第79話 油断はイカンよ、油断は(閑話)
アーデルハイトとクリス、そして汀ともう一人、計四人が座るローテーブルを中心に、リビング内を一人と一匹がぐるぐると走り回っていた。月姫と肉である。
月姫の手には犬用のジャーキーが握られており、探索者らしく軽快なステップを踏みつつ肉から逃げている。一方、そんな月姫を追い回している肉であるが、テーブルの周りを回っている為、コースが常にコーナーとなってしまう。その上、滑るフローリングも相まってか思うように速度が出せない様子であった。
これは室内犬───のようなもの───と楽しく遊んでいるだけ。
そんな風に考えていた月姫は、相手が魔物であることをすっかり忘れていた。現在はこのような情けなくも愛らしい姿をしているが、肉はかつて陸の王と呼ばれた強力な魔物なのだ。
業を煮やした肉が、ローテーブルの下に敷かれたラグへと足を踏み入れる。摩擦を得た肉は、そのまま後ろ足に力を込め、テーブルの上空を弾丸のように飛翔する。如何に実力のある探索者といえど、油断しきった今の状態では回避出来る筈もない。突如として繰り出された肉の突進は、無事に月姫の腹へと突き刺さった。
「よーしよし!お肉ちゃーん!こっちに───ゴフッ!!」
その衝撃に眼帯が吹き飛び、身につけていたアクセサリーがじゃらじゃらと音を立てながら床に散らばる。同時にゆっくりと蹲り、そのまま床に崩れ落ちる月姫。肉がその右手からジャーキーを奪い取り、鼻をぴすぴすと鳴らしながらソファへとよじ登る。そんな寸劇を横目に、アーデルハイト達は呆れるような声を上げた。
「……貴女、一体何をしにきましたの?」
「遊びに来たいというので先日の囮の件、そのお礼にと呼んでみれば……愚かな」
「こんなナリでも魔物ッスからねぇ……油断はイカンよ、油断は」
既に何度か肉と対戦したことのある汀は、訳知り顔で腕を組みうんうんと頷いている。腹部を襲う痛みに悶絶しながらも、そんな汀の言葉を聞いた月姫は疑問に思う。
「いや……コレ……ミギーさん、死にません……?」
別に自慢ではないが、月姫には探索者としてそれなり以上にやってきたという自負が、多少なりともあったのだ。そんな自分でさえコレほどのダメージを負うというのに、一般人の汀が肉の攻撃に耐えられるものだろうか、と。もしも今の突進を一般人が受けたなら、下手をすれば胴に穴が空いてもおかしくはない威力だった。
「その子めっちゃ賢いんスよね。相手を見て、ちゃんと加減してくれてるみたいッスよ?つまり肉の突進の威力で、相手の実力が大凡分かるということッスね!それだけ痛いってことは、なかなかの高評価なんじゃないッスか?」
「う、嬉しくないです……」
ちなみに巨獣は賢いというよりも、人間と同等か、或いはそれ以上の知能がある魔物であり、あちらの世界では神獣と同格とも言われている。本来であれば人間相手に加減などする訳もなく、そこらの山や村、街等と同じ様にただ踏み潰し、全てを破壊するだけの存在だ。
そんな破壊の象徴たる巨獣が、今こうして人間相手に加減をしているのは、偏に飼い主の命令であるからに過ぎない。肉とてそんな命令に従うのは甚だ不本意であるが、逆らえば焼いて食われるのだから従う他ないだろう。
そうして数分後、漸く復活した月姫を席に交えたところで、アーデルハイトが問いかける。
「ところで貴女方……月姫と、それから合歓さん?今更ですけど、こんなところで遊んでいて大丈夫ですの……?自分達の配信はよろしいんですの?」
そう問われた二人───月姫と合歓は、互いに顔を見合わせ、視線を交わし、そしてアーデルハイトのほうへ向き直り、力強く頷いて見せた。
「大丈夫ですよ。ウチは配信ペース、結構不定期ですからね。次の配信の予定は、今のところまだ決まってません」
「それは我々の眷属達も承知しています……です。闇が出会い交わる瞬間というのは、星々の瞬きのように疎らで、酷く不安定なもの……です。得てして、我々の交感とはそういうものなの……です」
