ジルさえいれば、私に怖いものはない。
「それにしても」
あれよと言う間に準備を調えさせられ、ジルと共に学舎へ向かう汽車に揺られながら、言う。
評判が底辺だろうが侯爵家の娘だけあって、与えられたのは一等客車の個室だった。
「そんなに奔放だと言うなら、よく従ったわね。今はロゼが、私に代わって辺境にいるのでしょう?」
家へ喚ばれた私と入れ違いに辺境へと旅立っていたらしいロゼとは、結局顔を合わせなかった。
だからロゼが今回の決定をどう思っているのかわからない。
「ああ」
私と違ってなにかを知っているらしいジルが苦笑を浮かべた。
「見目麗しいエルフが、世話役に付くと言われたからですよ」
「え?」
「七歳の誕生日に見たエルフが、忘れられなかったそうで」
七歳の誕生日に?
「彼女が恋多き女になったのは、そのエルフ、初恋の相手を越える恋人を求めてのことだったとか。エルフの世話役と聞いて、一も二もなく承諾したと」
「ジルのほかにも、故郷を出たエルフがいるのね」
「ええまあ、閉鎖した空間に嫌気がさすものも、なかにはおりますから」
「そう」
ジルがどうして我が家に来たのか、私は知らない。私に必要な情報ならばいずれ知るだろうし、聞かせたければジルが語る。そうでなければ無理に聞き出すこともないと思って。
「七歳の誕生日にと言うなら、私も会ったのかしら?ジルより綺麗なの?」
「──そう、ですね。ヒト基準の美醜は、わたくしにはわかりかねます」
「そのヒトの好みにもよるものね、美しさなんて」
少なくとも私から見て、辺境でいちばん美しいのはジルだった。
「そうですよ。それに」
ジルが私の頭をなでる。
「わたくしが出会ったなかで、もっとも美しいいきものは、メアリさまですよ」
「ジルよりも?それは、お世辞にもほどがあるわね」
「本心ですよ」
笑うジルの本心は、私にはわからない。わからなくても、構わない。
「それ、良いわね」
「え?」
「ロゼメアリは、遊び人の悪女だと思われているのでしょう?」
私は全く気にしていないのに、ジルは嫌そうに眉を寄せた。
「そうですね。メアリさまには相応しくない評価ですが」
「私の評価じゃないもの。それはそうよね。私はどちらかと言うと」
エルフの世界がどれほど閉鎖的なのかは知らないが、辺境の山奥だって、それなりに閉鎖した世界だ。
「関わる相手なんて、多くなくても満足だわ。ジルがいれば良い」
「光栄です」
「だからね、その、初恋の相手をジルってことにしてしまおうと思って」
「──それは、また」
「ああ、誤解しないでね」
ぱたぱたと手を振って、ジルに恋人役をやれって言うわけじゃないのよ、と否定する。
「そうね、ジルは、そう、お目付け役!初恋の相手がお目付け役になった私は、必死でジルを誘惑しようとしているの。だから、ほかの人間になんて、興味がなくなった」
うんうん。口に出してみたら、良い感じではないだろうか。
「ね、遊び人と思って声を掛けて来た相手をあしらうのに、ぴったりじゃない?それならもし、ロゼの方のロゼメアリを知っているひとがいても、恋する相手の好みの人間になろうと努力しているって誤魔化せるし」
「つまり」
ジルがどこか硬い表情で、訊いて来る。
「メアリさまがわたくしを誘惑する、振りを、なさると?」
「あ、嫌?」
「嫌では、ありませんが」
「それなら」
にこにこと笑ってお願いする。ジルは私に甘いから、おねだりは大部分聞いてくれる。
「私に口説かれてね、愛しいひと」
「ッ……酷なことを、おっしゃる」
「酷?」
どうしてだろう。
「あなたに愛しいと言われたなら、わたくしはすぐにでも、わたくしもあなたが愛しいと、答えて差し上げたいのに」
「あらあら」
べつにそれでも、構わないけれど。
「駄目よ。ジルは"ロゼメアリ"の恋人になったら。私と一緒に、辺境に帰るのだから」
「華やかな世界に残りたい、とは?」
「思わないわ。私はあの、閉鎖された土地が、嫌いではないもの。ジルは嫌かしら」
「とんでもないことです」
ジルは喰い気味に否定した。
「幸せに暮らすメアリさまを、独り占めに出来る。あの場所こそ、わたくしの楽園です」
「ありがとう。じゃあ、無事に帰るために、協力してね、ジル。きっとそんなに長い時間じゃないわ」
悪女と噂の女への興味が、尽きるまでの辛抱だ。
「ロゼ本人ならともかく、私だもの、悪女の噂もただの誇張だった、単なる面白味のない女だったと、すぐ飽きられるわよ」
「そうだと、いいですが」
小さくため息を吐いてから、ジルは仕方ないとでも言いたげな笑みを浮かべる。私のわがままを聞き入れるときに、いつも浮かべる表情だ。
「なんにせよ、メアリさまはわたくしが守ります。ふたりで無事に、辺境へ帰りましょう」
「ええ。もちろんよ」
ジルさえいれば、私に怖いものはない。
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