早く次の町へ行きましょっ」
「図星か⁉ 図星なんだな⁉」
ユーシャは全裸に憑りつかれた女の狙いを即座に看破した。
ベリロング山脈を右手に、雄大な自然を横切っていくと、平原から海へと続いていく地平線のさなかに人工物が密集しているのが見えてきた。サンミアーク領とオカノウエー領が存在しているハウクトー大陸唯一の港町コーロに二人は到着した。海の見える町で元気に暮らす住民、大陸を渡って仕事する船乗りや貿易商、旅商人と様々な人で賑わう活気ある町なのだが、爽やかな青空とは対照的に町の空気はどんよりとしていた。外を往来する住民はまばらで、数少ない町をゆく人は暗い顔で下を向き、ある老人はこの先に希望はないとでも言うような虚無の眼差しで海を見つめている。何より出入港を報せる汽笛が聞こえない──。この町の異様な空気を察するも他の大陸へ渡ろうとユーシャはとりあえず船着き場を目指した。建物の隅の樽に腰を下ろしながらパイプをくゆらせる船乗りに声を掛ける。
「あのー、船着き場って」
「自分で探せよそのくらい」
「あっ、スンマセン……」
素っ気なく突き放されてしまった。いつもこのような態度なのかはわからないが、何とも雑な扱いである。船乗りの不機嫌に見える態度が、この町が持つ袋小路に立たされたような閉塞感を如実に表しているように思えた。突き放されたユーシャをエーダは心配そうに見つめる。
「まあ船が出入りするんだから当然海のそばだよな。行こうぜエーダ!」
ユーシャのメンタルはダメージを受け付けなかった。魔物の猛スピードの突撃をものともしなかった自慢のローブよりも強いのではないだろうか? そんなユーシャに頼もしさを覚えながらエーダはともに不穏な空気が重苦しく乗りかかる町を軽やかにゆく──。
「えぇ⁉ 船が出せない⁉」
「あぁ、遠くからはるばる来てくれたのに悪いね」
タイミングが悪い事に、現在コーロ港から船は出ていなかった。別に船が故障しているわけではないらしい。むしろいつでも出港できるように船乗り達が汗を流して今も整備している。出港どころか他国からも商船・客船等がこの地にやってくる事はないのだという。示し合わせたように船が出港を取り止めてしまった原因は海にあった。それが活気ある港町を苦しめている元凶でもあったのだ。
話は数日前に遡る──。その日は今日のように陽気な青空が広がっていた。収穫した沢山の魚を載せてコーロへ戻ろうとした漁船の乗組員はその帰路で奇妙な光景を目にした。最初は見間違いかと目をしばたかせたが、他の船員も呼んで確認してもらうと皆揃って絶句した。何と人間が海の上を移動していたのだ。海をゆく人間が漁船を見つけると海を跳ねるように舞って甲板に降り立ち、どよめく船員に訊ねた。
「『勇者は、勇者はいねえが』ってよ」
「なまはげかそいつは」
「知らんけども。何か髭を生やしたけったいなおやじでよ。あとは確か……足が十本くらいあったかな」
「人間じゃねえよバケモンじゃねえか‼」
いや、化け物でもない。魔物だな──。勇者を探しているというのも合わせて考えれば、ユーシャにとってその答えは自然と行き着くものであった。勇者はいないとわかると魔物は嘆息を吐き、警告と称して漁船を破壊したのである。船に常備してあった緊急用ボートに必死に乗り込む船員を悠然と眺めながら魔物は名乗った。クライケン──と。何だその東洋人みたいな名前はとユーシャはツッコんだが、船乗りは無視して話を続ける。──私はここで勇者を待つ。通りかかる船は容赦なく潰し、炙り出してやる。船に勇者が乗っていれば僥倖。そうでなくともしらみつぶしに船を壊していけば自ずと勇者に辿り着くだろう。魔王様を脅かす勇者ならば──。
「『海の上を歩いてくるくらい訳ないだろう』ってよ」
「できねーよ‼ どんだけ勇者を買ってくれてんだ!!!」
海を往来する船を襲う事によって出航を自粛するよう仕向ける。そのような状況下で来る船ならば勇者が乗っている可能性が高い。船で来ずとも船を出せないのならばとその身一つで勇者なら歩いてくるはず。海に座す魔物はそう読んでいた。……。……この魔物は泳ぐという事を知らないのだろうか。それとも魔物にとって海は歩くものなのであろうか。それは定かではないが、この日を境に用途様々な船は海から姿を消してしまったのである。
話を聞いていたエーダは少し顔が青ざめているようだった。海の魔物は勇者を探している、つまりは勇者がどういう姿をしているのか判然していないという事である。魔物は船をしらみつぶしに壊してしまえば船に乗らずにやってくると想定しているのだ。という事はその身一つで渡ってくる者を勇者だと判断するのだろう──。
「お父さん平気で海を泳ぎ渡るから勇者だって勘違いされちゃうかも……!」
「たっ、確かに! 早く魔物を何とかしないとマズい事になるぞ‼」
この世界を自由奔放に縦横無尽に駆け回るエーダの父のせいで一気に余裕がなくなってしまったユーシャは気が急くままに何とか船を出せないかと船乗りに詰め寄る。無論ユーシャは海の上を歩けやしない。よしんば泳いで渡ったとしても海で自在に身動きできない人間など格好の餌食になるだろう。海の魔物を倒すには船に乗るしか方法はないのだ。
「そんな事言っても……国王が禁止してるんだから俺達の一存ではどうにも」
「じゃあ国王に頼めば何とかなるんだな⁉」
解決の糸口が見えたユーシャとエーダは、船乗りの返事を待たずに駆け足で国王が鎮座するサンミアーク城へと向かったのだった。
「サンミアーク城」につづく。




