第49話 歩く猥褻物
「いやー、良かった良かった」
PCに映る配信画面を眺めながら、協会の食堂でカレーを食べていた汀が息を吐いた。それが安堵によるものなのか、それともただ満腹になったからなのかはその場の誰にも分からなかったが。
彼女は配信開始からずっと、ダンジョンに潜っているアーデルハイトとクリスの様子を確認していた。目を離したのはカレーを注文した時と飲み物を注文した時、そして予備バッテリーを車まで取りに行った時と、あとはトイレくらいのものだ。目を離し過ぎである。
気がついたときには既に分断後で、死神出現時の魔女と水精側スタッフの慌て様といったらそれはもう大変なものだった。そんな彼等を横目に、しかし汀はそれほど焦っては居なかった。それは彼女が楽観的だったからというわけではなく、視聴者達から齎される情報を耳にしたアーデルハイトとクリスが全く焦っていなかったからだ。
「流石というべきか、やはりというべきか。こと戦闘に関してはあの二人を信じておけば間違い無いッスねぇ」
汀と二人の付き合いはそう長くない。以前から趣味仲間として、共にイベント参加を行っていたクリスとの付き合いでさえ一年に満たない。アーデルハイトに至っては出会ってからまだ一月程だ。そんな僅かな付き合いであっても、汀には二人の本質が大凡掴めていた。
少々浮世離れしたような発言の多いアーデルハイトだが、その根底にあるのは溢れんばかりの自信だろう。アーデルハイトのこれまでの人生は率直に言って特殊だ。幼少の頃から自らの力で道を切り拓いてきた彼女は、きっと誰よりも自分を信じている。一度決めた自らの判断を疑わないし、それを成し遂げるための努力を惜しまない。
あの若さで数千の騎士を束ねる騎士団長という役職に就き、果ては世界中に名を轟かせる剣の頂点、剣聖ですらあるのだ。彼女はただの世間知らずな公爵家令嬢ではなく、周囲の言いなりになるような軟な少女でもない。確かな才と実力、そして信念に裏打ちされた確固たる自信を持っている。
大まかなこれまでの経緯を聞いただけに過ぎないが、汀の目にはアーデルハイトはそう映っていた。短い付き合い故にその根拠を問われれば困ってしまうが、それでもきっとこの予想はそう外れてはいないと思っていた。強いて言うなら『勘』だ。
一方、クリスの本質は恐らく献身にある。彼女は誰かに尽くすことでその才を発揮する。そしてその『誰か』とは言うまでもなくアーデルハイトで、クリスは彼女を支えるために全てを賭けている。幼少期から共に居た所為もあってか、二人は互いを補い合うように出来ている。主であるアーデルハイトの為ならば躊躇することなくその身を擲ち、アーデルハイトの為にならないと判断すれば例え主であろうとも容赦なく諫める。一年ほど離れ離れになっていたと聞かされているが、それが却って二人の絆を深めたのではないかと汀は考えている。
もしも本当に不味い状況だったのならば、アーデルハイトが余裕の表情を浮かべることなどないだろう。もしもアーデルハイトの判断が間違っていたのなら、クリスがそれを正すだろう。そんな二人が焦って居ないのだから、恐らくは本当に大丈夫なのだ。戦場に於いて、異世界という過酷な環境で生きてきた二人の下した判断ならばきっと間違っていない。
汀には戦闘のことなどまるきり理解らないが、しかしその感覚は確かだった。汀本人も薄っすらと自覚していることだが、彼女には確かな『見る目』が備わっている。人であろうと物であろうと、その良し悪しを判断する能力が非常に高いのだ。
ともあれ、そういった理由から汀はそれほど焦っていなかったというわけだ。根拠に乏しいオカルトじみた話ではあるが、汀にとっては二人を信じる理由などそれで十分だった。そもそも慌てふためいたところで地上からどうこう出来る訳でもない。裏方である自分達に出来ることなど、ただ無事を祈って待つことだけなのだから。
「あの、双海さん」
「んぉ?」
そんな風に汀がぼんやりと考えていた時、魔女と水精側のスタッフから声がかけられた。さっぱりとした短髪の、爽やかな印象を受ける若い男のスタッフだ。見ればどうやらあちらも幾分落ち着きを取り戻したらしく、殆どの者が胸を撫で下ろすように机へ突っ伏していた。