アーデルハイトの問いにそう答える二人。要約すれば、つまりは『心配ない』ということである。しかし月姫の方はともかくとしても、合歓の方が何を言っているのかは、三人ともほんのりとしか理解出来ていなかった。先に月姫が答えていなければ、恐らくはニュアンスすらも伝わらなかっただろう。
合歓は、月姫が所属するダンジョン配信者チーム『†漆黒†』のメンバーであり、ロールで言えば後方支援担当である。腰まで伸びる長い黒髪に、鮮やかな青のインナーカラー。ゴスロリ系のパーカーを着ており、室内だというのにフードを目深に被っている。そしてその最大の特徴は、カメラが回っていなくともまるで構わず放たれる、その独特な台詞回しであった。
アーデルハイトとクリス、そして汀の三人は思い知らされていた。以前に月姫が言っていた『自分はまだマシな方』という言葉の意味を。もしも今日ここに来たのが合歓一人であったなら、まともな会話などただの一度も成立しなかっただろう。
「まぁ、それなら良いのですけど」
「なんか可愛い後輩が出来た気分ッスねぇ。実際にはうちらが後輩なんスけど。うちも学生時代は友達の家に入り浸って遊んだりしたッスよ……なんか懐かしいと同時に目から汗が……」
過ぎ去りし日々を思い出したのか、汀が態とらしく涙ぐんでみせる。所詮はまだ20代前半であり、自分で言うほど彼女は歳をとっているわけではないのだが。
「あ!そう言えば見ましたか!?」
そんな折、まるで何かを思い出したかのように月姫が声を上げた。しかしその言葉には主語が無く、何をいいたいのか今ひとつ要領を得ない。
「何ですの一体?藪から……藪から……雑煮?」
「棒に、ですよ」
「そうとも言いますわ。それで?一体何の話ですの?」
そうとしか言わないのだが。
ともあれ、アーデルハイトが月姫へと話の先を促す。無理をしてこちらの世界に馴染んだ感を出そうとした、そのミスを誤魔化すかのように。
「渋谷の30階層突破の話ですよ!!ネット上はその噂で持ち切りですよ!!師匠があんなに活躍したのに!!いやまぁ、私としてはゲロ吐きながらトレントと戦っているシーンが話題にならなくてホッとしてるんですけど……」
「私も記録の断片を確認しましたが、率直に言って皆さんの交感の方が滾りました……です。アーデルハイトさんとお肉さんの輪舞を見た後では、やはりどうしても見劣りします……です」
「そうだよね!?そもそもイレギュラーさえ無かったら、師匠があのまま突破してたはずなのに!!」
興奮した様子で、座ったまま器用に地団駄を踏む月姫。そんな月姫も参加していたからなのか、チームメンバーである合歓もどこか悔しそうな口調であった。よく見れば、小さく頬を膨れさせているようにも見える。
「二人共、ミギーと同じことを言ってますわね」
「当然ッスね」
「まぁ、思っていたほどの成果にならなかったのは事実ですからね……とはいえ、登録者数は順調に伸びていますよ。まだ言っていませんでしたが、実は登録者数がここ最近ですっごい増えてます」
「そうですの!?」
「そうなんスか!?」
クリスの言葉通り、異世界方面軍の登録者数は、ここ数週間で凄まじく増えていた。所謂『バズる』といったような、ほんの一日で数十万、数百万という爆発的な増加ではないものの、それでもかなりの勢いだった。登録者数増加の勢いだけで言えば、間違いなく日本でもトップであろう。
それもそのはず、世界で初めて死神を討伐し、果ては世界で初めての魔物を討伐、その圧倒的な実力でイレギュラーを解決してみせたのだ。前者に関しては魔女と水精サイドでも話題になっており、後者に関しては勢いこそ奪われたものの、只今絶賛話題拡大中である。如何にアーカイブが削除されていようと、如何に話題を横から掻っ攫われようと、見ている者はちゃんと見ているということだ。
一度の配信で数百万もの登録者を獲得しトップに躍り出る。そんな都合の良いことはそうそう起きるはずも無いが、しかしあれ程のことを成し遂げておいて何も話題にならないなど、そんな馬鹿な話もそうそう無いのだ。もしチャンネル登録者が増えていなかったとしても、協会からの評判は良くも悪くも鰻登りである。
