謹賀新年SSですわ
「あ゛ぁ゛~……」
まだ肌寒い明け方のこと。こたつから顔だけを出し、アーデルハイトは腹の底から声を出した。家の中だというのに吐く息は白く、外はまだ陽が昇っておらず夜のように暗い。しっとりと夜通し降り続けた雪は、街路を白く染め上げていた。
「お嬢様。出かける前に軽く何か食べます?」
「おもち」
「えぇ……初詣から帰ったらお雑煮作るんですよ?」
「ふたつ」
「まぁ良いですけど……じゃあ今から焼きますから、少し待ってて下さい」
クリスがそう言うと、アーデルハイトはもぞもぞ動きながらこたつの中へと引っ込んでいった。寝起きな所為で普段よりもっさりとした金髪だけが、こたつ布団からはみ出している。
今日は1月1日。
アーデルハイトがこちらの世界に来てから数ヶ月、これが初めての元旦であった。普段は元気いっぱい、風邪などひくことのない健康優良児のアーデルハイトであるが、しかし彼女は寒さに弱かった。
彼女は帝国に居た頃からそうだった。
冬の帝国は冷え込む。朝はベッドから出られないし、漸く出てきたかと思えば暖炉の前から動かない。あまつさえ、暖炉の前の床に座って食事を摂るなどという、およそ公爵家の娘らしからぬ行動さえとっていた。故に彼女は、騎士団に於ける冬場の訓練時も昼前頃になって漸く顔を見せる、所謂重役出勤が珍しくなかった。騎士団長という役職の手前、正月行事には渋々ながらも参加はしていたのだが。
そんな彼女にとって日本の冬はひどく堪えた。
秋頃から徐々に起床が遅くなり、12月に入ったあたりからは昼前までベッドから出てこなくなったのだ。ちなみに汀もアーデルハイトと同様、大抵の場合は昼前まで布団から出てこない。彼女の場合は寒さの所為というよりも、夜遅くまで動画の編集やアニメ鑑賞などに勤しんでいるからなのだが。クリスからすれば、手のかかる子供が二人居るようなものである。
そんな夜明け前のリビングに、まるでスライムのような動きで地べたを這いずる汀が現れた。
「う゛ぅ゛~ッス……顔冷てぇー……」
野太いうめき声を上げながら、床に頬をズリズリとこすり付けながら、牛歩の如きスピードで。寒いのであればさっさと歩いたほうがマシなのだろうが、しかし寝起きの汀にはそのような気力がなかった。
そうしてそのままこたつの中へと侵入してゆく汀。その直後、対面に広がっていた金髪がもそりと揺れる。こたつの天板がガタガタと激しく揺れ動き、上に乗っていたみかんの籠が転げ落ちた。どうやら中で戦いが始まったらしい。
日本に生まれ、日本で育った汀だ。こたつの事は異世界出身の二人よりもよほど知り尽くしている筈だった。しかし肉体言語ではアーデルハイトに敵うはずもない。そうして数秒後、こたつの中から汀が弾き出される。
「ぐはっ!」
戦いに敗れた哀れな女は、突き刺すような寒さのリビングへと打ち捨てられた。寝起きの二人がそんな怪しい戦いを繰り広げている間に、家のボスたるクリスが戻ってくる。
「はぁ……二人共何をしているんですか……暖房をつければいいじゃないですか……」
ため息をひとつ零してそう言うと、クリスはこたつの上に置かれていたリモコンを操作した。とはいえ、暖房が効き始めるまでには暫くの時間がかかる。戦いに敗れた汀の衣服は乱れており、部屋に充満する冷たい空気が、露わになった汀のお腹を攻め立てる。
「うぉぉぉ……寒すぎるッス……こたつの中に暴君が居るんス……」
「……どうせこのあと出かけるんですから、さっさと着替えてしまえばいいじゃないですか」
そんなクリスの正論に対し、しかし汀は諦められなかった。今日は年の初めであり、一年を占う大事な日だ。こんな初日から惨めな敗北を喫し、それをそのままにしてはおけない。ひやりとした空気が、徐々に汀の脳を活性化させてゆく。眠そうな瞳から一転、汀の表情には気力が漲っていた。
「汀は激怒したんてぃぬす。必ず、かの邪智暴虐のお嬢を除かねばならぬと決意したッス。いざ、参る!」