「すみません、ちょっとご相談がありまして」
「はいはい、何スか?」
「実は、先程の戦闘で魔女と水精の方のカメラが故障しちゃったみたいでして、ノイズがかなり酷くて。ぶっちゃけ配信出来るような映像じゃないんですよ」
「ありゃ、そりゃ大変っスね。んじゃこっちの映像を回せばいいッスかね?二つの配信で同じ映像を流す事になっちゃうッスけど、何も無いよりはマシでしょ」
「助かります!迷惑をかける分のお金はちゃんとお支払いしますので、是非よろしくお願いします」
汀が確認していたのは当然ながら異世界方面軍の配信のみであり、魔女と水精側の配信画面はチェックしていない。しかしスタッフの話によれば、死神から逃走を開始した時点で既にカメラの調子が悪かったらしい。そうして徐々にカメラの状態は悪化してゆき、つい今しがた完全に使い物にならなくなったとのことだった。
「ちなみになんスけど、いつ頃から映ってないんスか?」
「丁度そちらのお二人が現場に着いた辺りから厳しい状態でした。どうやら自律AIもやられたみたいで、殆ど定点カメラ状態です」
「あちゃー……ってことは戦闘シーンも?」
「配信映像としてはゴミ同然ですね……辛うじて状況が分かる程度で、あとは殆どスズカさんのケツしか映ってません」
スタッフからその話を聞いた時、汀は少し複雑な気分だった。
そんなカメラの状態では魔女と水精メンバーの怪我の容態もほとんど分からず、スタッフ達は気が気でなかっただろう。もっと早くに言ってくれれば映像を回してあげられたのに。
そう思う反面、クリスという隠し玉があちらのカメラに映っていなかったことを喜ぶ自分も居た。ここまで来ればクリスも演者として使っても良い気はするのだが、仮にそうするにしてもやはり最初は異世界方面軍の配信で使いたい。
魔女と水精スタッフを気遣う思いと、こんな状況で自分達の利益を追求する不謹慎さ、その板挟みになったのだ。しかし、そんな汀の逡巡が長く続くことはなかった。
(んー……ま、こっちも慈善事業でやってるわけじゃないし、仕事ッスからね)
そもそもコラボとは互いの合意の元で、双方がメリットを求めて行っているのだ。謂わば配信業というビジネスの一環であり、過度な気遣いなどビジネスには必要ない。あまり相手を気遣い過ぎればそれこそ一方的な施しとなってしまうだろう。
そうすぐさま割り切って思考を切り替えられる程度には、汀は大人であった。
「とりあえず映像はそっちに飛ばしておいたんで、あとは適当にやっといてほしいッス」
「ありがとうございます!」
断られるとでも思っていたのだろうか、随分と安堵したような表情を浮かべて男性スタッフが魔女と水精陣営へと戻っていった。『気にするな』とでも言わんばかりに汀が背中越しにひらひらと手を振り、そうしてまた配信画面へと視線を戻していた。そこにはどうにか歩ける程度に体力を回復したスズカの尻と、歩く度に無駄に揺れるアーデルハイトの尻が映っていた。
「歩く猥褻物ッスね……センシティブ判定されなきゃいいッスけど」
* * *
がらん、という重量感のある金属音を立て、枢達先行組の眼前に大鎌が放り投げられた。比較的最後尾近くに居た枢はともかく、紫月とクオリアは一体何事かと目を丸くしている。ちなみに、既に自動追尾カメラからクリスカメラへと戻っている。
「ゲットですわー!!」
『やったぜ!』
『間違いなく世界初のドロップアイテムやろこれ』
『そもそも死神を倒すってのがもうね』
『いやマジであれは鳥肌立ったわ』
『ああああクリスカメラに戻ってるぅううう』
『同時視聴勢ワイ、期待してルサールカ側の配信を見るもカメラ故障で無事死亡』
『死神とアデ公とスズカのケツがノイズまみれで映るカオス空間だったな』
『まぁ死闘だったんで多少はね?』
『大鎌はロマンあるよね。実際にはクソ使いにくそうだけどさ』
