優しく閉じた辺境で、一生を終えていれば、きっと気付かずに済んだこと。
「ねぇジル」
思わず、演技も忘れてジルを呼ぶ。
「なんでしょう」
こちらは、演技を忘れていないジル。
「試験で満点を取ってはいけませんって言う決まり、どこかに書いてあったかしら」
「ありませんよ」
「そう」
では、どうしてだろう。
「あのね、ジル」
張り出された成績表から目を離せないまま、言い訳を口にする。
「考えなしに、こんな点を取ったわけじゃないのよ?」
「では、どのようなお考えで?」
普段の演技にのっとれば、ジルに褒めて欲しくて、とでも、言うべきだっただろう。だが、そのときの私は化けの皮が脱げていた。
「あんまりにも簡単な問題ばかりだったから、みんなに満点を取らせて、優劣をつけないつもりなのねって思ったのよ。それならわたしだけ満点を取れないのは、外聞が悪いわねって」
「なるほど。その結果が」
「単独首位」
そう。まさかの、二位に大差をつけての、単独首位だ。自由七科の三学四科、各二百点の試験七つで点差は百点。つまり二位以下の生徒は各科で平均十点以上は、点を落としたと言うこと。
あの、簡単な試験で?授業でいったいなにを学んでいるのだろうか。
「全教科満点?お前が?」
隣から聞こえた声に、目を向ける。彼は、確か、えーと?
「次席の生徒ですよ」
誰だろう?と言う私の心の声を汲み取って、ジルがそっと教えてくれる。
「どうせ、財力にものを言わせたんだろう!それとも、色仕掛けか?」
「え?」
言われた意味がわからず、首を傾げる。
「どうしてですか?」
「自分の成績を上げるためだろう、小賢しい手を、」
「いえ、私の動機ではなくて。そもそも成績は落第さえしなければそれで良いと言われておりますので、上げる必要がありません。そうではなくてですね」
比較対象が超弩級問題児らしいロゼなので、父が私に求めた及第点はひどく低かった。
曰く、ひとを殴らず、誑かさず、落第せずに生きて卒業さえすれば良い、と。良い成績も、良い人脈も、得る必要はないらしい。
そんなに望みが低くなるほど、ロゼに困らされていたのかと思うと、あまり情のない父だが少し可哀想になる。
だからと言って、良い成績や良い人脈を、目指すつもりもないのだけれど。
「どうしてわざわざ、財や色に頼る必要が?」
彼の言う意味がわからないのだ。
「あんな試験、そんなことしなくても満点くらい取れるでしょう。教科書通りの内容をさらうだけで、応用も引っ掛けひねりもありませんでしたもの」
辺境でジルから与えられた試験の方が、ずっと難しかった。ジルが問うのは正解や、正解に至るまでの道筋が、ひとつではないことばかりで、答えだけでなく、なぜその答えや道筋を選んだかまで、細かく追及される。
それに比べて今回の試験は、決まった答えを書き記すだけのもの。しかも教科書と授業で事前に答えも解法も教えられているのだ。
苦戦する要素がないじゃないか。
「ねぇジル、そうで、」
ジルに問い掛けようと視線を移して、学舎ではいつも通りの無表情のなかに混じる、私を案じる色に、はた、と演技が抜けていたことに気付く。
でも、ほんとうにわからないのだ。
「ジル、私なにかおかしなことをやっていて?間違っている?私、不正なんてしないわ。だってあなた、悪い子は嫌いでしょう?学舎に来てから私、ずっと良い子にしているわ。教科書をなぞるだけのつまらない授業にも休まず出て、早く寝て早く起きて、好き嫌いもしないで野菜も食べて、わがままだって言っていないわ。ねぇジル、私、良い子でしょう?私のこと、好きよね、ジル」
ジルが目を閉じ、深々とため息を吐いた。
びくりと、肩が揺れる。じわ、と、目元が熱くなった。
「この学舎の教師は、生徒の不正など許しませんよ。試験の結果はお嬢さまの実力です。ですが、お嬢さま」
「なあに」
「普通の人間は、一度読んだだけ、聞いただけでは内容を覚えられません。覚えたことも、簡単に忘れてしまう。ですから」
良いですかと、ジルが私をさとす。
「ただ教科書の内容を問うだけであっても、普通の人間にとっては、簡単ではないのです。あなたとは違って」
「そう、なの?」
「ええ。ですから、全教科満点などそうそう取れるものではありません。だから疑われたのですよ。お嬢さまが間違ったことをしたわけではありません」
ああ、と思う。
気付いていなかった、自分の異常。
それはきっといままで、ジルが気付かせないでいてくれたもの。
あの、優しく閉じた辺境で、一生を終えていれば、きっと気付かずに済んだこと。
「私だって、忘れることはあるわ」
十年前に見たはずの姉の顔を、ちっとも思い出せない。
「お嬢さま以上に、ほかの方は忘れてしまうんです」
「そう」
ロゼも普通ではなかったようだけれど、私も普通ではなかったのか。
落ち込む私に気付いたのだろう。ジルがそっと、手を掴む。
「成績は確認出来ましたから、授業に参りましょう。遅れてはいけません」
「そうね」
ジルに促されるまま、歩き出す。
私は気付いていなかった。その会話に、耳を立てるものがいたことも、ジルが私の背後を、鋭く睥睨していたことも。
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