意味の分からない宣言を一つ。衣服を正し、腹を隠し、ヘッドスライディングの要領でこたつへと突撃する汀。そうして再度始まる聖戦。先程よりも激しい戦いに、あわや天板が落ちる寸前であった。そうしてしばらく続いた戦いの後、まるで巨大な魔物の口から逆流するかのように、こたつの中から『ぺいっ』と吐き出された汀。所詮彼女はインドア派、異世界産フィジカルモンスターの前では無力であった。
「む、無念……」
力尽き、フローリングの上に突っ伏す汀。そのころにはすっかり暖房が効き始め、リビングには温かい空気が流れ始めていた。そんな気配を察知したのか、あるいは餅の焼ける匂いを敏感に嗅ぎ取ったのか。こたつの主がひょっこりと顔を出した。
「おもち!」
どうやら後者だったようである。
なお、アーデルハイトが顔を出した隙に、汀はこたつに入ることに成功していた。
「はいはい、焼けましたよ」
「あ、いいなー。ウチの分は無いんスか?」
「汀も食べるんですか?この後初詣に行くんですよ?」
もう何度目かになる、クリスの口から出る今後の予定。既に着替えを済ませ、あとは上着を羽織るだけの状態であるクリスからすれば、『そんなにお腹が空いているのならさっさと着替えて出かければ良いのでは?』としか思えなかった。
自分の分の餅がないことを知りしょぼくれる汀。そんな彼女の元へと、アーデルハイトが皿を差し出す。昨日の敵は今日の友、激闘を繰り広げたライバルへの施しといったところだろうか。
「あ、いいんスか?あざっス!」
そうして二人は、外出準備万端で立ち尽くすクリスを他所に餅を頬張った。
「んぅー!!」
「あー、やっぱ正月は餅ッスよねー」
ちびちびと餅を醤油に付け、敢えて餅を伸ばしながら食べるアーデルハイト。彼女は餅のことを『伸びる煎餅』だと捉えていた。普通の煎餅よりも伸びる分お得、などというよく分からない話をしていたこともある。
汀もまた、正月に食べる餅は特別なものだという認識があるらしい。幼少の砌、実家で暮らしていた頃は毎年正月に餅を食べていた。しかし就職し家を出てからというもの、わざわざ正月に餅を焼くことなど無くなった。正月だからといって早起きすることもなければ、お雑煮を食べるなどということは一度もしなかった。ただ昼過ぎまで惰眠を貪り、テレビを見ながらこたつでゴロゴロ過ごしていただけだ。男だろうと女だろうと、一人暮らしの正月などそんなものである。
「はー、おいしかったですわ……やはりお餅は至高ですわ……」
「この腹に溜まる感じが、『あー、食べたー!』って感じがするッスよね」
クリスの焼いてくれた餅を堪能し、こたつの中でぬくぬくとしながら呑気に感想を述べるアーデルハイトと汀。
「はい!食べ終わりましたね!それじゃあ初詣に───」
ぱん、と手を叩き、クリスが二人に着替えを促そうとした、そのときだった。
「んー……おやすみですわー……」
「お疲れッスー……」
もぞもぞと、まるでイモムシのようにこたつの中へと還ってゆく二人。餅で小腹を満たしたおかげか、今回は争いが発生しなかった。
初詣に行こうと決めたのは昨晩のことだ。アーデルハイトにとって初めての正月ということもあり、全員で近くの神社へ行こうとクリスが提案した。そしてアーデルハイトと汀の二人もまた、クリスの提案に賛同した。
しかし寒さの所為で動きたくないアーデルハイトと、そもそもインドア派の汀。そんな二人が初詣になど行く筈もなかった。そうしてあとに残されたのは、もっさりとはみ出た美しい金髪と、出かける気満々でいたクリスだけであった。
「……そんな気はしてましたよ、ええ」
クリスは荷物を部屋に戻し、そっとパジャマに着替えた。こうして異世界方面軍にとって初めての正月は、お手本のような寝正月で幕を下ろしたのだった。
というわけで、あけましておめでとうございます!(0時)
なお、今話は本編とはなんの関係もありません。
あくまで彼女達が正月を過ごしたらこんなかんじなのかなー、というだけの、謂わばIFのようなお話です。まったりとした、正月らしい雰囲気を楽しんでもらえたらなー、と思います。こんなもん書いてる暇あったら本編書け・・・!なんて・・・そんな苦情は・・・受け付けません・・・!!ダメッ・・・!!絶対・・・!!
それでは、本年も異世界方面軍をよろしくお願い致します