元気よくそう宣言したアーデルハイトは随分と上機嫌であった。今回のダンジョン探索に於いて、収穫と呼べるようなものはまだ一つもなかった。強いて言うなら鉄パイプがそうであるが、トップ探索者の一員である魔女と水精と共同探索を行っておきながら、今回の収穫は鉄パイプです等とは流石に言いたくはなかった。
釣りで言うボウズ状態であったアーデルハイト達だが、しかしここに来て漸く収穫があったのだ。それが地面に転がっている大鎌である。言わずもがな、これは死神が所持していたものである。死神を倒したこともそうだが、その大鎌を獲得したことで視聴者達も大喜びである。やはりアイテム獲得の瞬間はダンジョン配信の華だ。撮れ高的にはこれ以上ないほどの成果と言えるだろう。
「凄い……」
「本当に死神を倒しちゃったのねぇ……驚きすぎて逆に冷静になるわぁ」
俄には信じがたい戦果を挙げたアーデルハイトへと、紫月とクオリアの二人は素直な称賛を口にする。
「もっと褒めて下さってもよくってよ!!よくってよー!!」
胸を張って威張るアーデルハイトだったが、一方でクリスは何やら怪訝そうな瞳を大鎌へと向けていた。いつもであれば微笑ましい表情でアーデルハイトを見守る彼女だが、しかし今回はそれよりも気になることがあるらしい。
「お嬢様、これは……」
「クリスの言いたいことは理解りますけど、わたくしにも理解りませんわ!!」
言葉少なに交わされた二人の会話内容は、視聴者たちにも魔女と水精の四人にも理解らない。というよりも、誰もがその禍々しい大鎌に釘付けとなっていた為、二人の会話に気づかなかったというべきか。
クリスが訝しんだもの。それは『何故これがここにあるのか』ということである。
存在そのものが魔力の塊である死神は、当然ながら手にした大鎌までもが魔力で出来ている。武器である大鎌は死神から独立しているようにも見えるが、実際には全く同一の存在だ。要するに、大鎌の形をしているだけの死神の一部ということである。つまりは、死神の消滅と同時に大鎌も消えていなければおかしいのだ。
あちらの世界に於いても、死神が武器をドロップするなどという話はクリスでさえ聞いたことがなかった。故に不思議に思い、訝しんだのだ。
とはいえ、悩んだ所で答えは出ない。
そもそも伊豆で見かけた迷宮兎のように、あちらの世界のダンジョンとこちらの世界のダンジョンには僅かながら差異がある。故にこの大鎌もその類なのだろうと、クリスは無理矢理に疑問を飲み込むことにした。
「とにかく、今回の探索はここまでやな。姫さんらには申し訳無いけど、流石にこの状態で先には進めへんわ。残念やけど25階層はまた次の機会や」
「疲れたー!!足は痛いし血は出てるし!」
「今回は運が悪かった」
「仕方ないわねぇ。生きていればまたチャンスはあるわけだし、大人しく帰りましょうかぁ」
多少は回復したとはいえ、それでもやはり魔女と水精のメンバー達が満身創痍なことには変わりない。致命傷とまではいかないこの程度の傷であればクリスの回復魔法で全快することも可能だが、魔法を大ぴらに使うつもりはまだアーデルハイト達にも無い。最低限の収穫もあったことで、アーデルハイトがスズカの案に反対することはなかった。
そうして一行は帰路に就いた。先導するのは勿論アーデルハイトで、殿を務めるのはカメラを構えたクリスである。殆どの魔物を魔女と水精が請け負っていた往路とは異なり、道中に現れた魔物は全てアーデルハイトが蹴散らしていった。ちゃっかりといつもの異世界殺法講座を交えて。
『なんか綺麗に収まった空気だしてるけど元凶は無警戒転移だよね』
『うちの団長が申し訳ない……』
『らしいっちゃらしいけどなw』
『今回も濃厚過ぎる探索だったな……』
『クリスがまだ映ってねぇぞ!!』
『魔女と水精もお疲れさまやで』
『相変わらず見どころしかなかったわ』
『死神討伐は流石に熱すぎる』
『終わりよければ全てヨシ!!』
大鎌を除けば唯一の収穫であった、地面に突き刺さったままの鉄パイプのことなど誰も覚えてはいなかった。
関係ないですが、高貴スラッシュには実は『穿光』というちゃんとした技名があったりします