なお、アーデルハイトはともかく、汀ですらも知らなかったのには理由がある。アーカイブやASMR動画の編集、同人作業による多忙、そして話題を掻っ攫われて憤慨したことにより、ここ暫くは登録者数を見ていなかったのだ。
そんな二人が知らなかった、現在の異世界方面軍のチャンネル登録者数とは。
「京都での死神の件。それに加えて先日の渋谷。双方の活躍がネット上の一部で話題となり、現在の登録者数はなんと……63万人です」
「嘘乙ですわね」
「はいシケ。釣り針デカ過ぎてシケるッスわ」
「はいシケ!?いや本当なんですって!!」
喜ぶか驚くか、何れにせよ大きなリアクションを期待していたクリスにとって、二人の反応は全く想定していなかったものであった。なお、ネットスラングを上手く使いこなしてドヤ顔のアーデルハイトはスルーされた。
「ちなみに私は知ってましたよ。師匠達が何も言わないんで、もしかしたらサプライズでクリスさんが秘密にしてるのかなー、と思って黙ってました」
「無論、私も認識していました。まさに宇宙を渡る彗星の如き勢い……です」
クリスの言葉を信じられない二人であったが、第三者である月姫と合歓もクリスの言葉に同意する。彼女達は人気配信者でありつつ、異世界方面軍のリスナーである。その彼女達が言うのであれば、クリスの言うことはあながち嘘ではないのかもしれない。そう考えたアーデルハイトと汀は、たっぷり十秒ほども硬直し、その後一気に爆発した。
「やりましたわああああああ!わたくし達の頑張りがついに実を結びましてよー!!この喜びを分かち合う為に、ある意味功労者である肉に肉をたらふく与えますわー!!太りますわよ!!」
「マジッスか!!え、60万って言ったらもう一端の人気配信者っていっても良いレベルじゃないッスか!?ていうかこの間5万人記念やったばっかりなんスけど!?12倍ッスよ12倍!!役満理論値ッスか!?花牌入り!」
先程までとは一転して、まるで火が着いたような喜び様であった。望んでいたリアクションを漸く見られた故か、クリスもまた二人を見つめて微笑んでいた。
空気を読んで黙っていた月姫と、そして合歓も『ぱちぱち』と小さく手を叩いて祝福する。彼女達にも当然こういった節目の瞬間はあったが、しかし無駄に格好を付けてクールに済ましてしまっていた。そんな『漆黒』の二人からすれば、体全体で喜びを表現するアーデルハイトと汀はひどく眩しく映る。彼女達は好きでそのような振る舞いをしているのだから、羨ましい、などという訳では無い。だが、師と仰ぐ相手が喜んでいる姿をみると、不思議と自分まで嬉しい気持ちになったのだ。
「おめでとうございます師匠!!まだまだ世間の評価が師匠に追いついていない感は否めませんけど、ここから一気に駆け抜けましょう!!」
月姫にとって、師であるアーデルハイトへの世間の評価はまだまだ過小だ。しかしそれでも、徐々に、確実に認知されつつある。故に彼女は素直に祝福する。そしてそんな月姫の祝いの言葉に、アーデルハイトと汀のテンションは天井知らずに増してゆく。
「当然ですわ!!大変に気分がよくってよ!!」
「何スかもーう!危うく『魅せる者』と『勇仲』の配信に荒らしコメ飛ばすとこだったじゃないッスかぁー!」
「仕方ありませんわね!一度くらいは会って差し上げてもよくってよ!!」
「えっ」
クリスが小さく声を上げる。勢いのまま、重要なことを適当なノリで決められた気がする。しかしそんなクリスの言葉は、二人の喜ぶ声にかき消されていった。
「おっ!いいッスね!サインの一つでもくれてやったらいいッスよ!!」
「よくってよ!よくってよー!!」
その日、アーデルハイトと汀の二人は興奮しっぱなしとなり、月姫と合歓のヨイショの所為もあって勢いが留まることはなかった。こうしてノリと勢いだけで、異世界方面軍の次の予定は決定されたのだった。
月姫にめり込む肉がやりたかっただけの回です




